第22話 プロレス異変

 記事の掲載を終えたアレックスとフィオナは教会へ戻り、事務室で眠った。ボランティアをした際「一夜の宿を借りたい」と申し出たところ、わずかばかりの寄付と引き換えに認められていた。アレックスはデスクに突っ伏し、フィオナはソファーに沈み込み、それぞれ眠っている。二人とも疲れのため深く眠っており、鳥がさえずっても目を覚まさない。


 日が高く上り、ブラインドの隙間から日の光が差し込む。それとともにアレックスのスマートフォンがけたたましく鳴った。アレックスはあくびしつつ通話ボタンを押す。


「ふわ~い、こちらアレックス――」


「アレックスか! 今どこに居る!」


 電話口からの大音量に、アレックスは思わずスマートフォンを落としてしまいそうになった。通話相手はNWEのレスラーのようだが、いったい何があったのだろうか。


「どこって、アンソニーがボランティアしてる教会だよ」


「今すぐ今日の試合会場にこい。今すぐにだ。他に何をしてようが構わねえから、とにかく急いで……」


 嵐のようにまくしたてられ、ブッツリと通話が切れた。


 一体なんだってんだよ。まだ昼前だし、会場の準備もリハーサルもまだ何時間か先の話だ。だとすればプロレス関係の話じゃないのかな……。


 眠い目をこすっているとアレックスの目が覚めてきた。それと同時に胸がざわめく。オーフェンの野郎が試合会場で何か仕掛けてきたんじゃなかろうか。悲しいことにNWEは試合前も試合中も試合後も静かだ。それがオーフェンとやりあっている今このタイミングで大慌てということは、可能性として十分ある。思えば電話の背景で大勢の人が騒いでいる音がしていた気がする。NWEに危機が迫っているのか?


「おいフィオナ起きろ!」


「う~ん、まだ起こさないでよ~。昨日はすごく大変だったし寝るのも遅かったし、あと五分」


 アレックスはソファーに横たわるフィオナを揺さぶった。しかし反応は鈍い。寝返りを打って背もたれに顔を埋めた。


「五分も待てねーよ。一刻を争う状況なんだ。さっさと起きろ」


「一刻を争うって、なに? まさか教会が包囲されてるとか」


 フィオナはゆっくりと起き上がって目をこする。まだまだ眠そうだが周囲の物音に耳を澄ませ、物騒なことになっていないことを確かめ、再びソファーに身を預けようとした。


 しかし倒れこむ寸前、アレックスがフィオナの体をキャッチした。


「教会じゃなくてプロレス会場だ。何か大変なことが怒ってる。オーフェンのやつが襲撃してきたのかもしれない」


「ああ、プロレス会場ね。そっちのほうなら大丈夫だと思うけど」


「なんでそんなんこと言えるんだよ。寝ぼけてるのか?」


「寝ぼけてなんかないわ。ただわかるのよ。そうね、記者の勘ってやつかしら」


「そんなあいまいな理由で納得するわけねーだろ。ほら、行くぞ」


「仕方ないわねえ。けどまあいいか。早く行ったほうがいいのは確かだし」


 何か知っているような態度のフィオナに、アレックスは若干の苛立ちを覚える。しかし今そんなこと言ってる場合じゃない。フィオナの身支度が終わるのを確認すると、彼女の手を引いて教会のドアから猛ダッシュで飛び出した。








 アレックスとフィオナはプロレス会場である公民館にたどり着いた。教会からの道中、オーフェンの部下による襲撃も追跡もなかった。昨夜に大勢ぶちのめし、リーダー格であるシーザーが警官に連行されているので、流石のタイタンコーポレーションといえども人員の補充に時間を要するのだろうか。


 しかし万事平常通りというわけではない。アレックスは公民館の敷地に入った瞬間、大いなる違和感を感じた。公民館の様子がいつもと違う。駐車場は満杯を通り越しているし、普段は枯れ木のようにしなびている建物が熱気とざわめきで力強く脈動している。


 オーフェンが何かしたのか、と思ったが、きっと違う。これは良い熱気だ。活気とも呼ばれるものだろう。祭りに似たもので、近くにいるだけで楽しい気持ちになってくる。


 しかしなんでだ。今日、公民館での催しはNWEの試合だけだ。言ってて悲しくなるが、こんなに人が集まるわけない。しばらく外から様子を見たほうがいいのかもしれない、と、立ち止まった時、フィオナが手を握って導くように歩き出した。


「なに突っ立ってるのよ。早く行きなさい、皆あんたのことを待ってるのよ。それともプロレスラーってのはファンをじらすものなのかしら?」


「そういうパターンもあるけど。俺が今会場に入らないのはそうじゃなくて、なんていうかその」


「うじうじしてあんたらしくないわねえ、はっきりしなさいよ」


「NWEって、こんなに人が入らないんだよ。なんかおかしいだろ。オーフェンのたくらみかもしれない」


 アレックスが消え入りそうな声で言うと、フィオナはアレックスの胸に拳を押し当てた。


「弱気なこと言ってんじゃないわよ。あんたの知らないところでプロレスに興味を持つ人がいたっておかしくないじゃない。いや、きっとそうよ。あたしが保証する」


「保証って、お前がプロレスについて何を保証できるってんだよ」


「細かいことはいいじゃない。あたしが保証するって言ってるんだから信じなさい。それに、チャンスよ。どんな理由であれ、この人たちはプロレスの試合を見るだから、今日、素晴らしい試合を見せて全員ファンにしてやればいいだけよ」


 フィオナの言葉は自信に満ちていた。アレックスは、こいつはなんで根拠なくこうまで言えるのかと、不思議だった。しかし、彼女の言葉はとにかく熱い。しなびた心を奮い立たせるには十分な熱量を持っていた。


 アレックスは両手でほほを叩き、気合を入れた。先日、シーザーがファンを装って近づいてきたことで必要以上に弱気になっている。しょげたままではリング上で最高のパフォーマンスを発揮できない。こんなに大勢の人が来てるのに、ファンを獲得するチャンスなのに、それでいいのか? いいわけないだろ。


「そうだな。今日という日を、スターへの第一歩にする。アドバイスありがとよ」


「どういたしまして。それで、今日はどんな試合をするの?」


「どうって……、どうなんだろうな。わからないよ。あらかじめ決められたものはあるけど、こんなに大勢の人が集まったのは初めてだし、特別なものに変更されてるかも」


「それじゃあ私から一つプレゼントがあるんだけど」


 フィオナはそう言って手帳を取り出し、ページの一枚を破ってアレックスに手渡した。


 そこに書かれていたのは『ライオン星人襲来』と題された文章だった。フィオナがよく書く、オカルト記事の一つに見える。


「えっと、これって雑誌かインターネットに載せる記事だよな。なんで今これを? 贈り物をくれるってのはうれしいんだけど、渡すものを間違えてないか」


「いーえ、あってるわよ。きっとすぐ『ああ、こんな素晴らしいものを貰えるなんて、俺はなんて幸せなんだろう』って思うに違いないわ。さあ、ポケットにしまったら、すぐに行きなさい。ファンを待たせちゃ悪いわよ、未来のスターさん。あたしは客席からあんたを見てるから、頑張ってね」


 フィオナはウインクをし、公民館の入口へ行った。


 アレックスはわけがわからず開いた口がふさがらなかったが、フィオナの言う通り、ファンは待っている。急がねばならない。関係者用の裏口からロッカールームへ行く。

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