第三章 悪霊か活霊か③


 アスマは如月の案内で、先ほどの商店街から少し離れた喫茶店に入っていた。表通りの看板曰く店名は『セレンディピティ』。何だか縁起が良さそうな名前だった。

 古めかしい店内には、BGMのジャズと食器を鳴らすフォークの音だけが空しく響いていた。


「……思ったより食べるじゃん、君」

「え?」


 不意に如月からの声が耳に入り、せわしなくフォークを動かしていた手を止める。テーブルの隅には、いつの間にか空の皿が大量に重ねられていた。


「あ、っ! ひ人のお金で食べれると思ったら、つい……」

「しかもすごい偏食。パスタしか食べてないよ?」

「えっ……あ」


 そこで初めて食いかけのパスタの存在が目に入った。

 如月に好きに注文していいと言われてからの記憶がない。どうやらパスタだけを一心不乱に貪っていたらしい。口の中に既に味わい尽くしたトマトの風味が広がっていた。

 一言も話さずに食べ慣れた料理だけ食べていた自分に急に恥ずかしくなる。如月が自分の料理を食べ終え、本を読んでいたのにも今になって気がついた。


「あ……本読むの、す、好きなんですか?」


 如月が本を読みながら頷いた。数少ない趣味の一つだと。


「まあ、これはマンガだけどね。ちょっと読む?」


 如月が本を閉じてアスマに差し出した。受け取ると、カバーを外した装丁には『〜ギガントス襲来!〜』という文字と巨大な怪獣のイラストが描かれていた。

 受け取って軽く目を通す。


「いいよね〜。巨大な怪獣が街も文明も全部ぶっ壊してくの」

「……実際現れたら怖いですよ。人類の“天中殺”って感じがして」

「ま、実際はね?」


 如月は口角を緩く持ち上げて微笑むと、眉をピクリと動かしカウンターの方へ視線を向けた。

 

『――カラーズネットシステムとは』


 視線の先にはテレビが一台置かれており、映像の音声が小さく響いていた。いつの間にか電源が入っていたらしい。


『一千万を誇る監視カメラネットワーク。北海道、沖縄を除いた全エリア各地に設置されたコンピューターによる並列分散処理を行い、構築された生体認証データベースによる照合は、一秒も掛からず対象を認識、行動を予測します。現在も増設は続いており、特に関東では生態スキャナーの――』


「……カラーズネット」


 如月が映像を眺めながらぼんやりと呟いた。


「あちこちサーバーあるんだ。まあ、そうでもしないと処理できないんだろうね」

「……………………」

「アスマはさ、カラーズネットのことぶっちゃけどう思ってる?」

「ど、どう?」

「賛成? 反対? 便利とか差別的とか人によって意見違うけど」

「…………ぼ、ぼくは」


 突然の問いに思わず口ごもる。アスマはうなだれて振り絞るように言葉を発した。


「……ぼくにはずっとわかんないです。何が正しいとか間違ってるとか……」

「意味深ぼだね〜アスマは。まあ、ただの世間話だし、掘り下げる意味もないけど」

「す、すみません……」


 そこで二人の間に沈黙が降りた。だが、申し訳なさからムズムズして落ち着かない。しばらくテレビの音声とBGMだけが響いて、先に如月が口を開いた。


「ねえ、ここ奢る代わりにさ、もうちょっとアタシに付き合ってくんない?」

「そ、それは全然いいですけど、どこに?」


 アスマの問いに、如月が笑みだけを返した。どうやら、ついてからのお楽しみらしい。






******







「ついたついた」


 喫茶店から飛び出し、如月の案内で向かった先はオンボロな雑居ビルだった。

 四、五階建てのビルで、胡散臭い感じのテナントがズラリと並んでいる。

 如月はアスマをうながし、地下に続く階段を降りていく。薄暗くてジメジメとした、いかにもなアンダーグラウンドへの入口。壁面は至るところにある落書きやポスターで過密状態になっている。

 奥までいくと扉があり、看板には『華族教 オンガクを愛する者の会』と記されていた。

 如月が扉を開け、アスマも中に入る。

 目に入ってきたのは想像よりも広くて黒い空間、沢山の人。そこはバーカウンター、防音材、骨組みの目立つ照明設備、ステージ、そして音響機器が目立つ……どう見てもライブハウスだった。


「どうもで〜す。遊びに来た〜」


 目算五十人以上の人間がごった返す中、如月が誰ともなく緩く挨拶した。これだけの人数だ、すぐに埋もれてしまうと思ったが、会場にいた人々は一斉に如月の方を振り向くと……


「ええ!?」「待って、震える」「嘘でしょ?」「やったー!」「如月さん……」「まじ?」「よっしゃああああ!」「フン……」


 歓喜の声をあげ、如月のもとに集まってきた。皆一様に頭にをつけた彼らは、矢継ぎ早に彼女に話しかけ始めた。眼中にないのか、アスマには一言も一瞥いちべつもくれない。

 如月は適当に対応しつつ、呆然とするアスマに声をかけた。


「見ての通り、アタシここでアイドルやってんだ。この後ステージにも上がるからさ、それまでアスマはテキトーやっといて」

「テキトーって……ぼくはどうすれば――」


 如月は軽く手を降ると、それ以上なにも応えず集団を引き連れてステージ奥まで引っ込んでしまった。


「え、ええ……」


 気づけばアスマは入口付近で一人ぽつねんと立ち尽くしてた。

 なんなんだ色々。

 とりあえず如月の人気が凄まじいことだけはわかった。ステージにも上がると言っていたが、実は彼女はここらで有名なミュージシャンなのだろうか。だとしたらライブが楽しみだが、始まるまでいかんせん暇だ。


「独り占いでもするか……」


 手近な椅子に座り、占い道具を取り出す。自分で自分のことを占う『独り占い』は、暇つぶしには最適だ。心寂しい時に重宝する。

 こんなに人がいるのに、誰もいない公園のベンチに一人で座ってるような気分だった。

 ふと、思い至る。……今、叶守がいたら何の話をしたんだろう。

 占いの最中、誰かの声が耳に入った。


「……へー。監督から聞いてたけど、本当に占い好きなんだ」

「はい、ぼくにとっては人生そのもので……えっ」


 自然と声の方に振り向くと、カジュアルなストライプシャツを着た少女と目が合った。

 あれ、この人は……。

 初見の喪服姿と印象が違って一瞬誰だかわからなかったが、目の下のクマを見て、記憶にある顔と重なった。

 確か名前は……


「……あ、こ、こうさか? さん」

「そう、爻坂さん。なんか色々あったけど……まいっか、元気そうでなにより」


 爻坂はアスマの体を上から下まで眺めるとうんうんと満足そうに頷いた。

 爻坂は椅子を持ってきて隣に座ると、よもやま話として、改めて自己紹介とあの日の出来事を語り始めた。色々と話を聞いた中、彼女が釣りとお笑いが好きなのは意外だったが、特に気になった話題は郷田が行方不明になっていることだった。

 アスマがお返しに自分の身の上話をすると、爻坂は微妙な顔で頬を指先で掻いて話を切り出した。


「……それで、その、ちなみにアスマくんは、ここがどういう所かわかって来てる?」


 言葉を濁すような言い方で意図のわからない質問を投げられ、アスマは小首を傾げる。

 どういう所って、ここはどう見ても……


「え、ライブハウス……ですよね?」


 爻坂は首を横に振ると、声量を抑えてアスマに耳打ちした。


「ここ、反社会コミュニティの宗教施設だよ」








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