第三章 悪霊か活霊か⑦


 最初に感じた違和感はだった。

 普段なら生徒たちの談笑や部活の掛け声で溢れている筈の放課後の誠央学園は、やたら広い敷地面積を持て余し、凪の様相を呈していた。


「うお~! 青春のカタルシスですわ!」

「……あ、ああ………。あ…わ…………」


 ――ただ、欣快きんかいと浮ついた喚声をあげる叶守と愕然と顔を青ざめさせ掠れ声を漏らすアスマを除いて。

 めまいがして膝を崩しかける。

 アスマ達の目の前には瓦礫と残骸の山――もとい、元旧校舎の憐れな成れの果てが広がっていた。

 ざっと見て校舎の半分以上が崩壊しており、残った中庭側の部分もむき出しの鉄骨や配管、剥落した壁面の目立つ廃墟と化していた。

 

「……こ、こ、これって……、ややっぱの……」


 アスマの震える脳が思い当たる節をリフレインする。

 あの時、旧校舎の屋上で郷田に憑依した叶守を引っ張り出した後、周りが光出したと同時に妙な浮遊感がして気を失った。

 崩壊の原因と考えられるのは、第一に郷田の霊能力だ。ただし、郷田の霊能力はバットで地面を叩くことを媒介に火柱を上げるというもので、ここまで破滅的光景を生み出せるほどではない。

 だからこそ、嫌な想像をしてしまう。 

 旧校舎崩壊の一助には、アスマの干渉が含まれているのではないかと。

 

「ちょい」と叶守に肘で小突かれる。


「いつまで見とれてますの? 手帳を探しに来たのでしょう?」


 冷や汗を流して絶句するアスマを尻目に、叶守は虎色の安全保護テープをくぐり抜け、残痕そのものの旧校舎に闖入ちんにゅうしていった。


「ち、ちょっと……! ……ッ」


 「危ないから」と止めかけるも、頭を振って開き直る。

 来てしまったものは仕方ない。

 もともとこの旧校舎は不良のたまり場の無法地帯で、散々外部から不法侵入されている。今は罪悪感は置いておいて、さっさと手帳を見つけるのが先決だ。

 アスマは叶守に続き、探索を開始した。









******







「無理ですわ! 終わり!」


 瓦礫と勉学の残骸達で埋め尽くされた教室に響く諦念の言霊。

 クレーター状の巨大な陥没は屋上から一階の地盤まで貫き、上から下まで太陽の光で照ら照らしていた。

 元から掃除されず放置されていた分、少し風が吹くと粉塵が舞って視界が煙る。

 叶守は瓦礫の山に埋まった机に腰掛けると、虚空に手を伸ばして仰け反った。


「……いや、まだ数分しか探してないじゃん」


 アスマはガラクタを片しながら、すっかりお手上げ状態の叶守にツッコミを入れた。


「こんな瓦礫の山から……。おにぎりの中に入った一粒のお赤飯を探すような物ですわ」

「可能性はあるじゃん」

「無す!」


 叶守はキッパリ言うと、机から飛び起きて元来た道に戻ろうとする。

 アスマは立ち並んで横槍を入れた。


「せっかく来たのに、もう諦めんの?」

「ここに手帳はないってワタクシの中の何かが囁いている気がします」

「ならどこにあるの?」


 叶守はやけに自信のある顔をすると、おもむろに指先をアスマに向けた。


「……は?」

「こういうのはどうせ灯台もと暗し。実はお前のポケットに入ってました〜ってのがオチですわ」

「はぁ……? そんなことあるわけ……――ッ!?」


 アスマは半信半疑でズボンのポケットの中をまさぐるとくしゃりとした紙の感触がした。

 アスマの驚いた表情に、叶守はニヤリとしたり顔を浮かべた。


「ほら」

「嘘でしょ……」


 アスマは手の中で何かの紙を広げた。中に書いてあったのは――


「…………大凶だ」

「……ア?」


 ポケットの中でくしゃくしゃになったには、しっかりと『大凶』の烙印が押されていた。――『することなすこと全てうまくいかない。心の身持ち忘れるべからず』


「そんなぁ……こんな事なら仕込まなきゃ良かった……」

「おい、手帳は? 手帳はありませんの?」

「……ないよ。あったらさすがに気づく」


 言いながらアスマは全身のポケットを漁るも、やはりどこも占い道具が入ってるばかりで手帳なんてなかった。


「ええ〜! 少なくとも誰かが拾っているハズとワタクシの中のアレが!」

「……それ、ただの叶守の願望でしょ」


 おみくじの結果に完全に落胆し、覇気のない言葉しか出てこない。

 よりによって大凶……幸先が悪すぎる。口の端から涎が垂れてきた。

 叶守はそんなアスマを毛ほども意に介さず、質問をぶつけてくる。


「心当たりありませんの? 誰かが持ってるって!」


 叶守に激しく肩を揺さぶられ、されるがままにガクンガクンとヘッドバンギングする。


「こここ、こころああたりななんてべべつににに……――」


 脳が激しくシェイクされ、あの時の出来事が強制的にまた思い起こされる。

 首が可動域の限界まで傾き、青空が目に入った瞬間。


「――あ」


 アスマの中でひとつ心当たりが浮かんだ。

 「お?」合わせて叶守の揺すりがピタリと止まる。


「郷田さん……」


 ポツリと、想起された男の名を口にした。


「……あの時、叶守のバットは郷田が持ってた」


 脳裏で郷田が叶守のマスコットバットで霊能力を使っていたシーンがよぎる。


「郷田は叶守に取り憑かれてたんだ……なら、手帳も拾ってるかも……」

「ほお」


 叶守が「なるほど」と頷いた。


「ようやく辿り着いたようですわね。DSによって隠蔽されていた“真実”に。それで、その郷田とかいうジャイはどこに居ますの?」

「…………さぁ?」

「ア?」

「……生きてるのかすら消息不明だよ。連絡先もしらないし」


 郷田とはイヤイヤながらずっと関係はあったが、所詮は民間除霊会社の末端の使いっ走り。連絡先も知らなければ普段どこに住んでいるのかさえ知らない。誠央学園でしか、アスマは郷田と会っていなかった。


「連絡先を持ってる奴は?」

「いないかも……手下だってだったし……」


 郷田の手下は、ほぼ全員悪霊による被憑依者だった。それを考えると、親しい関係の人間がいるとは思えない。

 その郷田と生前では犬猿の仲だった叶守は、頭を抱えてうめき声を漏らしていた。

 アスマもすっかり途方に暮れてしまった。微かながら手がかりを掴んだと思えば、振り出しに戻されてしまった。

 やはり、時間をかけてでも旧校舎から発見するのに賭けるしかないのか。

 改めて瓦礫の山を一瞥した、その時。



「――……あーあ、クソほど時間食った」



 芝居がかっていないながら、よく響く声にため息。それでいて、どこか聞き馴染みのある声色。

 アスマは反射的に声の方へ振り返った。


「ダルいことしてくれるよな。共犯者がいるなんて」


 質素な公安の黒い喪服に細身を包んだ軍帽の少年、小浪谷は気だるげにポケットに手を突っ込んだままアスマ達を睥睨し、開け放たれた教室に足を踏み入れた。


「お前……」


 叶守の目が驚愕にパッと開かれる。だが、その目はすぐに猛りの色に移り変わり、不敵な笑みを顔に貼り付けた。


「また会えましたね。ワタクシのアンチ第一号」

「……んだそれ。じゃあそいつはファン第一号か?」


 小浪谷はアスマの方を見て、顎をクイッと指した。

 叶守はアスマの顔をちらりと一瞥すると他愛も無さそうに向き直った。


「こいつはただのストーカーですわ」

「ちょっと!」


 あまりに辛辣な言い草に思わず食い気味に叫んでしまった。

 まったく、叶守のノリにいちいち突っ込んでいたらキリがない。それより気になることがあるのだ。

 アスマは小浪谷の目を気にしながら、叶守にひそひそと耳打ちして訊ねる。


「叶守、あの人と知り合いなの……?」

「ここで会ったが百年目ですわ」


 何だその回答。

 小浪谷は見透かしたみたいに目を細めて口を開いた。


「……やっぱすぐ祓うべきだったな。活霊いきりょうに近くても、人に危害を加える悪霊に変わんねーし」

 

 小浪谷がポケットから両手を出し、叶守に一歩近づく。それだけで、辺りの空気が一触即発の雰囲気に変わった。

 まずい状況。張り詰めた迫力に息が詰まる。

 だが、アスマが慌てだしそうに体を震わすのに対し、叶守は一切動じずに相対し、見えざる火花を飛ばした。


「ワタクシはワタクシですわ。勝手にカテゴライズしないでください、ハゲ隠し!」


 叶守は意気込むと先手必勝。足元のコンクリートの破片を小浪谷に向かって蹴飛ばした。

 恐らく牽制のつもりとはいえ、当たれば打撲以上のダメージ。てっきり躱すのかと思えば、小浪谷はゆるりと右腕をあげてガード。泰然として、「で?」と冷評するような眼差しを叶守に向けた。

 そういえば以前、ハカセから公安の喪服は頑丈だから安全なんだと力説されたことがあったが……どうやら本当に頑丈らしい。

 叶守は全身に黒いオーラを纏うと、一気に肉薄し飛び蹴りを放つも、小浪谷は裏拳で受け流しサッと身を引く。叶守は着地するとボロボロの学習椅子を引っ掴んで追撃をしかける。だが……


「そんなもんか?」


 小浪谷はほぼその場を動かず、最小限の動作だけで、叶守の攻撃を全て透かしてみせた。力量差を測っているのか、わからせるつもりなのか。

 このまま一回も打撃を当てられず終わるかと思いきや、叶守は金的を狙った蹴りで小浪谷に距離をとらせた瞬間、黒い瘴気を激しく噴出させ、小浪谷の視界を覆った。

 小浪谷が一瞬、驚愕の表情と共に動きが緩まる。その寸隙を見逃さず、叶守は渾身の蹴りを放つ。

 奇襲を狙った小気味のいい回し蹴りだったが、瘴気が晴れると小浪谷の手刀で受け流されていた。

 小浪谷は前蹴りで叶守を突き飛ばすと、服についたホコリを鬱陶しそうにパンパンと叩いた。


「急にソフラン入れてくんなよ。こざかしい」

「ぐ、音ゲー扱い……しないで下さいまし」


 叶守は倒れ込み、肩で息をしながらツッコミを入れるも、その表情には痛切の色が滲んでいた。

 一方、小浪谷は汗の一つもかかず、至って澄まし顔のままだ。


「雑魚だけど、無駄に危ねぇしここで祓っとくか。『霊的資源ゴーストリソース』としても使えねーだろ」


 小浪谷は目を閉じて呟くとうずくまった叶守に一歩近づき……


「とっとと終わらせよう」


 目尻を裂けんばかりに開き、好戦的に終幕を告げた。

 ゾクッと緊張のボルテージがアスマの中で一気に上がり、心臓がドラムのように早鐘を打ち始めた。アスマは今まで、公安霊媒師にほとんど会ってこなかったが、それでも分かる……この少年はあらゆる霊能力者の中でもトップクラスに強い。

 加速する不安の中、思わず幻視かと思って目を瞬かせる。

 何だ……あれ……?

 小浪谷の口の端からが覗きみえていた。

 ついさっきまで、あんなものは小浪谷の口には生えていなかった。

 それは一見、取るに足らないささいな変化だが、アスマは強烈に凶兆を感じた。

 アスマは眼を震わせた。









        ――◇――










「……は?」


 トンチンカンなものを見たような顔をして、小浪谷は叶守との間に立ち塞がったアスマを睨んだ。


「なんだお前急に。どけよ」


 静かな声ながらも、苛立ちを孕んだ威圧感のある声色に身がすくむ。

 たった数メートル先の小浪谷が異様に大きく思えてくる。

 アスマは拳を固く握り、恐れるなと心の内で独白し、口を開いた。


「か……、かか叶守は、は祓らわせません……!」


 小浪谷は頭の後ろを掻くと、辟易したようにため息をついた。


「ナイト気取りか? 邪魔すんなら、まずお前から片付けるぞ」


 小浪谷からの冷ややかな最後通告。アスマは微動だにせず一心に小浪谷の顔に目の照準を合わせた。


「……あっそ」


 小浪谷は特に感慨もなさそうな様子でおもむろに腰をかがめた。陸上のスタンディングスタートにも似た前傾姿勢。

 その身体から、次々と根っこのような光の線の束が滲み出る。やがて、黄金色の煌めきは脈打つように大きく跳ねると……


「――『心機一転』!」


 霊能力発動。小浪谷は床が陥没するほどの勢いで右足を蹴り、爆発的な速度で前に飛び出した。そのままアスマに向かって一直線に――ではなく、斜め左方向へ舵を切る。その瞳の先は、後ろの叶守に向けられていた。

 やっぱり、ぼくは眼中に無い……!

 左回りで叶守を仕留めようとする。それが読めていたからこそ、アスマは小浪谷と同時に、既に駆け出してた。

 決死の思いで小浪谷の前に立ち塞がる。予期せぬ出来事に小浪谷は目を剥きながらも、即座に足を踏み変え、再び叶守への進路を取る。

 だが、その駆け出す一歩をアスマが渾身の力で踏みつけると、巻き込まれる形で小浪谷は大きく体勢を崩し、「ぐげぇッ!」顔面から地面に激突。霊能力の勢いのまま派手に転がると、うつ伏せになって瓦礫に顔を埋めた。

 ギターケースが吹っ飛び、軍帽と高級感のあるブーツが脱げ、汚れた喪服のあられもない姿でうめき声をあげる様を見て、アスマは「しまった」と心の内で洩らした。


「……ぐっ……う、痛……ッ」


 小浪谷が満身創痍といった様子でヨロヨロと体を起こす。

 アスマは青ざめた顔で慌てて駆け寄ると、謝罪の姿勢で必死に泣きを入れる。口の中でドモりの衝動が溢れた。


「す、すすす、みまませんんんん!! ちちょっとああ、足がすべっべ――!!」

「……ッツ、てめ引っかけ……やがって……!」


 小浪谷がアスマの肩を掴み、なんとか立ち上がる。ゲホゲホと咳き込む。軍帽が脱げて、髪の毛もすっかりホコリまみれになっていた。

 アスマは重ねて謝罪を述べる。


「ほほホントはここここまでのつもりじゃ…………――あ?」


 ふと、違和感を覚えた。隣で立ち上がった小浪谷の姿。

 言葉を途切れさせ、その立ち姿を凝視する。

 ライブハウスの時、今さっき対峙した時と一回り違う……というか、なんか――



「………………?」



 アスマがポツリと呟くと、小浪谷はハッとした顔で自分の頭の上と足元を交互に見た。

 遅れて察しがつく。……まさか。

 視界の隅に小浪谷のブーツが映って、靴の中を覗き見る。そのいかにも高級そうなブーツは大きさの割にやけに底が厚く見えた。

 再び小浪谷に視線を戻す。先ほどまで同じくらいの背格好のはずだったのに、今の小浪谷は頭一つ分ほど小さくなっていた。

 つまり……これは……――


「――ぷふッ」


 その時、背中越しから叶守の吹き出した声が響いた。


「ぶっ――ぎゃはははははははは!! まさか! こ、こいつ、!! 自分の身長を!! うぷぷハゲ隠しじゃなくチビ隠し!! げひゃひゃひゃひゃひゃー!!」


 叶守が顔を目いっぱい破顔させ、大口で下品な馬鹿笑いを轟かせる。

 小浪谷は上気したように、見る見ると顔を顔を赤くした。


「――ッ!? ……なッ、ち、ちが、これは……!」


 小浪谷が口をパクパクさせ、意味不明なジェスチャーを繰り出して、なぜかアスマに何かを必死に訴えかける。


「隙ありィッ!」


 その不注意を見逃さず、叶守は助走をつけて飛び込んでくると小浪谷に渾身のドロップキックを叩き込んだ。

 

「ぐごぉ!?」


 無意識から強襲を受けた小浪谷は派手に吹っ飛ぶと、手足を投げ出し、白目を剥いて仰向けに倒れた。



           ◆やったか――!?







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