第二章 徒花の夢⑤



◆◆◆◆◆◆



 ――三年前、誠央学園。


「入学して早々ですが、皆さんには課題があります」


「『他己紹介』。新入生の誰かと友達になって、その子がどんな子なのか紹介してもらいます」


「紹介は明日してもらうので、今日のうちに友達つくっておいてください」


 長かった入学式が終わり、学級開きのロングホームルームで担任の先生から出されたのは、無理難題の課題だった。

 


◆◆◆◆◆◆

















 誠央学園。

 丘の上にそびえ立つこの学園は、豊かな自然に囲まれた環境と町並みを一望できる景色を持つ反面、その内情は決して綺麗ではない。

 そんなことを話半分に聞いていたが、その噂はどこか偏った内容の校歌斉唱をする入学式から真実味を増し、落書きだらけの教室に掲げられた『君たちは洗脳されるな!』のスローガンで現実だと思い知った。

 集まった新入生は顔見知りがほとんどのようで、入学式やホームルームの最中もお構いなしに集団で雑談していた。

 そんな彼らの放課後談笑タイムの邪魔をして友達になりに行くのは、蜂の巣をわざわざ突きに行くようなもので――


「ハハハ。そんでさ、アイツだけ置いてってやってさ」

「……あの、すみません。他己紹介の――」

「ッあぁああ!!? んだテメーはよぉおおお!?」

「っあ!? なんでもないです……」

 

 こんな感じで、結局、誰とも友達どころか知り合いにすらなれないまま、放課後開始から二時間も経ってしまった。


「はぁ……」


 中庭のベンチに座り、諦観のため息を漏らした。

 この学園、不良が多すぎる。

 廊下を歩けば挨拶代わりに肩をぶつけられるし、謎の粉を買わせようとしてくる上級生がいるし、校門にはやたら分厚い本を手渡してくる集団もいる。

 学園を回っていろんな人に話しかけてみたが、仲良くなれそうな人はいなかった。

 生態スキャナーの色分けによって、人々は自身と似通った精神構造を持つ人間と同じ地域で生活している。それ故、無理に迎合せずとも生活を続けるうちに自然に馴染んでいくと沖縄の教官は言っていた。

 しかし、今日を振り返って彼らの行動も会話も心情も馴染めるモノだとは到底思えなかった。

 本当、手違いだ。これからずっと今みたいな暗澹あんたんたる気持ちで過ごすことになるのかと思うと目眩がしてくる。

 どうすればいいんだ、これからの生活。

 ……今日は吉日って出たのに。水晶玉を手にとって問いかける。だが、頭の中の不安がノイズになって何も浮かんでこなかった。


「また、友達なんて作れるのかな……」


 誰にも聞こえないような幽かな声で、ぽつりと呟く。

 なんだか悲しくなって俯いたまま目を閉じる。

 もう全部諦めて、このまま眠りにつこうかと思っていたところ……


「――これはな、頭の良くなる薬やねん!」

「――……無我の境地へ、共に到りましょう」


 やたらトンチキでインチキくさい声が耳に入ってきた。

 遠くから聞こえたため、自分が話しかけられた訳ではない。

 声のした方を見やると、渡り廊下で二人の上級生が新入生の女の子に詰め寄っていた。


「……………………………………」

「たったのこれだけ。だけどこれが効くんですわぁ」

「俗念に惑わされないで、あなたには才能がある……」


 少女が俯いて押し黙っているのに対し、背の高い上級生は錠剤の入ったガラス瓶を見せびらかし、もう一人の背の低いメガネをかけた上級生は抱えた分厚い本の内容を暗唱して説勧ときすすめていた。

 ……うわ、ここでも勧誘してる。

 思わず顔をしかめる。あの明らかに不健全な勧誘は受けたくない。

 この場はさっさと離れた方が良さそうだ。


「いや、怪しいクスリじゃなくてね? ただの頭痛薬なんですわ。ザキナウェイいうて――」

乃公ダイコウ様のに全てを捧げることをワタクシ達は至上の喜びとしており――」

「………………………………………」


 だが、離れようとする意思とは反対に、気がかりで会話を見つめてしまう。

 二人の男が互いを牽制するように大声で講釈をたれる中、少女はずっと沈黙を貫いて立ち尽くしている。

 ……あの子、怖くて動けないのか?

 あの胡散臭さ。すぐに「結構です」と立ち去らない理由は無いはずだ。

 辺りを見回す。中庭には生徒も教師も誰もいない。

 助け舟に入れるのは自分しかいないが、あの二人には関わりたくない。だが、見て見ぬふりをするのも気分が悪い。

 どうするべきかとグズグズして、ふと、ベンチの下に目を落とすと、一輪のタンポポが目に入った。

 これだ、とタンポポを即座に手に取った。


 助ける、助けない、助ける、助けない、助ける、助けない、助ける、助けない、助ける、助けない、助ける―――


 と、花弁を一枚一枚毟り取り……花占いを始めた。

 ぼくは占いを信じている。

 だから、もし最後の一枚が「助ける」場合なら助けにいく覚悟を得られるし、「助けない」場合ならそれが運命だと納得し彼女のことは放っておける。

 

「で脳内回路がさぁ……て、ちょい、話聞いとる君? ずっと黙ってますけど。もしもし? もしもーし」


 黙ったままの少女にイラついてきたのか、クスリのセールスをやっていた上級生の語気がだんだん強くなっていく。


「ちょちょい。うんとかすんとかさぁ? あん?」


 彼は凄みを利かせて少女を睨むと、つま先で彼女の足を小突いた。額には青筋がうっすら浮き出ている。

 もう片方の上級生が自分の世界に入り込んでいる中、二人の間には重い沈黙が降りていた。

 一触即発の空気に胸の動悸が速くなる。花弁をちぎる手が加速する。


「あんま黙ってると~……無理やり口かせるでぇ?」


 上級生が腕を振り上げて拳を握ってみせた。

 それでも少女は俯いて黙っている。彼女が殴られるのは時間の問題だった。

 

 助ける、助けない、助ける、助けない、助ける、助け――


 花弁は残り数枚。あと少しで運命が決まるというところで、ふと、振り上げられた腕の隙間から少女の顔が垣間見えた。

 項垂れて影になった、色あせた目とくちびる。

 その時、の姿が頭の中をよぎった。

 

 ――『自分と同い年……の奴がピンチになってるのを放っとけるかよ』


 あと一枚、花弁を残して、アスマは―――











******











 頭が痛い。

 面倒くさい人たちに絡まれてしまった。

 ただ一言。結構ですと言ってさっさと逃げていればよかったのに。口も足も震えて、無駄にイラつかせてしまった。

 視界が濁っていく。音が遠い。全てがどうでもよくなってきた。

 新天地に来ても、そう簡単に自分が変わるわけじゃない。

 上級生達は餌を待つ鯉のように必死に口をパクパクと動かしているが、何を言っているのかサッパリ聞こえてこない。

 ……いっそのこと、買っちゃおうかな。頭痛薬だって言ってたし、少しはこの痛みも紛らわせるかも。(いくらだっけ?)

 少し顔を上げ、耳を澄ましてみる。すると言葉が洪水のようになだれ込んできた。

 


「てか嬢ちゃんは今どんだけ金あるん? ちょい見せてみ。ぶっちゃけクスリには興味あるやろ? そういう顔してる。いや、これは頭痛薬やけども」

「かつてダイコウ様はコンビニでアルバイトをしていた時、タバコを銘柄で指定してくる客の中指を切断しては仕事終わりにそれで一服していました」

「ふむふむふむ、そこの貴方。何やら奇ッ怪な相をお持ちで……。占いに興味はありませんか? 手相、花札、水晶玉なんでもござれ。初回無料!」



 ……なんか、一人増えてる。

 確か、二人の上級生から勧誘を受けていたはずだが、いつの間にか新しい人が参戦していた。

 見たところ、わたしと同じ新入生。外ハネした明るい茶髪の少年で、手には水晶玉を携えている。

 ここまで黙して放置した以上、今さら逃げ出すのは難しい。場を収めるには、この御三家のうちの誰かの手を取らないといけないわけだが……。


「他にもダイコウ様の武勇伝はこの本にたくさん……。今日はライブもあります。共に感じましょう。ホンモノのオンガクを」

「あ、てかこの後パーティやるんですわ。ジャブジャブパーティ。参加する? あの有名人もお忍びで来るで」

「肝試しだと思って。どうです今から!? 無理に信じる必要はないです。もし凶だったら責任もとります! ね?!」


 よりによって、宗教とクスリと占いの三択。消去法で選ぶしかない。

 だったら、とわたしは新入生の卜占少年に目を向けた。目は三白眼で、耳は福耳でもないし、どちらかといえば幸の薄そうな顔をしていて、雰囲気は胡散臭い。だが、占いの魅力を必死に訴えている様は本気の色が感じ取れる。

 よし、とわたしは意を決して、震える喉から声を絞り出した。

 

「…………ッ……そ、その」


 突然発せられた上ずり声に、三者は驚いて動かしていた口を止めた。


「……う、占いって……面白い?」


 久しぶりに起動したスピーカーのような吃りが渡り廊下に響く。我ながら情けない声色に、顔の熱さを感じながら、わたしは少年の目を見つめた。

 呆気にとられていたのも束の間、彼は喜色の顔で「もちろん」と頷いた。


「やってて楽しい、見てて面白い。そういうのを、ぼくは目指してます」


 少年が一歩こちらに近づいた。


「じゃあ、ここじゃなんですし……」


 そう言うと、少年はわたしの手首を掴み、校舎の方へ進み出した。かなり強引に引っ張られ、危うく転びそうになる。彼もこの場をはやく離れたいのだろうか。

 だが、校舎の入口にたどり着く前に、「おい」と上級生から声が掛けられる。彼の体がビクリと震えた。


「テメー勝手に乱入してよぉ……なに人のを横取りしてんだ? ナメてんのかあん?」


 威圧するような声と眼差し。その迫力に、思わず心臓の鼓動が強くなる。

 汗を滲ませ、少年はごくりと唾を飲むと、もう一人の宗教推しの上級生の方に目を向けた。


「あ、あの……」

「……? なんです? もしや、あなたも我々の同胞に――」


 少年は体を震わせながら、背の高い上級生を指さし……


「この人……ネットでダイコウさんのこと馬鹿にしてました」


 と、まさかの発言を口にした。

 上級生が一瞬、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をする。

 

「ッは、はぁ? 何言ってんだテメー?!」

「……おい、彼の発言は真か?」


 背の低い上級生が、射殺すように眼を鋭くして高い方を問い詰める。その溢れ出る殺意に、先程まで青筋を立てていた上級生の顔が慌てたものになる。


「はっ! な、あんなん嘘に決まっ――」

「ッ嘘じゃないですぅ! ぼく見ました! 君も見たよね!?」


 ――ッえ?!

 少年に突如こちらに話を振られ、思わず固まる。

 ……でも、ここは合わせるしかない。

 わたしは機械のようにぎこちなく頷き、吃りながら一心不乱に声を吐き出した。


「……み、見た! ……つ、ツイックスで、いいい言って、ましたわ!!」


 無論、そんな投稿は一切見たことはない。 

 わたしの口裏合わせに、少年は必死に首を振って肯定した。


「だから、ンなことして――」

「…………ッ!!」


 一瞬にして、渡り廊下に修羅場が広がる。上級生二人が取っ組み合うなか、少年は「今のうち」とわたしの手首を引っ張ると、廊下を抜け近くの階段を駆け上がった。

 一階、二階と上がり続け、三階の踊り場で彼は手を離すと、階段に腰掛けて激しく息をした。


「ハァ……ハァ……ここまでくれば……だいじょぶ……」

 

 わたしも上る途中ですっかり息切れしていた。壁に寄りかかって慌てて調息しつつ、少年の方を見やった。

 汗をぬぐっていた彼はこちらに気づくと、すみませんと申し訳なさそうに頭を掻いた。


「……入学早々……散々ですね」


 そう言って少年は顔をほころばせると、続く言葉もなくうつむいた。

 お互い話を切り出せないまま、しばらく踊り場に沈黙が降りる。

 ……助けてもらったのだ。せめて礼ぐらい。

 わたしから話を切り出そうとしたの束の間、先に彼が「あの」と口を開いた。


「他己紹介の友達、できました?」

「………………たこ?」

「言われませんでした? 明日までに友達つくれって」


 そんなことを言われた覚えはない。わたしが首を横に振ると、少年は首を垂れて、ため息混じりに愚痴を零した。


「そっか〜……。もう、全然吉日じゃないし」


 少年はポケットから水晶玉を取り出すと、不満そうに指先で擦った。

 天然モノなのだろうか。陽の光を反射して淡く彩色を映す様は、沖縄の海を思い出させた。


「…………綺麗だね、その水晶……」

「……! よかったら何か占います? この水晶玉、最近めちゃ調子悪いですけど」


 少年は顔を上げると、興奮気味に腰を上げた。占いをやりたかったのは本当だったのか。

 助けてもらった手前断れないし、彼の占いにも興味が湧いていた。わたしは小さく頷いた。


「……じゃあ、せっかくだし。お願い。……わたし、叶守」


 少年は嬉しそうに顔を綻ばせた。


「よろこんで。ぼくは――」

「――あンのガキ共ォ!! どこいったァアアアアアアア!!!!!」


 少年が二の句を言おうとした瞬間、地ならしのような咆哮が階下から轟き、わたし達の耳をつんざいた。

 聞き覚えのある声……あの背の高い上級生の声だった。よもやあの修羅場から追ってきたのか。

 やばい、と少年は慌てた様子でわたしの手首を再び掴んだ。


「逃げましょう!」

 

 わたしが未だ困惑しているのを尻目に、少年はどんどん階段を駆け上がっていく。

 ……そんな、まだ上るの……。心の中で悲鳴をあげる。

 だが、そのとき不思議と、わたしは頭痛を感じてはいなかった。

 階段を上がり……上がり……わたし達は屋上へと足を運んだ。

 踊り場を抜け、鉄扉を開けて屋上に出る。その日の空は皮肉なほどに青く澄んでいた。



      




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