第二章 徒花の夢②




        ――◇――




 だからこそ、横っ面を打ち払わんとする一蹴が飛んできたのには驚いた。

 

「――――――ッ!!!!」 


 笑顔を崩さず優しい雰囲気のまま、予備動作も無く振るわれた下半身だけを使った郷田の強引な蹴りは……


「……チッ」


 アスマが反射的に仰け反ってギリギリ回避したことで、虚しく空を切った。

 少し遅れてヒュッと鋭い風が顔を撫でる。もし蹴りが頭に直撃していたら、激痛に悶絶していたか気絶していたかのどちらかだっただろう。

 しかし、躱せてよかった、なんて思ったのも束の間。


「避けてんじゃねぇ!!」

 

 肉薄してきた郷田に、今度こそ蹴り飛ばされ、仰向けに倒れる。衝撃で脳が振動しているアスマに近づくと、郷田は胸ぐらを掴んで無理やり立たせた。

 ぼやけた視界には、それでも鬼のような形相がハッキリと写っていた。

 しまった……躱さなきゃよかった。

 しかし、もう、そんな後悔をしても遅かった。郷田は片手で胸ぐらを掴んだまま、空いた片方の拳を握りこんで、アスマの腹を殴打した。


「っあァ……!」


 怒髪衝天から繰り出された非情な一撃。胸ぐらを放されたアスマは、力なくうつ伏せに倒れ込んだ。


「はっ、調子のってんじゃ……あ?」


 その時、コロコロと何かが床を転がり、郷田の足元で停止した。 


「なんだ? このきったねぇの」郷田が足先でその水晶玉突っついて尋ねた。


「……あ、ぼ、ぼくの……占い道具です……」

「ああ? 占い? ノーコンピエロが。んなくだらねぇモン信じてんじゃねぇ」


 郷田はそう言うと、食べ終えた棒アイスをアスマに向かって投げ捨てた。

 棒には『ハズレ』の三文字がしっかりと刻まれていた。


「信じるなら、何より俺にしろ。それが俺の下で働くってことだ。……わかったか?」

「…………は、はい」


 否が応でも頷かせる、大型の肉食獣の唸りのような胴間声。

 アスマがついぞ断れず、この暴力団じみた民間除霊会社に肩入れしている原因だ。

 

「それじゃあ、もうこれは要らねぇよなぁ?」


 郷田が大きく右足を上げた。その足元には、さきほど転がり落ちたアスマの水晶玉。

 踏み砕かれる。数秒後、粉々にされて、跡形もなく捨てられてしまう。

 そんな状況、朦朧とする意識の中で、浮かんできた言葉は『運の尽き』だった。

 

 …………いや、違う。元から『運』なんてモノは無かったんだ。


 だって、今この状況がそれを物語っている。

 子どもじみた……否、子どもでも抱かないような馬鹿げた夢を掲げて、行き着いた場所は冷たい現実。

 宙に浮かんだ浮遊霊ピエロの周りには、親しくしてくれる友は居らず、ただ、搾取してくる輩のみが集まっていた。


 郷田の足が断罪のように容赦なく水晶玉に振り下ろされる。

 負傷の影響か、アスマの視界はスローモーションでその光景を流していた。

 アスマは夢の終わりに目を閉じた。

 暗い穴に落ちていく感覚。

 あと少しで底にたどり着く。そんな時、ふと、声が頭の中で響いた。



 ――占いであれ何であれ、好きなモノは信じるべきです!!


 

 ……それは、いつかの誰かの言霊。

 例えそれが他人とってくだらないものでも、好きなものは信じる。アスマの昔からの信条だった。







******








「ッ…………………い、嫌だ」


 背中に重くのしかかる衝撃に、思わず意識が飛びかける。

 郷田の足と水晶玉の間に、アスマは四つん這いになって体をねじ込んでいた。


「……は?」郷田が柄にもない声をあげた。


 アスマは水晶玉を拾うと、郷田の足から抜け出し、倒れそうになるのを必死で堪えてふらりと立ち上がった。


「テメェ……どういうつもりだ?」


 呆然といていた郷田は、やがて状況を理解すると、痛憤の意を込めてアスマに凄んだ。


「だ、だだっ誰が……」


 その迫力にやはり怖気づく。目を合わせられない。

 それでも、アスマは水晶玉を固く握りしめると、郷田の目を真っ直ぐに見返した。


「――ッ誰が、おお前なんか信じるか! ぼ、ぼくが信じるのは、好きなモノだけだ!」


 それは、啖呵を切ったとはとても言えない声色だったが、初めて歯向ったにしては十分の蛮声だった。


「ッ! てめェ……!!」


 一瞬だけ鳩が豆鉄砲を食ったようだった郷田の顔が、見る見るうちに修羅の形相に変わる。

 よくやったが、やってしまった。

 空気は一触即発をとうに超え、爆発寸前の状況。

 周りは郷田の手下で埋め尽くされていて、逃げ場は無い。

 ああ、終わった。今日が命日なんだ。遺言は何にしよう。

 そんなことを考えていると……


「社長ォォォォオ!!!! 大変です!!!!」


 あと少しでゴールインする所で、サングラスもマスクも掛けていない(恐らく新人の)手下が、大声をあげながら扉を乱暴に開けた。

 その手下は戦災から命からがら逃げてきたような格好だった。ボロボロになっている制服は黒焦げして煙が出ていて、ちりぢりになった頭髪はこれでもかというほど盛り上がっていた。


「うるせぇ! 俺は今こいつをぶっ――」

 

 憤怒の発露を邪魔されて、郷田が怒鳴り声をあげる。しかし、彼は郷田の怒りに反応する余裕もないのか、焦った様子で用件を伝える。


「来ました! 『人間大砲』です! アイツが来――ッギぁああ!!」


 ボカーン! 

 と、彼が最後まで言い切らないうちに、入り口で激しい音とともに爆発が起きた。叫び声をあげ、彼はあっけなく廊下の奥へ吹っ飛んでいった。


 え? 何ごと……?


 冗談のような光景にすぐには何が起きたか理解できず、アスマも含めて室内の男達は当惑していた。

 ……と、そこへ――


「ホッーホッホッホ! ご機嫌ようですわー!」


 マスコットバットを掲げた女の子が爆煙の中、高笑いをしながら室内に闖入してきた。

 

 至る所に花の髪飾りが留められた、栗色ショートの丸顔の少女は、あともう少し背が伸びて顔がシュッとすれば物言う花にもなりえるだろう目鼻立ちをしていた。

 しかし、彼女は数ある学園の中でも特にメンタルカラーが濁った者が一同に集うここ、『誠央学園』の中でも飛び抜けて頭の花畑な爆弾少女。

 数々の奇行、不徳、暴走を行うエキセントリックな様から、一度飛び出したらどう着地するか解らないという意味を込めて『人間大砲』なんて徒名あだなまで付けられた生粋の偏物。

 そんな彼女の名は……


叶守かなもり……テメェ何しに来やがった……!」


 郷田が先ほどアスマに向けたものより何倍も凄んだ声を出した。だが、突如現われた少女、叶守は臆することもなく、まっすぐに言葉を返す。


「まず物言い。最近の貴方たちのヤンチャのせいで、ここの除霊師全体の評判が下がってていい迷惑なんですわ。タダでさえ半反社扱いなのに」

「ハッ、元から除霊師なんて大なり小なりいろの濁った犯罪者だろうが。テメェに言われたくねぇよ中退野郎」

「いまだ学生気取り半グレ猿山大将が何か言ってますわ」

 

 言い合いはそこまでで続かなかった。

 叶守の煽りで悪鬼羅刹と化した郷田が警棒を取り出して、猛然と彼女に詰め寄ったからだ。

 叶守は動揺もせず、手に持ったマスコットバットを振りかざすと突進、郷田の警棒に真っ向から衝突した。

 大小の棍棒が激しく打ち合うかと思ったが、郷田は受け流すように警棒を振るってバットの軌道を逸らす。得物のリーチまで肉薄すると叶守の顔めがけ水平に振るった。

 当たれば気絶は免れないであろう勢い。 

 叶守はそれを首を反らして回避すると、その際に郷田の腕に手刀を放つ。警棒を落とした郷田は即座に徒手空拳に切り替え、左右から数発拳を繰り出す。その全てを上体そらしとステップで躱した叶守だったが、回避地点を予測した郷田の蹴りが左足首にヒット。

 

「ぐっ!」


 そのまま転ぶかと思ったが右足で踏ん張ると、バットを両手に持って垂直に振り上げる。顎を砕かんとする叶守の反撃を郷田は体を反らして回避すると、床を蹴って距離をとり、懐から何かを取り出そうとした。


 まさか、拳銃――!


 もし拳銃なら、今の両者の距離からして郷田が一気に優位に立つことになる。この狭い空間じゃ大胆な回避も出来ない、あわやピンチか。

 ……と思ったが、叶守は床にバットを突き立てるとそれを軸にひとっ飛び、一気呵成の勢いで渾身のドロップキックを放つ。

 それを郷田は腕を交差させて防御。武器を取り出すのは諦め、叶守とお互い素手での戦いを始めた。


 何なんだ、こいつら。


 攻撃して、防御して、回避して、反撃して……そんな綺麗な一進一退を乱暴に披露していく両者。

 アスマも周りの手下達も誰も踏み入れない二人だけの世界が、教育相談室に広がっていた。

 

 数秒後。

 それまで攻防を繰り広げていた二人だったが、蹴りと蹴りが打ち合って距離を取る形になると、お互いに臨戦態勢をやめた。

 拳を交えた言い合いは終わったらしい。

 最初に郷田が口を開く。


「……さっき、“まず”と言ったな。まだ何かするつもりか?」


 叶守も合わせて口を開く。


「警告ですわ。最近のあなた達、何かきな臭いことをやってるんでしょう? もし今後、それでワタクシの周りに危害を及ぼしたら……」

「……及ぼしたら?」

「潰しますわ。………………プチッとな!」


 叶守はそう言って巾着袋のようなものを取り出すと床にたたきつけた。

 ボン! と硬い床に当たった袋は勢いよく破裂すると、狭い室内に石灰の白煙をまき散らした。

 ――煙玉だ。

 その音と煙の衝撃でアスマは思わず尻餅をつく。


「ケホッ! ゲホッ!」


 アスマと同様に他の手下達も倒れ込みながら咳を出している。

 薄目で周囲の状況を伺う。

 郷田の様子は確認できないが、真っ正面から煙玉をくらっていることから、すぐには動けないはずだ。

 入口の扉は爆発で吹き飛ばされ、郷田のヘイトは叶守に移った。――チャンスだ。

 煙幕が張られている今ならこっそり抜け出せる。叶守の登場には面食らったが、棚からぼたもちだ。

 アスマは四つん這いになりながら扉の方を目指す。

 ゆっくりと……慎重に……音を立てずに……バレないように……


「よしッ!!! 逃げますわよ!!」

「ッ!?」

 

 突如、誰かに強引に腕を掴まれると、部屋の外へと連れ出された。

 煙から抜け出し、視界がひらけると、廊下を先導する彼女の姿が目に入った。


「フゥ〜! たまたまワタクシが来て命拾いしましたねぇ、アスマ」

「か、叶守……」


 予想外の救世主、叶守が愉快そうにこちらを見る。

 確かに助かったが、状況は好転していない。むしろ第二ラウンドが始まる予感が、この長い廊下から伝わってくる。


「――テンメェらああああ!! 待ちやがれえええええ!!!!」

「ひっ!」


 廊下の奥から身を震わす怒声が響き渡る。

 引きつった声を漏らして振り向くと、涙目になりながら顔を真っ赤にした郷田が、手下を従えて口角泡を飛ばしていた。

 

「追え! 刺せ! ぶっ殺せぇえええ!」


 手下たちは勅命を受けると、レースのように我先にと走りだした。ドスを持って。

 全員がサングラスを掛けている、まるでハンターに追いかけられているような絵面だ。


「ッ!?! や、やば! 捕まったら終わりだよぼくら!?」

「ご安心。こんな時の為に逃走経路が」

「ほんと!?」

「ええ。ただ、イレギュラーなのでアスマの分まではないです」


 アスマは口を「え」の形にして一瞬固まる。叶守は尻目に前方を見ると、掴んでいたアスマの腕を手放した。


「ここは二手に! ご武運を! ――ザキナウェイ!」


 言うが早いか、叶守は廊下の窓をバットでぶち割ると、ジャンプして脱出した。

 ここは三階だ。飛び降りるなんて自殺行為に他ならない。だが、叶守は着地体勢も取らず背面から垂直に落下すると、下に敷かれたエアクッションにダイブ。さっと起き上がって中庭を駆け抜けていく。「お達者で~!!!」

 その薄情かつしたたかな様を見て、思わずアスマは嘆く。


「あぁ、もう、何で――」

 

 その時、アスマの心に浮かんだものは、やはり嘆きだった。

 それは、あの日の選別。もう何度も見た悪夢の光景。

 四年前、沖縄の教室で、自分に運がないことが判明したあの瞬間。

 アスマの占い師人生に陰りをもたらした原点だ。


「どうして卜がなんだ……!」


 ここは九州。

 衝動のままに活発で虚栄心に溢れた『生態』を持つとされる、メンタルカラーが『紫茈バイオレット』と識別された人間が生活する幽閉の地だ。


 

          ◆ここは九州。落花狼藉のワンダーランド――!














 叶守とアスマが逃げてから、煙の立ちこめる部屋で僕は換気に勤しんでいた。


「ゲホッ! ゴホッ! ……チッ!」


 あぁクソ、あの女。いつかぜってぇ殺す。と郷田社長は咳き込みながらブツブツと怨み言を吐いている。

 入り口で叶守に吹っ飛ばされ、気絶してから数分後。

 何があったか見てはいないが、惨憺さんたんたる部屋の状況から大体推測できる。ここにいない社員達は、大立ち回りした叶守を追いかけにいったのだろう。

 正直、助かる。僕は彼らのことが苦手だ。  

 話しかけても無視するし、マスクとサングラスを掛けているうえに常に無言なので何を考えているのか分からない。

 社長はそんな彼らの我を出さないスタイルが気に入っているようだが、僕は感情の無いロボットに見えて気味が悪い。


「おい」


 それまで悪態をついていた社長が突然声を掛けてきた。


「お前、今日予定入ってたよな?」

「え? はい。今夜除霊でしたよね?」


 その連絡は昨日、社長本人から聞いたものだ。


「お前は来なくていい。やっぱアスマにするわ」

「!? ど、どうして? あんな丈夫なだけのバカ!」

 

 雑用しかやらせなてこなかったお前に初めて仕事らしい仕事をくれてやる。

 社長は確かに僕にそう言ったのだ。ようやく来た機会を、なぜ使いっ走りの彼に先を越されなくちゃならないのか。


「知る必要は無ぇよ。……ただ」


 問いに構わず、社長は僕に背を向け……


「もういい加減、あの占いキャラもうぜぇしな」


 冷たい口調でそう言うと、廊下へ歩き出した。





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