第10話 逃走

 攻撃を予測して身構えていた男たちは一瞬硬直してしまい、それがあだとなってライオン男の背中を追うこととなった。


 アレックスはダッシュで逃げる。その腕の中で、フィオナは問いかける。


「あんなに威勢のいいことを言っておいて逃げるわけ?」


「あったりまえだろ。普段鍛えてるからと言ってあんな大勢に勝てるわけない。しかもオカルトサイコ野郎だからな。まともに相手してらんねーよ」


 資料室から飛び出したアレックスは廊下を駆ける。豪勢な壺や胸像、甲冑に絵画も飾ってある廊下だ。逃げながら、アレックスはそのうちの一つ、白地に青で絵付けしてある壺を男たちに向かって投げつけた。


「あああああああ、あのくそ野郎、なんてことをしやがる」


 追っている男たちが真っ青になって悲鳴を上げ、地面と壺の間に滑り込む。男は上手いこと壺を抱きかかえることに成功し、壺は破壊を免れた。男たちはほっと一息つく。


「なんだお前ら、そんなに騒ぎやがって。高々インテリア一つがそんなに大切なのか」


「あたりまえだろおおおおおおお! てめえ、二度とインテリアに触るんじゃねえぞ。マジでぶっ殺すからな」


「やなこったね。ホレ、もう一つ」


「やめろおおおおおおおおお。人類に対する冒涜だああああああ」


 アレックスは走りつつ、壁にかけてある白い皿を手に取り、それをフリスビーの要領で明後日の方向へ投げた。


 すると男たちは必死こいて皿を追いかけ、飛びついて皿を守った。


「うわはははは、おまえら犬みたいだぜ。ほ~ら、次々行くぞ」


 アレックスは廊下に飾ってある美術品、壺、胸像、甲冑などを次々と引き倒したり、男たちに向かって放り投げた。芸術に興味のないレスラーは知る由もなかったが、それらは一つ10万ドルという贅沢な目くらましだ。


 男たちはその価値を知っている。アレックスが物品を放り投げるたび、あっちへ飛び、こっちへ滑り込み、またある者は大げさに飛びよけて己に破壊の責任がないことをアピールしようとする。結果として、追う速度は著しく鈍った。


 人類に対する冒涜は逃走の役に立ち、アレックスはパーティー会場まで逃げついた。


 そこには留守番が四人、待機していた。彼らの耳に廊下での悲鳴と破壊音が届く。さらにはアレックスの姿が目に入り、いぶかしんだ。


「そのくそ野郎をとっ捕まえろ。絶対に逃がすな」


 廊下からの叫びが決め手となった。留守番の男たちは臨戦態勢に入る。横一列の隊列を組んでアレックスの行く手を阻んだ。


「あわわわわわ、どうすんのよ。つかまっちゃうわ」


「あの人数なら何とかなる」


 おびえるフィオナの手をはなすと、アレックスは隊列目掛けてダッシュする。その勢いのまま高く飛びあがり、ドロップキックした。


 200ポンドの筋肉砲弾が炸裂する。直撃を受けた奴は吹っ飛んだ。アレックスが毛皮をかぶっていることもあり、まさに肉食の獣が飛び掛かったかのようなキックだった。


 男たちに動揺が走る。アレックスはこのチャンスを逃さない。体を弓なりにそらして、近くのやつへ頭突きを放った。食らったやつは声もなく崩れ落ちていく。


 男の一人がアレックスに組みついた。


「レスラー相手に組み付くなんざ100年早いぜ」


 アレックスが言うが早いか、組み付いた男は、なにがなんだかわからぬうちにフロント・チョークで首を絞められ、あっさりと気を失った。


 その間に、資料室の男たちが次々と追いついてきた。彼らは目を血走らせて美術品の復讐だとばかりにアレックスへ飛び掛かる。


 アレックスはカウンターパンチで先頭の男をノックアウト。二人目は、相手の股間に利き手を差し入れて持ち上げ、そのまま投げ飛ばした。


 しかし、アレックスは背後からタックルを受けた。バランスを崩して膝をつくと、男たちが波となって押し寄せてきて、うつ伏せで床に押さえつけられた。


「アレックスてめえ、とんでもないことしやがったな。ボーナスに響いたらどうするんだ。この礼はたっぷりさせてもらうからな」


 男の一人がアレックスを蹴り始めると、他の男もそれに続く。アレックスを袋叩きだ。


 アレックスは丸まって身を守ったが、あっという間にボロボロになった。ひどいダメージで体を起こすこともできず、べったりと床にうつぶせになる。


「おいおいお前ら、もうその辺にしとけ。これだけ痛めつければいいだろう。殺してもいいとは言われたが、殺さないほうがいいに決まってる」


 シーザーが肩をすくめて男たちをなだめ、アレックスのかぶる毛皮に手を伸ばす。

 その手を、アレックスは叩き払った。


「シーザー、なんでこんなことするんだ。お前は友達であるだけじゃなく、俺のファン第二号だった。お前は俺にとって本当に特別なやつだった。毛皮だってかっこいいって言ってくれたのに、オカルトの人殺しに渡しちまうのかよ」


「ん? ファン? いったい何のことだ?」


「おまえ、俺に会いに来た時、アップロードされた写真を見てファンになったって言ってたろ。まさか嘘だっていうのかよ」


「まったく記憶にない。言ったのかもしれないが、それは怪しまれずおまえに近づくための方便だ。おい、お前らはどうだ。アレックスのファンだってやつはいるか?」


 シーザーが言うと、取り巻きの男たちが声を上げてアレックスをあざ笑う。そして何人かがポケットから新聞よりも一回り小さい紙を取り出した。


「おいプロレスラー、これがなんだかわかるか」


 地に押さえつけられているアレックスの目の前で、男たちは紙をひらひらと振り回した。


「それは……、俺がみんなに配ったチラシだ」


 痛みにあえぎながら、アレックスは答える。その紙はアレックスのよく知っているもので、パーティーの際に男たちに配ったアレックスの所属するNWEというプロレス団体のチラシだった。男たちはそれを興味深げに受け取っており、アレックスはなぜ今それを持ち出すのかわからなかった。


「お前やプロレスになんて興味あるわけないだろ。毛皮をボスに渡すよう、接待してやってたんだよ。それを真に受けやがって、この馬鹿め。プロレスなんてくだらないもの、興味ねえんだよ」


 アレックスがチラシを見たのを確認し、男たちはチラシをこれ見よがしに破いたり、鼻をかんで丸めて放って大笑いした。シーザーも一緒になって笑っている。


「てめえらなんてことしやがる」


 アレックスは激怒した。痛む体に鞭打つと、押さえつけていた男を吹っ飛ばして立ち上がり、殴りかかる。アレックスの拳が男のほほに突き刺さり、男は声も上げずに沈んだ。その隣のやつをフロントキックで吹っ飛ばしてやった。


「おらあ、次はだれだ。全員ぶっ飛ばしてやる。かかってこい」


 アレックスは吠えたが、奮戦はここまでだった。先に袋叩き似合っていたため、拳を振るう度、蹴りを放つ度、全身が電気を流されたかのように痛む。男に不意を突かれてタックルされると、痛みのため全身に力が入らず、ガラス張りの壁まで押し切られ叩きつけられてしまう。そのまま抵抗することもできず、殴られ、蹴られ、ついには倒れこんでしまった。


 ガラス張りの壁から星明りが差し込み、アレックスを照らす。どういうわけかスポットライトのようにまぶしく、アレックスはリングに倒れたレスラーのように見えた。


「お~い、もうちょっと頑張れよレスラー君。そんなに根性がないからスターになれないんだぜ。俺がファイティングスピリットを叩き込んでやるよ」


 男の一人がにやつきながらアレックスをあおむけにした。そのまま顔面を殴りつけようとした時、フィオナが間に割って入る。


「もうやめて。あんたらのこともオーフェンのことも記事にしない。はいこれ、スマートフォン」


 フィオナはスマートフォンをシーザーに投げ渡した。


 シーザーはそれを受け取るなり床に落とし、踏み砕いた。


「てめえ、何てことしやがる。そのスマートフォンにはこいつの夢が詰まってたんだぞ」


 アレックスは歯を食いしばって起き上がった。全身に鋭い痛みが走る。呼吸も苦しい。しかし、こんなもの見せられてじっとしてられない。


「いいから、ほら、あんたも毛皮を渡しちゃいなさいよ」


 フィオナが毛皮に手をかけると、アレックスがその手首をがっちりとつかんだ。


「勝手なことするなよ。俺はあいつらには負けない。今すぐぶっ飛ばしてやるからそこで見てろ」


 アレックスはフィオナを押しのけようとしたが、その際脇腹に激痛が走り、むせこんでしまった。


「もうやめなさいよ。あんたもうボッコボコじゃない」


 フィオナがアレックスの肩を支えた。


「こんなのいつものことさ。相手の攻撃を食らってピンチを演出し、華麗に逆転する。プロレスの基本だぜ」


 アレックスは口の中にわいてくる血をペッと吐いた。


「なに意地を張ってるのてんのよ。相手は大勢だし、負けても恥じゃないわ」


「恥とか恥じゃないとかの問題じゃない。あいつらは絶対に許せないことをした。人の人生をコケにしやがった。こんな悔しいことがあるかよ。俺の体がぶっ壊れようが構わん。ぶちのめしてひざまずかせてやる」


 アレックスは青筋立てて男の一人をにらみつけた。切り付けるような迫力に、フィオナはすくみ上った。


「おいおい、まだやる気なのかよ」


 シーザーは呆れていた。


「いいスピリットだ。見逃してやりたい。けどなあ、俺たちのボスはおっかないんだ。しくじりましたと言えば、俺たちが殺されるかもしれない。今ここで参ったと言わなければ、俺は遠慮なくお前を撃つぞ」


 シーザーが銃をちらつかせた。


 それでもアレックスの闘志は燃え上がったままだ。


「もういいじゃない。プロレスを馬鹿にされて許せない気持ちはよくわかるけど、あんたはよくやったわよ。だからこそこれ以上やると、あいつ、本気で撃つわ。こないだの火事だってあいつらがやったんだから、あんたを撃つくらいなんとも思ってないわ」


 アレックスは腕にしがみつくフィオナを振り払い、フィオナの両肩をつかむ。


「プロレスを馬鹿にされただって? ちがう! 俺が許せないのはお前のスマートフォンを壊されたことだ。俺のことはいいよ。スターになりたい有名になりたいってのは個人的な欲求だ。けどお前の夢は違う。いい世の中を作りたい、真実を知らしめたいっていう聖なる夢だ。お前はそれのために頑張って、実際にスクープをとって、あと一歩のところだった。なのにへらへら笑いながら踏み砕くなんて、俺は絶対に許さない。だからおまえも、もういいなんて言うな」


 アレックスが吠える。


「私だって。私だって……」

 フィオナはそれ以上言葉が出ない。代わりに涙と嗚咽があふれてくる。

 私だって許せないわよ。もういいなんて、そんなわけないじゃない。けど、けど、どうしたらいいのよ。ここで引かなかったらやられちゃうじゃない。仕方ないじゃない。だからあんたもやめてよ。私のためなんて言わないでよ。死なないでよ。


「つまりお前は、毛皮を渡す気がないってことだな」


 シーザーは肩をすくめる。


「その通りだ、クソ野郎め」


「よくわかったよ。お前はタフな男だ。とても俺じゃかなわねえ。だから銃を使わせてもらう。恨まないでくれよな。毛皮に血がついてしまうかもしれないが……、それはそれでライオンらしさがある。ボスも許してくれるだろう」


 銃口を向けられて、アレックスは目をつぶる。

 銃声が鳴った。

 それと同時に、星明りを浴びて毛皮が輝いた。









 そのころ。


 オーフェンはリムジンに乗り、夜のニューヨークを移動していた。


「ミスターオーフェン、あなたはなぜ花や毛皮を集めるのですか?」


 運転手が聞くと、オーフェンは静かに答える。


「不思議かね」


「はい。大金を積んだり、人を始末したり、火事まで起こしたり……。とても驚いています。どんな秘密があるのだろう、と、皆で話し合っています」


「秘密などない。神話の力を持っていると常々言っているじゃないか。この力を手にするためなら、なんだってする」


 オーフェンは膝の上の花を優しくなでた。


「神話の力というのは本当だったのですか。それは一体どういうものなのでしょう。パンを生み出したり、水をワインに変えるといったものですか」


「神話と言ってもキリストの力ではない。古代ギリシャの神の力だ。彼らは地上から姿を消したが、彼らの使っていた道具は残された。それらは今も神の力を宿している。しかし残念なことに、誰にも気づかれることなく眠っているのだ。私はそれらを目覚めさせ、人類の役に立てようとしているのさ」


「なるほど。では、その花も神の力を宿しているということですか?」


 運転手は言いながら車を止めた。目的地である美術館に着いたのだ。


「その通り。君には今から神話の力を見せてあげよう」

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