10.依頼のその先
雪のように白い少女の手は心配になるほど冷たく、震えていた。
咄嗟に掴んでしまったその手を離し、「ごめん」と口にする。
少女は腕を抱きしめるように身を引き、ティゼルをただ見ていた。
その瞳はティゼルには読み解けないほど複雑な感情が入り乱れているように思えた。ひとつ、たしかに感じ取れたのは困惑だろうか。
「あ、あなたは……」
少女の視線がティゼルの目よりも少し上――髪に向いていることがわかり、慌ててフードを被り直したがもう遅い。
勇者を知る者にとってその髪は決して忘れられないものだろう。
「えっと……これは髪を染めてて……ほら! ゆ、勇者に憧れててさ……!」
「――勇者」
さすがに苦しすぎる。
誤魔化すにも声があからさますぎた。
少女の目に疑念が生まれる。
当たり前だ。いきなり現れた男が自分の腕を掴んだかと思えば変なことを言い出すのだ。誰だって警戒するだろう。
それでも逃げ出せなかったのはティゼルが腕を掴んでいたからだろう。力を入れすぎていたことに気がつき、少しだけ掴んだ手を緩めた。
木々がざわめく。
二人の心内を表しているかのような、そんな音にティゼルはバツが悪そうに「あー」と声を出した。
「とにかくさ、アイアスさんが探してるんだ。 戻ろう?」
「わかったわ……」
納得したというよりはそれしか選択肢がないことを悟ったようだ。
腕を振りほどき、少女は大人しく踵を返すと、ティゼルよりも少し離れて前を歩く。それでも時折ティゼルへと振り返っている。
(……不審者だよなぁ)
アイアスのもとへ戻ればその誤解も解ける。それまでの短い辛抱だ。
気まずすぎる距離を開けたまま、二人は孤児院へと戻った。
「ミーシュにティゼル君!」
孤児院の入口で待っていたアイアスが駆け寄ってくる。
ティゼルの背中を押す手は冷たい。ずっと外で待っていたのだろう、少し申し訳ないことをした。
孤児院の中は騒がしさを感じさせるようなものだった。
音の話ではない。
乱雑に散らかったぬいぐるみや積み木、絵本の山。テーブルの上には誰が作ったのか、トランプを組みたてた塔が出来上がっていた。
この部屋の散らかり具合いを見るに、つい先程まで人がいたようだが、その姿は見えない。
「……っと、隠れてんのか」
部屋を見渡していると奥へと続く通路を見つけた。
その影から三人ほどこちらを覗き込んでいるのがわかる。ジッ、とこちらを見つめているのは警戒心よりも好奇心の方が強そうだ。
子どもへの対応の正解がわからないティゼルは小さく手を振ることくらいしかできない。
が、それでよかったようだ。
一人、灰色の髪の少女がそれに気づき、栗のような口を開きこちらに走ってくる。
積み木に躓き、転びそうになるがなんとか持ち堪え――
「わっ……」
られなかったようだ。
「落ち着きがないわね、ルゥ」
「あ、ありがとう、ミーシュお姉ちゃん」
ルゥと呼ばれた少女は足元に気をつけながらティゼルのもとまで走ってくる。
フードの中が気になるのだろう、覗き込むような姿勢に、髪色がバレない程度に視線を合わせた。
金色の瞳と、ルゥの薄桃色の瞳が合う。
「お、お姉ちゃんとおんなじ、だね!」
パァ、と笑顔が咲き、ルゥはミーシュとティゼルの目を見比べる。
その声を聞き付けた子どもたちが通路の方からぞろぞろと出てくる。こんなにいたのか、と思えるほどだ。
数にして12だろうか。ミーシュを加えれば13だ。
「この子たちのほとんどは隣国からの難民です。 戦争孤児、と言った方が適切かもしれません」
ティゼルの耳元で子どもたちに聞こえないよう、アイアスが教えてくれる。
隣国と言えば、と頭を回転させる。
大聖堂でエイルと少しそんな話をしたような気がした。たしか――
「軍国……えっと、名前は……」
「アレスリアです」
「そ、それです。 そのアレス……リアからの子どもたちなんですか?」
「ええ。 ここルギス村は軍国との国境が比較的近いので川を渡って難民が行き着くことも少なくありません」
「そうなんですか。 ん? だったら親も……」
「せめて我が子だけでも、という思いでしょう。 子どもだけボートに乗せる親が多いんです。 そのほとんどは親の元へ戻ろうと、無理に川を渡ってしまいますが……」
「そう、ですか」
ティゼルの知らない世界情勢の話だが、あまり長く聞いていたい話ではなかった。
視線を子どもたちの方へ戻すと、たくさんの子どもたちに囲われて、よじ登られ、背中が丸くなったミーシュと目が合う。
森の中で出会ったときのような神秘さや幻想さの面影はどこにもない。
「二人とも、奥の部屋で話しましょう」
アイアスが子どもたちを引き剥がそうとすると、嫌がるような声を上げたが構わず引き剥がす。
「あとでたくさん遊んであげますから」とアイアスが言うと子どもたちは静かになって、各々遊び始めた。
現在通っているのは子どもたちが隠れていた通路だ。
それぞれの部屋に繋がっているその通路は、一部おもちゃが散乱していたが先の部屋ほどではない。
「ちゃんと怒っとく」とミーシュがアイアスに告げていた。
部屋数は四つ。さらにその奥へと続く通路を曲がると『アイアスの部屋』とプレートが下げられた扉が目に入った。
子どもの書いた文字だろう。似顔絵らしき絵も一緒に描かれている。
「どうぞ、自由に座ってください」
「お邪魔します」
扉を開けると夕日が差し込んでいた。
アイアスがカーテンを閉め、明かりをつけていく。ランプの光が暖かい。
部屋の内部はあの散らかっていた部屋をしっかり片付ければこのくらい、というようなものだ。
狭くはなく、ティゼルが見た聖女の部屋よりは小さい。エイルの執務室のようなものだろうか。
何度も縫い合わせたような跡があるソファに座ると、アイアスがテーブルの上に珈琲とクッキーを置いた。
「砂糖とミルクはあるの?」
「ミーシュ用に用意してありますよ。 ティゼル君は?」
「俺も少しだけもらいます」
「わかりました」
極度の甘党なのだろう、これでもかと砂糖とミルクを継ぎ足していくミーシュ。最早それは珈琲と呼べる代物ではない。
「何」
「……いや、なんでも」
見ていたのがバレ、きつく目を細められる。
「ミーシュ、あまりツンケンしないでください。 貴女も友達が欲しかったでしょう?」
「別に、欲しいだなんて思ったことないわ。 私に友達なんて」
「まあそう言わずに」
「いいの。 アイアスさんだって知ってるでしょう?」
ヤケ気味にミーシュが言い放ち、自嘲するように息を漏らした。
投げ捨てるようなその言葉にアイアスに寂しそうな表情が浮かぶ。
ティゼルは少し甘くなった珈琲を息で冷ましつつ、流し込む。まだ少し苦い。
苦味を誤魔化そうとクッキーを頬張る。サクサクとした歯応えと、十分な美味しさ。久しく食べていなかった菓子に感嘆しつつ、ミーシュの様子を盗み見るように視線を動かした。
ティゼルの斜め前に腰掛けたミーシュもクッキーへと手を伸ばす。よく見れば既に珈琲に口をつけたあとだ。
もしかすればティゼルと同じ考えなのかもしれない。あれだけの量の砂糖とミルクを入れておいてそれは考えにくいが。
「ティゼル君、ローブを脱いでもらえますか?」
「えっ」
「大丈夫です。 護衛対象なのですから、ずっとそのままは難しいでしょう? 顔合わせ、ですよ」
「たしかにそうですね。 そろそろ邪魔に思ってたので助かります」
そう言ってティゼルはローブを脱ぐ。
エイルの前や自室ではないため雑ではあるが畳み、横へ置く。
ローブの下から顕になったティゼルの顔を見て、ミーシュのクッキーを運ぶ手が止まる。
「ご覧の通り、ティゼル君は――」
「――っ、嘘よ。 勇者様はずっと昔に……」
「彼はその勇者様の孫です」
勇者の孫というものは昔ほど気にならなくなっていた。
昔であれば嫌な顔をしたのだろうが、今となっては大して気にするようなものではない。かと言って誇らしいものなのかと聞かれれば難しいのだが。
ミーシュは何か反論の言葉を発しようと口を動かすが、声は出ない。
森の中で誤ってフードが脱げてしまったときと同様、戸惑っているようだった。
勇者と同じような風貌の男が目の前に現れれば誰であっても戸惑うだろうが、ミーシュのそれは普通のものとは違っている。
(勇者になにか思うところでもあるのか?)
ティゼルのその考えは正解と言ってもいい。
「――ちょっと、待ってよ。 護衛、なの?」
「ええ。 護衛です」
「どうして、どうしてなの! どうして、救けてはくれないの……」
「ミーシュ。 ですから、救けると何度も!」
「違う! 違うの! 私は……私を、殺して欲しいの! 勇者様であるのならきっと私を――!」
「ミーシュ!」
物騒なミーシュの言葉に、今度はティゼルが戸惑いを見せた。
悲痛なミーシュの叫びをアイアスが止める。
沈黙が重くのしかかる。
動くに動けない。聞くに聞けない。
どちらかが話してくれるまでティゼルは動けずにいたが、ミーシュは目に涙を浮かべた様子だ。
アイアスがすぐにティゼルの視線に気がつく。
「すみません、お見苦しいところを」
「い、いえ」
「気にしていない」とは言えなかった。
どうしても、見るべきではないと理解しつつも、ミーシュの方へと視線を奪われてしまうからだ。
涙を堪え、力の籠った腕はピンと伸び、膝に着いている。わなわなと肩が振るえ、今にも泣き出しそうなミーシュが気にならない方がどうかしている。
それでも、あまり見ていて欲しくないものだろうと考え、なんとか気になる気持ちを押さえつけ、アイアスの方にのみ集中している。
「ティゼル君にはミーシュを護衛して頂きたいのです」
「その話はエイルの方から聞きました。 アイアスさんも護衛してくれるんですよね?」
「はい。 私もティゼル君とともに護衛しますが、それは大聖堂までの話です」
「大聖堂まで?」
エイルから聞いていた話と少し違う。
エイルの話では知人とともに大聖堂まで来る少女を護衛して欲しいというものだった。
「これは依頼とは別の話です」
「別の場所への護衛ですか?」
「いえ、そうではないのです」
いまいち話が掴めない。
「できるのなら、ティゼル君にはこれか先、ずっとミーシュを護衛してもらいたいのです。 対等な友達として」
「――は、い?」
「アイアスさん! な、何よ、それ!」
ティゼルとミーシュのアイアスへの態度は正反対だったが、反応は似たようなものだった。
机で砂糖もミルクも入れていない珈琲を味わいながら、アイアスが小さく笑う。
「言葉の通りです。 ただ、ミーシュを守ってくれる友達になってもらいたいのです」
「守るなんて、私は頼んでない!」
「ミーシュ。 貴女は生きていていいんです。 彼にも、そう言われたでしょう」
「な……あの人の話は今関係ないでしょ!」
「ありますよ。 彼が貴女に言った言葉を――」
「うるさい! もう覚えていないの! そんな話、もう聞きたくない!」
「ミーシュ……っ!」
ティゼルよりも大人びた印象のあったミーシュが子どものように喚くと、叩くように扉を閉め、部屋を後にした。
部屋の静寂がやけに痛く、クッキーを食べるような余裕すら生まれない。
「ごめんなさい。 ティゼル君には見苦しいところばかり見せてしまってますね。 今日はこの辺りにしましょう。 教会の部屋へ案内します、着いてきてください」
気がつけば外は少し暗い。
ティゼルが今日から生活する部屋へ案内される途中、孤児院の子どもたちは来たときとは真逆で、とても静かだった。
孤児院に部屋を用意されていなくてよかった、と少し思ってしまった。
こんな状況でミーシュと同じ屋根の下にいるのはいたたまれない。
友達になれ、という話はエイルからもされていたことだが、こうまで状況が重たくなるとそんなことも簡単にはできないように思えてしまう。
案内された教会の客間――その中でも一番大きいという部屋のベッドに倒れ込み、天井を見つめていた。
ローグや聖騎士たちと身体を動かした夜よりも疲れた。感情の動きが活発だったからだろう。
自然とため息が漏れる。
何に対してのため息なのかはわからないが、大きく息を吐かなければやってられなかった。
「……仲良くやれるのか」
今日会ったばかりだが、ティゼルのミーシュへの印象はあまりいいものではない。
森で見たときこそ、妖精のような美しさに目を奪われたが、今はそうではない。
なんというか、相手にするのが恐ろしかった。
何か下手なことを言えば怒られるような印象だ。
どこに踏み抜いてはいけない爆弾があるかわからない状態で仲良くなるというのは至難を極める。
部屋の明かりを消し、暗くなったベッドの上でどうするかを考える。
本来の依頼である大聖堂までの護衛は当然完遂するとして、エイルとアイアスから言われた『友達になる』というのは達成できそうにない。
どれだけ考えを巡らせても不可能だと脳が断ずる。
布団の中でもう一度大きくため息を漏らす。
「わかんね……明日の俺、がんばってくれ」
全てを解決できる案を生み出してくれるであろう明日の自分に全てを投げ出し、目を閉じた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます