第27話 迷い

「うおらああああああ」


 アレックスはトップロープに上ると、リング上にあおむけで寝そべるアンソニーに狙いを定め、飛び降りた。空中で一回転して加速をつけ、落下の勢いそのままにアンソニーへ体をぶつける。


 アンソニーは避けない。寝そべったままアレックスという200ポンドの筋肉塊を受けると、バーンという自動車事故とすら思える激突音が鳴り、リングが大きく揺れた。


「うげええ、痛ってえ」


 うめき声をあげたのは、アンソニーだけでない。攻撃をした側、アレックスもだ。


 というのも、このトップロープからの攻撃というのは、攻撃と呼ばれてはいるものの、その実は単なる自由落下なのである。トップロープ1,2mの高さから飛びあがってリング上に横たわる相手にぶつかっていくのだが、足から着地するのでなく、腹からぶつかっていく。攻撃を受ける側だけでなく、する側にも大きなダメージがある。見た目は派手だがその分危険さをはらんでおり、練習に練習を重ねなければならない。もし失敗すれば、大きな事故になるだろう。


「なあアレックス、そろそろいいんじゃないか」


 アンソニーが胸を押さえながら言った。


「ああ、そうだな。今日はこの辺にしてもう上がろうか」


 アレックスはうなづいた。練習とはいえ、トップロープ攻撃は激しすぎる。試合後で疲労がたまっている今、長々と練習するのは危険だ。そろそろ切り上げるべきだろう。


「ちがう。目標の第一段階は達成したから、次の段階へ移ろう、ってことだ」


「は? 目標とか第一段階とか、いったい何のことだよ」


「オーフェンをやっつけるのよ。計画の第一段階はまず有名になって、オーフェンが攻めてこられないようにする。第二段階でオーフェンをやっつける。本来の目的を忘れないでよね」


 アレックスが問うと、リング下から甲高い声が上がり、フィオナがリングに不器用によじ登ってきた。


「ああ……、そうだ、すっかり忘れてた。あの悪党をどうにかしなきゃな」


「そうよ。それで、あんたらが有名になっている間に、私がオーフェンの居所を調べておいたわ。いくつか出入りしている場所があって、まず一つ目がニューヨークにあるタイタンコーポレーション本社ビル、二つ目がネバダ州の空軍試験場、それからヒューストンの宇宙センターね。とりあえず近場のタイタンの本社ビルに潜入して、その次なんだけど――」


「ちょっと待った」アレックスがフィオナの言葉を遮った。「その次って、まさかネバダやテキサスまで行くのか?」


「ニューヨークで捕まえられなければね。幸いにもオーフェンは近いうちニューヨークで定例の会見を行うみたい。その打ち合わせでニューヨークに来ているかもしれないから、明日にでもタイタン本社に潜入しましょうか」


「嘘だろ……。なあ、それってしばらく後に延期することってできないか?」


「は? なんで延期するのよ」


「今プロレスが大事な時期なんだ。スポンサーが次の試合に300万ドル出してくれるって言ってる。今までこんなチャンスなかったんだ。次の試合、今週末なんだけど、それに集中させてくれ」


「だめに決まっているだろう」


 リングサイドに置いてあるバックパックからヘラクレスが飛び出してきた。ライオンはリングに飛び乗るとアレックスを厳しくにらむ。


「悪党は放っておくと何をしでかすかわからん。一刻も早く滅する必要がある。それに、居場所の知れている今がチャンスだ。雲隠れされる前に叩くのだ」


「それはそうしたほうがいいってことくらいわかるけど……、なあ、アンソニーはどう思うんだ? 試合に集中すべきだと思うよな」


 アレックスはアンソニーに助けを求めた。どうしてもプロレスに専念したいというこの気持ち、同じレスラーのアンソニーなら分かってくれるだろう。


「そりゃあ俺だって試合に集中したいが、こればっかりはなあ。オーフェンは殺人と放火の凶悪犯だ。そんな奴を野放しにしとくなんて、神がそれを望まれるかどうか……。自信ないな」


「なんだ、なんだよ。なんだってんだよ。アンソニー、お前ビビってんのかよ。もう俺たちは有名になって、あいつらは攻めてこられないんだぜ? 一か月も音沙汰なしだ。もうあと何日か遅くなるくらい、ノー・プロブレムだろ」


 言われて、アンソニーは返答に迷った。アレックスの言葉は希望的観測ではあったが、全く理がないわけではないからだ。オーフェンに目をつけられて以来見張りに付きまとわれていたが、プロレスで成功して以降、それがいなくなった。これは手を出せないといういことの表れではないだろうか。


「それはそうかもしれないが……。アレックス、前にも言ったが、自分が何者になるかは、自分が何をするかで決まるんだ。お前はスターになりたいんだろう? スターになるためにはどうするか、スターだったらどうするか、そして何より何が正しいのか。よく考えるんだ」


「だったらやっぱりプロレスを優先すべきだ。このチャンスを逃したら次なんて無いかもしれない。それに、この試合が終わったらしばらく休みだし、ネバダでもテキサスでも別の国でもどこにでも行くよ。テレビ出演の依頼が来たって断る。誓ったっていい。だから頼む、少しだけ待ってくれ」


 ほとばしる熱意に押され、アンソニーとヘラクレスとフィオナは顔を見合わせた。三人ともアレックスのプロレスに対する熱意をよく知っている。特にアンソニーは古くから近くで見ていたため気持ちが揺れるが、だからといって譲っていいわけがない。いったいどうしたものかと、アンソニーは大きく息をついた。


「ねえ、延期してもいいんじゃないかしら。せっかくアレックスが上手くいってるんだから少し遅れるくらいいいと思うんだけど」


 言ったのはフィオナだった。夢追う仲間として気持ちは痛いほど理解できる。

 それに対し、ライオンがうなり声をあげる。


「何言ってるんだ、お嬢ちゃん。オーフェンの危険性を一番わかっているのは記者志望のおまえだろうに」


「わかっているからこそ言ってるのよ。ここ一か月オーフェンの動きを探っていたけど、スポーツ用品メーカーを買収したぐらいで、本業のビジネスに集中してる感じ。悪事を働いている様子はないわ。一週間くらい遅らせても大丈夫なはずよ」


「大丈夫な『はず』か。確証もない話には付き合えんな。古くから、行動が遅れてろくなことになったためしはない」


「そうだぜ。ヘラクレスの言う通り、すぐにでもオーフェンの元へ行くべきだ」


 アンソニーが手を上げて話を始めた。


「なあフィオナさん、あんたは、最近オーフェンの活動について、スポーツ用品メーカーを買収しただけだと言った。それについては俺も知っている。そのメーカーはプロレス用品も手掛けていたからな。そして悪事について『働いた様子はない』と言ったが、本当にそうかな。つい最近『美術館が襲撃されて燃やされた』というニュースがあった。記者志望のあんたなら当然知ってるよな?」


「え、ええ。もちろん知ってるわ。怖いわよね」


 フィオナは一瞬息を詰まらせ、それから答えた。これは、オーフェンがヘルメスのタラリアを奪い取った事件であったが、警察もフィオナもそこまではわかるはずもなく、ただ美術館が襲撃され燃やされたと報道されていた。


「この事件は妙なもんでな、焼け跡には激しい銃撃戦の痕跡があるにもかかわらず、美術品は盗み出されていなかったそうだ。妙だよな。せっかく襲撃という働きをしたのに、報酬の美術品を持ち出してないなんて。これについてどう思う?」


「ああ……、ええと、持ち去るためのトラックを忘れたとか? 何かミスがあったんでしょうね」


「……そうか。それがあんたの考えか。俺の考えはこうだ。美術品は盗まれていなかったんじゃなく、一つだけ盗まれたために気づかれてないんだ。ここまで言えば俺の言いたいことがわかるよな?」


「つまり、トラックがないから手で持てる分だけ盗んでいったってこと? ずいぶんかわいらしい盗賊たちね」


「おいおい、とぼけないでくれよ。襲撃したのはオーフェンで、盗まれたのは一品だけあった神話の道具なんじゃないのか? この事件はすべての始まりと同じじゃないか。あんたがオーフェンのことを嗅ぎ付けた事件を思い出してみろ。同じく館が燃やされて、美術品は手つかずで焼けるまま放っておかれただろう。これが偶然のわけがない。

 フィオナ、お前だって本当はわかっているんだろう? 何もないところからオーフェンの悪事を見出したあんたが、警戒している状況の今、気づかないはずない。正しく行動すべきだ」


「それはそうだけど……。プロレスがうまくいって、アレックスがこんなにうれしそうにしてるのよ。それを無視するなんて……」


 アンソニーの言葉に、フィオナはそれだけ言ってうつむいた。彼女自身、アンソニーの言葉が正しいとわかっていた。だからこそ美術館の火事を怪しく思いながらも調べず、スポーツメーカーの買収等、悪事と関係ない報道ばかりを追っていた。アレックスを後押ししたかったからである。同じく夢を追う者として、また、行動を共にすることで好意を持ったので、多少の無理なら通してやりたかった。


「このままじゃ話がまとまらない。投票で決めようぜ」


「投票で決めることじゃないと思うが……、仕方ないか」


 アレックスが提案するとアンソニーはしぶしぶ了承した。


 しかしヘラクレスが猛烈なうなりを上げる。


「何を言うか愚か者め。今の話を聞いて考えを変えないとはどういうことだ。奴は順調に悪行を積み重ねている。今すぐにオーフェンを討ちに行け。これは神の託宣である。従え」


「あのなあ、前も言ったと思うけど。もうそういう、神様とかの時代じゃないんだ。人間は自分で考えて、責任もって自分で決める。神様に命じられるまま動くことはない。そういう時代なんだ」


「何をこざかしい。しょせんお前たちは愚かな人間だ。どうせ投票で決めた結果、大きな間違いをいくつもしているんじゃないのか? 例えば……、口車に乗せられて邪悪なリーダーを選んだり、後の世代に負担を押し付ける法を作ったり。どうだ、心当たりはないか」


「うげ」


 アレックスは息をのんだ。このライオン……、神だっていうのは伊達じゃない。なんていい攻撃をしてくるんだ。これがプロレスだとしたら、スター選手のフィニッシュホールド級、ガツーンと強烈な一発だ。ノックアウトされて、全く言い返すことができない。


 とはいっても、ヘラクレスの言う『大きな間違い』の詳しい内容まではわからない。悪いリーダーはだれかとか、どんな法律が駄目なのかとか。けどテレビではいつも皆が政治に怒ってるし、歴史の授業は昼寝の時間だったが、くそったれの独裁者や大バカ者が選挙でリーダーになったのも知っている。


 俺たち人間は間違える生き物だ。はっきり言って、ヘラクレスの言っていることは正しい。オーフェンが悪事を行うかもしれない以上、早くぶちのめしに行くべきだ。学校を昼寝用のベッドにしていた俺だってそれくらいはわかる。けど……、一週間、たった一週間遅らせてくれれば全面的に協力する。ヘラクレスやアンソニーはこの一週間すら惜しんでいるが、それは本当に正しいのだろうか。あくまでも悪事をしでかす『かもしれない』、しでかした『かもしれない』だ。絶対に起こるわけじゃない。その『かもしれない』のために、夢にまで見るスターへのプラチナチケット、スポンサー様の主催する試合を放り出すのか? 俺はどうすべきなんだ……。


「う、う、ううううう……」


 アレックスは考えに考え、うめき声をあげた。


「自らの愚かさを理解したようだな。全く、世話の焼ける。それじゃあ今から乗り込むから、さっさと支度をし――」


「うるさい」


「は? 今何と言った」


「聞こえなかったのかこのケダモノめ。うるせーって言ったんだよ、そうやって投票を邪魔するな。お前こそ独裁者じゃないか」


「なんと愚かなことを言う。お前は今まさに間違った投票をしようとしているのだぞ」


「うるさいうるさいうるさい。引っ込んでろ」


「あ、何をする。止めないか」


 アレックスは叫び声をあげると、ヘラクレスを乱暴に掴み上げた。そのままバックパックに放り込み、チャックを閉めて丸めた。さらにリングロープの上に放り投げると、その上に座りこみ、ヘラクレスを固く固く封じ込めた。


「独裁者はいなくなった。これでようやく投票ができるな。さあ、延期に賛成する奴は手を上げてくれ」


 アレックスはそう言うと、リングロープに座ったまま高々と挙手した。彼のでっかい尻の下では、ヘラクレスの詰まったバックパックがバタバタと跳ねて抗議している。それに少し遅れて、フィオナは不安げな表情を浮かべつつ手を上げた。アンソニーは押し黙ったまま決して手を上げず、反対の挙手を促されて手を挙げた。


「グッド。賛成が二人で反対が一人。ってことで、オーフェンへの攻撃はプロレスの終わる来週に延期だ」


 アレックスは弾んだ声をだしたが、祝福の声も拍手もなく、空気がよどんでいる。尻の下にいるライオンは相変わらずバタバタと暴れているし、アンソニーは眉間に深い深いしわを寄せている。賛成の挙手をしたフィオナでさえ口を堅く結び、リング上は悲報が届けられたかのようなありさまだった。


「おいアレックス、お前本当にこれでいいのか」


 アンソニーが言った。


「なんだよ、投票の結果だろ。民主主義の決定なんだから従ってもらうぜ」


「今のが民主主義かどうか疑問ではあるが……仕方ない、投票には従おう。だが忘れるな。オーフェンは人殺しや放火を平気でやる男だ。状況が変わったら試合を捨てででもオーフェンを退治しに行く。フィオナや俺はあいつの動向に目を光らせるが、お前も何か異変に気づいたら皆に知らせるんだぞ。それだけは約束してくれ」


「わかってるよ。俺だって悪事を放っておいていいとは思ってないからな」


「そうか。それならいい」


 アンソニーはそう言うと振り返り、リングを降りようとロープに手をかけた。


「おいどうしたんだよ。来週試合をやるのが決まったんだし、もう少し練習してこうぜ。なんたってスポンサー様の試合でやる技の練習なんだからな」


「いいや、今日はもう十分にやったろう。少し疲れたし、俺は先にあがるよ。お前も無理せずにいいところで切り上げるんだぞ」


 アンソニーはそう言うと、アレックスの制止も聞かずにロープをひょいと飛び越え、去って行く。


 アレックスの胸が痛んだ。振り向きもせずに遠ざかる分厚い背中から「がっかりしたぞ」という声が聞こえたような気がする。俺は間違った選択をしたのだろうか? そんなわけない。過剰で無駄な警戒を止めただけだ。スターへの道は険しい。今日先頭を走っているからといって、明日もその場所にいられるとはかぎらない。寄り道しているやつは脱落する。最短距離を進む者だけがスターになれる。そう、俺は間違っていない。オーフェンはもう俺たちをあきらめたはず……。


「なにしょげてるのよ。たった一週間遅らせるだけなんだから、大丈夫だってば」

 ふさぎこむアレックスを見かねて、フィオナはアレックスの腕にしがみついた。


「そうだ、そうだよな。大丈夫だ」


「ええ。試合、頑張ってよね。私、ただあんたを応援してるだけじゃなくて、ファンになったんだから。かっこいい所見せてよね」


「ああもちろんだとも。最高の試合にしてやる」


 アレックスはフィオナの励ましに明るく答えたが、その声は震えていた。彼の心には暗い影が差している。それは『もしかして、また俺は独りよがりになっているんじゃなかろうか』というものだった。自分の過去の行いが思い出される。試合の後で疲労しているプロレス仲間たちにスマートフォンのカメラを向けて、宣伝用の写真を強制してしまう間違いを犯してしまった。あの時『仲間を大切にしろ』というアドバイスをくれたのもアンソニーだった。素晴らしいアドバイスだ。彼のアドバイスが間違っていたことなど一度たりとてない。


 けど今度は俺が正しい。アレックスは自分にそう言い聞かせた。

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