第37話 ホテルの会見場
「なんだと! そんなこと認められるわけなかろう、この馬鹿者めが」
ニューヨークのど真ん中で、ヘラクレスはライオンの咆哮を上げた。アレックスからオーフェンへの譲渡について説明を受けたが、認められるわけがない。衆人環視の環境だというのにお構いなしで怒鳴りつける。
「うわっ、おい、でかい声を出すなよ。みんな見てるじゃないか。……いやあどうも皆さん、今度パーティーで腹話術をやろうと思いましてね。練習してるんですよ。結構うまいでしょ」
アレックスは周囲の人へ言い訳しつつ、ヘラクレスにささやきかける。
「わかってくれよ。俺だって嫌だけど、アンソニーのケガを治してもらうために仕方ないんだって」
「それが認められないというのだ。そもそも戦士というのは常に死と隣り合わせにある。ケガしたくらいで覚悟が揺らぐようでは失格と言わざるを得ん。甘えたこと言ってないで、オーフェンと対決しろ」
「昔の騎士道みたいな話をするなよ。今は21世紀だぞ。それに、ケガしてるのは俺の友達で仲間だ。仲間を助けられるってのに見捨てる戦士がどこにいるってんだよ。俺は絶対に譲らないからな」
「むむむ……、確かにそれは一理あるが……」
「だろ? それに、俺だってオーフェンはぶっ飛ばしてやりたい。いつかお前を取り戻して、オーフェンをぶちのめす。だから今だけ大人しくオーフェンの手元にいてくれ。頼む。このとおりだ」
「なにをする……、おい、やめんか」
アレックスはバックパックを掲げてひざまづいた。通行人の視線が突き刺さる。しかしそれでもひざまづいた姿勢をやめない。
「……それならいい。しかし絶対に忘れるなよ。あのような悪党を野放しにしてはならないし、神話の道具を持たせてもならない。必ずや成敗するのだ」
アレックスはオーケーと返事し、バックパックにヘラクレスを詰める。
そうしているうちにホテルネメアに到着した。ホテルネメアはニューヨークで最も高級なホテルの一つだ。真っ白な外壁をギリシア神殿風の柱で飾っており、エントランスの両脇には装飾としてスパルタ兵の彫刻もおいてある。利用客はこの壮麗さに併せ、全員がシックな装いである。
やべえよ、ドレスコード大丈夫か?
アレックスは着ているTシャツのしわを伸ばした。胸にはNWEのロゴである、力こぶを作る自由の女神がプリントされている。履いているのは20ドルで買った青のジーンズである。この恰好はこのホテルにふさわしいだろうか? ふさわしいに決まってる。なんたって、ここはニューヨークで、プリントされてるのが自由の女神だからな。
「お客様」
アレックスが勇んでエントランスへ進むと、ドアマンに声をかけられた。
「なんだよ、何か用か? この服装はだな、ニューヨークということで自由の――」
「アレックス様ですね。ミスターオーフェンより話は聞いております。オリーブの間にお通しするよう言われていますので、案内はこの私がさせていただきます」
「おう、頼むぜ」
アレックスはドアマンについていった。
「ではこの席でお待ちください。あなたの出番が来ればミスターオーフェンが呼びかけるとのことです」
ドアマンはそう言って去って行った。
アレックスはオリーブの間、記者席の最後部に案内された。オリーブの間は、ホテルが貸し出しているイベントホールだ。広さはというと「プロレスやるにはちと狭いな」というのがアレックスの意見で、既に記者会見が始まっていた。壇上のオーフェンが記者たちに、今期の業績はどうだとか、スポーツメーカーや病院を急遽買収した経緯だとか、来期はどうするだとかを、スクリーンに映った数字を指し示しながら話している。傍らにはシーザーが控えており、時折資料を手渡すなど助手としての役割を担っている。
なんのこっちゃわからんなあ。アレックスがあくびをすると、隣の記者に睨まれた。仕事熱心な記者のようで、アレックスはフィオナを連想した。そういえば彼女はどうしてるんだろう。ホテルネメアで合流する予定だったけど……。
アレックスは記者席を見回した。記者はざっと20人くらいいる。彼らはメモを取ったり、オーフェンの話を録音したり、挙手して質問したりしている。しかしその中にフィオナの姿はない。彼女とはここで合流して話をする約束だが、その話を聞くのはオーフェンとの会見終了後でいいのだろうか? 内容が重要そうだったので早く聞きたいのだが、今フィオナはどこで何をしてるのだろうか。
「本日最後の発表にうつります。アレックスさん、前に来てください」
アレックスがやきもきしている間に、壇上のオーフェンに呼ばれた。もちろんヘラレスの譲渡を発表するためだが、やはり気分はよくない。アンソニーのためだということで堪えられるが、結局、すべてあの悪党の思い通りに進んでしまった。これから俺は、スマイルしながら望まぬことを口にしなければならない。歯噛みしつつ、バックパックを持って壇上に上がった。
「本日最後の発表は、ここにいるアレックスと一緒に行います。おやおや、表情が硬い。どうやら彼は緊張してるみたいですね」
「そんなことねーよ。さっさと始めてくれ」
「ああ。やはり緊張している。彼はプロレスラーなので人前に出るのは慣れていると思ったのですが、今日前にいるのはファンではありませんからね。ほら、もっとリラックスして」
オーフェンがアレックスの肩を抱き、おどけて見せる。記者たちは愛想笑いをしたが、アレックスの心中は穏やかでない。いっそしめ落としてやりたいが「アンソニーのためアンソニーのため」と心の中でつぶやき、必死にスマイルを作る。
「場も和んだし、アレックスさんもリラックスできたようですね。それでは本日最後の発表にうつりましょう。プロレスラーと一緒に発表することとはいったい何なのか。それは――」
「一人のレスラーが、事故に見せかけられて傷つけられたことです」
オーフェンの声を遮り、何者かの声が会見場に響く。と同時に、スクリーンに一枚の写真が映し出された。今朝の、ケガをした状態のアンソニーだ。ベッドで寝ていて、石膏で固められた両足を吊り上げられた痛ましい姿だ。写真の右下隅には『NWE広報より提供』とある。
「なんだこれは。こんなものを映したのはいったい誰だ」
「私です」
オーフェンが叫ぶと、壇上に何者かが躍り上がってきた。
フィオナだった。彼女は片手にスクリーンを操作する端末を持っており、アレックスと目が合うと、意味深に右目でウインクした。
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