第35話 奇跡

 午後五時。日が落ち、徐々に暗くなり始てきた。ぼちぼち星も見えるようになるだろう。


 アレックスは再び病院へやってきた。この時間はオーフェンに指定された時間だ。オーフェンの言い様だと、アンソニーのケガが治ると信ずる光景を見せられるはず。それはいったい何なのだろうか。金にものをいわせて世界中からかき集めた名医か、科学の粋を集めた最新の医療マシンか。それとも怪しげな呪いか……、いや、それはないだろう。うさんくさいもの見せたらぶっ飛ばしてやる。まあなんにせよ手術はするだろうし、長丁場になるだろう。自販機でチョコレートバーと炭酸水を買い、アンソニーの病室へむかう。


「おーい、俺だぞ。今日これから何かあるらしいけど、話聞いてる?」


 アレックスが入室すると、意外なものに出迎えられた。


「アレックス、遅かったじゃないか。お前に一秒でも早く会いたかったってのに」


 アンソニーが言った。彼は窓のブラインドをおろしているところだった。


「アンソニー、お前、足が。どうして」


 アレックスは目を見開いた。アンソニーが自らの足で立ち、ブラインド下ろしてている。しかもアレックスの姿を認めるなり、平然と歩み寄って来るではないか。ほんの半日前、二度と歩けないという状態だったのに。医者だってそう言ってた、間違いのない事実だったはずだ。オーフェンが見せようとしていたのは、これか。アンソニーが歩く姿か。オーフェンの自信は本物だったということだが、いったいどうやって――。


「なんだよ、喜んでくれないのか?」


 アンソニーが肩をすくめる。


「ああ、えっと、嬉しいよ。それもすごくね。ただ少し驚いちゃってさ。いったい何があったのかと思って」


「俺にもよくわからない。今朝お前が帰った後、突然再手術だと言われて。さっき麻酔から覚めたら、もう、こうだよ、こう。歩けたのさ。全部これの、魔法の装具のおかげさ」


 アンソニーは足についた装具をパチーンと叩いた。彼の両足首には、革製らしき装具が取り付けられている。装具は足底から足首全体を覆う、テーピングやサポーターのようなタイプのもので、くるぶしの部分に黒い金属の添え木が取り付けられていた。この金属の部分は何かしらの補助器具らしく、センサーらしき電子部品が埋め込まれている。


 アレックスは眉間にしわを寄せ、電子部品をじろじろ見る。これがオーフェンの言う、最新の医療や科学だろうか。俺の目には薄くて小さくてちゃっちい、ただの金属にしか見えないが……。


「これは何なんだ? ただの補助器具ってわけじゃないよな。これをつけて、足は痛まないのか? 何か違和感を感じたり、動かすのに不自由があったりしないか?」


「それについてだが、実はだな……」


 アレックスが恐る恐る聞くと、アンソニーは軽やかな足取りで廊下へ飛び出し、側転して見せる。地面を蹴って高く飛ぶと、くるりとひねりを加えた回転をし、自分の足で着地した。うぎゃああ、と廊下を通りかかった看護士が驚きで叫んだ。


「この通りだ。ケガする前と変わらないだろ」


 アレックスは、一瞬、声が出せなかった。アンソニーの側転が、本当にケガする前と変わりない、キレのある側転だったからだ。


「え? は? 昨日ケガして手術したのが今日だってのに。なんでこんなに――」


「アレックス!」


 アレックスが言い終わる前に、アンソニーが駆け寄ってきて、ハグしてきた。


「な、なんだよ、突然」


「お前には本当に感謝している。医者に聞いたぞ。この治療を行うよう、オーフェンと交渉してくれたんだってな。あの野郎は気に入らねえ。今すぐぶん殴ってやりたいが、お前はそれをぐっとこらえて頼み込んでくれた。お前は神が遣わした天使だ 。ありがとう、本当にありがとう!」


「え、頼み込んだっていうか、流れとしてそうなったというか。なんにせよ、治るの早すぎ――」


 アレックスの言葉の途中だが、アンソニーはまたもそれを遮った。


「これでまたプロレスができるよ。もう引退するしかないと思っていたから、すごくうれしい。ほら、お前のおかげでNWEにもたくさんファンができただろう。会場が満員の大歓声、あれは最高だよな。だっていうのに、俺達が最後に見せた試合は、あのケガの試合だぜ。これって悲しいことだとは思わないか?」


「え、んっと……、ああ、それは確かに悲しいことだなあ。それにしても一体どんな治療――」


「そうだよな、そう思うよな、かっこいい所見せたいよな。だから、俺とお前でもう一回試合を組もう。俺はお前ともう一度試合がしたいんだ。最高の環境で最高の対戦相手と、最高の試合をやろうじゃないか」


「それは……いい。いい考えだ」


 畳みかけるような早口に、アレックスはうなづいた。そうだ、そうだよ。ケガが治ったんだから、アンソニーはまたプロレスができる。普通ならメンタルや体調を整え、十分な間隔を置いてから試合をする。けど、アンソニーの目を見てみろ。ギラギラとやけに力がこもった、戦士の目だ。今すぐ飛び出してしまいそうなくらいの、すごいやる気もある。だったら変に間を開けるより、この勢いにのったほうがいい。すぐにでも試合を組もう。どんなプランがいいだろうか……。


 と、その時。


「どうやら私の治療は気に入ってくれたみたいですね」


 アレックスは不意の声に振り返ると、オーフェンが病室にいた。相変わらず男たちを引き連れ、顔には憎たらしいビジネススマイルを張り付けている。


「てめえ、オーフェン。何の用だ」


 アレックスがうなり声をあげると、オーフェンはノンノン、と指を振った。


「それは違いますよ、アレックスさん。私たちは敵同士でなく、ビジネスパートナーなのです。ご挨拶として握手の一つでもどうでしょうか」


 そう言って、オーフェンは手を差し出してきた。


「……たしかに俺とお前は取引をした。が、だからと言って友達になったわけじゃない。握手なんかごめんだね。それくらいお前だってわかってるはずだ。それとも喧嘩売ってるのか? だとしたら流石はビジネスマンだよな。ぜひとも買ってやりたくなったよ」


「困ったものですねえ。アンソニーさん、あなたからも何か言ってあげてください」


「アレックス、止めるんだ」


 アレックスがゴキゴキと拳を鳴らすと、肩をつかまれた。アンソニーだ。「うっせーよ」と払いのけそうになったが、彼に祈るような目つきで見つめられて、我に返る。アンソニーにとって、オーフェンは希望そのものだ。ここで機嫌を損ねようものなら足首の装具を取り上げられかねない。それはアレックスとしても絶対にごめんだ。それならばどうするべきか、考えるまでもない。


「……ちっ。わかったよ、ほら。これでいいんだろ」


 アレックスはオーフェンの手を握った。すべすべとしていて柔らかい、金持ちの手だ。こいつはこの手でタイタンコーポレーションを動かし、人を殺し、家を燃やし、プロレスを馬鹿にしたんだ。そう思うとひねりつぶしてやりたい衝動が湧いてくるが、ぐっとこらえる。


「これで取引成立ですね。それで、ヘラクレスは今ここにあるのですか?」


「いいや。昨日試合をやってたプロレス会場のロッカールームに置きっぱなしだ。事故だ手術だで忙しかったからな」


「そうですか。では一時間後の午後六時、ヘラクレスをもってホテルネメアに来てください。そこで記者会見を行います」


「ホテルネメアって、セントラルパークに隣接した高級ホテルだよな。なんだってそんなところで、しかも記者会見をやるんだ?」


「アレックスさんが有名になってしまいましたからね。ファンの方々に、あなたの口でヘラクレスを手放す旨伝えなくてはならないのですよ。では私はこれで」


 オーフェンはそう言うと、返事も聞かずに病室から去って行った。


「アレックス。すまねえな、俺のために」


 アンソニーが言った。


「すまねえことなんてあるかよ。もとはと言えば俺がお前をケガさせたせいだ。それをカバーできるなら、俺はなんだってする。ヘラクレスを渡したり握手したりすることなんて何でもないさ」


「そうか……。俺はこのことを一生忘れないよ」


「おいおい、大げさな奴だなあ。俺とお前の仲じゃないか」


「大げさなことなんてあるか。神よ、友にこのようなことを強いた、罪深いこの私をお許しください」


 アンソニーは涙ぐみ、アレックスをハグした。


 その様子があまりにも深刻で、アレックスは驚いた。大げさな言葉を使ってるし、しかも声が震えてる。抱きしめる手にはプロレス技のベアハッグかと思えるほどの力がこもっていて、ちょっと息苦しい。


 けど、考えてみれば当然だよな。アンソニーは今朝、二度と歩けないと言われた。それが夜になって、早くプロレスの試合をやろうと急いでいる。こんなのってはっきり言って普通じゃない。奇跡か魔法か、とにかく超常現象のたぐいだ。そんなのが自分の身に起きたら、感情や境遇の浮き沈みが激しすぎて、誰だって涙の一つや二つ流すだろう。今アンソニーに必要なのは安心感だ。


 アレックスは優しく抱き返した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る