第3話 妙な客

 アレックスがロッカールームのドアを開けると、そこは戦場のような有様であった。


「ああああああああ、急げ急げ急げ、とにかくゴミだけでも目につかないようにしろ!」


「わかってるよ、ゴミ箱はどこだ」


「俺たち今までそんな上品なもの使ったことないだろ。仕方ないからこうするしかねーんだ」


 レスラーの一人が誰かのロッカーを開け、ペットボトルを投げ入れた。


「馬鹿野郎てめえ何すんだコラ」


 と怒鳴るレスラーもまた、誰のものかわからぬロッカーにスナック菓子の袋を投げ捨てている。ロッカールームは混沌のるつぼだ。


 こいつら何やってんだ。アレックスはぽかんとした。


 客入りを見れば明らかだが、NWEは貧乏プロレス団体である。であるからにしてロッカールームは当然ボロいし汚い。空のペットボトルや食べ物の容器が散らばっているだけでなく、ちらつく蛍光灯がサビだらけのベンチとロッカーを照らしている。つまり元が汚い。掃除したってキレイになどなるはずがない。だというのになぜこんな無駄な行為を。


「アレックスお前何ぼさっとしてるんだ! ゴミ捨てでも床磨きでもいいから何でもやれ」


 ひときわ苛立つ男、NWEスタッフの一人が怒鳴った。彼は中肉中背だがレスラーだらけのロッカールームにいると小さく見える。着ているシャツにはNWEのロゴがプリントされている。トーチの代わりにダンベルをもって力こぶを作る自由の女神だ。結構出来のいいシャツで、アレックスは普段着にもしている。


「まあいいけど……、突然どうしたっていうんだよ」


「取材が来るんだよ! しかも美人のねーちゃんだ。こんなぼろ小屋に招き入れるわけにはいかないだろ」


「なああああああああにいいいいいい! マジかよ! まさか今からか?」


 取材。NWE始まって以来である。大騒ぎも当然だ。


「そうに決まってんだろ! だからこんなに慌ててるんだよ」


「そんな大事なこともっと早く言えよ」


「今言った! そうだお前、ロビーのゴミ箱を持ってこい」


 オーケーと言い、アレックスがロッカールームのドアを開ける。そこに一人の女がいた。


「アレックスさん、あなた死にます」


 ロッカールームに女がやってきた。そいつはドアを開くなり、奇怪な言葉を叫んだ。


 レスラーたちはぽかんと口を開けたまま固まった。ロッカールームが静まり返り、空気の流れる音が聞こえる。誰も何も話さない。ただ呆気にとられたものもいれば、アレックスに「えっなにおまえ病気だったの?」と視線で問いかけるものもいる。もちろん違う。時間が凍り付いたかのようだ。


「あらやだ皆さん居たんですか。私は記者のフィオナです。今のは、えっと、ほら、あれです、ジョークです。お話を聞く前には緊張をほぐさなければなりませんからね」


 フィオナが沈黙を破り、笑いながら言う。


「なんだそうだったのか、ナイスジョークだ」


「確かに緊張はほぐれたな。流石は記者さんだ、ワハハハ」


 レスラーたちは奇怪な女が記者とわかるや、途端に愛想笑いを返した。


 フィオナは美人で活動的だった。グレーのパンツスーツを着て、髪はショートのボブカットにしている。細身ではあるが華奢ではなく、特に足腰がしっかりとしていた。歩き回って記事を書くタイプの記者らしく、靴も使いこまれたそこの低い革靴である。丸くて大きな目は柔らかな印象を与えるが、眼光はカメラのレンズのように鋭く、ニュースのネタを逃さない。


「ドアが開いているので入らせてもらったのですが、お取込み中でしたか?」


「ないない、取り込んでない。俺たち、歓迎する。さあさ、入ってくれよ」


 レスラーたちは色めき立った。一人がフィオナの手を引き、ベンチに座らせる。別のレスラーはどこからかクッションを持ってくる。次の瞬間には紅茶とコーヒーを持ったレスラーが同時に現れた。


「さ、これを飲みなよ。それともビールがよかったかな?」


「ご丁寧にどうもありがとうございます。コーヒーをいただきます」


 気味悪いほどの歓待を、フィオナはにっこり笑って受けた。記者としてのスキルである。本心を表に出さず、微笑みかけて相手の警戒心を解く。丸い目にフォーカスされた者は、ついつい隠し事まで話してしまう。


「それでは早速お話をお聞きしたいのですが……」


「ああ、なんでもインタビューしてくれよ」


 レスラーの一人が愛想よく答える。さりげなく上腕二頭筋を見せつけるポーズまで取っており、やる気十分だ。


「インタビュー? ええっと、話をお聞きしたいのはそちらの方、アレックスさんです。ですので、それ以外の方はまたの機会ということで席を外していただけると嬉しいのですが」


「またの機会? それっていつ?」


「スケジュールが合う日ですね。いつがいいかな。みなさんも試合にトレーニングにとお忙しい事でしょう。ですので――」


 遠回しに断った時、フィオナは不穏な気配を感じた。

 レスラーたちが彼女を取り囲んでいる。彼らは断られたことを察し、フィオナンに食って掛かる。


「俺たちならいつだってオーケーだよ。明日だって、今日アレックスが終わった後だっていい。何時になっても待つ。だから取材をしてくれ」


「だからですねえ」


「別にいいじゃねえか。そんなに時間は取らせねえからよ」


「本日のところは要調整ということで、また後日連絡を――」


 レスラーたちに迫られても、フィオナは毅然と断った。筋肉男が群れを成してにじり寄ってくるのだから、恐ろしいはずなのに。なかなか肝が据わっている。


「ヘイお前ら、関係ないやつらはすっこんでな」


 アンソニーは亡者の一人にチョークスリーパーをかけた。


「何をしやがる、せっかく記者のねーちゃんが来てるっていうのに」


「お前はその邪魔になってるんだよ。取材してもらうのはあきらめな」


「そうはいかねえ。今日を逃せば次はいつになるかわかったもんじゃねえ」


 あきらめぬレスラーの首を、アンソニーは、キュッ、としめる。とたんにレスラーの全身から力が抜け、だらんと手足をぶら下がる。アンソニーはそれを引きずってロッカールームの外へ放り出す。これを二度三度と繰り返すうち、他のレスラーたちも諦めがつき、ロッカールームを引き上げていく。


「しっかりやれよ、アレックス。神のご加護がありますように」


 アンソニーはサムズアップをし、ロッカールームのドアを閉めた。


 ロッカールームはアレックスとフィオナの二人になった。


「ではアレックスさん、改めまして。私はフィオナと言います。どうぞよろしく」


「アレックスだ。よろしくな」


 アレックスは差し出された手を握り返した。緊張で胸がどきどきして手が震えるが、それ以上に気になることがある。なぜ俺をインタビューするのか。選ばれたのはうれしいが、全く身に覚えがなかった。自慢じゃないが、俺はNWEで一番人気がない。さっき知ってしまったことで、すごく悲しい。何かの間違いならすぐにでも言ってほしい。それとも、この女は先見の明あるスポーツ記者なのだろうか? 顔はきれいだが、だからといって実力があるとは限らないし……。


「早速ですがアレックスさん、あなた、死にます」


「ん、なんだって? 耳の調子が悪いらしい。今日食らったドロップキックがきいてるのかな。すまないが、もう一回言ってくれるか?」


 アレックスは耳をかっぽじった。


「あなたは死にます、と言ったのです。正確に言えば、命を狙われています」


「そのジョークはさっき聞いたよ。もう緊張してないから、さっさと始めようぜ」


「ジョークではありません。あなたの命を狙っているのはこの男です」


 フィオナはスマートフォンを操作し、画面を向けてきた。凛々しい中年が画面に映っている。髪を撫でつけ、定番のスマイルを浮かべ、ピカピカのスーツを着て。いかにもビジネスマンといったさわやかな風貌だ。とても人を殺すようには見えないが……、それ以上に誰だよって感じである。アレックスの見知らぬ人物だった。


「彼の名前はオーフェン。タイタンコーポレーションの創業者で、世界一の金持ちです」


 アレックスは困惑した。フィオナが真顔だからだ。冗談で言っているようには見えない。彼女が真剣すぎて話を聞き流せない。


「そんな金持ちがなんで俺を……」


 殺される覚えなんてなかった。ドラッグに手を出したこともないし、車を盗んだこともない。もちろんマフィアに知り合いもいない。俺はただのプロレスラー。スターならば命を狙う奴がいてもおかしくないが、悲しいことに今は違う。


「陰謀です!」


「はあ? 陰謀?」


「はい。アレックスさん、SNSで見たのですが、あなた、ライオンの毛皮を持ってますね。今、それはどこにありますか」


「ここだよ。ほら」


 アレックスはロッカーからライオンの毛皮を取り出した。プロレスの試合の際に入場衣装として使っているものだ。


「オーフェンはその毛皮を奪うため、刺客を放ってくるでしょう。彼は非常に危険な人物で、目的の物を手に入れるために手段を選びません。現に『花』と呼ばれる物を奪うため、家を焼き人を殺しました」


「はあ……、マジかよ。これってそんなに高価な物だったのか。俺の両親はなんとなくで形見に残したわけじゃないんだな」


 アレックスは改めて毛皮を検分した。見事な一品だ。両親が手にいれてから長い年月が流れているだろうに経年劣化が見られない。色艶がいいのはもちろん、瞳には野生の力強さが宿ったままだ。本当は生きているのではないか、今すぐにとびかかってくるのではないか、と見ているだけで背筋が震えてくる。


 しかし、だからと言って殺してまで奪うほどだろうか、というのが本音だ。


「オーフェンがそれを狙うのは、金銭的価値が理由ではありません。その毛皮の持つ神話的パワーを求めているのです」


「おいお前、言ってることが怪しいな。陰謀とか神話的パワーってなんなんだよ。オカルトにはまったトンチキみたいだぞ」


 アレックスは黙っていられなかった。記者に対して失礼だとは思うが、我慢の限界である。この女は最初の一言「あなた死にます」からすでにおかしかったし、いつまでたってもインタビューらしくならない。もしおちょくっているのならガツンと言ってやらねばならない。


「神話的パワーというのは、古代ギリシャ神話に出てくる神が――」


「ああ、いい。黙れ。しゃべる前にお前が記者だって証拠を見せろ」


「見せなきゃダメ?」


「なんで嫌がるんだよ。さっさと見せろ」


 フィオナはとびきりのしかめ面でスマートフォンを操作し、アレックスに差し出す。


「名刺と私の書いた記事です。あまり見せびらかすようなものでもないのですが」


 アレックスは、フン、と鼻を鳴らしてスマートフォンをむしり取る。画面にはネットニュースの記事がフィオナという署名と無愛想な顔写真付きで映されている。個人のブログやホームページでなく、どこか出版社のサイトだ。彼女は本物の記者で間違いない。


 目を引かれたのは閲覧数だった。何十万は当たり前で、百万、二百万という数字も珍しくない。フォーラムも盛況で、閲覧者が積極的に議論もしている。彼女は人気記者だった。人気のないアレックスとは対極にいる。


「へええええ、お前ってすごい記者だったんだなあ」


「それほどでも……。さ、もういいでしょう。スマートフォンを返してください」


 フィオナがスマートフォンを取り返そうと手を伸ばす。


 アレックスはそれを素早く避けた。


「ちょっと。私が記者だってことはわかったでしょ。さっさと返しなさいよ」


「なんだよ、どんな記事を書いてるのか見せてくれたっていいだろ」


 アレックスは記事のタイトルに指を伸ばした。そこには


『狼男と吸血鬼がついに東海岸へ上陸。その目的とは』


 と書かれている。


 他の記事は


『太古の巨人がシチリア島に眠る』

『拳法の達人が守る剛腕の石像』

『エリア51でUFOが活動中』

『魔女が黒魔術を語る』

『バミューダトライアングルの真実』


 アレックスは、ぷっ、と噴出し、大笑いした。


「ダハハハ、なんだよこのアホ記事は。オカルトじゃねえか。こういう記事ってどんなやつが書いてるんだと思ってたけど、お前みたいなやつだったのか。どれ、顔を見せてみろよ」


 アレックスがぐっと顔を寄せると、フィオナはその隙にスマートフォンをかっさらう。そしてアレックスをつき飛ばそうとしたが、分厚い筋肉の抵抗にあい、逆に押し返されて尻もちをついてしまった。


「いたたた……、だから記事を見せたくなかったのよ。言っとくけど、私だって好きでこんな記事書いてるんじゃないからね」


「おいおい、そんなこと言うなよ。お前にすごくよく似合ってるぜ」


「うっさいわね。私は政治部や社会部で世のためにバリバリと働きたいの。オーフェンの悪事というスクープをものにすれば転職できるから、アレックス、あんた、協力しなさいよ」


「協力って……、『神話パワーをめぐる陰謀を明らかにする』ことにか? 嫌に決まってるだろ。そんなアホ行為に付き合ってられるかっつうの。

 そんなことよりほら、インタビューを始めろよ」


「……え? なに、インタビュー? あたしが? さっきも言ってたけど、そんな話知らないわよ」


「じゃあなんでそう伝わってるんだよ」


「んっと……、私は『話を聞きたい』と言ったから、どこかで誰かが勘違いしたんじゃないかしら。私はデリカシーのないあんたみたいなおバカさんは嫌いなのよ」


 こっぴどい言いようである。

 しかしアレックスは腹が立たなかった。彼女が嘘を言っている感じがしない。それどころか、なぜ自分が取材を受けたのかという疑問が解け、ああそうだよね、と空しさで胸が真っ暗になった。悲しいことだが、これが現実なのだ。


「あーあ……、なんかしらけちまったなあ。今日はもう帰るから、お前はもうNWEに近づくなよ。出禁だ、出禁」


「え、私のスクープを手伝うって話はどうなったのよ」


「手伝うなんて一言も言ってねーよ。ほら、どこへなりとも行っちまえ」


 アレックスは着替えを済ませて家路につく。外はもう真っ暗だ。出待ちのファンもいない。いつも通りの帰宅だが、悲しんでいる暇はない。うっとおしいのがついてくる。


「ちょっとおおおおおおお、まだ話の途中よ。手伝ってってば」


「うるせえええええ! ついてくるんじゃねえっての」


 アレックスはダッシュで家路についた。

 ニューヨークの夜は更けていく。

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