第13話 月曜日の夕食

 明日が休み、とわかった瞬間からやる気が出てきた。こういう思わぬ休暇というのは、嬉しいものである。おかげで、月曜日であるにも関わらず、仕事に気分良く取り組むことができた。


「いいなあ、俺も休みが欲しかったぜ」


 ファイルを持った水村主任が、羨ましそうに話しかけてきた。俺は頬を引き締めて、真面目そうな表情を作る。


「主任は、今週のどこかで休暇をもらうんですか? 昨日は長い間、働いていましたよね」

「うーん、システムの件があるからしばらくは無理だな。まっ、仕方がないさ。……それより昨日は悪かったな、よく考えずにお前を呼んじまったが、本当は予定があったんじゃないか? デートとか」


 水村主任は、バツが悪そうに頬をポリポリとかいた。


「そんな夢のある話は、妄想の中にしか存在しませんよ。現実は、孤独な男が部屋でゴロゴロしてるだけです」

「ふう、寂しいが俺も同じだな。このコロナウイルスの状況下じゃ、用事もなく出かけるのもなあ」


 俺はため息をついてみせたが、現実の部屋には女子高生が居るのだ。こうして会社で過ごしていると、非現実というか信じられない気持ちがする。絶対にバレないようにしないと。


「まあ、孤独な男同士、ぼちぼちやろうぜ。ああ、家に帰ったら、急に可愛い女の子が出迎えてくれたりしないかなあ」

「そ、そうですね」


 俺は、若干の罪悪感を覚えつつ仕事に戻った。




 明日の火曜日が休みとなったことで、俺は真面目に働いた。同僚に対してちょっと悪い気がしたので、色々と手伝っていると結構遅い時間になってしまった。帰宅すべく廊下を急いでいると、スマホが振動する。真由ちゃんからのメッセージだった。


『帰るのは遅くなりそうですか? 夕食の都合があるので確認したいのですが』


 しまった、帰る時間を連絡しておくべきだった。夕食を作るにも段取りがあるのだろうし、待たせたりするのは申し訳ない。


『少し遅くなったけれど、今から帰ります。事前に言っておけばよかったね。ゴメン』


 指を滑らせて、素早く返信する。ふうむ、お詫びに何か買って帰るべきだろうか。いや、冷蔵庫には昨日のプリンの残りがあったはず。寄り道してお土産を探すよりも、早く帰った方が良いだろう。

 それにしても、晩ごはんは何だろう。ぼんやり考えながら歩いていると、不意に声をかけられた。


「ずいぶんと楽しそうだけど、何かいいことがあったの?」 


 顔を向けると、総務部の速水さんが立っていた。すらりとしたスタイルに、涼やかな目元が特徴的な美人である。ここに転勤してきた当初は、俺と同年代ぐらいだと思っていたのだが。実は結構な古株らしい。


「あっ、実家の家族からメールが届いたんです。お盆休みはどうしようかっていう話なんですよ。新型コロナウイルスの流行で、5月の連休は帰れませんでしたから」


 俺は、とっさに嘘をついた。社会人たるもの、適当な言い訳ぐらいすぐに思いつくのである。それに、速水さんのような女性に、自室に女子高生が居るなどと絶対に知られたくない。色々なものが危機である。


「ふーん、でも、この夏も難しいかもしれないわね」

「そうなんですよね。せっかくの休みってことで、気分は高まるんですけれど」

「この騒ぎはいつまで続くのかしらね。落ち着いたら、遠山君たちみたいに転勤してきた人の歓迎会を企画するつもりだから、楽しみにしていてね。ふふ」


 速水さんは、さわやかな笑顔を残して去っていった。ふう、無駄に緊張してしまった気がする。次からは、スマホを確認するときは周囲に気を配った方が良さそうだ。




 厳重に周囲を確認してから、俺はアパートの扉を開けた。


「……ただいま」

「おかえりなさい。お仕事大変だったんですか?」


 エプロン姿の真由ちゃんがパタパタとよってきた。ふむ、やはり出迎えてくれる人が居るというのは良いものだ。俺は、素早くかつスムーズ扉を閉めた。よし、これで一安心だ。


「ちょっと張り切っちゃっただけだから。それより、帰る時間を知らせておけば良かったね。今まで一人だから、気ままに行動する癖がついてたみたいだ」

「いえいえ、お世話になっているのはわたしですし、仕事で色々あるでしょうから気にしないでください。ご飯は出来ていますから、すぐに用意しますね。……あっ、外は暑かったでしょうから先にシャワーを浴びますか? それとも、少し休憩してからにしますか?」


 台所の鍋に手を伸ばしかけた真由ちゃんだが、思いとどまったように手を止めて俺を見た。


「せっかく作ってくれたんだから、すぐにいただこうかな。いけるかな?」

「任せてください」


 真由ちゃんは、小さなこぶしをぐっと握って笑顔になった。なんだかこそばゆいような気持ちになったが、社会人たる俺は、にやけたりせずに平然と振る舞うよう努力する。

 普段一人で居るときなら、帰るなりだらけてビールを飲んだりするのだが、今はそうはいかない。だが、不思議と窮屈だとは思わなかった。キビキビと夕食の支度をする真由ちゃんに負けないように、俺もさっさと鞄をしまって着替えることにした。



 今日の夕食は、夏野菜のカレーと野菜をたっぷりと使った豆腐サラダ、デザートとして切り分けられた桃だった。いずれもかなり美味しそうだ。

 カレーにはパプリカやズッキーニ、ナスがきれいな彩りを添えている。豆腐のサラダは大皿に豪快に盛り付けられ、レタスやミニトマト、ツナをトッピングした豆腐がいかにもうまそうだ。デザートの桃も汁気がたっぷりな様子で、先に食べてしまいたいぐらいである。


「ど、どうですか? 色々考えたのですけれど、結局カレーにしちゃいました。暑いところに、脂っこいでしょうか」

「いや、すごく良いよ。真由ちゃんって、昨日もそうだったけど料理が上手なんだね。冗談抜きで感動しちゃったよ」

「ふえっ、か、感動だなんて。それは言い過ぎですよ」


 真由ちゃんは、照れた態度ながらも満更でもないらしい。俺と目が合うと、彼女は赤くなって下を向いてしまった。何か声をかけようと思ったのだが、俺も妙に気恥ずかしい。誤魔化すために、スプーンを手に取った。


「ええと、いただきます」

「どうぞ、どうぞ」


 カレーを口に運ぶと、スパイスの香りが広がった。辛さは控えめだが、さわやかな酸味と旨味がある。暑い中でも、これなら沢山食べられそうだ。


「うん、美味しいね。いい感じに旨味が出てるけど、これは……トマトかな」

「そうです。すりおろして入れてあるんですよ。ふふ、気づくものなんですね」


 真由ちゃんは嬉しそうに言うと、自分もスプーンを手に持って食べ始めた。

 俺もどんどんとカレーを口に運んでいく。美味しいのは当然として、複数の野菜が入っているので飽きがこない。色んな野菜をカレーと一緒に食べるだけで、皿がどんどん空になっていった。

 カレーばかり食べるのもどうかと思ったので、次は豆腐サラダに手をつけことにした。レタスと豆腐をまとめて口の中に放り込む。コクのある豆腐とシャキシャキしたレタスが、ごま風味のドレッシングで見事な調和をみせている。つまり、うまい。


「この豆腐サラダも美味しいね。カレーと交互に食べるといくらでもいけそうだよ。このドレッシングも良いけど、買ってきたの?」

「いえ、うちの冷蔵庫から持ってきました。これは家族でお気に入りなんですよ。えと、お口にあって良かったです」

「ごま風味のドレッシングってあんまり使ったことがないから、新鮮に感じるよ。近くのスーパーで売ってたっけ」

「あっ、これは商店街のお肉屋さんで売っているんですよ。ちょっと高いですけれど、その分美味しいです」


 商店街か、俺は買い物を近場のスーパーですませるのでほとんど行ったことがない。真由ちゃんは、しっかり家事もやっているようだ。受験生なのに大したものである。

 俺は感心しながら、彼女の手作りの夕食を存分に味わった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る