第24話 母親と娘

 アパートの部屋から慎重に外をうかがっていると、一台の車が駐車場へと入ってきた。見覚えがある。あれはお隣の成瀬家の車のはずだ。車が停まって女性が降りてきたのを確認してから、俺は窓際から離れた。

 どうやら、真由ちゃんの母親が運転して一人で帰ってきたようだ。普段は父親が運転していたように思うが、今は父親が実家に残って母親が必要な書類を取りに来たのだろう。

 

 時刻は10時過ぎで、外に出かけるのも中途半端な気がしたので、のんびりと動画を眺めて過ごすことにした。定期的にチェックしているチャンネルに新着動画がいくつもアップされていたが、今一つ楽しめない。思い返せば、ここ一週間ほどは真由ちゃんとのドタバタで動画などほとんど見ていなかった。期間が空いてしまったせいか、熱が冷めたということだろうか。

 動画鑑賞を止めて昼食について考える。真由ちゃんの母親は書類を取りに来ただけらしいから、それほど長居はしないだろう。どこかへ食べに行くのは目立つから、食材を買って作るのが無難か。朝食時の会話で真由ちゃんが言っていた、美味しいお店に行くのがいいのかもしれない。


 ぼんやりと考えをめぐらせていると、インターホンが鳴った。俺は素早く立ち上がると、身だしなみをチェックしてからドアを開けた。

 外に居たのは、真由ちゃんと母親の二人だった。少しやつれた感じの母親の後ろで、真由ちゃんは不安そうというか浮かない表情で立っている。俺との生活がバレないか緊張しているのだろうか。


「お休みのところ失礼致します」


 母親はスッと丁寧に頭を下げた。真由ちゃんも、久々に会ったお隣さんに対するような態度でペコリと頭を下げる。


「いえいえ、のんびりしていただけですから。ええと、何かありましたか?」

「家を空けている間、娘がエアコンの件でお世話になったそうで、お礼にうかがいました」


 再び頭を下げた母親に、俺も慌てて頭を下げた。


「いえ、そんな大層なことはしていませんから。……その、エアコンを見させていただいたのですが、調子が良くないみたいですので早めに修理か買い替えをされた方がいいんじゃないかと思います。余計なお世話だとは思いますが、この夏の暑さは相当に厳しいですから」


 俺は真由ちゃんと打ち合わせをして、成瀬家へお邪魔してエアコンを確認したことは正直に話すことにしていた。女の子が一人で留守番している部屋に上がるのは問題かと思ったが、下手に嘘をつくとバレたときに余計に疑われるので隠し事は最小限にすることにしたのだ。

 幸いなことに、これについて母親は気にした様子はなかった。


「そうですねえ、やはり買い替えの時期なんでしょうね。ただ、今だと中途半端に……いえ、失礼しました。ご丁寧にありがとうございます。まだ、なんとか動くようですから身の回りが落ち着いたら検討するように致しますね」

「あれ? 動いてますか。この前に見たときは、さっぱりだったのですが」


 疑問が口をついて出てしまった。エアコンが動くとしたら、俺と真由ちゃんは今まで何をやっていたんだ。


「さきほど試してみましたが、調子は良くないものの動きました。古いものですから、あまりに暑すぎたり酷使するとうまく稼働しないのでしょう。以前から、ちょくちょくこういうことがあったんですよ」

「……わ、わたし、そんなに使いすぎてないよ」

「……今はそんな話をしていないでしょ」


 真由ちゃんが控えめに抗議すると、母親は小声でたしなめた。真由ちゃんの気持ちはわかる、修理できないかとあれこれした俺も、なんだか納得できない気分である。母親は、取り繕うように咳払いをした。


「すみません、みっともないところをお見せしてしまいました。……本日、おうかがいしたのは娘がお世話になったお礼の件と、しばらく部屋を留守にするのでその報告だったのです。義母の容態が安定しましたし、お盆が近いので実家の方で過ごすことになりました」

「お祖母様が回復されたんですね。良かったです」

「ありがとうございます。面会もできるようになりましたので、今度は娘も連れて行こうかと」

「えっ?」


 意識せず驚きの声が出てしまった。真由ちゃんも実家に戻る? 普通に考えればこの展開は予想できるはずだったが、今日の昼食は彼女と何を食べようかと考えていた俺は、不意打ちを受けた気分だった。

 そんな俺の反応を、母親は不思議がっているようだ。


「そ、その……今の時期って、新型コロナウイルスのせいもあって病院で面会はできないと思っていたものですから」

「ああ、言葉に語弊がありましたね。面会と言っても、モニター越しに会話するだけです。これを面会って言えるのか、私も戸惑っているのですけれど、時期が時期ですからね」

「そういうことですか。知り合いが、家族が入院した時に面会ができなくて困る、という話をしていたものですから不思議に思ったんです」


 俺は、動揺を隠しつつ外面を取り繕った。なぜ動揺しているのか、自分でも不思議だったが。


「それに娘をアパートに一人残していくわけにもいきませんから。1階の芳江さんに聞いたのですが、他の住人のみなさんにも心配をおかけしていたようで。遠山さんも、ずいぶんと気にかけてくださっていたようですね。……これ、つまらない物ですが」

「あっ、そんな、気にしなくても」


 母親が差し出した紙包みを、よくわからないまま受け取った。ちらっと、様子をうかがった真由ちゃんはうつむいている。

 

「いつまで実家で過ごされる予定なんですか? 俺……コホン、私も盆休みは留守にするかもしれないので」

「はっきりした計画はまだ立てていないですよ。私や夫も、あちらでやらなくてはならないことが沢山あるので、なんとも言えないですね。……娘にも、しばらくあちらで受験勉強をしたらって言っているんですよ。田舎ですが、こちらより涼しくて過ごしやすいですから。このアパートの皆さんは良い人ばかりですけれど娘を一人残しておくのは……」

「で、でも、お母さん、友達とか学校の先生に質問が……」

「それは我慢しなさい。それに、お友達や学校だってお盆休みになるでしょう」


 真由ちゃんが、おずおずと口を挟んだが、母親はそれをぴしゃりとはねのけた。真由ちゃんは何か言いたげだったが、母親と俺を交互に見て黙った。


「みっともないところをお見せして申し訳ありません。義母に会えると喜んでいたのに、急に子供っぽいことを言い出すんですよ。あっ、そろそろ出発しなくてはいけませんので。……ほら、真由もお礼を言いなさい」

「あ、ありがとうございました」


 母親にうながされた真由ちゃんは、他人行儀な態度でペコリとお辞儀した。母親の前だから当然なのだが、若干の寂しさを感じる。


「すみません、休日なのにお騒がせしました。出発しなくてはいけないので、このあたりで失礼致します」

「あっ、どうぞお気をつけて。お祖母様が早く良くなるといいですね」


 母娘でもう一度頭を下げると、二人は部屋へと戻っていった。ドアを閉める際、一瞬だけ真由ちゃんと目が合ったような気がした。



 自分の部屋に戻った俺は、もらった紙包みをちゃぶ台においてぼんやりしていた。真由ちゃんとの奇妙な同居生活は、やむを得ない措置であって、いずれは終わるものだとわかってはいた。しかし、こんなにも急で、心の準備もなく終わってしまうとは思ってもみなかった。

 考えてみれば、次に彼女が戻ってくるのは両親と一緒なはずで、今までのように接することはできないのである。夕食を作ってもらったり、受験勉強をしたりするなんて完全に無理なのだ。当たり前のことなのだが、じわじわと寂しさと喪失感が広がっていく。

 

 外から車のエンジン音が聞こえてきたが、駐車場を確認しようとは思わなかった。

 しばらくごろごろしていたが、ちゃぶ台の包み紙が気になって立ち上がった。中身は、涼し気なパッケージの水羊羹の詰め合わせだった。

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