第四章 スキャンマン・スキャットマン⑤


 最初に聞こえてきたのは、ボリボリ……と何かを噛み砕く咀嚼音だった。

 目蓋の裏に暖かい光が満ちる。口の中で舌を動かし、徐々に意識を覚醒させていく。

 心地よくてあたたかい。手足に嫌な違和感もない。

 アスマはゆっくりと目を開け、頭上の青白い天井を細目で睨みつけた。

 ……病院?

 重い上半身を億劫ながら起こすと、やはり自分はベッドで眠っていた。

 なぜか舌先にピリッとくる匂いがする。

 ボケっとした眠気まなこに誰かの顔が映りこんだ。


「ん〜、早起きだね、アスマくん」


 爻坂は辛そうな粉末で真っ赤に染った……せんべいを口運びながら、おはようと挨拶をした。


「……爻坂さん……なに食べてるんです?」

「ん?」


 と、爻坂は膝に抱えたせんべいの袋を見ると、慌てたようにベッドの下に隠した。

 口元を拭ってせんべいのカスを払うと、すまし顔をアスマに向けた。


「別に? ……アスマくんは調子どう?」


 何か突っ込んだ方がいいかとも思ったが、どう言えばいいか頭が働かない。

 せんべいの件は無視し、体をペタペタと触ると顔に包帯の感触があった。


「……思ったよりは元気です」

「ん、それは良かった」


 満足そうに爻坂が笑って、アスマも反射的に微笑み返す。

 だが、少しの沈黙の後、アスマは真剣な目で爻坂を見つめ「爻坂さん」と口を開いた。


「叶守は……どこですか?」


 アスマの質問に爻坂は申し訳なさそうにうつむいた。


「……ごめん。私が助けられたのはアスマくんだけ」

「……………………そうですか」


 アスマと爻坂は二人して目を落とす。

 重さの増した静寂。

 時計の針の音だけが響く止まった時間の中、「あの」と先に口を開いたのはアスマだった。


「ひ、ひとつ……聞いていいいですか?」


 爻坂が静かに首肯する。


「……爻坂さんはなんで公安に入ったんですか?」

「え?」


 唐突な質問に爻坂が目を丸くする。

 でも、これはアスマが前々から聞いておきたかったことだ。質問を続ける。


「今日だって……過酷な仕事なのに。世のため人のためですか? あ、悪霊に恨みがあるとか?」

「……うーん」


 爻坂は腕を組んで目を閉じた。


「確かに、そういう人は多いけど……私はぜんぜん違う」

「……な、なら……なんで?」


 爻坂は言おうか言うまいか頭を捻らせると、やがて観念したように口を開いた。


「……許可証ライセンス


 飛び出した予想外の応えに、アスマは思わず「え?」と口を開けていた


「公安って、辛いしめんどいけど、若いウチからボーダー無視して全エリアに行ける唯一の仕事なんだよね~」


 ほらこれ、と爻坂は手帳を取り出すと、中に入った証明写真入のカード――公安ライセンスをアスマに見せてくれた。


「これが欲しくて欲しくて……なっちゃったのよ」


 アスマは正直、驚いた。一番繁栄している関東エリアの住人が、他のエリアに行ってみたいからライセンス目当てで公安霊媒師になるなんて……。


「そ、その、なって後悔……したりしました?」

「う~ん……。おかげでいい釣りスポットたくさん見つかったし、色んな人からチヤホヤされる……から、まぁ、なって良かったって思うよ」


 失敗ばっかだけどね。と爻坂ははにかんで笑った。

 そういうのも……ありなのか。

 アスマはうつむいてベッドの下で人知れず拳を握った。

 その時、ガラガラと勢いよく扉が開かれた。反射的に振り返ると、仏頂面の小浪谷の姿がそこにあった。

 小浪谷はこちらのベッドまで歩み寄ると……


「ッ!」

「ひっ!?」


 これみよがしなしかめっ面と舌打ちをアスマに浴びせた。

 フンと鼻を鳴らし、爻坂に視線を投げる。


「……生きてたか」

「どうも。てっきりなじられると思った」


 小浪谷が隣に立つと、爻坂はベッドの下からせんべいの袋を取り出した。


「これ食べる? 辛いけど」

「……ケツの穴裏返るからいい」


 爻坂は「つれないね……」と残念そうな顔でせんべいの袋をアスマに手渡した。

 試しに中から一枚取り出して口に放ると、咀嚼一回目から口の中が一気に灼熱地獄と化し、アスマは猛烈に咳き込んだ。

 それに触発されたのか、小浪谷は軽く咳をすると爻坂に真剣な顔を向けた。


「俺はこれから奴の倉庫に向かう」

「……強いよ、めっちゃ」

「報告は受けてる。……かたきはとる」

「そっか、頑張れ」


 小浪谷は静かに頷くと軽く手をあげて、病室の出入口に足を向けた。

 ポケットに手を突っ込んで歩いていく。

 遠のいていくその背にアスマは待ったの手を伸ばした。


「小浪谷さん!」

 

 名を呼ばれ、ビタッと小浪谷の歩みが止まる。

 アスマはベッドから無理やり身を乗り出し、転げ落ちそうになりながらも駆け寄った。


ぼくも連れてってください!」

「……は?」


 小浪谷が心底呆れたような顔で振り向く。


「寝言は寝てから言え」


 小浪谷は素っ気なくあしらうと病室から出ていく。アスマも後に続いた。その背後で爻坂がいってらっしゃいと手を振った。

 リノリウムの廊下に声が響き渡る。


「叶守がとにかくヤバいんです! 腕が!」

「知るかあんなクズ。引っ込んでろ」

「お願いです! 邪魔はしません!」

「今まさにしてんだろ」

「……! ……! ……!」

「うるせぇ!」


 小浪谷の喝破がアスマの耳朶を強く叩いた。

 数秒の沈黙。

 小浪谷はため息をつくと、アスマの目をしめやかに見つめた。


「……あのクズは連れ戻してやる。お前は寝てろよ」

「それじゃダメです! ぼくが行かないと!」


 それでも、食ってかかるアスマに小浪谷が苛立って歯を食いしばった。


「ッお前に何ができんだよ!」


 小浪谷の怒号がするどく反響する。

 アスマは臆さず意を決して小浪谷の肩を掴んで顔を近づけると……


ぼくの目を見てください」


        ――◇――


 アスマの左目の虹彩に幾何学的なひし形の模様が刻まれ、薄暗い廊下にかそけし光が灯る。小浪谷は魅入られるように瞠目して絶句していた。

 

「普通、生態スキャナーは被憑依者を捉えられません。……でも、ぼくは違う。肉眼と義眼、併用すれば霊能力の動きだってみえる。……今、試してもいいですよ」

「……お、お前…………――ッ!」


 小浪谷はドンとアスマを突き飛ばし、いやいやとかぶりを振った。


「……だからって一般人連れてくわけには――」

「だったら、ハカ……はしけさんに会わせて下さい。たぶん良いって言うはずです」


 小浪谷は「なんでその人を知ってる?」と言いたげな目をすると、首を振って再び廊下に向き直った。


「……あの人が、許可するとは思えないけどな」





******






「いいよ」

「なッ――!?」


 指揮車両の中、ハカセがアスマの同行を軽く了承すると、小浪谷が吃驚と乾いた声をあげた。


「やっぱアスマ君を動かすのは叶守ちゃんなんだね」

「……御託はいいですから、早く行ってください」


 揶揄うようなハカセの声に、アスマは思わずムッとしてぶっきらぼうに返す。

 やれやれと言いたげな顔でハカセは病院前から車を出すと、猛スピードで走らせた。


「ち、ちょっと……! 待ってください!」


 後方座席から小浪谷の慌てた声が耳に届く。


「マジで連れてくんですか? 民霊でもない一般人なのに?」

「一般人一般人って……。アイドルですか小浪谷さん」

「うるせぇ! ……庇いきれませんよ、俺」


 鬱屈した小浪谷に、ハカセはミラー越しにからっとした笑みを返した。


「アスマくんはあくまでサポートだけさ。君はむしろ自分の心配をした方がいい。敵討ちなんだろ?」


 小浪谷はぐっと何かを飲み込むように数秒押し黙ると、抗議を諦め目をつぶって瞑想に耽り始めた。

 チャンスだと思い、アスマは質問攻めを開始する。


「……そ、そもそも如月さんってまだあの倉庫にいます? もうどっかにってことは」

「なに、近くにはいるさ」

「叶守、腕ふっとんじゃったんですけど」

「幽霊は人に憑依すれば傷は治るよ」

「あ、それと……い、言っちゃいました」

「ん、何? ちくわ犬?」

「いえ、あの……、です」


 アスマの告白に、ハカセはハンドルを急にガクンと横に切り、併せて車体も大きく揺れる。

 道路に擦過痕を刻みつつ、すぐに平常運転に戻すと、ハカセは苦虫を噛み潰したような顔をフロントガラスに映した。


「……なるほど」


 ハカセは納得したように口を開いた。


「まったく良い方に悪い方にも……」


 どうやら叶守が原因というのも察したらしい。

 夜闇を走る車の中、会話もなくなり目的地はもうすぐといった所、ハカセは「アスマくん」とおもむろに名を呼んだ。


「サポートでも気を引き締めてくれ。君たちに、全エリアの社会秩序が掛かっちゃった」






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