第二章 徒花の夢⑨


 入学早々、悪霊に襲われてから約二ヶ月。

 学園に戻ったアスマを出迎えたのは、大量の視線と陰口だった。


「ねぇ、あの子って……」

「し、顔合わんなよ。縁起悪いって」

「しかもアイツ……アレなんでしょ? 余計近寄れんて」


 アスマの噂は学園中で尾ひれはひれが付いて広まっていた。中には陰謀論に近いものもあって、その信者からはしつこく人格否定をされた。「お前は最低の人間だ」と。

 メンタルカラーは濁りに濁り、人前でまともに話せなくなって……そんな毎日に、もう諦めかけていた時、


「おい! 誰か理科室で爆弾つくったらしいぞ」


「前の爆弾魔さ、今朝タクシーで登校してたわ」


「あの一年の女! 屋上で打ち上げ花火大会やってるって!」


 アスマの噂は突然現れた稀代のトリックスターによって、瞬く間に塗り替えられてしまった。

 







◆◆◆◆◆◆











「――すか!? 大丈夫ですか!?」

「う……うう……っ」


 苦虫を噛み潰したような感覚から意識が緩やかに覚醒し、目を瞬かせる。

 ゆっくり上体を起こすと、胸も腹も頭も背中もどこもかしこもズキズキとした痛みがあって少し動かしただけで眉が寄った。

 ボヤけながら辺りを見渡す。ここは、旧校舎の一階、一年生の教室だ。

 黒板の上に掲げられた『君たちは洗脳されるな!』のスローガンからして間違いない。

 手のひらに違和感を感じて床に視線を落とすと、アスマの下には巨大なクッションのような物が敷かれていた。

 ……なんだって自分はこんな所で寝てたんだ。

 

「あのぉ」


 その時、戸惑ったような誰かの声が聞こえた。

 振り向くと、声の主であろう少女と目が合った。喪服に身を包んだ黒髪の女の子だが、目の下にはクマがあり、どこか気疲れした印象を受ける。

 狼狽えた顔をしていた彼女はやがてビシッと整え、口を開き……


「公安霊媒師の爻阪こうさかです」


 公安霊媒師の証である公安手帳を見せてきた。


「突然起きましたが、体の調子はどうですか?」

「す、すごい痛いですけど……公安?」

「君は上の穴から落ちてきたみたいだけど、何があった?」


 爻阪の指に促され、天井を見ると、回廊のように穴が連続的に続いていて、屋上まで届いて夜空が覗いていた。

 ……誰だ、こんな穴開けたの。こんなことする奴そうそういな――


「……叶守」


 その凄絶たる様が呼び水となって屋上での出来事が稲光のように想起される。

 アスマはハッとして爻阪に叫んだ。


「屋上! 女の子が悪霊に襲われてる!」


 聞くや否や、爻阪は目を見開くと反応よく立ち上がり、扉へ走った。


「私は屋上に向かう。君は応援まで待機!」

 

 爻阪はすぐさま廊下に出ると階段へ走っていった。判断が早い。

 春嵐が去ると、夜の教室は不気味で神秘的な雰囲気になる。一種のパワースポットのような霊験すら感じるが、大人しく待機なんかしている気はない。

 アスマも立ち上がろうと足を踏ん張る。だが、傷痍が骨身にみて、一歩目にしてうずくまる。

 バットで殴られて一階まで叩き落とされたのだ。緩衝材があったとはいえ痛手には違いない。


「ッ! 容赦無……」


 意識した途端、鈍痛が勢いを増し、身体全体が悲鳴のナースコールをあげる。

 せめてエレベーターでもあれば良かったが、屋上までの道は階段しかない。這って進むとしたら牛歩以下だ。辿り着いた時には、全てが終わっているだろう。

 どうする、少し休憩して体の回復を待ってから行くか?

 でも、そうしたら応援とやらが駆けつけて救出されるかもしれない。

 どうする……どうすれば……。

 

「…………」


 いや、自分が何を考えてもどうしようもない。

 爻坂は既に屋上にたどり着いている。くたばり損ないが向かった所で屋上屋を架すのがオチだ。

 今アスマにできることは待機することだけで、それが正しい行動だ。……だが、嫌な予感がする。

 理屈もない、エビデンスもない、単なる虫の知らせが重体の悲鳴よりも頭の中で響いている。大凶のおみくじが体から出てきそうだ。

 行ってどうする。だけど行かないと不味い気がする。

 途方に暮れる、その矢先――、


「あ……」

 

 ふと、視界の隅にキラリと光るものが見えた。

 なにかと思って拾うとそれはアスマにとって見慣れて手慣れてこなれた物だった。

 

「……よくヒビ一つ入らなかったな」


 数年前、小汚い骨董商から買った水晶玉。

 改めて見れば透明感は安っぽいし、サイズは小さいし、光り方は鈍臭いしで、とても霊験あらたかな品とは言えない。

 でも、かつての自分にとっては何より大切な虎の子だった。

 おもむろに持ち上げる。

 水晶玉は穴から漏れ出る僅かな月光を受けほのかに光った。

 その様を見ていると、不思議と走馬灯のように今までの出来事が投影される。


『――占いであれ何であれ、好きなモノは信じるべきです!!』

『――馬鹿かノーコン野郎。んなくだらねぇモン信じてんじゃねぇ』

『――さっさとぶん殴って縁を切らないと、とんだピエロにされてしまいますわよ』

『――あらゆる手を尽くして百発百中に昇華させるのがロマンというものですわ』

『――…………ほんと、馬鹿だよなぁ』

『――ね、今からこいつらの夢、一緒にバカにしません?』

『――何言ってやがる。“ココ”は最下層だ。ハナから全員墜ちてんだよ』

『――あるだろ……! 今だって、やりたい夢が色々。散々生き急いで今度は死に急いで、見てて痛いんだよ』

『――占いでビッグになんて夢掲げてる大バカ、他にいませんからね』

『――あはははざまあそばせ〜! 地獄に落ちろ占いピエロ!』







******








 心音と耳鳴りだけが聞こえる。

 いったいどのくらい水晶玉を見つめていたのか自分でもわからない。ほんの数秒だった気もするし、数時間だった気もする。

 水晶玉を服のポケットに入れて、肺の奥の奥まで息を吸い込む。

 漠然とだけど閃いた。今、ぼくのすべきことは……


「……ぐぬぬぅぅうう開運ーーッ!!」


 アスマは気合いをあげて勢いよく立ち上がる。


「〜〜~~~~~!」


 全身にビリビリとした刺激が響いて走り、顔をしかめる。

 雄叫びでやる気を出そうと思ったが、傷に響くだけで逆効果だったかもしれない。

 廊下への扉に目を向ける。

 ここから階段まではそこまで遠くない。千鳥足でも二足歩行さえ出来れば数分で屋上まで行ける。努力次第で。

 不格好ながらも、走りのフォームで進んでいく。歯を食いしばる程、口の中に鉄の味が滲んだ。

 だが、決して足は止めない。この胸に湧き上がる開運の予感だけは、


「――絶対、当ててやる」






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