第19話 襲撃

 日没。日の光が絶え、暗い空に星が現れる。その光を浴びてヘラクレスが淡く輝いた。


「よし、ヘラクレスのパワーが使えるようになった。研究所に乗り込むぞ」


 アレックスは垂直飛びをして教会の屋根に飛び乗り、また下りてくる。星明りの下でのみ力を発揮する神話の道具は問題なく作動する。


 アレックス、フィオナ、アンソニーの三人はバス停に行き、バスに乗りこむ。が、アンソニーは直前で足を止めた。


「どうした? 早く乗れよ」


「少し気になることがあるから俺は別行動させてもらうぜ」


 アレックスが聞くと、アンソニーはこう答えた。


「そうか。お前のことだから何か理由があるんだろう。それじゃあ行ってくるぜ」

 人手が減るのは痛手だが、賢き友の言うことである。アレックスは引き留めることなくそれを認めた。


 アンソニーはアレックスとフィオナの乗るバスを見送った。その車体には『タイタンコーポレーション傘下』と書かれている。












 アレックスとフィオナを乗せたバスは夜のニューヨークを行く。このまま平穏に研究所まで行くかと思われたが、


「ねえ。バスの進行方向がおかしいわ。こっちはハドソンバレーと逆方向よ」


 フィオナは気づき、隣に座るプロレスラーに言った。


「ん~? 迂回でもしてるんじゃねえの。道路工事とかでさ」


「そうかしら。運転手さんに聞いてみたほうがよくないかしら。もしかしたら陰謀かもしれないし」


「はーっはっは、お前は心配しすぎだよ。これから研究所に乗り込むからナーバスになってるだけさ。いくらオーフェンとはいえ、いちいちバスにまで手を回すはずないって」


「そうだといいんだけど……」


 アレックスは高笑いしてのんきに構えている。その間もバスは進行方向がおかしいままどんどんと走り、セントラルパークを道沿いに進む。日中はニューヨーク市民の憩いの場であるこの公園も、夜には静まり返っている。木々が生い茂る場所なんかは薄気味悪くすら感じられる。


 バスは森を過ぎたひとけの最も少ない場所を通る。その時を狙ったかのように突然に急ハンドルを切った。セントラルパークの芝生へ乱暴に突っ込むと、急停車した。


「アレックス、バックパックを渡すんだ」


 10人いる乗客全員手が席を立ち、アレックスとフィオナを取り囲む。運転席からは「うひいいいいい」という悲鳴が聞こえてくる。バスジャックだ。


「おいおい、嘘だろ」


 アレックスはまさかという思いでいっぱいだ。取り囲む奴らの顔に見覚えがある。バックパックからヘラクレスを取り出しつつ、男たちをにらみつけた。こいつら、オーフェンのパーティーにいた連中だ。バスを乗っ取るだなんて信じられない。意表を突かれた。が、ただそれだけだ。ライオンの毛皮を被りつつ指をゴキゴキと鳴らす。


「お前ら俺に勝てると思ってんのか? 屋敷でコテンパンにしてやったろ。ごめんなさいしてプロレスのチケットを一人10枚買えば見逃してやってもいいぞ」


「てめえマジおちゃらけてるんじゃねえぞ。俺たちはお前みたいなお気楽な立場じゃねえんだ。毛皮をもっていかなきゃボスに消されかねん。今ここでぶっ飛ばしてやる」


「そういうことなら大サービスだ。できるだけケガさせないよう相手になってやる」


 アレックスはバスの座席を掴んだ。それを引っ張ってもぎ取り、正面にいる男の脳天にたたきつける。次に座席を右に振るい、左に振るい……、車内はあっという間に倒れた男でいっぱいになった。


 突風のような暴れっぷりである。フィオナは目を丸くした。


「アレックス。あんた『ケガさせないようにする』って言ってたけど、座席なんかでぶん殴って大丈夫なの?」


「ああもちろん。クッションの部分で殴ったからな」


「え~~~~……、それって大丈夫なうちに入るのかしら。この人なんか白目むいてるわよ」


「さあな。ともかく研究所へ急ごうぜ。別なバスに乗らなきゃならん」


 アレックスはそう言うとフィオナの手を引き、バスのドアを蹴破る。するとそこには銃を構えた男たちが待ち構えていた。無論、オーフェンの屋敷にいた連中である。


「全員構え、撃て」


 掛け声とともに銃声がとどろく。


 アレックスはフィオナをバスの中へ押し込めると、右手を体の正面に突き出した。するとヘラクレスが額から腕に滑って体を広げ、盾となった。


「うおおおらあああああ」


 アレックスは盾で銃弾を弾きながら男たちの元へ突っ込むと、男たちをぶちのめす。バス内のやつらと違って銃を持っている以上、手加減なしだ。ぶん殴って見えなくなるまで吹っ飛ばし、掴んで叩きつけたやつは芝生にめり込み、銃を取り上げてぶつけてやると鈍い破壊音が鳴った。


 と、不意にヘラクレスが巻き付いて、右腕が背後に跳ねていく。次の瞬間銃声が鳴って、右腕に連続して衝撃が伝わる。銃撃されたのだ。


「一人仕留めそこなっていたぞ。甘いやつだな。いくら力を持っていても上手く使えねば何の意味もない」


 背後からの銃撃をヘラクレスが防いでくれた。アレックスの意志に関係なく右腕を動かし、盾となってくれたのだ。


「ありがとよ相棒。さて、ラストのやつはド派手にいくのがお決まりだ」


 アレックスが首をゴキゴキ鳴らすと、背後から不意打ちしたやつが顔を真っ青にして逃げていく。近場にあるボーリング玉サイズの石を手に取り、逃げる背中めがけてぶん投げた。これで襲撃者は全滅である。


「いや~お見事ねえ。さすが新聞の一面になるだけのことはあるわね」


 カメラのフラッシュが光った。フィオナがバスから降りてきてスマートフォンを構えている。


「おめーはなにパシャパシャやってんだ。世間に無関心な現代社会の闇かよ。ったく俺たち仲間だってのに」


「いやあ、ごめんなさいね。悪いとは思ったけど『ライオン男』が暴れてるのよ。体が勝手に動いちゃって。オカルト記者という職業柄かしら」


「……お前実はオカルトの仕事を気に入ってるんじゃねえの」


「とんでもない。こんなバカみたいなこと絶対にやりたくないけど、仕事だとか習慣だと体が勝手に反応しちゃうのよ。あんただって何かというとプロレスに絡めてものを言ったり、盛り上げようとしたりするじゃない」


「……なるほどね。それなら気のすむまでやるといい」


 プロレスを引き合いに出せれ、アレックスは納得してしまう。俺はいつだって何にだってプロレスのことを絡めて考える。無意識にやってしまうことだから仕方ないが、他人からしてみたらああいう風に見えるのか。少し迷惑だしアホみたいに見えるな……。


 複雑な気持ちでフィオナを見ていると、バスの運転手が彼女に近づいていく。運転手はフィオナの背後まで行くと彼女の首に腕を回した。


「よおアレックス。俺だ、シーザーだ。へへっ、油断したな。この女の命が惜しけりゃ毛皮をよこすんだ」


 運転手はフィオナの首を絞めるようにして拘束すると、制帽を飛ばして素顔をさらす。それはオーフェンの部下をまとめるリーダである、シーザーだった。シーザーは懐から拳銃を取り出し、これ見よがしにひらひらと振って見せる。


「シーザー、お前なんて卑怯なことをするんだ。今すぐフィオナを放せ」


 アレックスは怒鳴りつけた。


「卑怯? 違うね。これは策略というんだ。部下を囮に使い、運転手に変装してすきをうかがう。人間は獣を狩るのに策を使うんだ。ライオンみたいな猛獣を狩るときはとくにな」


「屁理屈こいてんじゃねーよ。正々堂々勝負しろ!」


「うるせえ! てめえにはベンツの恨みもあるんだ。さっさと毛皮を渡さないと……こうだぜ」


 シーザーはフィオナのこめかみに拳銃を押し付けた。


「ぐぬぬぬぬ。仕方ない。毛皮を渡すからフィオナを無事に返せ」


 アレックスはヘラクレスとアイコンタクトを取り、こたえた。


「よし、それじゃあこのアタッシュケースに毛皮を入れて渡せ。そのライオンはしつけがなってないようだからな」


 シーザーはそう言ってアタッシュケースを蹴ってよこした。


 やばい。当てが外れた。アレックスは息をのんだ。毛皮を直接に手渡し、ヘラクレスに巻き付いてもらう。そういう策だったが、シーザーに見抜かれている。他の策は……ない。ヘラクレスが珍しくたてがみを逆立てている。絶体絶命だ。


 その時。


「フリーズ! その場で手を上げろ」


 一人の男が銃を構えてやってきた。男は制服を着ていて、胸にはNYPDの警察章がある。警官だ。彼は警官らしく銃の扱いにも慣れており、銃口はアレックスとシーザーのどちらをも油断なく狙っている。


「アレックス、フィオナ、無事か。間に合ったみたいだな」


 警官の後ろからアンソニーが現れた。なぜ警官がこんな場所に、という答えがこれである。アンソニーはアレックスとフィオナが乗るバスに『タイタンコーポレーション』という文字を見つけ、この事態を予見した。バスをタクシーで尾行し、何か起こったらすぐ警察を呼べるよう準備していた。


「おいお巡りさんよ。俺に銃を向けるな。俺はこいつらに盗まれた毛皮を取り返そうとしただけだぜ」


 この状況でいち早く反応したのはシーザーだった。素早く銃を懐にしまってフィオナを突き飛ばし、都合のいい嘘をついた。


「嘘を言うな。お前が毛皮を盗もうと襲い掛かってきたんじゃないか」


 シーザーの嘘に、アレックス、アンソニー、フィオナの三人が反論した。シーザーの嘘は白々しいが、事情を知らぬ警官にそれを見抜くことはできない。警官はどうしたものかと首をひねる。


「うむ。ともかく争いの原因が毛皮だってことは間違いないようだな」


「ああそうだよ。我が家にずっと飾ってあったのを、今夜こいつらが押し入って盗んでいきやがったんだ。お巡りさんよ、善良な市民の俺を助けてくれよ」


「てめえ、よくそんなホラを吹けたもんだな。ぶっ飛ばしてやる」


 アレックスがシーザーを突き飛ばすと、再び警官が銃を向けた。


「やめろと言っているだろう。今の段階ではどちらが本当のことを言っているのかわからない。ひとまず全員署に来てもらって、ゆっくりと話を聞こうか」


 警官はアレックスとシーザーに背中を向けろ指示する。


 しかしシーザーはこれも気に入らず、警官を怒鳴りつける。


「くそったれの警官め。ライオンの毛皮かぶってるイカれた奴の言うことなんて信じやがって。お前はどこに目をつけてやがるんだ」


「ライオンの毛皮を被ってる、だって?」


 警官が声を震わせるのを聞いて、アレックスは歯噛みした。夜の公園でライオンの毛皮を被ってるだなんて、不審者以外の何物でもない。これまで警官が俺とシーザーの言い分を五分で聞いてくれたのは、暗くて毛皮が見えていなかったからに違いない。


 警官が顔を覗き込んできた。やばいんじゃないか……と思ったが、警官は俺の顔を見るなり意味ありげな笑みを浮かべた。


「ふふふふふ……、なるほど。こいつは驚きだ。まさかライオン男がセントラルパークに現れるとはね。さあ、手を上げな」


 言いながら警官は手錠をしまいこみ、そして再び銃に手をかける。


「おい待て。不審に思う気持ちはわかる。けど宣伝のための撮影に必要なもので、俺たちは決して怪しくなんかない」


 アレックスは慌てて弁解したが、銃口はシーザーに向いていた。


「てめえこのくそ警官、なんで俺に銃を向けやがる。狙うのはそっちのいかれライオン野郎だろうが」


「いいや、銃を向けるのはシーザー、あんたで間違いない。あんたはアレックスから毛皮を奪おうとしたんだ。俺にはわかる。静かにその場へひざまづいてもらおうか」


「たった今てめえは、どっちが正しいかわからん、と言ってたじゃねえか。それとも俺が奪おうとした証拠でも見つけたってのかよ」


「そうさ。これを見てもらおうか」


 警官は銃を構えたまま胸ポケットに手を差し入れる。そしてスマートフォンを何やら操作すると、デュンデュン、と軽快なロック・ミュージックが鳴り始めた。


 その曲にアレックスは聞き覚えがあった。いや、それどころではない。最も好きな曲の一つだった。自分がプロレスの試合で入場曲に選ぶくらいに。なぜ今この時この曲が流れてくるのか。偶然か、福音か。なんだっていいが、とにかくアレックスの胸に希望が湧いてきた。


「ほら、証拠だ。見てみるんだな」


 警官はスマートフォンの画面をシーザーに向けた。そこに映っていたのは、プロレスの入場シーンだった。たくましい筋肉の男……、アレックスがリングに飛び乗っている。身に着けている入場衣装は今ここで奪い合っているライオンの毛皮だ。声援はなく、拍手もない、ひどく悲しくわびしい映像だったが、シーザーのウソを暴くには十分だった。


「ミスターシーザー。お前は、ずっとしまっていた毛皮が今夜盗まれた、と言った。それは嘘だ。毛皮はアレックスがずっとプロレスの入場衣装として使ってきたものだ。奪おうと喧嘩吹っ掛けたのはお前のほうだ」


 警官は真実を見抜いた。そしてそれには十分な説得力が伴っていた。シーザーは歯嚙みし、アレックスたちは驚きで声も出ない。


 アレックスは不思議だった。自分のプロレスの試合を撮影する奴なんていったい誰だろうか。プロレス団体のスタッフなら納得だが、警察を副業としている奴はいない。そうなるとファンということになるが……、俺にファンなんていたろうか。


「お前は……、ドーナツ男!」


 アレックスは警官の顔を覗き込み、叫んだ。この警官はアレックスの唯一と言っていいファンだった。昨日というか第2話 ライオン男アレックスでやった試合、会場が鎮まる中、ただ一人声援をくれたその顔を見間違えようはずがない。


「ドーナツ男?」


 警官は不思議そうな顔をした。ドーナツ男というのは、アレックスが勝手につけたニックネームである。知らないのも当然だ。


「ああいや違う、今のなし。あなたは俺のプロレスの試合を見てくれたファンですよね」


「そうだとも。こんなところでお会いできて、しかもお助けすることができて光栄です。ミスターライオン男」


 警官がアレックスに微笑みかける。


 アレックスは大感激だ。今までやってきたことは無駄じゃなかった。シーザーはファンを装って近づいてきたが、先日ファンになってくれた第一号の彼がピンチを救ってくれた。喜びの涙が浮かんでくるのさえ感じる。


「俺のほうこそ光栄だよ。まさかファンに会えるなんて」


 と、握手のために手を差し出そうとした。


 しかし今それどころではない。警官はシーザーに粛々と手錠をはめている。


「それじゃあ俺はこいつを署まで連れていくが、あんたらのほうも誰かひとり来てくれないかね。面倒とは思うが、調書を作らなきゃならないんでね」


「それじゃあ彼が行くわ」


 フィオナがアンソニーの背中を押しつつ言い、アレックスとアンソニーの二人にささやく。


「研究所に行くまでの道でまた襲われるかもしれないし、研究所内部のことを調べたのは私よ。だからアンソニーさんにお願いしていいかしら」


 アンソニーもアレックスも快諾する


「それじゃあアンソニーさん、署まで来てもらうよ。アレックス、次の試合、明日だよな。必ず見に行くから、かっこいい所見せてくれよな」


 警官はウインクをすると、シーザーの腕をつかみ、パトカーまで引っ張っていく。


「アレックス、今回のところは俺の負けだ。けどなあ、『おれたち』が負けたわけじゃねえ。絶対的な力を持っているんだから最後に勝つのは俺たちだ。覚えてろよ」


 警官にひきずられながら、シーザーが捨て台詞を叫んだ。黙れ、と小突かれても叫ぶのをやめようとしない。姿が見えなくなっても汚い言葉を喚き散らしていた。


「それじゃあ研究所に行くか。またバスに乗るところからスタートだな」


 アレックスはフィオナに言った。


「ええ。でも気をつけましょう。また襲われるかもしれないし」


「お前は心配性だな。今連中を片付けたんだし、そうホイホイ物騒な連中を送り込めないだろ」


「そうだといいんだけどねえ。相手はタイタンコーポレーションだし」


「な~に、襲ってきたら来ただけ全員ぶっ飛ばしてやるって。ほら、行くぞ」


 アレックスはお気楽な気持ちでバス停へ向かった。


 しかしこれは間違いだった。しつっこい襲撃が待っていた。

 バス停までの道のりで襲われた。

 バス停についたら待ち伏せされていた。

 ちょっと疲れたので近くのコンビニで休憩しようとしたら、そこでも襲われた。タイタンコーポレーションの系列のコンビニだった。

 タクシーに乗ったら催涙ガスを食らわされた。

 しまいにフィオナが泣き出して、どうかしたのか聞きに来たおばちゃんもバットで殴りかかってきた。


「うあああああああ、しつっこいんだよこいつら」


 アレックスは叫んだ。全員あっさりぶっ飛ばしてやったとはいえ、回数が多すぎだ。しかも暗殺チームっぽさがない普通の人まで襲ってきて、周りの人間すべてが敵に見えてくる。ここまでくると肉体よりも精神的なダメージのほうが大きい。頭がおかしくなってしまいそうだ。


「ううう……、でもここまで来られたのなら打てる手があるわ。私の勤めてる出版社がこのビルに入ってるから、寄っていきましょう」


 フィオナは目の前のビルを指さした。なんてことのないオフィスビルである。


「打てる手があるなら歓迎だが、出版社になんて行って何ができるってんだよ」


 アレックスが聞くと、フィオナは複雑な笑みを浮かべた。


「ずばり『ニューヨークにライオン男見参』よ」

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