第二章 徒花の夢⑦


 強ばった肌が、花冷えの夜風に撫でられる。

 夜の誠央学園はどこの棟も明かりが消えている。広大な敷地に反響するのは、郷田とそれに着いていくアスマの足音だけだ。


「「…………………………………」」


 花畑から学園までの道中、二人とも一言も発していない。呼吸するだけで罪に問われそうな静寂の中、アスマは郷田の言葉を頭の中で反芻していた。     

 ――除霊だよ。ついてこい、アスマ。

 本当にいきなりだ。パシリならまだしも除霊なら前もって連絡をよこすだろう。 

 手伝いはあれど、アスマが除霊したことは一度もない。郷田だってそれは分かっているはずなのに。

 不吉な予感だ。今おみくじを引いたら凶か大凶のどちらかだろう。


「……なぁ」旧校舎に入ったところで、郷田が口を開いた。


「三年前、入学式の時、ここの屋上に悪霊が出たよな」


 そう言って階段を上がっていく郷田に、アスマは黙って着いていく。

 たぶん、これは返答を求めていない独り言だ。


「お前は入学早々、悪霊に襲われて大怪我してよ。戻ってきた時にはキモがられて避けられて。……あれからだろ? どもるようになったのも」


 うつむいたまま無言を貫いて、一段ずつ上がる。一階、二階……そして、また一つ階段を上っていく。

 足が重い。

 三階についても歩みを止めず、『立ち入り禁止』の立て札とテープを無視して上にあがる。 

 屋上に続く階段に入った途端、拒絶反応のように体中からベッタリと汗が滲んできた。    

 郷田は階段の踊り場で止まり、こちらに振り返った。


「あの扉の先に虫の息の悪霊がいる」


 そう言って階段の奥の鉄扉を見るように促し――


「俺の銃貸してやる。これで始末しろ」


 おもむろに一丁の拳銃をアスマに差し出してきた。


「あ、あの。ぼく、銃なんて撃ったことないですし除霊だって――」

「うるせぇ! さっさと受け取れ」


 郷田が無理やりアスマの手のひらに拳銃を突っ込む。

 安っぽくて飾り気のない、軽くて頼りがいのない感触。

 不安が加速する中、郷田がムチ打つようにアスマの肩を叩いた。


「いいか。これは、お前のリベンジだ」


 強く肩を押され、前へ促される。抵抗する間もなく階段に一歩突き出された。


「花を持たせてやる。いってこい」


 突き放すような言い方。聞く耳を持つつもりはないらしい。

 アスマは目と口を強く閉じて、寄る辺ない及び腰で鉄扉へと向かっていった。






******






 鉄扉を押し開けた途端、容赦なく風圧がかかってきた。だが、アスマの中で流れる臆病風に比べれば微々たるものだ。

 広々とした旧校舎の最上部は風俗壊乱にも開け放たれており、平時は不行状な生徒のたまり場になっている。

 給水タンクや空調設備の周辺には空の容器、喀痰、残飯、吐瀉物、生ゴミが乱雑し、今朝の雨の水気を含むコンクリートと半液状に混じり合った結果、鼻をつく臭気が醸成されている。しかし、悪臭に顔をしかめている余裕は今のアスマにはなかった。

 アスマがおずおずと歩き出すと、郷田は鉄扉を閉めはしなかったが、塞ぐように前で仁王立ちした。参観なのか門番なのかは知らないが、誰かが居てくれるのは少し心強い。

 数歩歩くと正面奥の鉄柵に大きなズタ袋のようなものが暗闇から見えた。

 あそこに悪霊がいるのだろうか。浮腰のまま、銃を構えて近づいていく。


「……はやくかえりたい」


 えた肌寒い風の中、徐歩じょほする度コンクリートからの冷たい反芻を感じながら、いつ来るかと警戒しながら進み――特に何も起きることなく、ズタ袋の前まで着いた。

 中に何が入っているのか確かめようとした瞬間、横たわった状態のズタ袋から何かが這い出てきた。


「!?」


 それは、壮年の男の頭だった。

 しかし、その顔は無数の傷と痣で埋め尽くされ、二目と見られない有り様だ。

 手負いの男はズタ袋から這うように身を乗り出すと、アスマの顔を見た。


「おま■挧、えか……」男が呪詛のような濁った声を発する。


「……あ、あなたは……」

「カ■ラダ駲駲ァ―――!!」


 男は叫喚をあげながら怒張の勢いでアスマに襲いかかってきた。


「ひっ!」


 飛びかかってきた男に咄嗟に反応し、仰け反りながらも後ろに引いて躱す。男は寸刻までアスマのいた地面に頭から衝突した。

 顔をあげると、数本歯の欠けた口から腹を空かせた獣のようにヨダレを滴らせる。


「ヨコ彁■セ体」


 開いた目は、まともにピントが合っていないのに、もの狂おしくこちらを睨めつけてくる。その様を見て確信した。

 ……悪霊に取り憑かれてる。

 男はヨロヨロ立ち上がると再びアスマに襲いかかる体勢をとった。


「――!」させるものか。アスマは男に銃の照準を合わせる。


「ッ■駲コせェヱ―――――――!!」


 発狂して男が体当たりをしてくる。アスマはトリガーを引いた。

 バンと銃声が響き、発射された弾丸は男の足にみごと命中して動きを封じる――なんてことにはならなかった。

 一回二回三回、トリガーを引いても銃はシグナルに答えず緘黙かんもくを貫いた。


「は……っ!?」


 慌ててバックステップすると、男はつんのめって地面に倒れた。

 後退しながら今度こそと銃撃を試みる。しかし、何度トリガーを引いても銃弾は出てこない。

 なんだよこれ! 郷田に不平を訴えようと後ろを振り向く。


「ち、ちょっ! これ、弾が……ッ」

 

 だが、振り向いて見えたのは、サングラスを掛けた男達が警棒でアスマに殴りかかる瞬間だった。


「ァガッ!」


 いつ詰め寄られていたのか。それを計り知る余地もなくアスマは乱暴におさえつけられた。固いコンクリートに顔面からぶつかる。


「………………な、ん……」

「悪い、アスマ」ぐちゃぐちゃの闇鍋と化した頭に郷田の声が響く。


「これもビジネスだ。その悪霊の次の器になってくれ。…………今朝みたいに半殺しにすんなよ。抑えるだけだ」


 郷田の命令を聞くと、手下達はアスマへの抑圧をやや緩めた。

 だが、衝撃で頭が働かない以上、抗うすべもない。まるで理解が追いつかないまま、嵌められた事実だけが浮き彫りになっていた。


「■■ァ、から蟐だ」


 やがてゆっくり悪霊男は起き上がると、身動きのとれないアスマに近づいてくる。

 それに合わせるように、誰かに首根っこを掴まれ、前へ突き出された。

 脳震盪による幻視か、目の前の悪霊男の姿がノイズかかる。

 やがて、その身体から霧のような黒煙が吐き出され、渦を巻いた。中の悪霊が出てきたようだ。

 

 ……ああ、だ。


 鈍くなった頭の中には、どこか漠然とした諦念があった。

 報復なのか計画なのか、郷田達の意図は計り知れない。けれど、再びということはコレが運命なのかもしれない。

 あの日のことがボケた脳裏によぎる。気力が抜けて四方よもから冷たい闇が迫ってきた。終わりを悟って眼をゆっくり閉じる。


 ……――ッ! ……――ッ!


 その時、コンクリートに面した体に、地面を穿つような地鳴りが響いた。消えかけていた意識の火が踏みこたえる。


 …………?


 なんだこれ。幻聴かと思い耳を澄ますと、砲声のような音が籠もって聞こえた。下の階から、一回、二回と音が近づいてくる。聞いたことのある、その爆音。

 アスマの中で嫌な予感が急速に芽生えてきた。

 その予感的中を促すように、今までで一番大きな音が響くと今度は悪霊の下のコンクリートに小さく亀裂が入った。

 

 …………まずい!


 そこでアスマは察して、手下達に抑えつけられながらも必死にジタバタを繰り出した。

 手のひらを返したような暴れように、緩んだ組み伏せから右腕が解放される。握りしめた拳銃を手当り次第に振り回し、無理やりにでも身をひねって防御の体勢を取った。

 次の瞬間。


 ドカーン!!! と前方の屋上のコンクリートが爆発と共に爆ぜた。


「ッグ■彁ぁ―――!!」


 爆発の中心にいた悪霊は、ピンポイントで爆散。近くにいた手下達も爆風の煽りを受けて鉄柵の方へ吹っ飛んでいった。

 アスマは体を転がしながらも、何とか受け身を取って倒れ込む。

 諸悪の根源は爆発で空いた穴からサッと飛び出ると華麗に着地し、濛濛もうもうたる粉塵の中、マスコットバットを片手にその姿を現した。

 

「どうやら、危機一髪だったようですわね」


 他の誰でもない、叶守は仰向けで伸びたアスマを確認するとピースサインを向けてきた。

 早すぎる衝撃の再会と彼女のマイペースっぷりに、アスマは「……おかげさまで」と嗄れた声を絞り出すことしか出来なかった。


「…………てめぇ」


 郷田が憎悪を込めて叶守を睨む。爆風の影響も届いておらず、鉄扉の前で仁王立ちを貫いていた。

 叶守が睨み返してバットの先端を郷田に向ける。


「有言実行。言いましたよね、危害を及ぼしたら潰すって」


「フンッ」郷田がバカにしたように鼻を鳴らした。


「昼ん時といい、またこんな所まで来てよぉ〜……。恩返しも大変だなぁ?」


 郷田が懐から警棒を取り出して一歩前へ踏み出した。殺気が夜の空気から伝わってくるような、嵐の前の静けさが辺りに満ちる。進言する隙間さえ無い。


あだで返す方が性に合ってるのは……」


 叶守は腰を屈めてバットを低く構える。

 波乱の予兆か、月が雲に隠れて暗影が差す。彼女は緩急をつけて、仇敵の姿を射抜いた。


「認めますわ!」


 勢いよく地を蹴って、叶守は砲弾のような速度で郷田に向かって飛んでいく。決戦の火蓋が切って落とされた。

 ……いつまでも伸びてる場合じゃない。

 そう自分に言い聞かせ、手足を震わせながらも、アスマは起き上がる体勢を取った。






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