第四章 スキャンマン・スキャットマン③

 

 最初に聞こえてきたのは、誰かが呼びかける声だった。

 口の中にしょっぱい感覚がして、口をもごもごさせると意識が覚醒し始め、目蓋の裏に徐々に光が満ちていく。

 ゆっくり目を開けると、やけに強い白い光の中、誰かが前かがみでアスマの顔を覗き込んでいた。


「……お、思ったより早い。意外に頑丈だねぇ」

 

 聞き覚えのある上機嫌な声がして、目を何度か瞬かせる。

 やたら明るいと思えば、懐中電灯の光が顔に直接当たっていて、反射的にうつむく。

 両手首からジャラジャラと鎖の音が響き、まさかと思い手足を動かすと、身動きが取れない。

 尻に硬い感触がして体を見下ろすと、アスマは椅子に座らされていた。

 似たような状況に思い当たる節があり、鈍った頭でもアスマはすぐに自分の状況を察した。

 ……これは、


「……もしかして、もう自分の状況理解した?」


 声の主、如月はアスマの顔をジィーっと見つめると、答えも聞かずうんうんと頷いた。


「良かった〜。じゃあ、さっそく色々聞いていい? みんなも待たせちゃったし」


 そう言って、如月が後ろを振り返る。

 アスマも追従して見上げると、円で囲むように如月の周りには人が並んでいた。

 全員、見覚えがある。

 あのライブハウスにいた観客のほぼ全てがここ――丘の上の倉庫に集まっていた。


「あ、そうだその前に」


 如月が閑話休題とばかりに両手をパンと合わせ、またアスマの方に向き直った。


「アスマ、どう思ってた? あのテレビ」

「………………て、テレ……ビ……?」

「喫茶店で聞いたじゃん。カラーズネットについての放送」


 そこまで言われ、アスマの脳裏が映像をリフレインする。


『カラーズネットシステム――一千万を誇る監視カメラネットワーク。北海道、沖縄を除いた全エリア各地に設置されたコンピューターによる並列分散処理を行い、構築された生体認証データベースによる照合は、一秒も掛からず対象を認識、行動を予測します』


 アスマが思い出したのを察したのか、如月は満足気に腕を組んだ。


「あれさ、ほんとマジ笑えたよね」


 如月は「だって」と一呼吸おく。


「……ぜーんぶ、嘘じゃん」


 如月は劇でも演じているかのように、アスマの周りを回る。


「サーバーはいくら調べてもデータ処理なんてしてないし、そもそも生態認証データベースなんてどこ探しても出てこなかった」

「……でも、並列分散を使わずにカラーズネットはどうやって処理演算しているのか?」

「そこで、アタシが目をつけたのがこの中継ポイント」


 如月は一枚の紙切れを取り出すと、アスマの目の前に広げて見せた。

 それは、所々にチェックマークが付けられた九州の地図だった。


「九州の全てのスキャナーのデータには42箇所の中継ポイントが存在している。この内どこかにアタシ達は、ダミーを除いてカラーズネットの根幹のシステムを担っている場所があると踏んでいる。アタシはそこがどこか知りたい」


 如月は地図を仕舞うと、アスマの前にしゃがみこみ、上目遣いで見つめた。


「アスマなら、その場所を知ってるんじゃない?」

 

 小首を傾げて尋ねてくる如月を、アスマは目を細めて一瞥し、すぐに周りに目を向けた。


「……な、何なんです、急にいろいろ言い出して。訳わかんないですよ。叶守はどこです?」

「聞いてるのはアタシ。そこも含めて今は質問に答えてほしいんだけど?」


 優しい声色ながらどこか怒気のこもった如月の言い草に、アスマを目を伏せる。


「……し、知りませんよ! そんな陰謀論」


 アスマは声を震わせながも、キッパリと言い切った。

 如月は憂いの表情で前髪をかきあげると、信者の一人に目配せをした。

 その恰幅のいい男は、椅子の前に歩いてくると、予備動作もなく拳を振るってアスマの頬を殴った。

 唐突のことで覚悟もできず、椅子ごと転げ落ちそうになる。口の中に鉄の味が広がって、目尻にじんわりと熱いものが溜まった。

 如月はガラス瓶を取り出し、中の錠剤を一粒口に入れた。


「霊能力の応用でね。アタシは人の嘘が見抜ける」


 如月が人差し指を振るうと、どこからともなく白い粉がアスマの顔に蒔かれた。

 口の中に入って、しょっぱい感覚が舌に響く。


「――『』。塩を自由に操れる。硬めて弾丸みたいに飛ばせるし、斬撃だってできる。君がめまいで倒れたのも、アタシが塩分欠如を引き起こしたから」


 恐ろしい事実を聞かされ、肝が冷える。

 塩分……塩というのは、しょっぱさに関わる調味料として広く用いられているが、ある意味、最も手近で手に入れられる毒ともいえる。

 成人でも30グラム以上摂取すれば、食塩中毒となり、うっ血を引き起こし心不全に至り、180グラム以上摂取すればそのまま致死量となる。たとえどれほど渇きに飢えていても海水に手を出していけないのは、この毒性にも起因する。

 その塩を自由に……しかも、他人の体内の塩分まで操れるとなれば、あまりに凶悪だ。


「じゃ、知ってるってことでさっそく聞いていこっか」


 如月は再び地図を取り出し、アスマの目の前に広げて提示した。


「どこにあるか、教えて」


 如月が嘘は言わせまいと目を光らせる。

 周りの信者も同様だ。

 沈黙の圧迫に包まれ、アスマは逃げるように頭を垂れる。

 ……こいつらに言うわけにはいかない。

 だが、ずっと押し黙ってもいられない。

 アスマは思案を巡らせ、延命の言葉を模索する。

 

「………………な、なんで……」

「だから質問は――」

「……なんで、ぼくの目が生態スキャナーだって……分かってたんですか」


 如月が肩をビクリと震せると、息を吐いてどこか遠くを見るような目つきをした。


「……たまたまだよ。昔の知り合いのこと調べてたら、君の存在を知った。人となりは郷田から聞いてたから、すぐに見つけられたよ」


 昔の知り合いという言葉に引っかかりつつもアスマは次の質問をひねり出す。


「郷田さんはな、なんで死んでたんです? あなたが……?」

「……別に? 寝首を搔いてきそうだったから、先に手を打った……弱ってたしね。餌に使おうだなんて思ってなかったよ」

「ご、郷田とは一体どういう関係で――」


 アスマが会話の流れのまま質問を続けようとしたその時、如月はまた信者に目配せをすると、先ほどと同じ恰幅のいい男が、ラリアットのようにアスマの横っ面に腕を振った。

 鈍器で殴られたような衝撃に、アスマは椅子ごと横に倒れて、激しく咳き込む。

 脳が激しく揺れて、視界がぶれる。


「あーダメダメ、姿勢がなってないよアスマ。少し整えよっか?」


 如月の言葉を合図に、倒れたアスマの元に次々と信者が集まる。取り憑かれたように、彼らは一心不乱にアスマを殴る蹴るの暴行を加える。

 鼻血が吹き出し、呼吸が出来ないと思えば、胃の奥からなにかが吹き出し、その場に大量に嘔吐。

 悪寒がして体を丸めようとするも、鎖で縛られた手足は椅子にしっかり固定され、身じろぎもままならない。地獄の責め苦にどこかの歯が砕ける。

 やがて、如月が手を挙げて信者に停止を促すと、彼らは蜘蛛の子を散らすようにアスマの元から離れた。


「改めて聞くよ。カラーズネットの根幹は、どこにある?」


 如月は倒れ伏したアスマの前にしゃがみ込むと、チェックマークのついた地図を広げた。

 まともに答えなければ、恐らく次は無い。

 アスマは朦朧としながらも、息も絶え絶えに口を動かす。


「……知、ら……ない」


 そう微かにつぶやいて、反目の意志を示した。

 この程度、あのキンタマ占いに比べたら屁でもない……頭の中で言い聞かせる。

 如月は前髪をかきあげると、これみよがしなため息をついた。


「……強情だね。じゃあ最後の手段」


 如月はそう言って出入口付近の信者に合図を送った。

 彼は何かを引きずるような重い足取りでやって来ると……アスマの目の前に、叶守を乱暴に放った。

 

「ッ――!」


 右腕が付け根から切断され、腹は一文字に切り裂かれているものの、幽霊だからか血は一滴も垂れていない。

 それでも、苦悶に満ちた表情で瞳を閉じている叶守はどうみても重体に視えた。透けた手足から、昇華するように光が散っている。

 如月は錠剤を口に運ぶと、指を動かし、塩の光刃を叶守に向けた。やがて、徐々に彼女の切り開かれた腹に刃が近づいていく。


「ッか……叶守! 叶守ッ! な、と、止め――ッ」


 如月はこちらに目向きもせず、取り憑かれたように霊能力に集中している。

 信者たちの見守る沈黙の中、アスマの叫びだけが倉庫内に響き渡る。

 刃が叶守に触れるあと一歩。

 アスマは強く歯噛みして……


「……き、『共育省』幼児養護センター」


 重々しく、その場所を口にした。

 如月がハッとして顔を上げ、アスマの顔をじろりと見つめた。塩の刃が掻き消える。

 

「……嘘じゃない」


 そう静かにつぶやくと、如月は信者たちの方に振り返った。


「……いこう、みんな。ついにこの日が来たんだ。カラーズネットのすべてを暴こう、盛大に。アタシ達はついにひとつに――」


 如月が演奏の時の演説めいた口調で興奮を露わにする。スポーツの大会で応援しているチームが勝ったときのように、周りの信者も喝采をあげた瞬間。


 ――ドゴォオオオオオオオオオンッ!!!


 と、隕石が落下したような衝撃が倉庫全体にほとばしった。何事かと驚愕する暇もなく、頭上の屋根が破滅的に陥没すると……如月に目がけて幾重もの鎖の豪雨が降り注いだ。

 鎖は如月のいた空間にグルグルととぐろを巻くと、半球状になり、一瞬にして彼女を完全に覆ってしまった。


「……あー、大変だった。ここまで来るの」


 突然、倉庫の出入口から聞き覚えのある声が響いた。

 如月も信者たちもアスマも一斉に扉の先に視線を送った。

 

 声の主、爻坂はアスマに目を向けると、憑依の影響か――スプリットタンとなった蛇舌を覗かせてニヤリと笑った。


「また会ったね、アスマくん」




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