第一章 霊媒師



 この世のあらゆる結果、効用は媒体なくしては存在できず、何かを伝えるためには、媒介となるモノが必要だ。

 たとえば、広告ならテレビや雑誌、SNSを媒介として人に伝えることができる。

 特にインターネットは、ほぼ全エリアに導入された生態スキャナーを中心とするハイパーコンピュータネットワーク、カラーズネットを使った整理統合システムで住居や階級、年齢、性別、精神構造などのユーザー属性からターゲティング広告を決め、極めて高いコンバージョン率をはじき出している。

 だがその一方、虫や水を媒介にして伝染する感染症など、人に伝わってはいけないモノもある。

 17歳の少女、爻坂こうさかはそのような、人に伝わってはいけないモノを取り締まる仕事に就いている。

 

 ――公安霊媒師。正式には公安第九課霊障事件対策係、係官、霊視捜査官。


 捜査官とは言ってもここ最近は被憑依者対策、危険施設への立ち入り検査、メンタルカラーが汚れた人へのケアが主で、捜査任務は滅多になかった。

 爻坂自身その方が気楽だし、何事もなければ、それに超したことは無いので、この平和な状態がずっと続けばいいと思っていた。

 なのだが……


「うーん……。君、本当に公安の霊媒師? 民間じゃなくて?」


 閑散としたマンションのエントランスにわざとらしく不審がった声が響く。

 時刻は午前六時。  

 春とは思えない程どんよりとした雨雲広がる朝に相応な憂いを帯びた人相の警官に、爻坂はいぶかられていた。


「何度も言っていますし、手帳だって見せたじゃないですか」


 このようなやり取りがもう何回も続いている。

 久しぶりの霊障事件と聞いて気合を入れて来てみたものの、待っていたのは前途多難の予兆だった。

 一体、何が彼をそこまで疑心暗鬼にさせるのだろう。生まれつきの覇気のない顔か、目の下の大きなクマか、携えているやたら大きなトロリーバッグか。

 何にせよ、まずはこの警官に認めてもらわないと話は一向に進まないだろう。


「君みたいな子どもがねぇ……。前に君くらいの民霊と会ったけど、遊び半分で態度は失礼、手際も悪いで最悪だったよ」

「幽霊が視えるのは基本子どもだけですから、公安民間と関係なく霊媒師が子どもなのは当たり前です。あと、私は遊びで来たつもりはありません」

 

 爻坂は警官の不信のこもった目を見返して言い放ち、彼の眼前に公安手帳を見せつける。

 質感のいい黒革に包まれた証票には、確かに爻坂の名前とデフォルトカラーコードが記されていた。


 ――公安第九課霊障事件対策係 霊視捜査官 爻坂【#FFE062】――


 それでもまだ警官は渋い顔をしていたものの、爻坂の目と手帳を数回見ると……


「……昨夜、ここの三階の簡易スキャナーが破壊されましてね。何事かと調べると、309号室で居住者が亡くなっていました。もとから変な宗教にハマっていた人だったそうですが、案の定、悪霊に」


 そう言って壁掛けのキーケースから鍵を一つ取り出すと、爻坂に手渡した。


「除霊は私一人で行います。取り憑かれるとめん……対処が困難になるので、あなたも外に退避しておいて下さい」


 爻坂は鍵を受け取ると軽く会釈してから、エレベーターに乗り、309号室の階まで上がった。

 ここ、『グランドライフ』は経年劣化によるひびが目立つぐらいしか特徴のない、どこにでもある中層マンションだ。平時なら人気ひとけがありそうだが、今は住民全員があらかじめ退避しているため、今いる三階の廊下やエントランス含め、マンション内全体には静かな空気が流れていた。


(――ネェ)


 そんな静かな空間で、突然、何者かの声が不気味に爻坂の身体の内で響いた。


(アノおっさん アタシの爻チャンに失礼ジャアナイ? 締メ上ゲテヤロウカシラ?)

 

 声の主は爻坂の背筋を這ってから、首に巻き付くと、舌をシュルシュルと出し入れしながら物騒な提案をしてきた。

 それは青緑色のグラデーションがかった体を持つ、全長1.5メートルほどのアオダイショウだ。

 ただし、もう生きてはいない。斑紋の入った体は胴体から透き通って、本来、尻尾のある部分は存在していない。

 このアオダイショウの名前は、『蟒蛇うわばみ』。捜査業務の手伝いをしてもらう代わりに爻坂が世話をしている幽霊蛇だ。爻坂に懐いていて、いつか丸呑みにしたいなどとよく冗談を言う。ちなみにオスだ。


「警官は霊媒師嫌いがちだし、しょうがないよ。とっとと終わらせて、釣りでも行こ」

(ウフ。リョーカァイ)

 

 語尾にハートマークでもついてそうな甘ったるいテレパシーを響かせ、蟒蛇はするすると腕を伝うと、爻坂の身体の中に戻っていった。

 それから数歩、309のドアの前に到着した。

 ドアには、やたらと貼り紙が張られていて、督促状のようなものが大半を占めていたが、その中には一つ奇妙なポスターがあった。


『カラーズネットに反する者たちよ、花の楽園に集いなさい。――華族教 オンガクを愛する者の会――』


 それはB2サイズのポスターで、花かんむりを被った女性が、ギターを片手にポーズをとってプリントされていた。キャッチコピーからして、反カラーズネット宗教の勧誘ポスターのようだ。

 警官が言っていた変な宗教とは、恐らくこれのことだろう。

 ……色々気にはなるけど、今は関係ないか。

 爻坂は錠に鍵をさして、ゆっくりと扉を開いた。

 靴を履いたまま薄暗い玄関に入ると、照明のスイッチを入れた。

 嫌な匂いがする。一呼吸おいて気配を確認し、慎重に中へ進んでいく。

 玄関の左右にはキッチンと浴室が配置されていて、真ん中の通路はリビングに通じている。床にはゴミ袋や雑誌、ベットボトル、日用品、その他細かな物が乱雑に置かれており、歩くスペースはかなり制限されていた。


『西側を中心に雨が降り始めています。また、九州エリアでは日中は晴れるものの変わりやすい天気が続く模様で――』


 六畳ほどのリビングは、また大量のゴミ袋と共に点けっぱなしのテレビや空気清浄機といった家電類が置かれ、インテリアと呼べるものはギターとソファーだけの簡素な内装だった。


 ――部屋の中央で、ひとりの人間が首を吊って死んでいるのを除いて。


 その凄惨な有様に、思わず顔をしかめる。だが、すぐに頭をふって冷静に状況の確認を始めた。

 縊死いししているのは、三十代ほどの男性。天井に取り付けられたロープで首が絞まっており、床には破壊された生態スキャナーと花かんむりが落ちていた。

 ……この花かんむり、さっきのポスターのと同じの?

 爻坂が花かんむりを拾い上げようとした時、不意に窓も開いていないにもかかわらず、黒い風が吹きすさんだ。風は死体を囲うようにわだかまると、爻坂に立ちはだかるように渦を巻いた。


「――■■■彁■椦■AhAgAAA!!!」


 風の中から泣きわめく子どものような奇声がとどろく。声の主は風を切り払って、爻坂の目の前に姿を現した。

 それは、言ってしまえば人体実験に失敗して膿みだされた怪物のような姿だった。

 全身にまとった黒い煙からのぞく、異様に変成した腕や脚、背中から生えた翼のような突起物。およそ人間を冒涜しているとしか思えないその姿は、まさに『悪霊』そのものだった。

 悪霊。

 生前の面影をのこさず、言語能力と知性を喪い、ただ人に取憑く、攻撃するという使命感に駆られるその様は、いつ見ても悪辣としか言い様がない。


「きさ駲■ら■様AAー!」


 悪霊は飛び跳ねると、飼い主を見つけた子犬のように爻坂の周りを荒らしながら、舌なめずりをして駆け回った。

 爻坂は一歩も動かず、悪霊の動きに目を見張る。

 やがて悪霊は天井に一瞬張り付くと、脚を勢いよく伸ばし、天地逆さまの状態で爻坂に突っ込んできた。

 やはり向かってきた。爻坂は左手で右手首を抑え、右手で自分の首を軽く絞めた。

 

 ――民間霊媒師と公安霊媒師。

 どちらも活動しているのは子どもで、警官の言った通り、見た目だけなら大して変わらない。

 でも、違いはある。それは、訓練によって培われた技術とか指南から得た知識とか場数によって積まれた経験とかもあるが、そういった努力や環境から手に入るものとは別の決定的な違いがある。

 十二歳までに形作られた色相。その中でも黄金イエローの精神を持つ公安霊媒師にのみ持つことを許された特権にして異能。それは――。


「縛って!」(――シャアア!)

 

 悪霊が爻坂の体に触れる刹那、彼女がそう呟くと、中が爆発したかのような轟音をあげてトロリーバッグが開いた。

 その中身は、幾重にも重なった金鎖かなぐさりだった。

 開帳された鎖は、電光石火の勢いで広がり、リビングを縦横無尽に蹂躙していく。飛び出した何連もの鎖は、一瞬で部屋のあちこちに絡みつき、鳴り響き……逃げ場の失った悪霊をがんじがらめに縛り上げた。



 ・霊視捜査官:爻坂 #FFE062

 ・守護霊:蟒蛇

 ・霊能力:鎖の操作

 ・媒介:首を絞める動作



「――k■妛jA!?」

 

 それは、霊能力。ただの武器しか持たぬ民間霊媒師とは違う、公安霊媒師が持つ異能の武器だ。

 空中で静止された悪霊は、意味不明な言葉を叫びながら必死に鎖を解こうともがいていた。だが、無駄だ。爻坂の鎖による金縛りは意識にも作用し、感覚を麻痺させる。


「あ袮……あぅ」


 やがて悪霊は抵抗するのを止め、縛られたままダランと霊体を預けた。こうなったら、後は祓うだけだ。


「……救えないね。楽にできたら良かったのに」


 爻坂は深く息を吸い込むと首をさらに深く絞める。

 垂れ下がった悪霊の霊体からだは末端から溶けるように霧散していく。ほどなく生前の怨念と共に跡形もなく消え去り、還るのを見届けたところで爻坂の仕事は――


(ッ! ――爻ちゃッ)


 突如、蟒蛇からの激しいテレパシーと共に、首筋に焼け火箸を当たられたような痛みが走った。


「――がッ」


 爻坂は訳もわからず体勢を崩し、床に倒れた。

 視界が揺れ、体がしびれる。ほとんど一瞬だったが、衝撃の瞬間、意識を失っていた。

 攻撃された……? 誰が一体どこから。

 朦朧とする意識の中、目を動かして背後を確かめる。ピントの合わないぼやけた視界の中、リビングに一つ、背の高い人物像がが見てとれた。手足が透けていないことから幽霊では無く人間なのはわかるが、顔は覆面か何かに覆われていて見えなかった。

  

「あ、なた……何者?」

「同業者だよ、民間だけどな。この悪霊は俺が先に目を付けてたんだ、勝手に祓うんじゃねぇ」


 爻坂が何とか吐き出した問いに、その人間が言葉を返した。

 ドスの利いた低い声、俺という一人称からして男なのだろう。男は床に伏した上坂を見下ろすと……


「邪魔だ」


 ギターの置いてある壁の端へ強引に蹴り飛ばした。頭から壁にぶつかった爻坂は、そのまま抵抗もなくまた床に倒れ伏す。男の手元はよく見えなかったが、体中に走るジリジリした痛みからして、おそらくスタンガンで麻痺させられたのだろう。

 体全体が硬直して文字通り手も足も出ない。

 ――……蟒蛇、いる? 蟒蛇! ………気絶してるの?

 必死に呼びかけるが、さきほどのショックからか、蟒蛇も反応を示さない。

 その時、玄関の方からドタドタと音が聞こえてきた。目を向けると入り口から数人の人間が入ってきていた。

 男と同様、顔を黒い覆面か何かで覆われている彼らは、何か重いモノを引きずるようにしてリビングにやってきた。

 彼らは引きずってきたモノを投げるようにして、男の前に差し出した。


「チッ、てめぇらいたぶり過ぎ。器になんのか怪しいぞ、それ」


 男がそれと言った人物に、爻坂は見覚えがあった。

 手足は強引に縛られ、制服はところどころ引き裂かれて傷ついた肌が露出し、アザだらけの顔に目、鼻、口からは大量の出血。

 打撲痕だらけになっていて、すぐには判らなかったが、その特徴的な人相は間違いなくあの警官のものだった。


「ま、いいか。とりあえず予定通りで」


 男はそう言うと、絡みついた鎖を軽く引き剥がし、警官の頭を掴んで悪霊の前に突き出した。


「ほら、待望の人間だ。取り憑けよ」


 弱っていた悪霊は、目の前に突き出された警官の顔にすがるように触れると、黒い瘴気と化し、瞬く間に傷口の中へ入っていった


「よし」


 男は悪霊の憑依を満足そうに確かめた後、警官を担ぎ、仲間を促して玄関へ進み始めた。


「……何、してるの?」


 爻坂は、その背に途切れ途切れに言葉を投げかける。


「悪霊に取り憑かれた人間は、体が完全に乗っ取られたら……二度と意識は戻らない」


 まだ立ち上がることも出来ない。頭もうまく回っていない。

 それでも、いま目の前で起きた出来事を看過することは出来ない。

 爻坂は床に膝をつけて、なんとか体勢をとろうとする。

 男は振り返ると、その様子を見てため息をついた。


「何って、これが俺の仕事なんだよ。あんた公安だろ? あんま手ェつけたくねぇし、そこで寝ててくんない?」


 男が退屈そうに頭を掻く。

 蟒蛇からの反応がない今、霊能力は使えない。

 爻坂は鎖に手をかけて何とか立ち上がり、毅然と男を睨みつけた。


「そんな易々すやすや……できるわけないでしょ」

「は、だる。アイツみてぇに雑魚なら雑魚らしく――」

「……なんでそのマスク、口まで覆ってないの? 口臭キツいんだけど」


 爻坂の雑な煽りに、覆面越しにもわかるほど男の表情が歪んだ。


「遺言のつもりなら、もっとマシなこと言えよな」


 男は爻坂に近づくと、胸ぐらを乱暴に掴み、弓を引き絞るように腕を目いっぱい引いて拳を握った。

 抵抗する力も見せず、爻坂はダランとしたまま、外の音に耳をすませた。

 サー……サー……。

 小雨が地面に弾けている音。

 天気予報の通り、九州には雨が降り始めていた。









******








 




 ――グチャッ! 

 肉塊を叩きつけたような音が、雨の中で鈍く響いた。


「ぐ■ひゃ閠ァーッ!」


 マスコットバットに打ち上げられた黒い煙の塊は、弧を描くように水溜まりの中に落ちると、雨に溶けるように雲散霧消していく。

 そのあまりに敏速かつ乱暴な除霊の手際に、依頼主であるにも関わらず、思わず息が詰まる。

 驟雨の中心に立つ、鎌を持つ死神のようにバットを握っている少女。

 悪霊の消滅を確認すると、彼女は首だけを動かしてこちらに振り向いた。


「除霊、終わりましたわ」

「あ、ああ……ありがとう。報酬を払うよ」


 少女はどこか宙を見ているようなすまし顔で、上着のポケットからガラス瓶を取り出すと、中に入った錠剤を口の中に流し込み、ボリボリと噛み砕き始めた。

 そんな平然とした様子の彼女に、自分は抱いた気がかりをぶつけずにいられなかった。


「……依頼しておいて何だが、君は一体何だってこんな事をしている? お金に困っているのか?」


 その質問に、彼女はやはり淡々と首を振ると、表情を変えずに口を開いた。


「悪霊が嫌いだからですわ……それに」


 かと思えば、彼女はポケットに錠剤入りのガラス瓶をしまうと、別の何かを取り出し、見せびらかすように開帳した。

 それは、質感の悪そうな茶革で包まれた手帳だった。

 その開かれたページには……


「――それに、ワタクシには『お金をパンパンに詰めたアタッシュケースを机に叩きつける』夢がありますから」


 彼女が言ったことと、一言一句同じことが書かれていた。

 『お金をパンパンに詰めたアタッシュケースを机に叩きつける』

 全くもって意味がわからなかった。彼女の言葉にも、行動にも。

 だが、頭の中がクエスチョンマークで埋め尽くされている自分とは対照的に、彼女はその時、初めて自信に溢れた顔をしていた。



          ◆二人の少女、彼女たちは一体――。






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