第二章 徒花の夢⑩


 一階

 二階

 三階

 アスマは手負いの獣のように、ほとんど倒れかけた姿勢で階段を駆け上がっていく。

よろめき、転びながらやっとのことで屋上までの階段にたどり着くと、目の前に明らかな異変が広がった。ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ

「わっ……」

 

 立ち入り禁止の立て札とテープが除けられている代わりに無数の金鎖かなぐさりが蜘蛛の糸のように階段全体に張り巡らされていた。

 来る者去る者を拒むように覆い尽くされた鎖は爻坂が仕掛けたのだろうか。

 なんにせよ、怯んでいる暇は無い。

 手で押しのけたり、体を捻ったりして鎖の中を掻いくぐり、階段を上がる。

 踊り場につくと、鎖に絡まった鉄扉が見えた。

 叶守とはすれ違っていない、あの扉の先に必ずいる。

 郷田もその手下達もどうだっていい、とにかく叶守を助け出さなくては。

 アスマは姿勢を低くし、鎖を躱して鉄扉の前に着くと乱暴に鎖を外していく。

 体当たりするように鉄扉を開けると、最初に風に揺れる黒髪が夜目よめに入った。次に見えたのは蛇のように動く金鎖で、彼女に襲いかかろうとした郷田の手下は一度巻き上げられると激しく地面に叩きつけられた。

 黒髪の少女、爻坂はなぜか自分で自分の首を絞めながらアスマの方へ振り返った。


「君……」


 アスマの姿を確認して、爻坂が目を見張った。

 屋上には鎖で縛られた手下達が爻坂の周りに転がっていた。その様子からして、鎖を操っていたのは彼女で間違いなそうだ。 

 よく見ると、爻坂の首には爬行はこうしたような跡が見える。首を絞めていたのも鎖を操ることに関係したことなのだろうか。

 気になるのはやまやまだが、今は問いてる場合ではない。


「なんで来たの? 危ないでしょ!」

「……叶守……叶守」


 爻坂の横を通り過ぎようとするも、肩を抑えられる。

 目を凝らすも、月が隠れて夜も更けて、屋上全体が闇に覆われている。今は一刻も早く叶守の安否を確認したいのに。


「……ちょ、とりあえず下がって! まだあと一体遺って――ッ」


 突如、爆光が洪水のように溢れるとともにアスマと爻坂の体が吹き飛ばされた。


「ぐッ!!?」


 屋上を転がって横倒しになり、全身が灼熱感の塊と化す。声にならない叫びが口から漏れる。

 地雷でも踏んだような衝撃。

 混乱しながら何が起こったのか半目で確認すると、アスマ達が元いた場所の近くに噴出花火のような火柱が上がっていた。

 一体なんなんだ、アレは……。


「そん……な、霊能力……?!」


 かすれた声の方を見ると、同じく横倒しになった爻坂が見えた。自分の傷を意に介さず、屋上の正面奥に視線を注いでいる。

 その驚愕に見開かれた目の先をアスマも追う……誰かがゆらりと立っていた。

 火柱が周囲を照らしているおかげで夜目でもはっきり確認できる。

 服は焦げてところどころ肌が露出され、顔は火傷に覆われていたものの、その体格には見覚えがあった。

 

「……郷田さん」


 いつもの勝気さとは打って変わった朧気おぼろげな目。半醒なのか軽く俯いてブツブツと何かを呟いており、だらんと垂れた右腕に棒状の何かを握りしめている。

 声が届いたのか、郷田はゆらりと首を動かすとアスマを睨めつけた。

 

「……――■彁彁ァァ!」

 

 すると、郷田は何を思ったのか、叫声をあげて手に持ったマスコットバットをコンクリートに叩きつけた。

 

「ッ媒介……!?」


 爻坂の鋭い叫びが響いて――刹那、爆発的衝撃が全身を貫いて、アスマの体が宙に浮いた。


「え……?」


 真下から火柱が昇龍のように噴き上げていた。

 突然のことで受け身もとれず、地面が迫ったときにはアスマは翼をもがれた鳥のように墜落。顎を打ち付けて喀血かっけつし、うつ伏せに倒れた。土手っ腹に巨大な焼きごてを押されたような激痛が煮え立つ。

 

「う、あ…………」

 

 揺れる視界の中に佇む人影。

 調息のとれていない獣のような呼吸、修羅のようでいて全く実像を捉えていない瞳。

 朦朧もうろうとした頭でも郷田が悪霊に取り憑かれているのが解った。

 郷田の周りを黒い影がうごめき、呪詛のように言霊を吐き出す。


「――……■袮」


 アレが、悪霊の本体か。だが、何を言っているのかはさっぱり判らない。

 いつの間に流れていたのか、血溜まりはどんどん勢力を広げ、それに比例して眠気が増す。目蓋が閉じられていく。頭が働かない。

 全ての感覚がかすかになり、自分の存在がおぼろげになっていく。


「――■■ま暃」


 あと少しで眠りにつくのに、耳に無理やり入ってくる不愉快なノイズ。

 アスマは最後に睥睨するため、目蓋をほんの隙間だけこじ開ける。

 郷田に憑いた悪霊は、影から頭だけを覗かせてアスマを見ていた。

 特徴的な頭だ。

 顔面は影で覆われているものの、その頭部はまるで花畑のように――


「――妛■……あス……マ……」


 





        ――◇――







******






 

 まさか、即興の被憑依者が霊能力を発動するなんて……。

 発動方法から見て、あのマスコットバットを地面に叩きつけることが『媒介』だろう。まだ完全に乗っ取っていないのに、あの威力……相当強い悪霊が憑いているのか。

 何にせよ、それは今考えることではない、今すべきことは……。

 爻坂は血溜まりの中で倒れ伏した少年を見やる。

 いかにも瀕死状態。放っておけば確実に死に、最悪の場合、悪霊と化すだろう。彼の救出が第一優先だ。幸い、鎖の射程距離内にもギリギリ入っている。

 爻坂自身も負傷によりまともに動けない。鎖を伝ってあの一階まで続く穴から、彼と共に脱出しなければ。

 爻坂は自らの首に手を掛け――


「……!?」


 鎖を伸ばそうとしたその時、彼がおもむろに立ち上がった。

 その光景に思わず瞠目どうもくする。

 最初に発見した時にあらためた傷でさえ十分深手だったのに、それから霊能力の直撃を受けて立ちあがるなんて。

 顔を俯かせた彼はさらに深く頷くと、顔を上げて目の前の悪鬼に視線を向けた。


「………………」


 彼は口の中で何かを小さく呟き――


「ッ!!」


 脇目も振らず前のめりに急進した。

 

「ちょ! 君、待って!」


 気が触れたのか何か思いついたのか、理由はわからないが明らかな自殺行為だ。

 悪霊が霊能力を発動しようとする前に彼を引っ込めなければ。

 爻坂は首を絞めて鎖を高速で動かす。


『――待つんだ! 爻坂くん!』


 鎖があと少しで彼に届く所でヘッドセットから監督の指示が鋭く飛んできた。首の絞めつけが自然と緩む。


「なっ何言って……! このままだと彼が」

『いいや。ここは


 アスマくん……?

 常とは打って変わって興奮したような監督の声色に、爻坂の鎖は力無く地面に落ちた。


「監督……?」

『ワタシは至急そちらに向かう。君はヤバいと思ったらすぐ逃げてくれ』


 監督はそう伝えると、シグナルを切ってしまった。

 何なんだ、一体。この状況も彼の行動も監督の様子も。

 改めて悪霊憑きに立ち向かう少年を見据える。

 ……あれ?

 一瞬の見間違いかと思って目を瞬かせる。今しがた、少年は致命傷相当のダメージを負っていて、それはどう見ても確かだった。 

 だというのに、爻坂の目に映る今の彼は、


「傷が治ってる……?」







******







 足がもつれそうになりながら、深夜の屋上を疾走する。

 目蓋の重さも呼吸の乱れも流れ出る血も今はどうでもいい。

 最優先事項は目の前の悪霊だ。

 郷田は、向かってくるアスマに気付くとマスコットを振り上げる。

 ……なるほど、それが合図。

 アスマは委細構わず直進し続ける……と見せかけて唐突にサイドステップをしかける。

 直後、郷田がバットを地面に叩きつけたと同時に右方のコンクリートにヒビが入って業火が噴き出した。そのまま進んでいたなら当たっていただろう。

 だが、準備動作さえ解ればどうということはない。アスマは怯むことなくさらに前進。

 郷田は手を緩めず火柱を上げ続けるが、その全てを瞬間的に回避する。今にも倒れそうなほど体幹は安定せず、まるで亡者のような動作だが、確実に距離を詰めていき、

 

「彁■アアアアアアアッッ――――」

 

 そして、一度も火の手を喰らうことなく、あっという間に肉薄した。

 郷田は懲りずに霊能力を発動しようとするが――


「ザキナウェイ!!」


 アスマは加速した勢いのまま、呼応するように絶叫しながら郷田の顔を殴りつけた。

 衝撃で郷田の体がよろめくが、アスマはお構い無しに詰め寄る。

 

「叶守は――!」


 アスマは腕を引いた。


「人間大砲とか呼ばれてて――」


 殴られるままの郷田に拳を立て続けに放つ。腰が引けていて、腕もまっすぐ伸びていないが、念い任せに当たって砕ける。


「嘘つきのヤク中で頭が花畑――」


 ……それでも、


『あっアスマ! これ、当たりだったので一本あげますわ』


 最中、脳裏に飛来したのは没個性的な春の日の思い出だった。

 歯を食いしばって、死に物狂いでさらに一歩踏み込む。

 

「――ぼくの友達なんだッ! だから返せ! 返せよ!」


 万感の思いを推進力にして、大きく拳を振った。

 郷田が黒い瘴気を噴出させ、さらに大きく仰け反る。


「――ッア暃マァァ!!」


 反撃か勢い余ったのか、振り下ろされたバットはコンクリートにカンと音を立てて接触。――屋上全体に激震が走った。

 やがて、何者をも遮断するように獄炎の渦が赫々と二人を包んだ。







******






「あれは……」


 一方的に攻撃をしていた少年に悪霊が反撃を繰り出した直後、彼らを囲うように火炎が巻き起こった。

 火柱ではなく火災旋風のような炎の竜巻が深夜の屋上に過剰なライトアップを施す。

 さっきまでと明らかに威力が違う。

 ――あの悪霊、まだ完全に取り憑いてなかったけど、そこに彼が干渉したことで霊能力の質が変わった……?


(不味イワ、今スグここカラ逃げマショウ)


 シュルシュルと舌を出し入れする音が聞こえたと思えば、爻坂の首に半透明の蛇が絡まっていた。


「何か感じたの、蟒蛇うわばみ?」


 緊急性を孕んだ蟒蛇のテレパシーに爻坂もただならない危機感を抱く。


(コレは獣霊トシテの勘ダケド……)


 蟒蛇は舌をシュルシュルさせながら一区切り置く。


(――コノ校舎 跡形モナク消シ飛ブワ)

 





******






 荒れ狂う炎の坩堝るつぼの中心で火花が散華する。

 まつ毛がチリチリと焼けるような熱量の中、まなじりを決する。

 宙吊りのようにつま先立つ郷田の体と被さるように、揺ら揺らと黒い人型の影が現界していた。その窪んだ眼窩がアスマを捉える。

 黙したまま見つめ合って、胸に少しむかつきを覚えた。


「……さっきはよくもやってくれたね」アスマが口を開き、一歩近寄った。


 人影の姿が一瞬ゆらりとブレる。声が届いたのか、宿主の危険に反応しただけなのか。真意はわからないが、アスマにはわずかに動揺の色が見えた気がした。

 堰を切ったように恨み節が口から溢れる。


「毎回毎回、不器用なんだよやり方が。それで人のこと下に見やがって、最悪じゃん」


 だから、とアスマは心の中で付け加える。


「……道連れだ。お前も地獄に落ちろ!」


 人影の手首を引っ掴み、力の限り引っ張る。

 人影は驚いたように震えると、駄々をこねるように霊体からだを暴れさせた。それに呼応するように周囲の火柱が激しさを増していく。

 人影から黒ずんだ瘴気が一気に溢れ、宿主から離れまいと鎖のように身体と霊体を繋ぎ止める。

 

「〜〜〜〜〜〜〜ッ!!」


 口の端から獣のような咆哮を漏らして引っ張り続ける。頭の血管が切れそうだ。

 纏わりついていたモノが影から引き剥がれていき、更に加熱された火柱が光彩を放つ。


「ッ――当たれぇえええええええ!!」


 全身全霊、全ての死力を引き出す。  

 全てのかせが勢いよく剥がれると、黒い瘴気から勢いよく影が解き放たれ、反動からよろめいて力無く倒れていく。それに合わせて郷田も仰向けに倒れた。

 不思議な気分だ。炎の渦中にいたはずなのに、周りの景色は極彩色で覆われていて、時間が静止したようにゆっくりに感じる。その心地のいい浮遊感に急激に眠りに誘われた。

 光芒が夜の幽暗を貫く。

 視界に暗幕が降りる最後、彼女の寝顔がおぼろげに映った。

 

 ――……叶守。


 やがて焔光の螺旋が校舎も夜空も全てを巻き込んで、アスマの意識はそこで途絶えた。



         ◆福因の光の中で――。






















 誠央学園の校舎屋上から上がる極彩色の光の柱。

 上下に放たれた極太の光線は、夜空を芸術的に彩り、校舎を破滅的に貫通していた。


「爻坂くん、無事かい? 良かった。私はこれから学園に……うん。大丈夫、彼とは知り合いなんだ。まぁ、もっとも――」


 ヘッドセットを軽く外し、遠くの校舎を見据える。ヒュっと夜風が吹いて、長白衣がたなびいた。


「アスマくんは死ぬほど、私に会いたくないだろうけど」


 




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