終章 嘘憑きは――


 握りしめた三つのサイコロを、真下のボウルに向けてパッと放す。

 落下したサイコロはボウルの底で弾け、三者三様バラバラに飛び跳ねた。

 活きのいいサイコロが一つボウルの外に飛び出たものの、残りの二つはボウルの中に身を寄せ合うように収まり、出目でめを白日の下に晒した。

 

 結果は『三』と『四』。合計は『七』。


 導き出された暗示に、アスマは「……うーん」と低く唸りを漏らした。


「……今日釣りは控えた方がいいかもです」

「え〜! 嘘」


 ダンボールデスク越しの爻坂が残念そうに声をあげる。


「三と四は北と南の面で方向がバラバラなんですよ。つまり良いか悪いかの両極端。ただ、サイコロが出ちゃった分、今は『凶』の方に傾きが……」

「救われないのか〜……」

 

 爻坂がガックシと肩を落とし、アスマも楽しみを奪ったようで申し訳ないような気分になる。

 

「ちょいアスマ」


 隣から物申したそうに叶守が横槍を入れてきた。


「誰です? この病みぱっつん」


 叶守に指をさされ、「え?」と爻坂が自分に指をさして小首を傾げた。


「爻坂だけど、覚えてないの?」

「知らぬ」

「……死んでから記憶喪失なんです、叶守。……と、ところで、爻坂さんは何の用事でここに?」


 ここはクスリと暴力と下手くそなロックで溢れる、通称『ハッピーストリート』。

 清い色彩を持った公安霊媒師が用もなく足を運ぶ場所ではない。

 爻坂は「ああ、そうそう」と口を開く。


「監督から叶守ちゃん連れてきてって言われてね」

「ア?」

「まぁ、要は逮捕なんだけど」


 そう言って爻坂は懐から手錠を取り出すと、口角を引いてニッコリと叶守に微笑んだ。

 叶守は虚をつかれつつも、すぐさま爻坂と対峙し「アチョー」と臨戦態勢を取った。

 二人の少女の間で不可視の火花がぶつかり合う。

 叶守のすっかり元通りの腕と腹を眺めていると、あの夜のことが思い返される。

 

 ……数日前、アスマと叶守は海獣を操る如月を霊能力で撃退した。

 アスマは気絶したように眠り、次に目を覚ました時には叶守と二人、廃ビル屋上のコンクリートの上で五体を投げ出していた。

 平和な春の午前、海獣の脅威は消え去り、温かな日差しが満ちる中、アスマと叶守はお互いの顔を見合わせて、今までが『夢』でないことを確認した。

 それから流されるように過ごし、今に至る。

 ただ、如月があれからどうなったのかを頭の片隅に放ったまま。


 叶守と爻坂の小競り合いが続く中、どちらの立場にも立てず、アスマが中腰でオロオロしていたその時……


「――死ねぇええええええええええッ!!」


 物騒な掛け声と共に誰かが勢いよく叶守にドロップキックを食らわした。

 第三者から不意の一撃に、叶守はキレイに吹っ飛ぶと手足を投げ出して倒れ伏す。

 アスマが唖然として目を見張る中、額に青筋を張った第三者――小浪谷は叶守に近づくと、追撃とばかりに蹴りを放つ。


「こんのッ! ゲロ野郎ッ! よくも俺をッ! 辱めてッ! くれたなァッ!?」

「うぐッ! ぼげッ! ごげァッ!!?」


 小浪谷は最後にみぞおちに蹴りを入れると、鼻をフンと鳴らし「これで勘弁してやる」と白目をむきながら泡を吹いて倒れる叶守に吐き捨てた。

 爻坂が小浪谷に声をかける。


「小浪谷、それの為にわざわざ来たの?」

「当然だろ。恨みは必ず返す」

「……そっか。ま、とりあえず助かったよ」


 爻坂は倒れた叶守の両手首に手錠をかけると、肩を掴んで無理やり立たせた。

 すっかり連行体勢に入り、アスマは慌てて待ったをかける。


「じゃ、彼女はひとまず霊園に送るから」

「……ッ! か、叶守は……これからどうなるんですか?」


 動揺するアスマに小浪谷が答える。


「検査受けんだよ。よくて北海道に『霊的資源ゴーストリソース』送りか、最悪除霊だろうな」

「そ、そんなのっ――」

「止める気なら、今から俺とガチバトルだ」


 腰を浮かせたアスマに小浪谷が睨みを効かせて立ちはだかる。

 射すくめられ、萎縮するアスマに「手回しはしてみるよ」と爻坂は声をかけると、叶守を連れてハッピーストリートから抜けていった。

 アスマは青菜に塩をかけたように萎れると、へなへなと腰を落としてうつむいた。


「仕方ねーだろ。ルールなんだから」

「……………そう……すね……」

「…………はぁ」

 

 小浪谷はすっかり意気消沈したアスマを見て後頭部を掻くと、ダンボールデスク上の占い道具に目を向けた。


「お前、占いとか信じてんの?」

「…………そ、そりゃ好きですし。……小浪谷さんはどうです?」

「信じらんねーな」


 小浪谷は突っぱねるように言い切る。

 アスマは項垂れた顔をあげると、サイコロを取って手の中で転がした。

 独り言のようにポツリとつぶやく。


「…………まぁ、エビデンスもないですからね」


 小浪谷が理解に苦しむような顔をアスマに向ける。


「それがわかってて、何でお前は信じられるんだよ」

「だ、だから、占いが好きだからですよ!」

「……はぁ、お前にとって占いはなんなんだよ」


 小浪谷の試すような質問にアスマの身が自然と強ばる。

 以前、同じ質問をここで受けたが、その時は有耶無耶になって答えられなかった。

 アスマは唇を結んで再考する。


「……根拠のないモノに一喜一憂して、そこにたまに気づきとか救いがあって……オカルトとはまた違って……もっと気楽で……こう、インスタント? な……肝試しィみたいな……?」


 アスマはジェスチャーを交えつつ何とか言葉を捻り出そうとするも、快刀乱麻な言葉がパッと思いつかず、悪夢にうなされているような声を漏らす。

 二人の間に沈黙が降り始めたその時――

 


「……………………フィクション」



 視線を落とした小浪谷がポツリと静かに言葉を漏らした。

 アスマはハッとして顔をあげる。


「ッそう! そんな感じです! まさにな響きですね」


 思わず声を荒らげるアスマに、小浪谷は空はずかしそうに顔をそらすと、無愛想に口を開く。


「別に……どうでもいいけどな」


 小浪谷は「じゃ」と軽く別れを告げると、ポケットに手を突っ込んで爻坂の方とは真逆の道に歩を進めた。

 喧騒の中、アスマの周りだけが静寂に包まれる。

 ひとり残され、アスマは所在無さを慰める意を込め、手の中のサイコロを親指に乗せると、空高く弾いた。

 手の甲でキャッチしようと構えるも、着地したサイコロは釣れた直後の魚のように跳ねると、地面を転がって誰かの靴にぶつかった。

 拾い上げられ、出目がアスマに向けられる。結果は『六』だった。


「やあ、アスマ君。今時間ある?」


 声の主――ハカセはサイコロをアスマに投げ渡すと、ニヤリと口の端を持ち上げた。


「ないです」


 アスマはキッパリ告げると、占い道具をサッと片付けてその場を去った。








******








「着いたね」


 ハカセのつぶやきに、アスマは顔を上げて目線の先の巨大な建物を睨んだ。

 SF映画のモニュメントのような白い大きなビルとそれに寄り添うように配置された医療施設の数々。

 その他、広大な敷地内には飲食、雑貨、娯楽など様々な生活に関する施設が立ち並び、小さな街のように発展していた。

 

 ――中央看板パネル曰く、九州エリア『共育省』幼児養護センター。


 ハカセに促されるまま、入口のゲートを抜けて中央の白いビルに歩を進める。

 結局、ハカセの口車に乗せられてここまで来てしまった。

 行き交う人々の溢れ出るハイブローな清潔感とカリスマに、アスマは場違いを感じて縮こまって項垂れる。

 やがて、ビル入り口からエントランスに入ると、途端に甲高い泣き声が上階から響いてきた。


「九州のは元気だねぇ」


 ハナセは微笑みながらつぶやくと、エスカレーターを抜けて奥のエレベーターに足を向けた。

 アスマは黙ってついていきながら、首を上げて吹き抜けの階層に目を配った。子どもの気配をそこら中に感じる。

 幼児養護センターではその名の通り、0歳から6歳までの幼児が暮らしている。

 ここでは九州エリアで産まれた赤子が一堂に会しており、沖縄の児童養育施設入りに向けて準備に勤しんでいる。

 やがて、12歳を超えて卒業生になれば、ここにいる何人かは生態スキャナーから『紫茈バイオレット』と識別され、また沖縄から九州に戻り生活を送ることになる……良くも悪くも。

 変な感慨を覚えながら、アスマはハカセの後に続き、エレベーターで最下層まで直行。

 常夜灯の薄明かりだけが続く、ホラー映画さながらの薄暗い廊下を渡っていく。

 その道中、ハカセは世間話でも振るように口を開いた。


「霊能力を使ったね、アスマ君」


 唐突に正鵠せいこくを射られ、アスマの体がビクッと強ばる。   


「如月が最後に発見された現場には、が落ちてたよ」


 ハカセは白衣のポケットをまさぐると、中の物をアスマに投げ渡してきた。

 受け取って、ついひしゃげた声を漏れす。

 見た目と感触、曇り空のような視界の中でもそれは間違いなくアスマの水晶玉だった。

 だが、きずが一つもない。

 記憶が確かなら、アスマはこの水晶玉を砲弾として使っている。だからこそ、元のまま手元に返ってくることはないと思っていた。

 アスマが返す言葉も思い当たらないまま、ハカセが言葉を重ねる。 


「霊能力を一般人が使うのは犯罪だが、何か弁明はあるかい?」

「…………どうして決めつけるんですか?」


 弱々しく尋ねるアスマに、ハカセは首を向けて端的に返した。


「君がここまでついてきたから」







******






 壁面パネルに触れ、行き止まりに擬態した隔壁を開けると、更に廊下は深部へ繋がる。

 自然と寒気がしてくる。

 奥の見えない暗闇の中、手探りで進むと錆色の鉄扉を壁に発見。

 ノブに手をかけて扉を開けると、下へと伸びる直階段が続いていた。

 何かの機械的な動作音が響くのみ。会話もないまま階段を降りること数分、大きな空間と扉が目の前に現れた。

 上部のカメラがこちらを認識すると、銀行の巨大金庫のような扉は音を立てながら変形し開帳、中身をあらわにした。

 強い光が溢れて、目を瞬かせる。

 やがて、目が慣れると大きな体育館ほどの広さの空間が広がっているのが見えた。

 そこには——


が暴かれてたらと思うとゾッとするね。世間への言い分とまるで違うんだから」


 ドーム状の空間の真ん中に大樹のような巨大な柱がそびえ立っていた。

 枝のように天井にパイプを伸ばし、反対に床には根っこのようにおびただしい数のコードを伸ばしている。

 コードの先は、一つ一つ水槽のような大きなガラス張りのケースに繋がっていた。

 ざっと200。全てのケースは液体で満たされており、配線で繋がれた電極がと連結していた。

 これこそが、カラーズネットの処理演算の核心。

 如月が暴こうとしていた真実だった。

 培養槽の中の瞳を閉じた赤ん坊を見つめ、アスマは気うつした声でハカセに問う。


「…………この子達は……なにをみてるんですか?」

「さぁね、詳しいことは私も。……ただ、君たち子どもに霊感があるように、生まれてすぐの赤ん坊は目蓋の裏でを感じている。……その反応パターンが、カラーズネットの根幹を担っているのさ」


 ハカセはしみじみと赤ん坊たちを眺めた。


「これで脳に影響が出る子もいるんだから、酷いもんだ」

「…………ハカセは、何でぼくをここに?」

「前と同じだよ。またここで、改めて誘うためさ」


 ハカセは言葉を切って、ゆっくりとアスマに顔を向けた。


「私と一緒に公安で世直ししよう。アスマ」


 白衣の名優は、瞳の色も声色も怖いほど変わらない。

 強烈なデジャブがアスマの脳裏を巡る。

 四年前、初めてここに足を踏み入れた時をフラッシュバックした。






◆◆◆◆◆◆




「……な、何なんです? ここ……」

「カラーズネットの土台さ。『その目』を選んだ君は知っておく必要があるだろ?」

「……ッぼ、ぼくは、……負担するって言われて……」

「選んだんだろ? 事前に説明もしたじゃないか」

「……こんなところ連れてきて、何が目的なんですか? ぼくなんかに……何を期待してるんですか?」

「仲間になって欲しいのさ」

「………………………え?」

「初めて君をみた時、確信した。こいつは私の求めていた理想の霊媒師像だって。私と一緒に公安で世直ししよう。アスマ」




◆◆◆◆◆◆






「——と言っても、前は制度の問題で無理だった……が、今は違う。試験的とはいえ、黄金イエロー以外も公安に入れるようになった」


 ハカセが鷹揚に手を広げて、アスマに一歩近づく。

 アスマは深く項垂れて、手のひらの汗をズボンで拭った。


「……やっぱり苦手です。その全部わかってたみたいな感じ。全部、嘘のくせに……」

「嘘というのは油だ。世の中を上手く回すための潤滑油。……だが、だからこそ、一度火がついてしまえば爆発的に燃え上がる。その量が多ければ尚更ね」


 おもむろに顔を上げると、ハカセの冴え冴えと涼しげな目とかち合った。

 右手がスっと差し出される。


「君は『火付け役』だ。今回の件で改めて確信した。今度こそ、手を組もう」


 苦手だと言ったばかりなのに、出てきたのは砂糖菓子のように甘美で麗々しい言霊。

 卑怯だ。

 手を組もうだなんて嘘だ。

 一体、自分のどこに利用価値を感じているんだ。

 アスマは鈍く歯噛みしてハカセの手を睨んだ。


「……やり口が汚いんですよ。叶守を人質に取って……ここに連れてきて……今になって誘って……」

「じゃあ、断る?」


 ハカセがやんわり尋ねる。

 知れず、銃を突きつけられたような感覚がして、目を瞑って逡巡。

 心に問う。

 アスマは視線を真っ直ぐハカセに向け、その手を握った。


「ライセンス目当てです。ぼくはビッグな占い師になる以外、興味ないですから」


 ハカセを一瞬目を震わせると、納得したように口の端を薄く上げた。


「いいね。お互い、夢に浮かれて生きよう」


 寂とした地下室、光の中で二人の道化が影を結んだ。








******








 ノイズと異臭の溢れるシャッター通り。

 カタギとは思えない格好の輩に目を配りながら、小浪谷は散歩がてらのパトロールに足を動かしていく。

 生臭い風が、不躾に頬をかすめた。治安の良くない空気だ。

 閑歩するごとに、この前の闘いの傷と筋肉痛がジーンと響く。監督の助けもあって命拾いしたが、当分、霊能力は使えそうにない。ドロップキックはやめておけば良かった。

 奥に進むにつれ、辺りが静かになっていく。そろそろ折り返し地点だ。

 人通りがなくなり、小浪谷の目の焦点がどこにも合わなくなっていく。

 代わりに、頭の中の無意識の反芻がクリアになっていった。

 リフレインされるのはつい先程の会話。


『お前、占いとか信じてんの?』

『…………そ、そりゃ好きですし。……小浪谷さんはどうです?』


『それがわかってて、何でお前は信じられるんだよ』

『だ、だから、占いが好きだからですよ!』


『……お前にとって占いはなんなんだよ?』

『……根拠のないモノに一喜一憂して、そこにたまに気づきとか救いがあって……オカルトとはまた違って……——』


 小浪谷は首を傾け、眩しい青空に目を細めながら、ありし日を追想する。

 あの前轍を踏むような言葉に、思わず空似してしまった。

 やがてゆるりと首を垂らして、ポケットから右手を出す。いつの間にか中の物を握りしめていた。

 

 胸の前に近づけて、その意匠をしみじみと眺める。

 ……占い師、か。

 小浪谷はポケットの中にお守りを戻し、前を向いて、また歩き始めた。昼の光の中、小さな影法師だけが尾を引いていく。

 通りを抜けると、生臭い匂いから一変、春風の幽香が鼻腔をくすぐった。

 沖縄のカンヒザクラが徒に恋しくなる。

 あれから、五年もの月日が流れたというのに。





        ◆水面下、火種の萌芽は遠からじ……——。



                 【続】








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ゴーストダンス・フラワーロック 山田悪魔 @yugami

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