第13話 悪党のうごめき

「ベンツが空を飛んでる……!?」


 アレックスに殴られたベンツはト派手にぶっ飛ばされる。車内のシーザーは、人がベンツを殴ってぶっ飛ばしたなんて信じられず、今感じている浮遊感は何だろうかと考える。自分の愛がベンツに届き、幼いころ夢に見た『空飛ぶ車』を実現させたのだろうかと夢想した。それならどこまでも、あの夜空の星の向こうへも飛んでいける。


 しかし幸せな夢はすぐに終わる。一瞬の後、ベンツは地面にたたきつけられて転がり回る。乗っていたシーザーは車内で激しくかき回されて頭を打ち、その衝撃で気を失った。幸せな眠りだった。


 ひっくり返ったベンツのボンネットから炎がのぞく。


 その炎を目印にして、後続の車が続々と追い付いてくる。一部は救護を行い、その残りはアレックスを追って突っ走った。


「やべえぞ。早く車から助け出せ」


 下車した男たちはベンツに駆け寄り、漏れ出したガソリンへ炎がにじり寄るのを見た。大慌てでドアを開けようとするが、転げまわった衝撃で車体がひしゃげており、いくら引いても蹴ってもびくともしない。割れた窓から上半身を突っ込んでシートベルトを外し、ようやっとのことでシーザーを引きずり出した。


 その直後、炎がガソリンに燃え移って大爆発。夜空を貫かんばかりの火柱が上がる。特注のベンツ一台分、あまりにも高価な花火だ。


「シーザー、無事か!? 目を覚ませ!」


「ああ……、うう、うるせえな。無事だよ」


 シーザーは揺さぶられて目を覚ました。ひっくり返った車と炎を見つけて顔を青くする。


「俺のベンツが燃えてる……。ちくしょう、アレックスのやつめ」


 シーザーはひざから崩れ落ちる。地べたに顔をうずめて、しゃくり声をあげて泣いた。彼にとってベンツは将来を一方的に約束したパートナーだった。病めるときはベンツで病院に行き、健やかなるときはベンツで遊びに行くと誓っていた。しかしもうそんな未来はない。そう思うと胸が真っ暗になり、大声をあげて泣いた。


 部下たちはもちろんこのことを知っていた。悲しむ気持ちが痛いほど理解できて、誰一人としてかける言葉を見つけることができない。


「シーザー、これを……」


 男の一人が、せき込みながら何かを差し出した。


 しかしシーザーは崩れ落ちたまま泣きわめくのをやめない。


 男はシーザーを地べたから無理矢理に引きはがして、目の前に手中の物を突きつけた。


「これを見ろ。お前のベンツのエンブレムとキーだ。何とかこれだけは助けてやれた。残されたキーとエンブレムのためにも、アレックスをぶちのめそう。あいつは、お前のベンツの仇だ」


 シーザーは焼けこげたキーとエンブレムを震える手で握りしめた。物は考えようだ。大切なベンツは自動車としての機能を失ってしまったが、ここにその魂は残った。一緒の時を過ごすことはできる。いつまでも泣いているわけにもいかない。愛する物の仇を討たなくては。


「そうだ。俺はベンツの仇を取る。お前ら、力を貸してくれ」


 おう、という野太い声が響く。


 しかし、一人の男が不安げな表情を浮かべた。


「ちょっ、ちょっと待てよ。アレックスの野郎に怯えているやつもいるんだ、いったいなんでベンツがこんなことになったのか教えてくれ。状況からして運転ミスってわけじゃないだろ?」


 ベンツの転がった跡が地面にしっかりと残っているにもかかわらず、ブレーキ跡がない。しかも、フロントバンパーがぐちゃぐちゃに破壊されている。つまりこの惨状は、運転のミスが原因ではない。前方からの大きな衝撃がベンツを弾き飛ばしたのだということがわかる。


「アレックスの野郎がベンツをぶん殴ったんだ。あいつは桁外れのパワーを持っている」


 シーザーの言葉に、男たちがざわめく。荒唐無稽な話に思えたが、消火器をぶっ飛ばしたり銃弾をつかみ取るのを目撃しており、信じる下地はできていた。


「あいつはエイリアンだ」


「いいや違う。俺が先週教会に行かなかったせいで神がお怒りなのだ」


「CIAが作ったサイボーグって線もあるぜ」


 様々な憶測が飛び交う。誰もが真剣な表情だが、シーザーにはどれも違って思えた。


「ライオンの毛皮。そうだ、あの毛皮のせいに違いない」


 シーザーはオーフェンの話を思い出した。道具に秘められた神話の力、自動車を殴ってぶっ飛ばすなんてのはまさにそれである。なぜ大金持ちであるのに毛皮を欲しがるのかという疑問の答えもこれだ。


 シーザーはすっかり冷静さを取り戻していた。オーフェンをボスとするものとして、この事実を報告しなければならない。ポケットからスマートフォンを引っ張り出した。


「ボス、シーザーです。すぐに報告したいことがありまして」








 夜のニューヨーク。美術館がある。町はずれなのでひとけもなく、暗くて静かだ。


 そこに一台のリムジンが止まった。運転手がドアを開け一人の紳士がリムジンから降りると、彼のポケットでスマートフォンの呼び出し音が鳴った。


「シーザーか。そちらの首尾はどうだ?」


 オーフェンはスマートフォンの呼び出しにこたえる。身なりは服も靴も時計も一級品で、上品にまとまっている。髪はしっかりとなでつけられており、左手には花束らしき背の高い包みも抱えて、紳士と呼ぶにふさわしい恰好だった。


 しかしそれは遠目から見ればの話である。近寄ってみれば彼の目が獲物を求めるかのようにぎらついているのがわかる。近くでこの男を見た者は、決闘へ向かう騎士か、悪くすれば腹をすかせたイノシシと思うだろう。


「失敗です。毛皮を獲得できませんでした。逃げるアレックスを部下に追わせていますが、どうなるやら」


「なに? あれだけおぜん立てを整えておいてか? あとは奪うだけだったろう。いったい何があったというんだね。まさか……」


 オーフェンのスマートフォンを握る手に思わず力が入った。


「毛皮です。あの毛皮がすごいパワーを発揮して、返り討ちに会いました。ボスの言っていたとおり、ギリシャの神の力を秘めた道具であることに間違いありません」


「やはりか! 私は間違えていなかった。どんな力か非常に興味のあるところだが、今日はこれから最終交渉に向かうところでね。おしゃべりしている暇はないのだよ」


「最終、ですか? 奴さんはかなり嫌がっていたと思うのですが、まさかあきらめるんですか?」


 オーフェンは、フン、と鼻で笑った。


「まさか。今日で交渉が締結されるから最後なのだよ。君たちにライオンの件を任せたのは、今日やることは私一人のほうが都合がいいからさ」


「それはまさか、ボスも神話の力を使うということですか?」


「よくわかったとほめてやりたいところだが、君たちは引き続きライオン男に集中しなさい」


「はい。ですが、難しいでしょう。なんせ毛皮のパワーは驚異的――」


 通話が突然にきれた。オーフェンもシーザーも通話終了の操作をしていない。ニューヨークのど真ん中でスマートフォンの電波が途切れたのだった。


 言いつけ通りだな。オーフェンは頷きつつ、スマートフォンをしまった。この日この時間、美術館の一帯を電波不通にせよ、と命じていたのだった。

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