第14話 プロメテウスのほぐち
オーフェンは深夜の美術館に足を踏み入れた。館内には客がいない。非常灯がともっているだけの静かで薄暗い場所……、と思いきや、年老いた男がショーケースの前で待ち構えていた。
「こんな遅くに呼びつけるとは無礼もいいところだな。手に持っている花はわびのつもりか?」
老人はオーフェンの手にある花をにらみつけた。
「こんばんは、館長。残念ですが、この花はわびではありません。本日、遅くに呼び出した理由は――」
館長は手を挙げてオーフェンの話を遮った。
「フン、聞かなくともわかるわい。『これ』を譲ってくれというのだろう。何度も言ったが、いくら金を積まれても譲る気はない」
館長はショーケースを守るかのように立ちはだかった。
ショーケースの中身、つまりオーフェンが求めてやまないのはサンダルである。
サンダルは古代ギリシャ時代のものだ。底板に取り付けられた革ひもで足を縛って固定するもので、足首の正面でひもが交差している。くるぶしにあたる部分には翼をかたどった飾りがつけられているのだが、これがまた、今にも羽ばたかんばかりの見事な出来であった。
「話が早くて助かります。あなたの背後にある物についての交渉を、今日、まとめてしまおうと思いましてね」
「話の通じん奴だな。売らないと何度も言っているではないか。ったく、世界一の金持ちであるオーフェンともあろう者が、なんでこんなものを欲しがるんだか……」
館長はボヤいた。
というのも、このサンダルにはおかしなところがある。それは保存状態だ。サンダルは古代に作られたものであるのに、その年月を全く感じさせない。革ひもには色褪せや欠損が全くないどころか、みずみずしく艶がある。くるぶしにつけられた翼の飾りは眩しいばかりの金色で、古代の遺物というより最新ファッション製品といわれたほうがしっくりくる。
「人類の宝に向かって『こんなもの』とは、ずいぶんな言い様ですね。価値を理解できない者にサンダルを持たせておくわけにはいきません。譲らないというのならば、あなたを殺してでも奪わねばなりません」
オーフェンは懐から銃を取り出し、館長に向けた。
「フン、本性を現しおったな」
館長は手をたたいてポンと鳴らした。すると、展示物の陰からずらずらと警備員が現れる。
警備員は全部で10人おり、その全員が短機関銃と防弾ベスト、ヘルメットを装備している。美術館を常時警備するには多すぎる人数で、装備も過剰だ。おまけに訓練も行き届いているようで、彼らは素早く展開し、オーフェンの周りを取り囲んだ。
「これはまた厳重な警備ですね。ここの美術館では日ごろからこのような態勢なのですか? おせっかいながら言わせてもらいますが、もっと人を減らしたほうが経済的ですよ」
「そんなわけないだろう。こやつらはお前のために雇ったのだ」
「私の?」
「そうだ。お前の異常な執着が恐ろしくなってな。それにオーフェン、先日の火事、お前の仕業だろう?」
館長はオーフェンの手にする花を見ながら言った。
「先日、とある屋敷が火事になったというニュースがあった。屋敷の主人は、大して価値のない『花』に異常な高値をつけられ、譲るよう執拗に迫らていたという。いやはや、私と全く同じ境遇ではないか。今日お前が『花』を持ってここへ来たのを見て、やはりな、と思ったよ」
「よくわかりましたね、たいした洞察力です。しかし惜しいのは、サンダルの価値を理解する眼力には結びついていないことです。浮気調査にでも転職すべきですね」
オーフェンは挑発した。銃を向けられているのに、平静そのものな態度である。
「やかましい。おい、おまえたち」
館長が合図を送る。
すると警備員たちは素早くオーフェンに迫り、銃を取り上げた。
「さあ、とっとと帰れ。火事の件は知らんふりをしてやるから、サンダルのこともすっぱりと忘れるんだな」
「いえいえ、今から奪うのですよ。これを使ってね」
言うなり、オーフェンは花を頭上高く掲げる。すると花は星明りを浴びて輝き始めた。輝きは蛍のように淡い。しかしどんどんと力強さを増し、眩しいくらいに輝きだした。
「なんだ……? 花の中に何か仕込んでいるのか」
館長が手でひさしを作ると、ボワッという小さな爆発音がなった。見れば、花の先端が発火してトーチのように燃えている。
「どうですか。素晴らしいでしょう。サンダルを譲る気になられましたか?」
「確かに素晴らしい。どうやって火をつけたのだ? 手元にスイッチがあるのか? おどろいたよ」
館長は嘲り笑う。
「しかしだな、所詮は単なる手品だ。原始人なら喜んだり恐れたりするだろうが、現代の人間にとっては珍しくもない。それを見せられたからってサンダルを差し出すわけないだろう」
「そうですか。分かりました。では、この先を見せて差し上げましょう」
オーフェンは牙をむくようにして笑い、頭上高く掲げていた花をふるった。すると花から恐るべき勢いで炎が噴き出し、火の嵐として駆け抜けた。
あまりに突然の出来事だった。あまりに炎のスピードが速かった。運悪く軌道上に立っていた警備員はかわすことを思いつく間もなく炎の嵐にのまれ、炎上し、倒れてあっという間に動かなくなった。彼の近くにいた数名の者も、吹き飛ばされてショーケースにたたきつけられた。
炎は男を焼き尽くしても止まらない。勢いそのままに一直線で展示会を走り抜け、壁にぶち当たる。壁も、炎の通った軌跡も、真っ赤な炎がごうごうと音を立てて燃えている。
天井のスプリンクラーから消火用の水が降ってきたが、炎の勢いをおさめることはできない。
オーフェンは濡れた髪を手櫛でかき分け、目を見開いている館長へ問いかける。
「サンダルを譲る気になられましたか?」
「おまえら、こいつを撃てええええええ」
これが館長の答えだ。彼は残った警備員へ銃撃を命じた。
四方から銃声が鳴り、銃弾が一人の元へ向かう。
銃弾が届く前にオーフェンは再び手を振った。すると爆風が現れるのだが、今度の爆風はまるでオーフェンを守る壁のように彼を覆い隠し、炎の渦として彼の周囲を吹き荒れた。
「撃てええええ、撃ち続けろおおおおお」
警備員たちは館長の叫びに呼応し、銃を構えた。仲間がいともたやすく無残に殺されたのだから、自分だってそうなる危険はある。彼らも必死だった。とにもかくにも、炎の渦をめがけて引き金を引く。
耳をつんざく銃声が響く。
警備員たちは撃った。撃ちに撃って、ひたすらに撃ちまくった。
銃撃は、銃弾が尽きるまで続いた。何発撃ったのかは誰にもわからない。これだけ撃ったら恐竜だって仕留められる。オーフェンなんかはバラバラのグチャグチャになったろう。誰もがそう思った。
しかしその代償は大きかった。美術館内は悲惨な状態である。銃撃による硝煙や瓦礫、舞い上がった埃で、戦場のようだ。
オーフェンを守るように巻き起こった炎の渦も煌々と燃えている。
どこからともなく風が吹いてきたせいか、それが揺らめいた。
「もう終わりですか?」
荒れ果てた美術館に、何者かの声が響いた。
館長は警備員のほうを見たが、彼らもお互いを見合わせて声の主を探している。では誰がしゃべったのだろうか。
「こっちですよ」
炎の渦が陰り、オーフェンの姿があらわになった。驚くことに彼は無事だった。炎の渦が銃弾を焼き尽くしたのか弾き飛ばしたのかは定かでないが、上品なスーツも折り目正しく、涼しい顔をしている。あれだけの銃撃を浴びたのが嘘のようだ。
「さて。では続きを始めましょうか」
オーフェンがそう言って花を振るうと炎が走り、また一人の警備員が燃やされた。
「あああああああ、にげろおおおお」
「そういうわけにはいきません」
警備員たちは尻尾を巻いて出口に殺到する。
しかしオーフェンに容赦の心はない。悲鳴を上げる背中に花を振るい続け、ついにはそれすらも消える。
聞こえてくるのはごうごうと炎の燃える音だけになった。
「あああああああ、なんてことだ。はやく、警察、911、911……」
館長は恐れのあまり腰を抜かした。それでも生きるためできることはある。ポケットからスマートフォンを取り出し、911をプッシュするが、つながらない。
ジーザス、なぜ、この一大事に電話がかからないのですか。
館長は再度911をプッシュするが、それでもだめだ。よく見てみれば、スマートフォンに電波が入っていない。
「もうしばらく電話は使えませんよ。そういう風に手配しておきました」
そう言いながら、オーフェンが迫ってくる。片手に炎を噴く花を携えて。
「やめろ、何をする気だ。頼む、命だけは助けてくれ」
館長は尻もちを着いた。その姿勢のまま手を使って後ずさり、背中を瓦礫にぶつけた。逃げ場はない。間違いなく殺される。通話不能の手配をしているあたり、今日の襲撃は計画的だ。オーフェンの言葉は嘘ではないだろう。彼は電話会社を支配する権力と金を持っているし、本気で人を殺す気になれば逃れられる者はいない。できるのは命乞いだけだ。
「残念ですが、私が神話の道具を集めていると知られた以上、生かしておくことはできません。金とサンダルを交換していれば見逃してあげたのに。あなたは選択を間違えたのです」
オーフェンが冷たく言って花を振り上げる。
もうお終いだ、ここで私は焼き殺されるんだ。館長は目をつぶった。しかし炎は来ない。まさか見逃してくれたのか、と、恐る恐る目を開くと、オーフェンが花を向けたまま立っていた。
「助けてあげてもいいでしょう。もしあなたが、私の質問に答えてくれれば、の話ですが」
「なんでも話す、なんでもだ。だから命だけは助けてくれ」
「この花やサンダルのように、特別な力を持った物品を知りませんか? もしその物品が人間の言葉を話すというのであれば、なお良いです」
「知らぬ。というより、そんなものが見つかれば、すぐさまトップニュースだ」
「では、このサンダルについて特別な関心を持った人物はいませんでしたか?」
「いない。みな、きんきらきんのまがい物だと笑っていたよ」
怯えきった館長が早口で答えると、オーフェンは肩をすくめた。
「館長、誤解されては困りますが、ただ質問に答えればいいというわけではありません。私は情報が欲しいのです。もっとよく考えてみることを勧めますよ」
「そ、そんなこと言われても知らないものは知らないんだ。なあ、頼むよ、殺さないでくれ。今日のことは誰にも言わない。盗人が入って火をつけたと言えば警察も納得するだろう。だから――」
「さようなら、館長」
オーフェンは花を高く構えて、振り下ろした。花から炎が噴き出し、館長を焼く。美術館には、ついにオーフェン一人となった。
「おお、ついに……」
オーフェンはサンダルの入ったショーケースを開け、手に取った。
すると窓から強烈な光が入り込み、サンダルを照らす。
光で目をくらまされながら、オーフェンは確信した。この光は、私の花『プロメテウスのほぐち』と同じだ。間違いない、このサンダルは神話のパワーを秘めている。
しばらくして光が収まった。
サンダルはオーフェンの手中で異変を起こしていた。淡い輝きを放っているだけでなく、黄金でつくられた羽飾りが風に揺られている。その揺らぎから金属の硬さは感じられない。細やかな羽毛の一枚一枚までもが柔らかにそよいでおり、鳥が羽ばたいているのではないかと錯覚してしまうほどだ。
オーフェンは驚かない。確信をふかめ、サンダルをつかむ手をそっと離した。
しかしサンダルは落ちない。翼がゆっくりと羽ばたき、その場から重力が失われたかのように浮いている。ドローンであれば可能な動きだが、プロペラはついていないし、空気をかき混ぜる音もしない。プロメテウスのほぐちが炎を巻き起こしたこともそうだが、現代の科学で説明のつかない不思議な現象だ。
「素晴らしい。サンダルよ、私に古代の英知を授けてくれ」
オーフェンは懇願するように声をかけた。サンダルに、だ。
しかしサンダルは当然に答えない。ただ静かに、星明りを反射して、宙に浮いている。
オーフェンは大きく息を吐いてサンダルを懐にしまい、スマートフォンを取り出した。電波が復帰し、通信が可能になっている。事は彼の指示通りに進んでいた。
「シーザーか。こちらの目的は達成された。ライオンの毛皮はどうなっている」
「ええっと、その。現在追跡中という連絡が入っているのですが、それが、なんというか」
シーザーが歯切れ悪く言うと、オーフェンはため息をついた。
「なんだ、逃がしたのか? それならそう言いなさい。タイタンコーポレーションが開発した防犯システムを使う」
「いいえ。その、信じがたいことですが、あの野郎、自分の足で走って逃げているそうです。車で追いすがるのがやっとだとか」
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