第8話 調査

 男が守っていた部屋は、資料室や調べもの部屋と呼ぶべき場所だった。窓を除いた壁の一面に棚や書類用キャビネットが並べられ、分厚い本やファイルがみっしりと詰まっている。床には書類の入った段ボールが所狭しと置いてあり、豪邸の一部屋とは思えない散らかりようだ。デスクも一つあり、パソコンと開きかけの本が伏せられていた。


「さてアレックス、あとは私一人でやるわ。あんたはパーティーのほうへ戻りなさい」


 フィオナはデスクについてパソコンをいじりながら言った。


「は? なんで?」


「あたし、アイツをぶん殴っちゃたじゃない。もう言い訳なんてできない。けど実際にぶん殴ったのは私なんだし、あんただけなら誤魔化せるわ」」


「おいおい、いまさら何言ってんだよ」


「いまさらだから言ってるんじゃない。今回あたしがあんたを無理に引き込んだんだし、危険度がここまで上がった今、あんたをこれ以上付き合わせられないわ」


 それにね、とフィオナは寂しげに言葉を続ける。


「みんながみんな目標を達成できるわけじゃないのよ。政治記者はエリートの集う狭き門。オカルト記者なんていう後続組がそれを通るのは容易じゃない。あたしは自分が政治記者になれないかもって思うことがある。だから行きなさい、アレックス」


 フィオナはすっかりしょげていた。誰にでも食って掛かる覇気はすっかり失われて、今にも崩れてしまいそうになっている。


 この姿はアレックスの胸を震わせた。


「なに辛気臭いこと言ってるんだよ、俺はそういうの嫌いなんだ。もっと熱いハートでいけよ。政治部や社会部に行くっていう、お前の夢のためだろ。しょげてちゃうまくいくものもうまくいかねーよ。おら、さっさと調べるぞ」


「……ありがと」


 フィオナは静かに礼を言ってパソコンをいじり始める。


 アレックスはフィオナが他人と思えなかった。彼女の姿が自分を映した鏡に見える。自分の夢のために人に迷惑をかけ、しかも上手くいってない。まんま自分のことだ。そんな彼女が弱気になる気持ちはよくわかる。そんなつもりじゃなかったとか、本当にスターになれるんだろうとか、自分もいつも悩んでいるだからだ。だからこそ勇気づけてやりたいし、今この場で手伝えることを手伝ってやりたい。しかもこの記者の夢は正義を実現することだ。尊敬できる。


 オーケー、いっちょ張り切っていくか。プロレスラーの本気を見せてやる。


 アレックスは指をゴキゴキと鳴らし、気合を入れた。調査開始だ。フィオナがパソコンを調べているので本棚を調べる。棚に入っている本はどれも分厚くていかつい装丁がされている。一冊取って開いてみると文字がびっしりと書いてある。これを読まなきゃならんのかと思うと筋肉がしぼんでいく。


「古代ギリシャについて調べていたみたいね。神様の持つ力や、彼らが持っている道具についてのデータがまとめてあるわ。ヘルメスの空飛ぶサンダル、ヘラクレスの馬鹿力や毛皮、プロメテウスが人間に与えた炎、ポセイドンの槍……、神話パワーだわ。私が調査した通りじゃない。ねえ、そっちはどう?」


「ええっと、ちょっと待ってろ」


 フィオナがデスクのパソコンを操作しながら問うてきた。アレックスも本に目を通してみると、確かに古代ギリシャについて書いている。しかしそれ以上のことはわからない。次に開いた本も同じで、その次も同じ。本から得た情報をパソコンにまとめていると考えれば当然である。


 どうしたものか。映画なんかでよくある、中をくりぬいて物を隠すなんてことがあればいいんだけどな。そう思いつつ次の本を掴むと、手が引っかかった。その本は本棚にがっちりと固定されていて、引っ張ってもびくともしない。


「おいフィオナ、こっちに来てみろ。怪しいものが見つかったぞ」


「なに? なにがあったの?」


 アレックスがフィオナを呼んで固定された本を見せると、彼女は辺りを探りだした。本を様々な角度から観察し、屈んで床を調べ、さらなる発見をした。


「見て。本っていうのは見た目だけで、金属でできていて表装ごと棚と一体化してる。これは本に見せかけた仕掛けよ。床にはきれいに掃除されてるけど棚をひきずったような跡もあるし、棚の後ろに何か隠してるようね」


「よおし、それじゃあさっさと本棚をどかしちまおうぜ」


「ええ、そうね。パーティー会場を離れて時間も立ってるし、急いで仕掛けを解除しなきゃ。鍵が必要なのか、一定の操作をすればいいのか……。とにかく固定された本が起点となるのは間違いないと思うんだけど」


 フィオナは眉間にしわを寄せ、本をつついたり角度を変えて検分したりし始めた。


「はっはっは、なに難しい顔してるんだ。こんな本棚どかすのなんて簡単だぞ、俺に頼めばいいんだ。棚をどかしてください、ってな」


 アレックスが肩を回し始めると、フィオナは目を丸くした。


「アレックス、あなたまさかどんな仕掛けかわかるっていうの?」


「さっぱりわからんよ。ただな、本棚を動かすのはインテリのやる仕事じゃない。昔からパワフルな奴のやることと決まってるんだ」


 アレックスはこう言うと、本棚の側面に回り込んだ。そしてガニ股になって踏ん張りを利かせ、力いっぱい本棚を押す。


 しかし本棚は動かなかった。


「やあねえ、いくらあんたがパワフルでも無理よ。そんなんで動いたら仕掛けの意味がないじゃない。時間がないんだからあなたも仕掛けについて考えてよ」


 フィオナが呆れた顔をしているが、アレックスはあきらめない。


「そうあわてるなよ。今のはウォーミングアップさ。今から本気を出すからよく見てろよな」


 とは言ったものの、アレックスは少し不安になっていた。彼女の言うとおり、押して動くなら仕掛けの意味がないし、仕掛けがついてなくとも本棚は重そうだった。本棚は横に五メートル、高さは二メートルという特大サイズだし、使われている木材も黒塗りの分厚いものだ。それに1000冊以上の本がみっちりと詰まっていて、これを動かすなら重機が必要だろう。


 それでもあきらめない。アレックスは窓際の開けた場所へ移動し、ストレッチを始めた。そこには星明りが差し込んでいる。スポットライトに照らされてるみたいだな、と思うと、不思議と全身に力がみなぎる。妙な感じだ。恐るべきパワーが身についたように感じられる。これはライトの下にいるプロレスラーの本能なのだろうか。


 体がほぐれたところで、アレックスはその力をもって本棚を押した。


 すると、バキバキっという破壊音とともに本棚が動いた。


「ワハハハハ、どうだ。見たか俺のパワーを」


「やだ、噓でしょ……。仕掛けを壊すなんて」


 フィオナは目を見開いて驚いた。


 そしてアレックスも驚いていた。まさか本当に棚が動くなんて。先ほどから体にみなぎるパワーのおかげだろうが、いったいこのパワーはどこから来たのだろうか。そう考えると、背負っているバックパックから熱が伝わってくるのを感じた。熱は背中から全身に伝わり、体の中がじんわりと温まる。パワーが流れ込んでくるような感覚だ。


 アレックスはバックパックを手に取り、中を見た。詰めておいたライオンの毛皮が入っているだけだったが、


「何だこれ、なんで光ってるんだ?」


 ライオンの毛皮が輝いている。淡い白い光で、時には星のように瞬く。おかしい、俺の毛皮にこんな仕掛けはないはず。毛皮を裏返して探ってみるが、スイッチがあるわけでもない。それにこんなのがあるならプロレスの入場衣装として使っているときに光ってほしい。


 見間違いかと思い目をこすってみると、輝きは消えていた。


「やったわアレックス、思ったとおりだったわ」


 記者の声は発見の喜びで弾んでいた。彼女は棚のあった場所を指し示しており、その先には隠された部屋があった。その中心にショーケースが一つ、ポツンと置かれている。この部屋はまるでこのショーケースのためにあつらえたかのようであった。


 ショーケースは宝石店によくある形状だ。首飾りが陳列される箱型だが、ここは宝石店ではない。飾られているのは花だった。


「なんで花なんかがここにあるんだ?」


 アレックスのつぶやきにフィオナが答える。


「決まってるじゃない、盗んだ物だから隠しといたのよ。ニュースで『放火の犯人は花を求めていた』と言っていたわ。やはりオーフェンは先日の火事の犯人ね。動かぬ証拠がここにあるんだもの。スクープいただきよ」


 フィオナは大喜びだ。スマートフォンを取り出して花を撮影した。この写真をもとにして記事をつくれば、明日のトップニュースが出来上がる。それはつまり、フィオナの夢がついに実現するということだ。


 その横で、アレックスは青ざめていた。オーフェンが陰謀を企てているという話が現実味を帯びている。それはつまり、俺や、俺の持つ毛皮も狙われているということだ。


「素晴らしい花でしょう?」


 突如、アレックスの背後で声がした。振り返ってみると、資料室の入り口、ドアのところにオーフェンがいた。彼は後ろに男たちを従えている。パーティーに出席していたごっつい男たちだ。

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