第四章 スキャンマン・スキャットマン④

 公安の喪服を着込んだ、目の下のクマが特徴の少女――爻坂は、友人の家に遊びに来たようなラフな雰囲気で佇み、公安手帳を提示して、


「どうも」


 と、呆然と立ち尽くす信者たちに軽く手を振った。

 そこでようやく理解が追いついたのか、「誰だッ!」数人の信者は怒声をあげて爻坂に突撃していく。

 爻坂は泰然として自分の首に手を掛けると――霊能力発動。前に構えた袖口から鎖を射出し、信者を次々といなしていく。鎖が巻きついた瞬間、信者たちは蛇の毒牙をくらったように体をビクッと震わせると、蕩けた目をして地面に倒れ伏す。……あっという間に、約五十人いた信者たちは全員気絶し、倉庫内には静かな沈黙が満ちた。


「ふぅ……」と爻坂は息を漏らして疲労に肩をさすった。


 霊能力の発動は心身ともに疲れる。正直、最初の奇襲の一手を放った時点でだいぶヤバかった。

 ドーム状に渦巻いた鎖の束を見て、改めてここまでのことを思い起こす。

 。今は如月と名乗り、反カラーズネットを掲げる彼女だが、中国エリアで宗教絡みの事件の捜査時に失踪して以来、行方不明となっていた。

 監督の調べによると、霊能力は塩分操作。除霊師としての実力があったが、メンタルカラーの濁りやすい気質から、捜査に赴くことは少なかったらしい。

 ライブハウスの出来事で搬送された信者から、このアジトの場所を聞き出した爻坂だったが、着いていきなりアスマが拷問されているのには驚いた。屋根裏に鎖を仕掛けるのには時間が掛かってしまったが、おかげで迅速に捕まえることが出来た。

 ……ざっと振り返ると、余計に疲労感が増してしまった。

 ともあれ、これで決着だ。

 爻坂は、倒れ伏したアスマの元へ駆けつけようとて……ジャリジャリと何かが音を鳴らしていることに気づいた。

 ……何だこの音。

 耳をすまして、音の発生源を探す。

 目に止まったのは、如月を覆った半球状の鎖の塊だった。

 まんじりともせず見つめると、鎖の束の奥からシュウウウと蒸気のような煙があがっていて、爻坂は思わず目を見張った。 

 ――銀色の金鎖に茶色のシミがどんどん蚕食していた。

 まさか、これは……


……!?」


 そう呟いた時には遅かった。

 鎖の全てにサビが染み渡ると、弾けるように塩の斬撃が中から飛び出す。

 やがて、幾重にも束ねられた鎖から腕を突き出すと、まるで卵から孵ったように如月がおもむろに姿を現した。

 爻坂の目が驚愕に見開かれる。


「そんな……なんで……」


 思わず声が震える。

 如月は満足気な笑みを浮かべると、塩の波をオーラのように自分にまとった。

 目の前の出来事が現実だとは思えなかった。


「おかしい……」


 ポツリと呟いた爻坂に、如月が「何が」と返した。


「……。公安にいた頃のあなたに、ここまでのスペックはなかった」

「そりゃそうだよ。今のアタシは公安で燻ってた頃の二十倍強いんだから」


 爻坂が「どういう意味」と尋ねるより先に、如月は指を鳴らして何かの合図をした。

 ふと、突然倉庫内に黒い竜巻が顕現した。

 倉庫そのものが地震でも起きたかのようにガタガタと揺れ始める。

 何が起こったのか。

 嵐のような風の中、如月に目を向けると、彼女の背後で瘴気が渦巻き、暗黒が滞留していた。

 やがて風がおさまると、それは顕現した。

 鋭利な角の生えた四つの禿頭の凶相、肩口から伸びる細く長い六本の腕。腰から先は完全に透け、大きく窪んだ胸部には苦悶の表情を貼り付けた十人程の苦悶に歪んだ顔。

 巨大な異形の悪霊が、伽藍堂の眼窩を爻坂に向けていた。


「――悪霊の性質」


 如月が邪悪な笑みを浮かべ、冷ややかに呟く。


「同じ思いのもと死んだ悪霊は、その霊体からだを一つにまとめて顕現させる。元同業なら大きな事故の現場とかで視たことない?」

「…………ッあなた、自分の信者を……?」


 如月は目を見開いて頷きを返した。


「これは、カラーズネットの恨みとアタシへの信愛……その二つの思いの結晶」


 ジリと爻坂は思わずわずかに後ずさる。瞬間、如月が腕を振るうと、悪鬼が洞窟が突風が吹いたような咆哮を上げて爻坂に怪腕を振るった。

 咄嗟に霊能力を使おうにも間に合わず、爻坂は喪服と中に仕込んだ鎖ごしに殴打を受けると、紙くずのように床を転がって倒れ伏した。

 

「ッ~~!!」


 激痛に悶絶して、歯の奥で声にならない声をあげる。今の一撃で、喪服の中の鎖のほとんどが砕けておシャカになった。

 床にゲンコツを振るって、震えながら立ち上がる。

 滲む視界の中、悪鬼の穿孔の目が嬲るように突き刺さる。あれにまともに目を向けてはダメだ。吐き気で集中できなくなる。

 アスマに目を落とす。うつ伏せに倒れたアスマは椅子に拘束されている。


 ……今使える鎖も、私の体力もあとわずか。なら……


 ヒュッと息を吸う。

 爻坂は首に手をかけ、寄せ集めの鎖の塊を如月に向けて射出した。

 如月がまた腕を振るうと、悪鬼が前に立ちはだかり、ガードの体勢をとる。その隙に、爻坂は出入り口に向けて走り出した。

 ああ情けない、また失敗して逃げ出した。だが、せめて……

 

「――ッ!」


 爻坂は首を絞って霊能力を使い、、彼の胴体に巻き付けた。アスマの体は鎖とともに宙に浮くと、磁力を受けたように爻坂のもとへ引っ張られた。

 爻坂はアスマを鎖で抱えたまま出入口を飛び出す。如月の追撃が間に合わないように祈りながら、林の中に入って逃走した。


「……叶守」


 爻坂が木々の間を必死に駆ける中、アスマの寝言が暗い林の中で静かに響いた。



        

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