第四章 スキャンマン・スキャットマン②


「あー! 忍者が死んだ!」


 閑散としたバスの中、叶守の弾んだ声が木霊した。

 車内には運転手、アスマ、叶守、如月の四人しか居らず、夕方の空も相まってどこか郷愁とした雰囲気に包まれていた。叶守を除いて。

 大人の運転手には霊感がないので、叶守はいくら席で立ち上がって奇声をあげても注意されない。

 かといってアスマ達が注意して下手に目をつけられても困るので、叶守は狭い車内の中で自由を謳歌していた。

 アスマは何を見るともなくボーッと窓の風景を眺めていると、隣に座った如月が肩をノックしてきた。

 耳を傾けて言葉を待つ。


「叶守ってさ、一体なんなの?」

「……ど、どういう意味です?」


 風景から目を外して如月を見ると、彼女は窓辺ではしゃぐ叶守を眺めていた。


「なんか、ただの幽霊じゃないよね。生前はどんな感じだったのかなって」

「……さすがに今よりは、もう何本かネジがハマってましたね」

「ふーん。……今はどう? 前と変わったところとか」


 アスマは首を傾げて黙考する。

 ……叶守が変わったところ。

 今日、あのゴミ捨て場の再開から今の今まで、率直な感想はひとつだった。


「楽しそう……ですね」


 独り言のようにポツリと呟いた。


「生きてた頃の叶守は、忙しそうっていうか……とにかく必死で……。

「それはどうして?」

「……わかんないです。何となく。結局、本心も聞けなかったし。……今の叶守が楽しそうってのも根拠はないです」

「ふぅん、そっか……」


 窓から西日が差して、アスマ達の顔を照らす。

 如月は眩しそうに目を細めた。


「楽しめるといいね、これから先」


 如月はやけに含蓄を持ったように言った。

 会話もなくなり、再び閑散とした空気が流れると、如月は服の中から見覚えのあるガラス瓶を取り出して、中の錠剤を口に放った。


「あ!」


 大口を開けた叶守が如月の前に身を乗り出して、指を差す。


「ザキナウェイ!」


 それは生前、叶守が愛飲していた頭痛薬に他ならなかった。


「ん? このクスリ知ってるの?」

「え、待って、手が震えますわ……」


 叶守は一口くださいと手のひらを合わせて膝をつき、如月に懇願する。


ぼくのことは忘れてんのに……それは覚えてるのか……」


 アスマは悲しさと呆れのため息をつくと、また外の景色に目をやった。

 遠くの方に工場施設や発電所が見える。

 街を離れ、いつの間にか、アスマ達は海に近づいていた。





******






 如月に促されバスを降りてから、しばらく人気のない方へ歩き続けること数十分、目の前にはうっそうとした雑木林が広がっていた。

 こっちこっちと如月が先導するのを、アスマと叶守は互いに目を見合せてから渋々と付き従った。

 背の高い常緑樹が茂り、沈みかけた太陽の光を遮っている。

 一歩進むごとに、少しずつ空が暗くなっていく。不安になって辺りを見回すと、遠くからうっすらと川のせせらぎが聞こえた。

 熱くもないのにやけに汗が滲む。

 もうUターンして帰ろうかと思ったその時、そびえ立つ木々の間から、草が一面に生えた丘が垣間見えた。

 雑記林を抜けると、球状の上部のような人工感のある丘の上に、三角屋根の建物が見えた。

 右手には大きな川があり、傍目から見てもかなり流れが早かった。

 なぜだか、動悸が早まる。


「ほら」


 如月が丘の上の建物を指さした。


「あれが郷田の隠れ家」

「ただの倉庫ですわ」

 

 案内して良かったでしょと如月は先導し、それに叶守が続く。

 アスマも続いて足を動かすものの、強烈なめまいを感じて、膝をつきそうになる。

 やばい……気分わる……。

 なんとか調息を整えようと肩で息をする。だが、一呼吸ごとに脱力感が増して視界が揺れ始める。

 

「ちょい」


 叶守の声が耳の中で震える。


「どうしましたの? そんな試験終了直前マークミス気づき顔して」

「…………い、いや、別に」


 アスマは干上がった声を絞り出し……


「……なんでもない」


 頬を手で叩き、なんとか二足歩行を保ちながら如月の背を追った。

 ……くそ、熱中症みたいだ。

 気温は暑くも寒くもない。免疫力はある方だし、今日は体調だって悪くなかった。

 なんだっていきなり……。

 アスマはおぼろげながら目の前の倉庫を見据える。

 全面スレートで覆われた三角屋根のテントハウス型倉庫。扉は開け放たれているが、暗くて中の様子はここからじゃ確認できない。外観からして、相当広そうなのは確かだが。

 ゴクリと唾を飲み込む。

 ……怯えているのか、郷田に。ここまで来て、今さら?

 いや、とアスマは弱々しくかぶりを振った。

 ここに来たのは、叶守の手帳を取りに来ただけじゃない。今度こそ郷田に決別を告げるためでもある。

 これはアスマが前に進むための儀式だ。

 体を反らして大きく息を吸い、ゆっくり吐き出す。

 相変わらず悪夢を見ているようで気分が悪いが、少しだけマシになった。

 アスマは苦虫を噛み潰したような顔をして、倉庫の扉の前で立つ如月の隣に並んだ。

 外の暗さも相まって、内装がまったく見えない。


「今いるかなぁ……?」


 中に入るしかない。

 アスマは覚悟を決め、猫背のまま倉庫内に足を踏み入れる。


 ふと、誰かが鼻を鳴らす音が聞こえた。



「……海の匂いがする」――叶守が、そうポツリとつぶやいた。



 アスマが頼りもなく歩くと、コツンと左足が何かにぶつかった感触がした。

 何かと拾い上げると、大ぶりの懐中電灯。

 アスマはたどたどしくスイッチに指をかける。

 パッと真っ白な光線が暗い倉庫内を照らし、全容を明らかにした。

 車が数台置けるほどの広いスペースの端には所狭しと廃材が置かれ、椅子や机といった家具が積み上げられていた。

 床は所々にブルーシートが敷かれ、布袋やポリ袋が横たわっている。

 だが、肝心の人の気配はまるでなかった。


「……?」


 郷田はいないのかと尋ねようとしたその時、突然、黒い風が倉庫内に吹き荒れた。

 体調が悪かったこともあり、勢いで尻もちをつくと、アスマの目の前で風がわだかまり、やがて『形』を成した。

 黒い瘴気に包まれた霊体からだは大型の肉食獣のように精悍で、ギョロりと見開かれた目とヨダレを纏った鋭い牙は、童話に出てくるオオカミ男をイメージさせた。

 グラデーションがかって途中で消えているものの、異様に発達している腕と脚。逆だった体毛。

 とても元人間には視えない、悪霊の姿がそこにはあった。

 ただ、……刺々しいピアスとタトゥーの面影を除いて。


「……………………郷田さん?」


 アスマの乾いた声に、悪霊は顔をおもむろに上げ、耳まで裂けた口を開く。


「■岾ァ……ス垈――」


 声にならない声を上げ、何かを言いかけようとした……その時。

 アスマの顔を横切って、なにか白いカタマリが弾丸のように一直線に閃くと、悪霊の胸部に小さな風穴を開けた。

 白いカタマリが豪雨のように次々と悪霊の霊体からだに撃ち込まれると……


「彁如■ィ――ッ」


 悪霊は悲痛な雄叫びをあげ、やがて倉庫の影に溶け込むように霧散した。

 アスマが唖然として立ちすくんでいると、倉庫を揺らす激しい音が背後で響いた。


「――ッ!?」


 即座に振り返り、倉庫の出入口に視線を送る。

 瞬間、最初に目に入ったのは……腕だった。

 白く細長い線が閃き、叶守の右腕が付け根から切り飛ばされていた。

 たたらを踏みながらも、叶守は左手で地面を付き、黒い瘴気を噴出させて反撃に出る。

 だが、白線は空中を泳ぐように翻えり、追撃とばかりに叶守の腹を一刀両断した。

 アスマは目尻を裂かんばかりに刮眼した。








        ――◇――









 懐中電灯を投げ捨て、アスマは心の内で咆哮し、一心に如月の元へ疾走する。

 如月は感慨も無さそうに、錠剤――ザキナウェイを一粒口に運ぶと、指揮者のように腕を振り、白線を一閃させた。

 だが、アスマはその攻撃を感覚で読んでいた。光の線が揺らめいていた。

 アスマは身をかがめ、スライディングの要領でブルーシートを滑って白線を回避、翻えす追撃も身を投げて躱すと、如月の前に躍り出た。

 だが、両腕を前に出し、掴みかかるあと一歩のところ……今までの比ではない激しいめまいがして、アスマは膝をついて四つん這いになった。

 猛烈な吐き気に感化され、せり上がった胃の内容物が口から流れるように垂れた。


「……お……が、がッ…………」

「良かった。バスの中で仕込んでおいて」


 霞む目を見開いて、如月を仰ぎ見る。

 粉状の白い何かが、暗がりのなか薄明かりに反射し、如月の周りを回っていた。

 如月は勝ち誇った笑みを貼り付けた。


「危うく一矢報いられてたよ。さすが

「………………な、んで……?」


 アスマが掠れた声で疑問を吐き出す。

 如月はしゃがみこんで、アスマのを覗きんだ。


「その辺も含めて、これから『お話』しよっか。


 何かを訴えようと必死と手を伸ばしかける。

 だが、冷たい暗闇が隈なく心身を包み込み、アスマは枯れ果てたように瞳を閉じた。



           ◆おやすみ――。

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