第9話 陰謀

「これを手に入れるためには大変な苦労をしましてね。お金だけではなく、大変な手間暇もかかったのですよ。それだけの価値があるのですが、お二人はここまで忍びこんできたのだから、説明の必要はありませんよね?」


 タイタンコーポレーションのCEOは余裕たっぷりに歩くと、ショーケースを開け、花を取り出した。


「あっ、待ちなさいよ。その花は昨日の事件の証拠よ。持ち逃げなんてさせないわ」

 フィオナがオーフェンにつかみかかる。しかし、取り巻きの男が間に滑り込み、フィオナを突き飛ばした。


「何のことでしょう……と、とぼけてもいいのですが、ここはあなたの調査能力に敬意を表しましょう。驚きましたね。よく嗅ぎ付けたものです」


 オーフェンが目を丸くするのを、フィオナは見逃さなかった。


「ということは。オーフェン、あなた、昨日屋敷を燃やし、その住人を殺したことを認めるのね」


「はい、認めましょう。フィオナさん、そしてアレックスさん、取引をしませんか? こちらからの条件は二つ。この件について沈黙すること、そしてあなたがたの持っているライオンの毛皮と、証拠画像の入ったスマートフォンをいただきたい。そうすれば見逃してあげるだけでなく100万ドルずつプレゼントしましょう。もちろんキャッシュでです」


 オーフェンが控えている男たちに目配せすると、男の一人がアタッシュケースを持ってきた。男が胸に抱えたままそれを開くと、中には札束がぎっしりと詰まっている。


「マジで……? 100万ドルって、それマジで言ってんの? 俺が、100万ドル……」


 貧乏レスラーは震えた。100万ドルあれば、プロレス会場をピカピカにリフォームできる。ボロボロの用具やロッカールームも直せるし、テレビや新聞に広告も出せる。スターの夢がぐっと近づく。そのついでにでかいステーキだって食い放題だ。


「迷っているようですね。それでは条件をさらに上積みしましょう。さて、何がいいか……。そうだ、あなたはプロレスラーだそうですね。でしたら、私がスターに仕立ててあげましょう。タイタンコーポレーションの力を使えば容易いことです。リングの上だけでなく、テレビや映画も活躍の場にしてあげてもいい。さあ、毛皮を渡しなさい」


「あ、はい。それじゃあこれ……」


 アレックスは、ふらふらと、半ば朦朧とした状態に陥った。背負っているバックパックに手をかけ、毛皮を手渡そうとする。


 その時、フィオナがアレックスの手をつかんだ。


「アレックス、あんたそれでいいの。あいつは『仕立てる』って言ったのよ。インチキじゃない。こんなやり方でスターになっても空しいだけよ。自分の手で夢を勝ち取りなさい」


「インチキ? 何ぬるいこと言っているんだ。人間には、たとえ汚い手段を使ってでも手に入れたいものがある。私にとって毛皮がそれだ。人を殺そうが家を焼こうが、絶対に欲しい。アレックスさん、あなたは違うのですか? 他の何を捨ててでもスターになりたいんじゃないのですか? あなたにとってプロレスとは『ダメならいいや』という程度のものなのですか」


 オーフェンが上げた叫びは、アレックスの胸に突き刺さった。俺は絶対にスターになりたい。だっていうのに、これまでの調子はどうだ? 最悪だ。写真をアップロードしたり、チラシを配ったり、ライオンの毛皮をかぶって入場パフォーマンスを工夫したり、何をやってもさっぱり人気が出ない。悪事を見逃すのは許されないことだ。しかし、俺が実際に悪いことをするわけじゃない。ただちょっと今日のことを忘れればいいだけだ。それだけでスターになれる。


 しかしこの土壇場で、アンソニーの言葉が頭をよぎった。


『自分が何者になるのかは、自分が何をするかで決まるんだぞ』


 アレックスの心は決まった。


「オーフェンさん。自分が何者になるかは、何をするかで決まるんだ。金を渡されて悪事を見逃し、用意された成功に浸る。そんなやつはスターじゃない。あんたの提案に乗る気なんて、はじめっからねーんだよ。おとといきやがれ」


「うそおっしゃい。100万ドルって言われて散々迷ったくせに」


 アレックスの決め台詞を、フィオナは鼻で笑った。


「人がカッコよく決めたのに、台無しにするんじゃねーよ」


「ああ、うん、そうようね。なんていうか、つい言わずにはいられなかったというか、なんというか……」


「ではやりあうしかなさそうですね。さあ、毛皮を準備しなさい」


 オーフェンは二人のやり取りを無視して男たちを下がらせると、アレックスに花を突き出した。その姿は、騎士が剣を構えたのと同じ、決戦を予感させるものだった。


「毛皮を準備って、何のことだ? 渡さないって言ってんだろ」


「驚いたな。君たちは神話の力も理解せずにここまでたどり着いたのか」


「はあ~~~? 神話の力? お前マジでそんなこと言ってんのかよ。っていうか、オカルトのために人を殺し、家を焼いたってことだよな。どうかしてるぜ」


「毛皮を持ちながら価値を理解できないとは。プロレスラーが愚かというのは知っていたが、これほどとは思いませんでしたよ」


「てめえ、言いやがったな。そうまで言うならやってやるよ。かぶればいいのか? ほれ、これでどうなるってんだ」


 アレックスはバックパックから毛皮を取り出し、頭に被った。


 その瞬間である。


「うおおおおおおおおおおお」


 毛皮を被った筋肉男は雄たけびを上げた。


 その様子を見て、オーフェンは目を見開き、部下たちは息をのんだ。アレックスの絶叫がすさまじく、神話世界の英雄のような大迫力だったからだ。なにか大きな異変がもたらされたのだと、その場にいる全員が目を見張った。


 しかし雄たけびは突然に止まった。


「いや嘘だよ、なんにも起こらねーよ。お前ら全員、バカじゃねーの」


 アレックスはせせら笑った。オカルト野郎の考えてることなんてわかったもんじゃない。マジで神話のパワーがあると思ってビビってやがる。オーフェンのやつなんかは決闘でもするつもりなのか意味深なポーズをとってるし。マヌケすぎて笑えてくる。


「興覚めだ。しょせんは愚かなプロレスラーと下らないオカルト記者、私が出るまでもない。シーザー、後は任せる。痛めつけても渡さないようなら殺してもいい。もみ消すのは簡単なことだからな。私は別件の方へ行く」


 オーフェンは大きくため息をついた。明らかな侮辱の目で見下ろすと、控えていた男たちに後のことを任せ、その場を去った。


 後を任されたシーザーは男たちに号令をかける。10を超える数の男たちが一糸乱れぬ足並みで整列し、アレックスに対峙した。


「アレックス、俺たち友達なのにこんなことになって残念だ。一緒にベンツでドライブして楽しかったのになあ。大人しくそれを渡してくれれ。そうすれば俺は暴力を振るわずに済むし、友達を続けることもできる」


「おいおい、お前はオカルトの人殺しサイコ野郎に従うってのかよ。冗談きついぜ。俺のこぶしで目を覚ましてやる」


 整列した10人を前にし、アレックスはこぶしをゴキゴキと鳴らした。戦闘になった場合、アレックスの圧倒的不利は火を見るより明らかだが、この堂々とした態度と岩石のような筋肉、そしてライオンの毛皮を被ったことによる威圧感は、もしやと思わせるに十分な迫力を備えていた。


「大した自信じゃないか。かかってきな」


「ああ、行くぜ。ぶっ飛ばしてやる」


 叫んだアレックスは身をひるがえしてフィオナを抱え上げ、資料室の出口へ疾走した。逃げの一手を打ったのだ。

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