第4話 さえない日

 本日は朝からチラシ配りである。


「皆さん、グッモーニン! サイコーのエンターテイメントが何か知りたくないかい? それはここにある。プロレスだ!」


 ニューヨークの路上、地下鉄の出入り口付近。アレックスは声を張り上げ、チラシを差し出す。そこに書かれているのは筋肉ムキムキのレスラーたちと試合日程だ。これさえあればNWEの最新の動きをもれなく知ることができる。アレックスの力作だ。


 しかし誰も受け取らない。皆仕事へ向かうため速足で通り過ぎていき、チラシに見向きもしない。朝の七時に初めて一時間、アレックスの手にはずっと同じチラシが握られている。


「おいどけよ」


 声とともに、アレックスの背中に何かぶつかった。振り返ると若い男がアレックスをにらみつけている。どうやら彼がぶつかって来たらしい。普段なら「どこに目をつけてんだよ」と文句の一つも言うのだが、それどころではないことが起こった。


「あああああ、おいチラシよ、飛んでいくな」


 アレックスはぶつかられた衝撃で持っていたチラシを落としてしまった。悪いことに束になっているほうをである。チラシは風に乗ってばらまかれた。一枚拾う間に、一枚遠くへ飛んでいく。ある一枚が通行人の足元へ降り立ったが、通行人は気に留めず足を下ろし、チラシは踏みつけられてしまった。


「あああああああ、やめてくれ、踏まないでくれ。拾ってくれなんて頼まないから、どうかふまないでくれ」


 チラシを踏まれるのはつらい。アレックスの努力の結晶であり、愛するプロレスとNWEの小さな分身である。アレックスの宝物が粗末に扱われている。


 アレックスがとにかく急いでチラシを拾っていると、


「おにいさん、これ拾いました」


 幼い子がチラシを拾ってくれた。アレックスは大感謝で受け取る。


「君、ありがとう。小さいのに偉いね。お兄さんすごくうれしいよ」


「よかったです。チラシにはライオンが映ってますけど、チラシの場所に行けばライオンに会えるのですか?」


「ああ、あえるとも。もしすぐに会いたいってんなら今ちょっとだけ合わせてあげることもできるよ」


「え! 今? 会いたい! 会いたい!」


 子供がはしゃぐのを見て、アレックスの心まで踊り立つ。背負っているバックパックを子供の前に持っていき、


「この中にライオンがいるよ。さあ、のぞいてごらん」


 バックパックの口を勢いよく開いた。すると鋭い目つきと牙をそなえた百獣の王が子供の前に現れた。


「ううううぎゃああああああああああああ」


 子供は悲鳴を上げ、泣き出した。ライオンの毛皮は毛皮のくせに大迫力だった。獲物を狙う眼光は子供を泣かせるのに十分な圧力を誇る。


「ちょっとおおおおおお、あんた、うちの子になにすんのよおおおおお」


 子供の親が怒鳴り込んできた。我が子を守る戦士であり、獣に負けぬ迫力だ。


「なにもしてませんよ。ただちょっと、チラシを拾ってくれたお礼にですね、ライオンを見せてあげたんです」


「ライオンを見せるだって? それってどういう意味だ? このニューヨークの町中にライオンなんているわけないし、まさかお前……」


 恐るべき眼光である。アレックスは、あ、説明は無理だな、と悟った。どうやってことを丸めこもうか考えていると、


「おまわりさーん、ここに変質者がいます。うちの子がさらわれかけたんです。早く来てください」


 アレックスはダッシュで逃げた。

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