第2話 ライオン男アレックス

 アレックスはライオンの毛皮をかぶった。もうすぐプロレスの試合に出場するからだ。


 その試合が行われるのはニューヨークのとある試合会場。会場は狭く、汚れとスプレーの落書きだらけで、壁にひび割れも目立つ。おんぼろ会場だ。


「つまり最高のステージってことさ」

 これがアレックスの意見である。ボロボロなところから這い上がってスターになる。これってかっこいいだろ、と、汚い会場を気に入っていた。


 会場にイケイケのロックミュージックが鳴り響く。これはアレックスの入場ソングだ。


 出番がきた。ライオン男は音楽にのって駆け出し、リングに飛び乗る。


「うおおおおおお、アレックス様の登場だあああああ」


 アレックスはリングに上がるなり叫んだ。観客の声援を求める咆哮である。

 しかし返事はない。観客は静まったままだった。


 なんで会場がこんなに静かなんだよ。アレックスは青ざめ、客席を見回す。返事がない理由がすぐにわかった。観客がいないのだ。いや、いるにはいる。しかし数が少ない。ひとりふたり……ぜんぶで10人もいない。しかもそのわずかな観客の半数以上がスマートフォンをいじくったり、ドーナツを食ったり、居眠りしてる奴までいる。


「目つぶしと金的は反則、凶器の使用は禁止。その他危険な行為は――」


 レフェリーが試合前の注意を始めた。


 それを聞きつつ、アレックスは決意する。今日の試合、最高のものにしよう。そして今退屈している10人、全員を俺のファンにする。そうでもしなけりゃ一生スターになんかなれない。今日が俺のスタートだ。


 ゴングが鳴った。試合開始である。


「うおおおおおらあああああああ、くらえええええええ」


 アレックスは気合声をあげて腕をぶん回すと、そのまま相手のもとまで走り、おもいっきり腕を叩きつけた。ラリアットだ。


 ラリアットは胸に直撃。対戦相手はリングロープまで吹っ飛んでいった。


 アレックスがすかさず対戦相手に体当たりをしかけると、相手も負けじとぶつかってきて、二人はロープ際で押し合いになる。


「おいアレックス、今日はずいぶん張り切ってるじゃねえか。どうしたんだよ」


 対戦相手が耳元で囁いてきた。


「どうしたって、試合なんだから張り切るに決まってるだろ」


「おいおい、なにを力んでるんだ。もっと楽にやれよ。さっきのラリアットは痛かったぞ。加減しろよな」


「はあ? 加減? お前そんなことしてファンに恥ずかしくないのか。もっと真剣にやれよ」


「へっ、熱血君の相手は大変だぜ」


 対戦相手は言い捨ててアレックスの腕をひねり、固め技に移行する。

 技の切れはいい。しかし、やはりどこか真剣味に欠けていた。固められているアレックスの腕に痛みがない。


 アレックスは眉をひそめた。力が入っていないのではないだろうか。腕を振るって抵抗してみれば、実にあっさりと固め技から脱出することにあっさりと成功した。


 アレックスは再び相手と向き合う。


「ヘイヘイ、カモン。かかって来いよ」


 相手はべろべろと舌を出してガードを下げ、アレックスを挑発していた。


「ふざけやがって」


 アレックスは激高した。拳を振り上げてパンチを繰り出すが、動きが荒くなっており軽くかわされてしまう。試合の主導権をにぎられてしまった。


 その後も試合は対戦相手のペースで進んだ。ファイトスタイルなのか、のらりくらりとアレックスの勢いはかわされ続ける。


 結局盛り上がらぬまま試合は終わってしまった。もちろん歓声などあるはずもない。


 アレックスはがっくりと肩を落としながらリングを降り、通路をとぼとぼと行く。こんなはずじゃ。俺は一生スターになれないのか。いったいどうすればファンを楽しませることができるんだ。


「アレックス、いい動きしてたぞ。また試合見に来るからな」

 しょぼくれたライオンの背中がピンと伸びた。振り返ると、ドーナツを食っていた男が手を振ってくれている。アレックスはライオンの毛皮を額からとり、大きく振ってこたえた。


 いよっしゃ! ファンができた。あのドーナツ男は俺のファン第一号だ。彼のことは一生忘れないぜ!


 獲物を手にしたライオン男はスキップしながら試合会場を後にする。


 しかしまだファンはたった一人である。喜んでいる場合ではないが、本人は踊りださんばかりである。







 試合後。


 レスラーたちは試合会場の後片付けを行っている。リングを撤去し、照明を取り外し、客席として使っているパイプ椅子をしまい込む。結構な重労働だ。いかに体の強いレスラーといえど、試合後にやると体にこたえる。皆、顔に疲労の色が浮かんでいた。


 ようやく後片付けが終わって引き上げ始めたとき、一人のレスラーが突然駆け出して会場を後にする。アレックスだ。


 なんだアレックスあいつアホか。レスラーたちが顔を見合わせると、アレックスはスマートフォンを片手に会場へ戻ってきた。


「よ~お、お疲れ。早速だけど、こっち向いてくれ」


 アレックスからは試合と片付けの疲労が感じられない。仲間のレスラーたちへ陽気にスマートフォンを向けた。


「おい、なんだよ、なんでスマートフォンを向けてるんだよ」


 レスラーの一人、アレックスと今日対戦した男が怪訝な顔をした。


「なんでって、SNSに載せる用の写真を撮るんだよ。こないだニューヨーク・レスリング・エンターテイメント、略してNWEの宣伝アカウントを作ったって言ったろ」


「ああ、そうか、そう言ってたな。けど今はやめてくれないか。試合と片付けをこなして疲れてるんだ。とてもそういう気持ちになれない」


「そりゃだめだ。試合後のタイミングで写真をアップロードすることに意味があるんだよ。試合後のリアルを、試合を見て興奮したファンに見てもらうんだ」


 アレックスはそう言ってシャッターを押した。写真のできはよくない。眉間にしわを寄せた不機嫌そうな筋肉男が映っている。とてもSNSにアップロードするようなものではない。この写真は没だ。


「おいおい、こんなしけた面アップロードできるわけないだろ。もっと笑ってくれよ」


「だからやめろって言ってんだろ」


 男はアレックスからスマートフォンをむしり取った。


「アレックス、お前さっきの試合もそうだが、何をそんなにハッスルしてるんだよ。うっとおしいぞ」


「何をって、スターになるために決まってるだろ。おまえ、現状を分かってんのか? NWEは、ファンがすごく少ない。こんなんじゃいつまでたってもスターになれないぜ。もっと新しいことをやっていこうぜ」


「スターになれない、だって? それはお前だけだよ。あんなにファンが少ないのはアレックスの試合だけだ。他の皆はそこそこファンがついてるぜ。スターというにはちいとばかし足りねえがね」


「なっ……、嘘だ。いい加減なこと言うな」


「嘘だかどうかみんなに聞いてみろよ。みじめな思いをするだけだとは思うがね」


 今日の対戦相手は肩をすくめ、嘲笑うかのように言った。


 まさかな、と思いアレックスは辺りを見回した。皆、苦笑いをしながらアレックスを眺めている。憐みの視線だ。中には「それを言っちゃあかわいそうだろ」と笑っているやつもいた。つまりファンがいないのはアレックスだけである。アレックスは背中が一気に冷たくなり、次に頭が沸騰しそうなほど熱くなった。


「くそったれ。今のその人気に満足するなよ。新しいことをやれ。怠けるな」


「おいおい、怠けてるだなんて失礼な言い方をするんじゃねえ。これは余裕ってやつだよ。残酷なことしてすまねえなあ」


「うるさい。お前みたいなやる気のないやつ、迷惑なんだよ」


「てめえいい加減にしろよ」


 対戦相手はアレックスにつかみかかった。アレックスもそれに応じ、二人はお互いに胸ぐらをつかんだままにらみ合う。一触即発である。


「なんだよ、疲れてる割には元気あるじゃないか。ここでさっきの試合の続きをやっとくか?」


「ちょうどいい。試合の時殴られた首が痛むんだ。その礼をきっちりしてやろうじゃねえか」


 対戦相手もアレックスも、拳を固めた。


 周りのレスラーたちは、いいぞやれ、とはやし立てる。誰も止める様子がない。それどころかこの騒動を楽しんでいる。


 アレックスは殴りかからんと拳を振りかぶる。

 その時、間に割って入る者がいた。


「お前ら、二人とも冷静になれ。休むのも大切だとか新しいことやれとか、言い分はそれぞれあるだろう。けど俺に言わせれば、二人ともスターどころかプロレスラー失格だぜ」


 割って入ったのはアンソニーという男だ。彼もニューヨーク・レスリング・エンターテイメント、略して NWEのレスラーである。背が低くがっちりとした体形で目つきが悪く、レスラーとしては悪役をやるのがもっぱらだが、毎週欠かさず教会に行くなどNWEで最も善良である。


「なんだと、それは一体どういうことだ」


 アレックスも対戦相手も、アンソニーをにらみつける。


「仲間を大切にしろよ。プロレスってのはなあ、いくら人気のあるレスラーだって一人じゃ試合はできねえ。いい試合をしようとしたらお互いの信頼関係が必要だ。だっていうのにお前らときたら、罵りあったりつかみ合ったり無茶苦茶じゃねえか。自分が何者になるかは、自分が何をするかで決まるんだぞ。スターになりたいんだったらもっとよく考えて行動しろ」


 アンソニーの言うことは正しい。というのも、プロレスは他のどの格闘技よりもファンの目を引く派手な攻撃が多い。派手、ということは危険性が高く、対戦相手と呼吸が合うことが要求される。


 リングを囲うロープの上から飛び降りて体当たりをする技がいい例だ。考えても見てほしい。リングロープというのは高さが2メートルある。その上から飛び落ちて体ごとぶつかりに行くなんて、正気の沙汰ではない。危険極まる。やられるほうはもちろん、やるほうだって一歩間違えれば大けがだ。

 しかし、うまくいけばかっこいい。ファンも最高に盛り上がる。だからこそレスラーはそれをやる。そのためにも、事前の打ち合わせと練習を万全にするため、仲間を大切にしなくてはならないのだ。


 レスラーたちもすぐにそれを理解した。喧嘩をあおっていた連中も含め、誰も何も言い返せず、試合会場は静まり返る。


「あの……、なんていうか、こんなつもりじゃなかった。皆でNWEを盛り上げたかっただけなんだ。なのに、いつも失敗ばかり。余計なことばかりしてる。本当にごめん」


 アレックスは頭を下げ、握手のため手を差し出した。騒ぎの発端である彼は最も反省していた。


 しかし、

「うるせーよ、てめーがはしゃいだせいで最悪の気分だぜ。ったく、試合が終わっていい気分だったのに……」


 ぴしゃりとアレックスの手を払うと、レスラーたちはロッカールームにさっさと引き上げていった。


 アレックスはがっくりとうなだれた。俺は本当にプロレスラーを辞めたほうがいいのかもしれない。当然のことを忘れて、NWEの結束を乱してしまった。有名になれず苛立っていたのだろうか。しかもそれをぶつけるようなことまでして……。


「おいアレックス、なにそんなに落ちむなよ。新しい事をやるって考え自体は間違ってないんだ。自信を持つところは持っていいんだぞ」


 見かねたアンソニーがアレックスの肩に手をのせた。


「そうかもしれないけど……、俺はなんてことをしてしまったんだ」


「神は悔い改めた者に許しを与えるから、お前はもう許されている。それでも気になるというのなら今度一緒に教会へ行かないか。悩みがあってもイエス様は必ず助けてくれる」


「やめとくよ……」


 アレックスは「教会にトレーニングマシンはないだろうし」と深いため息をつき、ロッカーに引き上げた。


 ロッカーに嵐が待っているとも知らずに。

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