第四章 スキャンマン・スキャットマン⑦




◆◆◆◆◆◆



 義眼を解放した視界。

 そこに人が映るとき、アスマは『光の生命線』をみる。

 光の生命線は、当人のこころの機微によって伸びだり縮んだり、真っ直ぐになったり曲がったり、増えたり消えたりする。その動きから、アスマは相手の行動や心情を何とはなしに読み取ることができる。

 ハカセいわく、生態スキャナーを眼窩に入れたとして、その視界を読み取れるかは別らしい。

 大事なのはあくまで本人の感覚だそうで、アスマは占い師としての勘があるからこそ、正確に捉えられているらしい。

 この、人間の眼窩に生態スキャナーを埋め込む『スキャンマンプロジェクト』はもう何年も前の遺物だ。

 せっかくスキャナーを埋め込んだのに、まるで稼働させられなかった人が大勢いて、計画自体がご破算した。 

 そして今、スキャンマンと呼ばれる人間生態スキャナーはアスマ含めほとんどおらず、その中でも子どもはアスマだけだった。



◆◆◆◆◆◆






「――『栄枯盛衰』!」


 小浪谷が掛け声の媒介と共に、倉庫の屋根を疾走する。

 アスマは振り落とされないよう、必死に小浪谷の背中にしがみついていた。

 だが、決して如月を視界からは外さない。光の生命線が揺らめいたのを確認し、「小浪谷さんッ」と体を叩いて合図を送る。

 如月が錠剤を飲み、腕を振るって塩の鞭を振るうも小浪谷は既に躱す体勢を取っていた。猛然と距離を詰める小浪谷に、如月が徐々に圧されていく。

 続く二の矢、三の矢もアスマの合図で事前にかわすと、小浪谷は屋根を駆け上がり、ついに如月に肉薄して音叉の剣を振るった。

 倉庫内から塩を突き出し、防護壁としてガードするも、勢いを殺しきれず如月は斜め下方に吹っ飛ぶ。

 如月はきれいな受け身を取れず、地面に激しく叩きつけられると二転三転バウンドし、衝撃に苦痛する。背後の悪霊も呼応するように金切り声をあげた。

 倒したか! と思ったのも束の間、如月は体をもぞりと動かし、地面に手のひらを付けながらも立ち上がる。

 小浪谷はサッと屋根から飛び降りると、背筋を勢いよく伸ばし、アスマを無理やり剥がした。

 思わず尻餅をついて、アスマが抗議の声をあげる。


「な、何するんですか!」

「お前がいると、あのクズを人質にとられる。……その辺に隠れてろ」


 小浪谷は如月をまっすぐ見据えて歩を進める。だが、その足取りはどこかおぼつかない。 

 その様を見て、如月は虫の息ながらもニヒルな苦笑を浮かべた。

 

「まったく……辛いね、お互い」

「……なら、とっとと降参しろよ」


 そこでアスマは、はたと察した。

 塩分欠如……あの熱中症のような症状が小浪谷にも襲いかかっていた。

 頃合を探り合い、言葉もなく反目し合う小浪谷と如月。

 あまりの緊張感にアスマがゴクリと唾を飲み込んだ瞬間……小浪谷がスタートダッシュを決め、同時に如月は錠剤を口に運んだ。

 音速に迫る勢いで突き進む小浪谷に対し、如月は真っ向から立ち向かうと腕を払って塩の斬撃を飛ばす。

 猪突猛進の小浪谷と自由自在の如月。

 曲芸めいた二人の激しい攻防が始まった。

 アスマが介入する余地は悔しいが一分足りとも無い。

 ふと、アスマはなんとはなしに倉庫の出入口の方を見て、ハッとした。

 倉庫の中から、夜風に吹かれるようにチリチリと塩が飛散していた。その行き先はもちろん如月の方。

 アスマは、倉庫内に入ると床に落ちたライトを拾って点灯。塩の出どころを探すと口の開いた業務用の大型の袋が目に入る。

 アスマは、袋を引っ掴むと口を閉め、抱え込む。『敵に塩を送る』なんて絶対にさせない。

 だが、倉庫内には他にも袋、家具の中、ダンボール……塩を閉まっておける場所は大量にあった。開かれた口を片っ端から閉じて回るものの、防ぎ切るにも限度がある。


「どこもかしこも……」


 せめてどこかに閉まっておけないかと、ライトで倉庫内を照らす。

 その最中、アスマは隅の方の床に敷かれたブルーシートに意味深な窪みを見つけた。

 穴が空いてる……?

 アスマは妙に気になって周りの家具を全部退かすと、ブルーシートを剥せるようにした。

 その時、アスマの鼻腔に懐かしいような匂いが飛来した。

 沖縄にいた頃、よく嗅いでいた匂い。


『……海の匂いがする』


 この倉庫に初めて突入した時、叶守がポツリと呟いたセリフ。恐らくこのブルーシートの下がその匂いの発生源だ。

 アスマはブルーシートの端を手に取り、一息に引き剥がした。

 瞬間、そう言えば……と先ほどの叶守の『海の匂い』発言の後の出来事が脳裏によぎる。アスマの目の前には悪霊が現れていた。


「――ッ!?」


 ブルーシートの中、隠された穴に収まっていたのは……


「……郷田さん」


 その悲惨な有様に、アスマは瞠目して凍りつく。

 皮膚は乾ききって枯れ枝のように色褪せ、萎んだ眼球や唇は苦悶を表しているように歪んでいた。

 生前とは打って変わって悄然そのものといった死体。だが、間違いなくそれは塩漬けにされた郷田の姿だった。

 アスマは項垂れて下唇を噛む。

 さんざん便利に使われ、殺されそうにもなった。正真正銘最低最悪の男だったが、アスマのことを友達と言ったのは、今の今まで郷田しかいなかった。

 寂寞とした恨みに苛まれながら目を配ると、着込んだスーツの胸に膨らみを発見。

 これは……!

 手を伸ばして胸の内ポケットをまさぐると、古い皮の感覚。

 アスマは思い当たって取り出す。

 ……出てきたのは、間違いなく叶守の手帳だった。読みは当たっていたのだ。


「……これは返してもらいますよ」


 アスマは郷田を一瞥し、ナシのつぶてと分かりながらも静かにつぶやく。

 もし生きてたら何を答えたか。アスマには一字一句わかる気がした。

 気を取り直し、振り返って外の様子を確認しようとした矢先――


「――おい、アスマッ!」


 小浪谷の声が聞こえ、慌てて振り向くと、何かの影が残像の軌跡を残しながらアスマの方へ飛び込んできていた。

 パッと見開いて目をこらすと、それは叶守の姿だった。

 アスマは即座に体勢を取り、叶守を体全体で迎え入れる。衝撃で思わず派手に尻もちをつくも、何とかキャッチには成功。

 叶守の顔を覗き込むと、不安そうな表情で瞳を閉じている。悪夢にでもうなされているのか、未だ気絶しているようだった。

 アスマは手帳をポケットにしまい、片腕のない叶守を何とかおぶると、倉庫の外に飛び出す。

 小浪谷と如月は依然、戦闘を続けたままだった。

 塩の斬撃と剣戟を交しながらも、小浪谷はこちらに一瞥を寄越す。


「そいつ連れて、監督んとこ逃げろ!」

「ッ……で、でも、小浪谷さんは!?」

「るせぇ! テメーの最優先考えろ! 邪魔だ早く去ね!」


 小浪谷は背中越しに拒絶を訴えながら、如月との距離を詰めていた。

 一部の隙もない命のやり取りをしながらも、叶守を救い出し、アスマに投げ渡す。

 その行動にどれだけの尽力があったのか、アスマには計り知れない。


「……ありがとう、小浪谷さん」


 アスマは心からの感謝を背中に告げ、林の方を向くと如月のいる方面を迂回し、木々の闇の中をがむしゃらに駆け出した。

 叶守の重さの分すぐに息が切れ、唾液を飲む余裕もなく口元から垂れっぱなしになる。

 胸の痛みと足が限界を迎え、何度も躓きそうになりながら林の中を駆け抜け、アスマは指揮車両の停止位置まで戻ってきた。

 ……だが――


「……………………ハカセ?」


 指揮車両はもちろん、肝心のハカセの姿もそこには跡形もなかった。

 場所を間違えたかと思い、辺りを見回すもここで間違いない。

 緊急事態……ハカセの身に何かあったのだろうか?

 アスマは数秒逡巡して、指揮車両の元来た道を道なりに進むことにした。

 最優先事項。

 とにかく叶守を安全な場所へ。






******






 音速で塩の弾丸が撃ち出され、キィンという鋭い音が耳朶を叩き、頬を擦過。

 続く上からの槍をステップでかわすと、地を蹴って如月に接敵し、剣を薙ぎ払う。

 だが、直撃の直前、塩が剣を包み込むように遮ってダメージを軽減。

 如月は後ろに吹っ飛んでたたらを踏むも、すぐに体勢を立て直す。

 クソッ……またか……。

 小浪谷は歯噛みして一呼吸おく。

 一筋の傷からツーっと血が垂れ、灼熱感のある痛みに眉を曇らせる。

 傷口に塩どころか、塩そのものが体を傷つけているのだから笑えない。

 肩口、脇腹、足首……小浪谷の体は確実に傷を増やしていた。

 塩分欠如によるめまいも限界に近い、数秒目を閉じればすぐに意識を失えそうだ。

 一方、如月は確実にダメージは受けつつも致命傷は負わず、青息吐息ながらどこか余裕がある。


「……なに、もう限界?」


 向かってこない小浪谷に対し、如月が煽りを入れる。

 小浪谷はフンと鼻を鳴らした。


「ガス欠狙いなら、俺はそのクスリが切れるまで戦ってやる」


 剣を構え、眼光をぎらぎらと如月向ける。


「そしたら、最後に泣くのはアンタだ」


 如月は一瞬目を丸くすると、やがて億劫そうに自分の肩をさすり、射抜くような目を小浪谷に向けた。


「……お互いもう顕界。なら、もうケリをつけようか」


 如月はまた錠剤を口に含むと腰を落とし、手のひらを地面に付けた。

 何事かと構えた矢先、如月の周りを舞っていた塩が浸透するように丘を蚕食していった。

 如月が目を見開くと同時に地面が揺れ、小浪谷がたたらを踏んだのも束の間、土の塊が膨れるといくつも宙に浮いた。

 小浪谷は歯を食いしばり、覚悟を決める。

 如月の言う通りだ。今、ここでケリをつけなければ後は無い。

 小浪谷はエネルギーを補充するように肺の中を空気で満たす。

 木々が風に笑って、雲の合間に月が光る。


「ァアアアアア――ッ!」


 先に動いたのは如月だった。

 激しい演奏の指揮者のように両腕を振るって、土塊を砲丸のように飛ばし、集中砲火。

 小浪谷は腹を括り、倒れる寸前まで前傾姿勢を取って前身。かわす振る舞いも見せず、死地に身を踊り出す。

 如月は目を見開き、焦ったのか自らの体を土壌の鎧で覆い、攻防一体の構えをとる。

 相打ち覚悟……ここに、全てをかける!


「――『一石二鳥』『三寒四温』『五臓六腑』『七転八倒』『九分九厘』ッ!!」


 六感全てが抜き身出し、心拍が爆発的に膨張、疾走感と全脳感が身体中を駆け巡る。沸騰しそうなほど血流が加速する。

 迫り来る土塊の砲弾を次々とうち払い、如月に突進。一手ごとにスパークするよう、身体が黄金色の光源と化す。

 一瞬で間合いに入り、驚愕する如月に容赦なく土塊ごとアッパーカット。

 逃げ場のない空中を舞う如月に、小浪谷は地面を踏み鳴らして跳躍。回転しながら如月の上まで身を踊り出した。

 夜空を背景に燦然と輝く小浪谷に、如月は眩しそうに、諦めたように目を細める。

 断切音叉の柄が、断固として握り締められた。

 

「――『百花繚乱・千変万化』ッ!!!」


 袈裟斬りの要領で放たれた天誅の一撃は、土塊と同化した如月を破滅的に打ち落とすと地面を大きく陥没させ、土煙と颶風を同時に木々の中に木霊させた。

 力を使い果たした小浪谷は、羽を失った鳥のように落下すると、潰れたように背中を地面にぶつけた。

 肺から全ての空気が絞り出され、痛烈に目を見開く。

 クソッ……いってぇ……。

 それでも、まだ意識があることに、自分でもびっくりした。

 夜空を仰ぎ見て、星を眺める。

 弱々しくも自然と笑みが浮かんだ。勝利の美酒で掛けられたい気分だ。

 小浪谷は、最後に気を失う前にと、如月の容態を確認しようと横目を向け……


「…………は?」


 思わず嗄れた声を漏らした。

 信じられない光源が霞んだ視界に映る。

 如月はまだ動いていた。瀕死の虫のようではあるが、地面を這って、どこかに向かっていた。

 如月は驚愕する小浪谷に気づいたのか、這いずりながらも口を開いた。


「……君、強いね……あの女の子ぐらいと思って……マジ……痛手だよ。………………でも、これで仕上げに……邪魔は入らない」


 さらに小浪谷はあらぬ事に目をむく。如月は蹲りながらも立ち上がったのだ。全身の骨が折れてもおかしくない、小浪谷の全身全霊の攻撃を食らっておきながら。

 なんたるバイタリティ。なんたる執念。

 瀕死による幻視を小浪谷は本気で疑った。


「……な、なん……で?」

「カラーズネットの秘密は、盛大に暴かないと……意味が無い」

「ッアンタ……何を?」


 如月は丘の側面、川の突端まで歩を進めると、「最後に一つ」と小浪谷の方に振り返った。

 如月は早朝の弱い日差しのような笑みを浮かべ……


「――


 そう言い残し、背面からおもむろに流れの早い川に身を投げた。

 小浪谷は身動きもとれず、唖然としてその気狂い沙汰を見守った。

 一瞬遅れ、コールが響くとヘッドセットから声が耳に届いた。


『小浪谷くん! 無事か?』

「……生きては……ます」

『よし。如月はどうした? 捕らえたか!?』

「……な、なにか……?」

。恐らくは……――』


 ヘッドセット越しに監督の必死な声が伝わってくる。

 だが、もう限界だ……何を言ってるのか上手く聞き取れない。

 まぶたが重い。目が自動的に閉じていく。


「………………ス……マ……――」


 小浪谷の意識は、瞬く間に暗闇の中に溶け込んでいった。



           ◆海の匂い、泥沼の悪夢がはじまる――。




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