第二章 徒花の夢



「焼きそば、あんぱん、からあげ、たこ焼き……アイスにコーラ、いちごミルクと後は……」


 購買で買ってきた飲食物を確認しながら、誰もいない廊下を足早に進んでいく。

 昼休みが始まり、学園はどこも盛り上がりを見せていた。教室、食堂、校庭、体育館といったメジャー所はもちろんのこと、裏庭でさえ賑やかな話し声が聞こえる。

 でも、今自分がいる旧校舎は別だ。

 渡り廊下から入ってから、それまで聞こえていた喧噪は全く耳に届かなくなり、人気ひとけは一切なくなった。まるで結界の中にでも踏み入ったような感じだ。

 校舎は長い間改築されていない所為で節々ふしぶしに不備が目立ち、窓から差す日光で可視化された大量の埃がこの校舎の古臭さを表わしている。

 どうしてこうなったのか、その原因は数年前の霊障事件にある。

 いじめにあっていた生徒の一人が屋上で自殺し、悪霊が発生したのだ。悪霊は駆けつけた霊媒師にすぐに祓われたのだが、その事件発生後からしばらくの間、旧校舎は出入り禁止となってしまった。

 その後、旧校舎は出入り自由となったものの、薄気味悪さから立ち寄る生徒が減り、その影響で新設された別館校舎へと人が流れ、閑古鳥が鳴く現状がある。

 ひびの入った窓ガラスに、あちこちに張られた蜘蛛の巣、落書きだらけでボロボロの壁。

 お世辞にも良いとは言えない衛生状態と不気味な雰囲気の旧校舎は、しかし、人によっては楽園と変わらない。

 生徒だけでなく教師からも見放されたこの校舎では、誰が何をやっても感知されることはない。真っ裸で歩こうが喧嘩しようが怪しげな組織をつくろうが誰も文句を言わない。

 そんな利点に惹かれるのは、この校舎同様に見放されている数名の不良たちだ。

 ひとしきり廊下を歩くとようやく目的地が目に入った。

 教育相談室、通称『説教部屋』とも呼ばれていたその特別教室は、すっかり古びて在りし日の輝きを失い、胡散臭さとカビ臭さを醸し出していた。

 

 ……あぁ、来ちゃったよ。やだなぁ、帰りたい。


 昼飯時だと言うのに、腹は痛いばかりで全く減っていなかった。

 さっきまで唱えていた食べ物は別に自分が食べるわけじゃない。この扉の向こうにいる方々が食べるのだ。自分はただ、デリバリーサービスのパシリをしていただけ。

 心を落ち着かせるため、胸に手を当てて深呼吸する。

 せめて第一声はドモらないようにしよう。

 腹を決め、鬼も出るし蛇も出る扉をゆっくり開けた。


「……す、すっ……すみません、おっ遅れちゃっ……」

「――やれ」


 開けた瞬間、ぶっきらぼうな男の声が聞こえたかと思えば、サングラスとマスクをかけた複数の男子生徒たちが一斉にこちらに詰め寄って暴行を加えてきた。

 

「ッうわ!」


 容赦のない殴りと蹴りの嵐。

 あっという間に地面に倒れ伏すと、強引に部屋の中央に引きずられた。

 男子生徒たちは飲食物の入った袋を奪い取ると、部屋の奥のソファーに鎮座する一人の青年に手渡した。


「うぅ……い、きなりな、何するん……です……郷田社長」


 途切れ途切れに言葉を吐き出す。

 自分が社長と呼んだ青年。薄い平行眉と離れた垂れ目に厚いくちびる、顔だけ見れば優しそうな印象の男だが、刺々しいピアスとタトゥーに彩られた筋骨隆々な身体でそのイメージは払拭される。

 『郷田民間除霊会社』の社長、郷田は袋の中から棒アイスを取り出すと、こちらを睨みつけた。


「あのさぁ、……」郷田はアイスを咀嚼しながら言った。

 その言外から放たれる威圧感に、アスマはビクリと体を強ばらせる。


「入学早々トラブル起こして孤立してた君を友達にしてやったのって……誰だっけ?」

「へ? あ、ッ、え、ええっと……」

「目ェそらすな! どもるな! 俺の顔見てハッキリ言えええええ!!」

「ぃすすすみません、ごっ、ご郷田さんですぅうう!」

 

 アスマは、パブロフの犬のように郷田の怒鳴り声に反応すると即座に土下座の態勢をとっていた。我ながら情けなさすぎるいつもの光景だ。


「ただでさえ、財布落としてイラついてんだ。パシリ程度でちんたらしやがってよぉ……これ以上俺をムカつかせたらどうなるか、わかってんのか? アァアアア!?」

「……え、あ、え、えと……えと……!」


 郷田の顔がどんどん怒気に歪んでいく。

 何か口答えをしなければならないのに、使い古した自転車のタイヤのように口が回らない。

 郷田が握りしめた拳を近づけてくる。アスマは目をつぶり、歯を食いしばった。

 ――殴られるッ!


「……っははは! なーんてね、ちょっと脅かし過ぎちゃった」

 

 一瞬後に放たれる拳を予想していたからこそ、その優しい声色に意表を突かれた。


「殴るわけないだろ? アスマ君はうちの大事な見習いなんだから」

「……え? お、怒ってないん、ですか……?」

「少し遅れたくらいで怒んないよ。ほら顔を上げて」


 郷田は、至って朗らかな口調で促してきた。

 もしや、たまにある機嫌の良い時?

 アスマが恐る恐る顔をあげると、郷田は本来の持ち味を活かした優しげなクシャッとした笑みを浮かべていた。

 それは、思わずつられて笑みがこぼれてしまような人懐っこい笑顔で―――











        ――◇――    


   


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