第三・五章 タマ占い


 初めに聞こえてきたのは、キュッキュッと何かを擦るような音だった。

 やけに肌がくすぐったい上に肌寒い。

 あれ、なんで俺……寝てんだっけ……?

 正座でもさせられているのか膝に硬い感触がある。身じろごうとしても思うように動かせず、自分の手足が縄で縛られているのがわかった。

 重いまぶたをゆっくり開けると、退廃的な瓦礫の世界が広がり、誰かが自分を覗き込むように前かがみになっていた。


「起きましたね、身長捏造野郎」


 活霊もどき――叶守が小馬鹿にした笑みを浮かべ、小浪谷を見下ろした。

 その姿を視て、脳に電流が走ったように小浪谷はこれまでの全てを思い出した。一気に沸点が限界まで達する。


「ッ悪霊がぁ……!」

「ぷふふ! 強い言葉を吐くほど惨めになりますわよ」

 

 叶守はそう言うと、小浪谷の目の前に黒のマジックペンを突き出して、手品でもやるように振った。

 そこで、起きた瞬間の肌寒さとくすぐったさを思い出す。

 まさかと小浪谷は嫌な予感がして、自分の体を見下ろした。

 やはり正座させられていた……半裸の状態で。しかも、腕、足、腹と体の至るところ(恐らく顔も含む)に寿司ネタが落書きされていた。


「くそったれの味噌っかすが……ッ! こんなことしてタダで済むと思ってんのか……!」

「ぐっぷふッ! おいくらですか〜?」


 叶守が調子よさそうに煽り倒してくる。小浪谷は猛烈にイラつきを覚え、思わず身を乗り出して噛みつきそうになる衝動に駆られた。が、すぐに冷静になって最善手はそれじゃないと判断した。

 小浪谷は今、後ろ手に手足を縄で縛られて、恐らく配管か鉄柵に括り付けられている。文字通り手も足も出ない状態だが、ただし、口封じはされていない。つまり……。

 嘲笑して煽り倒す叶守を憎悪を込めて睨む。

 ……馬鹿がよ、口封じもしないで。

 小浪谷は『』を口に出すことを媒介に身体強化の霊能力を発動できる。

 鉄製でもないただの縄なら、簡単に引きちぎれる。この馬鹿面に手痛い反撃を食らわしてやる。

 小浪谷はそう意気込んで鼻から軽く息を吸うと……

 

「――『勧善懲悪』!」


 必殺の言霊を言い放ち、霊能力を発動した。

 身体全体が拡張したような感覚と血流が加速したような感覚が同時に押し寄せ、小浪谷は手足の縄をいともたやすく引きちぎ――



「……………………ア?」



 ――ることは全く出来なかった。

 あれ? と思い、再び力を込めるも縄はビクともせず、小浪谷の手足は縛られたままだった。

 霊能力が不発? もしや、四字熟語が言えてなかったのか?


「『一石二鳥』! 『三寒四温』! 『五臓六腑』! 『七転八倒』! …………は?」


 小浪谷は次々と四字熟語を口に出し、縄を引きちぎろうとするものの、霊能力は一向に発動する様子を見せなかった。

 ……一体、どういうことだ?

 狼狽していると、叶守はやけに含みのある笑みを浮かべ、小浪谷の前からスっと霊体からだを退けた。


「――なッ!?」


 思わず目を剥いて驚愕の声を漏らす。

 目の前には、信じがたい光景が広がっていてた。

 小浪谷の除霊を邪魔したあの少年が、うずくまって仰向けに寝転んだ半透明の犬――見知ったプードルの腹を撫でていた。


「ッなに寝返ってんだ! 物賦ッ!」


 ずんぐりした体型が特徴の焦げ茶色のプードル、『物賦もののふ』。

 あれこそが小浪谷の守護霊。霊能力を使うために取り憑かせたパートナー……なのだが、今は完全に野生を捨て去り、ただ気持ちよさを享受するだけの駄犬と化していた。

 物賦は、小浪谷の必死の叫びにもまるで反応せず、その腹を撫でている少年が楽しそうにこちらに振り向いた。


「可愛いですね、この子。もののふって言うんですか?」

「あ……あ、んな……バカな……」


 小浪谷が絶望してガクリと頭を垂れる。

 見ず知らずの他人になびくなと散々しつけたのに……それが徒労に終わったのも含めて精神的にダメージを負った。


「霊能力が使えないのは見ての通りですわ」


 叶守が再び小浪谷の前に立つと満足気に腕を組んで見下ろした。

 完全に詰み。

 小浪谷は諦念の境地に達し、深くため息をついた。


「……何が目的だ? 金か? 情報か?」


 わざわざ公安である小浪谷から逃げず捕縛したということは、何か要求したいことがあるはずだ。 

 叶守は「ふむ」と一呼吸おき……


「じゃあ両方ですわ」


 ピースサインをして答えた。


「……拷問でもするつもりかよ?」

「しますわ」


 叶守が目を輝かせ、前のめりになって小浪谷に詰め寄った。


「なんなら、そっちがメインですわ!」


 そう興奮した様子で鼻息を荒げる。

 小浪谷は辟易して顔を背けた。


「あっそ……。で、何する気だよ?」


 メランコリック全開な小浪谷に対し、叶守はよくぞ聞いてくれたという顔をすると、偉そうにふんぞり返って腰に手を当てた。その目は小浪谷の……股間の辺りに注がれていた。意味深な視線の先を追うと、小浪谷のズボンのウエスト部分から六本の細いヒモが伸びていた。


「……おい、何だこれは?」


 小浪谷の問いに叶守はよくぞ聞いてくれたとばかりに口を開いた。


「何って――キンタマ占いですわ」


 その意味不明な言葉の羅列に、小浪谷は思わず「は?」と無理解の声を漏らした。


「えぇ!? それ、本当にやるの!?」


 後ろで少年が驚愕の声と共に立ち上がり、叶守の側に近づいた。

 物賦は依然気持ちよさそうに寝ていた。


「や、やばいって……だって、それでもし大凶が出たら小浪谷さんは……――」

「その六本のヒモの先には大吉から大凶までのおみくじがついています」


 少年の心配を遮って、叶守は「こんな感じで」とミシン糸のような細い糸が括り付けられた、おみくじの束を取り出した。

 猛烈に嫌な予感。動悸が激しくなる。

 小浪谷は冷や汗を覚えながら、饒舌に語る叶守にガンを飛ばす。


「……お、おい! 待て! お前、何する気だ!?」

「大吉から凶まではズボンの中にテキトーに突っ込みまれています……がッ! 大凶だけはタマの周りに結びつけてあります。今からワタクシが一本一本引いていって――」

「拷問なら先に情報の内容は!? いくらだ!?」


 小浪谷の必死の訴えかけも虚しく、叶守は愉しそうな顔で隣の少年の肩を叩いた。


「ま、後の説明はお知り合いのコイツに任せますわ」


 そう言うと叶守はそっぽを向き、鼻歌を歌い出した。

 気兼ねした様子で少年は小浪谷に近づくと、申し訳なさそうに眉を八の字にした。


「……お、お久しぶりです、小浪谷さん。あの、ぼくのこと覚えてます……?」


 開口一番、少年は自分を指さして、オドオドしながらそう訊ねてきた。

 何だよ、いきなりこの状況で、知らねぇよ誰だお前!

 少年は、小浪谷の物言いに少しショックを受けたように顔を歪ませると、


「あ、ぼく、アスマって言います。占いが趣味で……その、小浪谷さんとは沖縄の頃ちょっと……」

「……は? う、占い……?」


 引っ掛かりを覚え、アスマをまんじりともせず見る。

 占いが趣味で沖縄で出会った奴なんて、俺の中では――


「…………いや、やっぱ知らねぇよ。はじめましてだろ」

「あ……まぁ、そうですよね。もう覚えてませんよね。けっこう前ですし……」


 アスマは青菜に塩でも振りかけたように落ち込むと、目線を地面に落とした。首を下げて息をこぼすように口を開いた。

 

「あ、最後の一本で、大凶を残せば小浪谷さんの勝ちらしいです」

「おいテメ、なに平然と……!」

「……まあ、目的と手段が入れ替わってるので、それで済むかはわかりませんが」


 アスマは気抜けした声で最後にそう言い残すと、叶守の所へ歩み寄り、絶望する小浪谷の側を離れた。











—————————————————○大吉

—————————————————○吉

—————————————————○中吉

—————————————————○小吉

—————————————————○末吉

—————————————————×大凶














「はッ!」


 鋭い掛け声と共に叶守は伸ばしたヒモを勢いよく引っ張ると……


「あ〜……『中吉ハズレ』か」


 特に引っ掛かりもなく容易く引いたおみくじを見ると、残念そうな表情をしてアスマに手渡した。

 小浪谷は顔面蒼白になりながら、激しく肩で息をして叶守を睥睨する。

 ……こいつ、引っ張る力に容赦なさすぎる。

 今ので占いは二回目。一回目は『末吉』だったので、残るおみくじは『大吉』『吉』『小吉』『大凶』の四つ。

 その中でも『大凶』は、小浪谷の睾丸の周りにヒモが結びつけられているらしく、今の勢いで引っ張られたら確実にする。

 そのことを考えると、あまりの恐怖にむしろ引きつった笑みが浮かんでくる。


「…………おい、クソアマ」


 小浪谷が独り言のように震える声を絞り出すと、叶守は「なんです?」と聞く姿勢を取った。

 さすがにクソアマの自覚はあるらしい。


「……ひとつ言っておく。俺は『恩』と『恨み』は必ず返す。信条だ。別に矜恃なんてないが、ナメられるのは嫌いだから、それだけは徹底してる。……覚悟しとけ、必ず痛い目見せてやる」


 小浪谷が眼力を込め、精一杯の見栄を切る。

 叶守は数秒押し黙ると、大したものだと言いたげに微笑んで小浪谷を見返した。


「……へぇ、ほなら楽しみに待っておきますわ。――んじゃ早速続きをば!」


 ……くそッ! 結局やるのかよ!

 小浪谷は強く歯噛みした。

 怯えるか認めるかで辞めてくれるのではないかと内心期待していたが、当の叶守は手の内の四本のヒモを眺め、次はどれにしようかと頭を悩ませている。

 ……次は四分の一。二十五パーセントでアイデンティティの玉砕。

 嫌な汗が流れる。腹が痛い。目が霞む。動悸が苦しい。まるで一世一代の大博打を打つ前みたいな状態だ。


「よし、次はこれですわ!」


 叶守の無駄に元気な声が響く。

 頼む、何か助け舟はないのか――と小浪谷は目をつぶった。


「ち……ちょっと待って!」


 暗闇の中、サッと光が差し込むようにその声が耳に届いた。

 うっすら目を開けると、アスマが叶守の前に立ち、待ったをかけていた。


「さすがにそろそろ当たりそうだし、今のうちにアレ、聞いとこうよ」

「? ……遺言?」

「バカ!」


 そう言ってアスマは叶守からヒモの束をひったくると、尋ねるように小浪谷に視線を向けた。


「小浪谷さんは、郷田っていう民間霊媒師の居場所知ってます?」

「? …………ごうだ?」


 小首を傾げ、頭の中でその名前を反芻する。

 ピンとは来ないが妙に聞き覚えがある。それも最近だ。

 目を閉じて脳内検索をかけ続けると、やがて思い当たる節がひとつ見つかった。


「……ああ、爻坂殴ったヤツか」


 数日前、除霊に向かった爻坂が民間霊媒師を騙る犯罪者に攻撃されたと監督から報告を受けた。

 その犯人の名前は、確か郷田だった。

 郷田についての情報は、端的にだが一通りは聞いていた。


「今、そいつがどこにいるのかは知らない。でも、拠点の場所ならわかる」

「ど、どこですか?」


 と、アスマが前のめりで覗きこんでくる。 

 「誰が教えるかよ」そう啖呵を切りたいのは山々だが、その程度の情報なら吐いても構わない。

 だいたい……ックソ、なんでネットで調べりゃ出てくる情報でこんな冷や汗かかされたんだよ。

 妙に癪に障る気もするが、答えない理由はなかった。

 小浪谷は面白くなさそうに鼻を鳴らし……


「セイオウ通り、KAビル三階」


 淡々と情報を吐き出した。

 聞き終わると即座にアスマは軽く会釈し、叶守に向き直った。


「だって、叶守。早く行こう」


 促すようにアスマが振り返るも、叶守は釈然としない顔で「いや」とかぶりを振った。


「嘘ですわ。公安がこんなすぐ情報を吐くなんて。パチこいてます絶対!」


 叶守が指をさして小浪谷を糾弾する。

 小浪谷は目を伏せて歯ぎしりした。

 分かっていたが、やはり簡単には信じてもらえないか。

 諦めかけたその時、アスマが否と声をあげた。小浪谷を一瞥いちべつして、


「小浪谷さんは嘘ついてなかったよ。……それに」


 やけにキッパリとそう言い切って、アスマはおもむろに手中に残った四本のヒモを引っ張った。安心感に包まれた、ここに来ての奇襲。「ッ!?」遅れて小浪谷は来たる玉砕の衝撃に目と歯を堅く閉じて……


「――嘘ついてたのは、ぼくらの方じゃん」


 そう声がして、うっすら目を開けると、アスマはするするっと六本全てのヒモを片付けて……小浪谷に目の前にヒモ付きの大凶のおみくじを見せつけた。

 肩すかしを食った。ヒモは全てズボンの中に入れられていただけで、タマの周りには最初から一本も結びつけられていなかった。

 「あ~あ」と叶守がつまらなそうに口を開けて、不服そうな目をアスマに向けた。


「なんでバラしちゃいますの?」

「ドッキリなら相手にちゃんとドッキリって伝えるべきでしょ」


 と、アスマは叶守の後ろに回り込むと、肩を押して無理やり教室跡地から押し出していく。


「え〜、隠しとく方が絶対おもし……あ、肩きもちイイ〜……」


 肩を揉み揉まれながら、アスマと叶守は小浪谷を縄で縛ったまま放置してそそくさと校舎から抜け出していった。

 嵐が去り、静けさだけが残る。

 そこにあるのは、ただ、半裸に落書きまみれの自分が正座している風景。

 たったの数分のできごとで、これほどまで屈辱と敗北感を味わうことになるとは。

 ……くそ、あいつら。

 叶守への復讐。爻坂との合流。監督への報告。やるべきことはたくさんあるが、とにかく小浪谷の今するべきことは、


「ッおーい! 物賦もののふ! 起きろオーッ!」


 いまだ気持ちよさそうに寝転んでいる、守護霊の手を借りることだった。



        ◆倫理欠如! 地元じゃ最低――!






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