第五・五章 アタシのしおどき


 幽霊が視えない子どもはいない。どれだけ視力が悪かろうが失明してようが、感じることはできる。例外はない。

 逆に、幽霊が視える大人は僅かにいる。だが、その大半は精神異常者、何らかのシンドロームに罹っている者。例外中の例外だ。

 霊感がなくなるパターンは主に二つ。

 『年齢を重ねるにつれてだんだんと』もしくは『何かのきっかけでコロッと』。

 大半の人は前者のパターンで霊感を失う。十代半ばまでは全盛期、後半から二十代にかけて徐々に霊視ができなくなり、幽霊に憑依されても霊能力が発動できなくなる。もちろん、個人差はあるが。

 マイノリティ……後者の場合、そのきっかけに多いのは『卒業』だ。修了、脱会、転身、青春の終わり……一区切りがついてパタッと霊感が完全になくなる。

 子どもから大人へ。ある意味、霊感の喪失は、ちゃんとレールに沿って人生を歩めたことの証明でもある。

 だから、20歳を超えて霊感バリバリで霊能力まで使える自分アタシは、どこかおかしい存在といえるかもしれない。

 いつからボタンの掛け違いが始まったのか考えると、やはり11歳の頃だ。

 あの頃は、とにかく虫やトカゲを窒息させることにハマっていた。誰にもバレないように、嫌いな生徒や教官の名を付けて海水に浸す。その悪辣なマイブームだけが、表面上は良い子だった自分のストレスのはけ口だったし、メントールの脳汁が出る遊びだった。

 だから、ある日クラスメイトの一人に見られた時は、死活問題の気持ちになった。

 沖縄の同じ養育施設の少年。

 冴えない感じのTシャツで、今まで会話の一つしたことなかった。

 声もあげず、まじまじと見つめてくる彼に、アタシはやけになって「文句ある?」と睨みつけた。

 彼は気にも留めず近づいてくると、隣に立って握りしめていた手を開いてみせた。

 彼の手のひらの中には、半透明の小さなナメクジが這っていた。

 「こいつ、海水に浸したらどうなるかな?」彼は好奇心を抑えられないような、悪童そのものみたいな顔をして訊ねてきた。

 やってみれば、とアタシが言うと、そうこなくちゃとでも言うような顔をして、彼はナメクジを海水に浸した。

 手のひらの中、ナメクジは暴れることもなく溺れると、海に溶けるように体をしぼませて、粒ほどになってやがて波に流されていった。

 その様子を見て、アタシは初めて「死」を目の当たりにした気分になった。今まで、散々いろいろ殺してきたのに。

 ……なんか、命って儚いな。彼がそうポツリと呟いたのに、アタシは心の中で頷いた。

 

 それから、アタシは彼と話すようになった。話を重ねるにつれ、妙に話が噛み合うと、アタシと彼は悪口に花を咲かせる仲になった。音楽の趣味も合った。

 カラーズネットの識別におびえ、良い子でいようと振る舞うクラスメイトの中で、彼の存在は露悪的で清々しかった。やたら怪獣作品を布教してくるのは鬱雑かったが、いつの間にかアタシもハマってしまった。


「……そろそろここも卒業か。ぼく、どこに行くんだろ」


 九州でしょ。性格悪いし。


「お前よりはマシだよ」


 結局、アタシは関東に、彼は九州に行くことになった。

 





******





 荒れ狂う渦の中心で、如月は暴走した怪獣のように制御不可能となっていた。

 ほぼ全ての信者を取り込んだ悪鬼は、千言万語の呪詛を吐き、乱暴の限りを尽くして如月に取り憑いていた。まるで身体の中で嵐が直撃しているようだった。

 海獣の足が大地も文明も、昼に喫茶店で読んでいた漫画の怪獣の如く全てをならしていく。

 望んだはずの景色が目の前にある。高層ビルより高い、超越者のような視点。

 でも、如月の中には満足感も達成感も何もなかった。というか、それどころではなかった。

 如月は何となく、作品の中で怪獣がなぜ暴れるのか理解した。あの子たちが暴れるのは、人間を襲っているわけでも、大地を支配したいからでもなくて……その抑えきれないパワーを暴れさせてしまってるんだ。

 力を振るっているのではなく、力に飲み込まれている。

 痛く痛くて、誰か助けてと咆哮をあげている。殺してくれと腕を振るっている。

 体のどこかの骨が折れた。血が噴き出して、押し潰されて……でも、叫ぶことすらままならない。その代わりに、纏わりつく悪鬼が悲痛な貌で暴れ尽くす。

 光の巨人でも、未来の兵器でも、奇跡でも……何でもいい。救ってほしい。

 だが、そんな祈りは届かない。それが性格の悪い人間にふさわしい末路なのだから。

 項垂れて、全てを受け入れて、暗い海流に飲み込まれるその時。

 閉じかけた目の視界の端の奥で、何かが煌めいた。その極彩色の光は真っ直ぐこちらに飛んできて……嗚呼。自然と、澎湃ほうはいと涙が溢れてきた。

 光彩が溢れかえって、優しくすべてを包み込む。

 ほどかれるように身体から少しずつひとつずつ、黒い瘴気が浸透圧にかかったように抜けていく。自分がどんどん小さくなって、粒になって流されていく感覚。

 気分が軽い、懐かしい声が聞こえる。


 カラーズネットの秘密を暴く――その取り繕った言霊が、恩讐めいた意思が、大層な意義が溶けていく。

 ……そうだ


 アタシはただ、ずっと納得がいかなかったんだ。

 大好きな人と離ればなれになってしまったのが。













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