第12話 カーチェイスその1
二人と毛皮を乗せた車は夜のニューヨークの郊外を疾走する。
「街中まで急ぐのよ。いかにあいつらでも人目のある場所なら襲ってこられないはずだから」
オーケーと返事し、アレックスはアクセルをべた踏みする。ぐんぐんと加速し、オーフェンの屋敷はあっという間に見えなくなった。
しかし、すぐに一台の車が追い付いてくる。
アレックスは眉を寄せた。おかしい、追いつかれるはずがない。こちらのほうが早い出発だったし、スピードだってこれ以上ないくらい出している。おまけにずっと直線を走っているのだから、ショートカットやドライビングテクニックで差がつくはずもない。
アレックスがバックミラーを確認すると、そこに映っていたのは赤い輝きだった。
ベンツだ。なるほど、追いつかれるはずである。この普通車とは性能が段違いだ。遠く小さかった赤い輝きは見る見るうちに大きくなる。あっという間に追いつかれ、運転席のシーザーがはっきりと確認できる距離にまでなった。
バックミラーに映ったシーザーが窓から身を乗り出し、銃を構えた。
「危ない、伏せろ」
アレックスはフィオナの頭を押さえつけた。
次の瞬間、銃声が立て続けに三つ鳴る。車に異常はない。幸いにも弾は外れたようだ。
「そんなに怯えるな。これだけ高速で移動していればそうそう当たるまい」
毛皮が言った。
「何言ってんだよ、結構当たるんだぞ。さてはお前、銃を知らないだろ。これだからサバンナ育ちは困る」
「あの武器は銃というのか。素晴らしい威力だというのは認めるが、あれに精度まで伴うというのであれば、戦争が大きく変わる――」
また銃声が鳴った。しかも、派手な音を立ててリアガラスを割り、銃弾がアレックスの頭部へ一直線で迫る。
瞬間、毛皮の目がきらめく。アレックスの頭部にいた毛皮は、雷撃の速さで顔面すぐ横の虚空へ噛みついた。
毛皮はくるりとアレックスを振り返り、ペッ、と何かを吐き出した。弾丸だ。
「驚いたな、側頭部に直撃コースだ。あの武器、威力も精度も投石機や弓とは比べ物にならぬ」
アレックスの肝が冷える。危なかった。はっきりと死にかけた。しかも危機はまだ去っていない。今の銃弾は毛皮が防いでくれたが、それがいつまで続くやら。そうでなくとも、車体やタイヤを狙われては打つ手なしだ。ならばシーザーを無力化するしかないが、こちらに銃はない。
なら拳でぶっ飛ばすしかない。
「フィオナ、おい、フィオナ。なんで丸まってるんだよ」
フィオナは助手席のフットスペースに潜り込み、震えていた。
「だってだって、銃で撃たれてるのよ。こんなのおっかないの初めてだわ」
「情けないこと言うんじゃない。運転を代われ」
「無理よ。無理無理。銃に狙われて運転するなんて、考えただけでも鳥肌よ」
「やってもらわなきゃ困るんだよ」
アレックスはフィオナの首根っこをつかんで引っ張り出し、ハンドルを握らせた。
「うわわわっわわ、なんであたしが運転しなくちゃならないのよ。あんたがやってよ」
きゃあきゃあと騒ぐフィオナの胸倉を、アレックスはぐいと引き寄せた。
「お前ならできる。オーフェンの悪事を暴いたんだ。それと比べたら運転くらいなんてことない。自信を持て」
「……わかった、やったるわ」
フィオナは小さく頷いた。
「俺はシーザーをノックアウトしてくる。おい毛皮、できるよな?」
アレックスが問うと、もちろんだとも、と、獣の唸り声が返ってくる。
「じゃあ行ってくる。ハウストン・ストリートにある、フードコート付きのコンビニで落ち合おう」
フィオナの返答を待たず、アレックスは時速120キロの車から飛び降りた。地面に足を着ける瞬間、全身に暴風のようなGがかかった。しかし、アレックスには毛皮の力がある。ちょいと腹筋に力を入れて踏ん張り、転ぶことなくしっかりと着地した。
ベンツが一段とスピードを上げ、ひき殺さんとアレックスへ迫る。
「さあボーイ、根性の見せ所だ。ヘタレるんじゃないぞ」
「わかってらあ」
毛皮の激励を受け、アレックスは気合を入れなおす。両足を広げて踏ん張る姿勢を作ると、そこへベンツが突っ込んできた。
アレックスはベンツを受け止める。ベンツはものすごいバワーだ。どんなレスラーもこんなぶちかましはできまい。腕がしびれ、踏ん張った両足が地面のアスファルトにめり込んでじりじりと押される。
アレックスはベンツを受け止め切った。そのまま車体の下に手を入れてベンツを持ち上げる。すると前輪が浮いて、車は推進力を失った。
「シーザー、観念しろ。このままベンツから引きずり出してもいいんだぜ」
「そんなことさせるか。これでもくらえ」
シーザーが窓から体を乗り出し、銃撃する。
アレックスは車体を手放し、素早く横っ飛びしてかわす。
すると自由になったベンツはしばらく走ってUターンし、再びアレックスへ突っ込んでくる。
「ボーイ、このままじゃ埒が明かん。あの鉄のチャリオットを破壊するぞ。走ってきたところをカウンターでぶん殴れ」
言いつつ、毛皮はアレックスの頭部から右の拳へ移動して巻き付いた。すると、アレックスの右こぶしに毛皮の力が凝縮する。
「鉄のチャリオットって車のことだよな。カウンターでぶっ壊すなんてことできるのか?」
「できるとも。というより、私は降伏なんぞ呼びかけるつもりはなかった。初めからお前もそのつもりだとばかり思っていたんだがな」
「いやいやいや、まさかまさかだよ。ぶっ壊すなんてとんでもない。あれは高級車で、しかも新車だぞ。できたとしても絶対にやらないからな」
「何ぬるいことを言っている。まだ降伏を呼びかけるのか? あの態度を見る限り、絶対に応じない。どちらかが倒れるまで攻撃してくるぞ。目を覚ませ」
毛皮はため息をつく。巻き付いたアレックスの拳を操り、頬を殴らせた。
「痛ってえ……。お前の言うことは間違ってないけど……、ベンツがなあ」
そのうちに、ベンツが迫ってきた。
どうすればいいのだ。アレックスは、破かれたチラシを思い出した。さらには、フィオナのスマートフォンを踏みつぶしたことだって今でも目に焼き付いている。絶対に許せない。そうだ、悪はオーフェンだけでない。シーザーも倒さねばならない。
アレックスは拳を握り、突っ込んでくるベンツを全力でぶん殴った。
パンチがバンパーに当たった瞬間、大型車同士が正面衝突したような、ガス爆発のような、激しい音が鳴った。
「ああ……、なんてことだ」
あの素晴らしいベンツが軽々と舞い上がった後、テニスボールのように2度3度とバウンドしながら吹き飛んでいる。ドアだとかタイヤだとかボディの一部の赤い金属片をまき散らして転げまわり、しばらくして炎上した。高級車が鉄くずに変わるところを初めて目撃し、アレックスは世の無常を悲しんだ。
「オーマイガー。助けに行かなきゃ」
アレックスは炎上するベンツに駆け寄る。
しかし、毛皮は足に巻き付いてそれを止めた。
「馬鹿言うな。あいつ、火を焚き始めたぞ。チャリオットもろともぶっ飛ばされたというのに戦意十分じゃないか。敵ながらあっぱれだ」
「サバンナ育ちはこれだから困る。あれは火を焚いてるんじゃなくて、中のガソリンが燃えてるんだよ。それなのに車から出てこないんだから、車内で気を失ってるんだ」
「むう……、チャリオット内の松明が燃え移ったということか。しかしそれでも助けに行くわけにはいかない。後続が来ている」
オーフェンの屋敷がある方角から、たくさんのライトとエンジン音が近づいてくる。シーザーの部下たちが乗った車だ。もちろんベンツではないが、大きな脅威だ。車に乗っているのは銃を持った男たちなのだから。
アレックスはニューヨークの街中を目指し、猛スピードで逃走を開始した。
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