第二章 徒花の夢③

 

 まだ誠央学園に叶守が通っていた頃、彼女はとてつもない問題児だった。

 しょっちゅう停学処分を受けていて、停学中にも関わらず無理やり登校しようとする彼女を先生達が必死になって防いでいたのは記憶に新しい。

 なかなか学園に来られなかった彼女だが、アスマは同じ学年だったこともあり、話しかけられることも多かった。

 

 ある時は――

「あっアスマ! 生徒指導の目を掻い潜って登校する方法ご存じありません?」

 

 またある時は――

「あっアスマ! 白目むいてればバレない戦法でしたが普通にバレましたわ!」

 

 そしてついには――

「あっアスマ! ワタクシ明日から退学になりましたわ!」




******




 サラサラと風にそよぐ花の音が心地よく耳朶を叩く度、今日の惨事による傷心が癒えていく。

 時刻は午後五時を過ぎ、火照りだした春の空の下、アスマは学園から少し離れた花畑にの、ベンチの背もたれに寄りかかって、ぼーっとしていた。

 陽を浴びて黄金色に輝く菜の花やマリーゴールドを眺めていると、沖縄にいたあの頃を思い出す。


「あれから三年かぁ……」


 周りの環境も自分自身も、あの頃とはまるで変わった。

 他のクラスメイトは今頃どうなっているのだろう。連絡を取っていないから定かではないが、少なくとも今の自分よりは良い生活を送っていそうだ。


「関東行ったあの子とか、今何してんだろ……」


 卒業間近、一時的に友達になった『彼』。

 関東で夢の一つや二つ、とっくに叶えているのだろうか。

 結局、期待には応えられなかったが、彼はあの日の占い通りの人生を歩めているのだろうか。

 ぼんやり思いを馳せていると……


「――あっアスマ!」


 突然、聞き覚えのある女の子の声が聞こえた。


「やっぱここにいましたわ。ご無事そうでなにより」


 声の方に目を向けると、やはり叶守の姿があった。アスマのいるベンチまで近づいてくる。


「……見捨てといてよく言うよ」

「え~? 逃げ足速いので大丈夫かと」


 叶守は隣に座ると、偉そうに腕と足を組んだ。花を眺めながらポツリと口を開く。


「さっきも言いましたが、最近の郷田さん、かなりきな臭いです。さっさとぶん殴って縁を切らないと、とんだピエロにされてしまいますわよ」


 それは至って軽い口調だが、どこか真剣味を帯びた忠告だった。


「……そんなこと言われても。学園にいる以上、絶縁なんかできないし」


 本社自体はどこかにあるらしいが、郷田は旧校舎を気に入って勝手にアジトにしている。一刻も早く追い出されてほしい。


「じゃあ中退しましょう」

「嫌だよ。ぼくみたいなメンタルカラーが曇ってる奴は卒業証がないとまともに生活できないんだから」

「ワタクシはできてますけど?」

「嘘、その日暮らしじゃん」


 メンタルカラーが一定以上に濁っている者は、入れる施設も就ける仕事も制限される。

 アスマと同じかそれ以上にメンタルカラーの汚れている叶守が、まともな生活をしているとは思えなかった。


「嘘じゃないですわ、ほら」


 叶守はそう言って懐を漁ると、取り出した物をアスマに投げ渡してきた。

 何かと受け取ると、それは茶封筒だった。

 叶守に促されて中を開けると、アスマは思わず目を剥いた。中に入っていたのは、結構な厚さの札束だった。


「な、なにこのお金!? ヤクザ!?」

「それは今日の除霊依頼で稼いだ分ですわ」


 早合点に動転するアスマに対し、叶守は封筒を取るとあっけらかんと答えた。


「……除霊? また? なんで急にそんな……借金?」

「いえ、一億詰めたアタッシュケースを机に叩きつけたいからですわ」


 ――?。叶守の発言に頭の中に疑問符が浮かび上がる。

 だが、彼女の性癖を思い出して、遅れてピンと来た。


「……まさかそれ、新しい? 前の『タイムカプセルを発掘する』ってのは達成したの?」


 叶守は、奇妙な生きがいを持っている。

 突発的に思いついたやりたいことを『夢』と称して手帳に記し、達成することに人生を賭けているのだ。

 ついこの前は、タイムカプセル探しに奔走していたのを覚えている。その夢はもう叶えたのだろうか。


「M公の桜んとこに埋めてありましたわ」

「ふ〜ん……。それで何個めなの? 達成してきたやつ」

「48ですわ。ちなみに記念すべき50個目の夢はもう決めてあります」

「へ〜……なにやんの?」

「これです」


 叶守は上着のポケットから古びた手帳を取り出すと、ページを開いて中の文章をアスマに見せつけた。


 『アスマの水晶玉占い、当てさせる』


 開かれたページにでかでかと書かれたその文字に、思わず眉の間が曇る。


「……嫌がらせ?」

「アスマの水晶玉って全然当たらないんでしょう? だったら、あらゆる手を尽くして百発百中に昇華させるのがロマンというものですわ」

「……それでも外れたらいよいよ終わりじゃん……


 そう言ってアスマは水晶玉を取り出した。

 ありし日の輝きを失い、すっかりくすぶって濁ったかつてのアスマの虎の子。

 郷田から庇ったものの、今や何の価値も見い出せそうになかった。

  

「……昔はピカピカ光ってたのに、今じゃただのガラス玉だな」

「それで当てるのが真の占い師ってモノですわ」

「テキトー言わないでよ」


 水晶玉占いは、水晶を覗き込んだ時に浮かび上がる映像イメージをもとに占う。だが、こんなくすんだ水晶玉では、そもそも何も浮かんでこないだろう。


「あ、ねぇねぇアスマ」突然、叶守が何か思いついたように顔を上げた。


「これ知ってます?」


 叶守は身を寄せると、アスマの目の前に携帯の画面を見せてきた。

 画面に表示されていたのは、今流行りのSNS『ツイックス』のウェブページだった。

 一件の投稿が目に入る。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 どうも、帰ってきました!

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 今回は大盤振る舞い、抽選三名に一億!!

 フォロワーの『夢』叶えます!!

 #お金ばら撒き企画第7弾

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「……なにこの人? スパム?」

「定期的に企画で金をばらまいてる資産家のジジイですわ」


 アスマはSNSどころか自分の携帯すら持っていないため預かり知らなかったが、叶守の説明によるとツイックスではかなり有名な人だそうだ。

 確かに、この投稿だけ見ても閲覧数が尋常ではない。


「くふふ、見てくださいこの返信リプ欄」


 叶守が笑みを漏らしながら返信欄へスクロールしていく。その慣れた手つきから、叶守が意外にもSNS通なことが改めて窺い知れる。

 何事かと覗いてみると、なぜ叶守が愉快そうな顔をしているのかすぐに理解できた。


「……わ、不幸自慢夢大喜利大会……」


 思わず思ったことがそのまま口に出る。欲望、打算、媚態……返信欄は地獄の様相を呈していた。

 アスマは公園のハトが我先にと落ちたパンくずを必死についばんでいるのを見ているような気分になった。


「ね、今からこいつらの夢、一緒にバカにしません?」


 邪悪に口を釣りあげて、叶守が提案する。いい表情、まるで悪魔からの誘いだ。

 ……この為に携帯を取り出したのか。恐らく前々からバカにしたくて堪らなかったのだろう。まったく本当に性格が悪い。

 頭を搔いて、外ハネを指先でイジる。アスマは目を閉じて、息を吐いた。




******




 哄笑、嘲笑。

 日が傾いて影を帯びた空の下、花畑に男女二人の下卑た笑いが咲き誇る。

 数も多く、いくらスクロールしようとネタは尽きなかった。

 お世辞、ペット、身体、仕事関係、資格試験、卒業旅行、文章をひらがな多めにして子供感を出す者。見ているだけで優位性マウントが生まれてくる。酒が飲めたら良い肴になっただろう。

 一通り見て笑い疲れると、目の端の涙を拭いて叶守が口を開いた。


「あ〜面白かった。いつかまたやりましょ」

「……いいよ、もう。こんなんばっかやってるから、ぼくらのいろは汚れてるんだよ」


 次に生態スキャナーの前に立つのが今から怖い。今のうちに花畑を眺めて、精神を浄化させておいた方がいいかもしれない。

 叶守は携帯を懐に閉まうと、小さくあくびをもらした。


「ワタクシもワンチャンス貰えませんかね、一億」

「アタッシュケースに入れて叩きつけたいからって? ないない。……ていうか、実際選ばれてるのは難病抱えてる人とかだし」


 もしくは如何にも青春な夢を抱えている健全な少年少女。健康優良不良少女の叶守が抽選されるとは思えなかった。


「…………花粉症なら患ってますけど?」

「ここに居んのマズイじゃん」


 よく見渡す限り花だらけのここに足を運んだものだ。花粉症も言ってしまえば不治の病だが、判官贔屓みたいなものはされないだろう。

 叶守は軽く微笑むと、「そろそろか」とベンチから立ち上がった。

 アスマはもしやと思って声を掛ける。


「……また除霊行くの?」

「ええ、ラス1。もう時間なので行ってきますわ」


 と、叶守は意気揚々と準備を始めた。その様子を眺めて、アスマは一抹の心配を抱く。


「…………怖くないの? 悪霊」

「別に? んじゃ」


 そう言って叶守は軽く手を上げると、花畑の出口の方へ足を向けた。

 『夢』にしてもそうだが、今をき抜くためだけに全力を注ぐ生き方。

 一瞬のドーパミンの為に一生を賭けるその生き様は、紫のメンタルカラーがそのまま反映されているようで、末恐ろしさを感じる。

 夕日に照らされた彼女の背中が、すぐ近くにあるのにやけに遠くに見えた。









        ――◇――









「………………叶守」

 

 気づいた時には、立ち上がって、アスマは独り言のような声で待ったをかけていた。


「……? 何か?」


 叶守はその場でピタッと立ち止まり、こちらに振り返った。

 首を傾げ、アスマの言葉を待っている。

 やはり、今日こそ言わなくてはならない。

 アスマは、意を決して口を開いた。


「叶守……こうやってぼくと会う度、メンタルカラー濁っていってるでしょ」


 春風が二人の間を吹き抜ける。

 一瞬、叶守の顔が静かに固まった。喉から水分がなくなったような感覚がしつつ、アスマはまた口を開く。


「あれからずっと……今日もだけど、気にかけてくれて感謝してる。でも、それで色彩不浄になったら……取り返しつかない」


 このままいろが汚れ続ければ、行き先はスラムか施設か、もしくはそれ以下の場所しかなくなる。もう二度と表通りを歩けなくなる。叶守はまともな奴ではないが、そのラインまで超えていいような人間でもない。

 ……だから、そんなことになるくらいなら。


「だから、ぼくら、もう会――」

「……逃げるつもりですの?」


 最後まで言い切る前に、叶守の静かな声が鋭く遮った。  

 アスマはいつの間にか下げていた頭を上げて「え」と口を開ける。


「言っておきますが、水晶玉占いは確定でやってもらいますので! ……あばヨ!」


 叶守はそれ以上の会話を拒否するようにそっぽを向くとあっという間に花畑を駆け抜け、ここではないどこかへ走っていった。

 

「……逃げた」


 呆然としてポツリと漏らす。

 自分勝手で破天荒で迅速果断、嵐みたいな少女だ。それでいて義理堅くて責任感があるのだから、矛盾している。

 ……ぼくもそろそろかな。

 ここに来てから二時間ほど経っただろうか、だいぶ日が暮れてきた。夕暮れの東から、深紫の夜が侵食してきていた。

 そろそろ学生寮に帰る頃合かとベンチから立ち上がろうとして……


「ん?」


 ふと、ベンチに何かが落ちているのが目に入った。それは、表紙の破れが目立つ、見覚えのある手帳だった。


「……忘れてってるし」


 叶守の手帳。

 拾い上げるとその経年劣化に驚く。初めて見た時はピカピカの新品だったのに、今となってはガビガビのアーティファクトだ。

 そういえば、何度もこの手帳を見てきたけと、中身を覗いたことはあまりない。

 思い立って適当に開いた所から順番にページを開いていく。勝手に見たら怒られそうだが、忘れた奴が悪い。

 その手帳の中には、たくさんの叶守の『夢』が書かれていた。


『爆発と共に登場する』

『風船で浮かぶ』

『鷲と鷹と記念撮影する』

『エイリアンとの交信に成功する』

『雨乞いで晴れ予報を覆す』

『パルクールで追手から逃げ切る』

『万引きGメンをGメンする』

『ハブを捕まえてハブ酒をつくる』

『タクシーで犯人の車を追う』

『海老で鯛を釣る』

『一輪車でドリフトを決める』

『オリーブオイルに溺れる』

『睡眠学習でスペア言語を覚える』

『路上ライブで伝説になる』

『蜂の巣を駆除する』

『あくび連鎖コンボテロ』

『名刺交換わらしべ』

『恋愛相談に乗り、恋を成就させる』

『丁半博打姉貴』

『トランプタワーを念で崩す』

『初見で手品を見破る』

『パワータイプに頭脳戦で勝つ』


 ……などなど、ジャンル問わずとにかくやりたいことが1ページ1ページ書かれていた。

 どんな夢だよ。思わず面白おかしくて笑みが零れる。

 ページをめくっていると、件の『アスマの水晶玉占い、当てさせる』のページまで到達した。

 ……今のうちに消しゴムで消してやろうか。そう思った最中。


 ――ビッグな占い師になるのが夢です!


 またもや、昔の誰かの言葉がフラッシュバックした。ページを抑えていた指に少し力が入って紙に皺ができる。


「…………ほんと、馬鹿だよなぁ」


 ため息を漏らすように、口から垂れるように言葉が漏れた。 

 あの返信欄を馬鹿にできる立場じゃない。一番の大馬鹿ピエロは自分だ。

 なんだか少し胸が苦しい。他にはどんな夢があるのか暗い空の下、ページを遡って探し始める。

 

「おい」


 その時、重く低い声が頭上から響いた。

 びっくりして見上げると、今一番会いたくない人間の顔がアスマを見下ろしていた。


「ッ!? えげッ! ご、ごッ……ご、!」


 頭の天辺から足の爪先まで電流が走る。声の主、郷田の突然の出現に狼狽し、ベンチから転げ落ちながらも、慌てて手帳をポケットにしまいこむ。

 いつの間にこんな近くまで……読み込んでいたとはいえ、全く気配に気づけなかった。


「な、なんで郷田さんがここに……?」

「あぁ? お前の逃げ場は大体ここだろ。違うのか?」

「え? ……あ、ああ、そ、そそうっす」


 精神が不安な時、このパワースポットに入り浸っていたことも把握されていたらしい。動揺で鼓動がさらに早くなる。


「チッ! どもんなよ! 会いに来たのはお前に仕事をやるためだ。その成果次第で昼の件はチャラにしてやる」

「……し、仕事?」


 このタイミングでいつもみたいにパシリをやらせるはずがない。

 嫌な予感を感じながら尋ねると、郷田は歯を覗かせてニヤリと笑った。


「除霊だよ。ついてこい、アスマ」








******








 花畑を抜け、すぐさま人気の少ない道へ逸れる。誰もいないのを確認してから、額を抑えてその場でうずくまった。


「ッ痛〜」


 脳幹に針がつき刺さったような頭痛に思わず顔を歪ませる。

 懐からすぐに愛用の頭痛薬を取り出して口の中に放った。慣れてるとはいえ、こんなに痛いのは久しぶりだ。

 呼吸を何度か繰り返してゆっくりと立ち上がる。これから除霊だ。はやく悪霊をぶん殴りたい。そうすれば、多少はこのモヤもすっきりするだろう。

 ……どうせ晴れることはないにしても。







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