18.影の魔女 撃退
「聖装抜剣」
光の粒子が渦を巻き、ティゼルの持つ白銀の刀身にまとわりつく。
やがてその刀身は長さを変え、ティゼルの身体ほどの長さにまで伸びる。
光をまとった長く、大きな剣。初めに現れたときよりも巨大な聖剣に戸惑うことなく、ティゼルはそれを振り上げ、跳んだ。
異形の足元に伸びる木々の影が不自然に蠢き出し、一つの大きな槍のような形状を作り出す。
蛇のように頭を上げたそれを大きな手で掴むと、聖剣を穿つために投擲する。
大きく振りかぶるように投げられたそれは、その細すぎる腕から放たれたとは考えられないほどの速度でティゼルに向かって飛んでいく。
「――っ、アイアスさん! ここにいると巻き添えを!」
「わかって、います。 離れましょう……!」
すぐにその危険を察知したミーシュは、自身が最も得意とする 《風》 系統を利用し、空へと舞い上がる。
ミーシュの睨んだ通り、ティゼルが剣を振り下ろした周囲は光の爆発に飲み込まれた。上空に離れたはずのミーシュたちまで飲み込んでしまいそうなほど大きな光はすぐに小さくなる。
地面が抉れることも、大地が凹むことも、孤児院が崩壊することもなかった。派手な光の爆発とは対照的だ。拍子抜けと言っても過言ではなかった。
「――っ、これでも……倒せねぇ、のか……」
振り下ろした大剣は元の剣へと姿を戻し、ティゼルは肩で息をしたまま意識を手放しかける。寸でのところで踏みとどまれたのは偶然だろう。
ティゼルから大きく距離を取った、右半身が抉れた異形は、先ほどまでの余裕など消え失せたように瞳を細めていた。
生きているのが不思議な状態。何かしらの仕掛けがあることは確かだが、ティゼルは戦闘中に暴くことはできなかった。が、全てを出し尽くした今、その種を理解する。
「影……か」
身体は抉れ、立っていることもできないはずの異形の身体。それを映し出す影に、損傷はない。
「影、に仕掛けが……」
「今さら気づいても遅せェ。 ――が、お前は運がいい」
「何を……」
そう言った異形の顔はつまらない、と言っているようだった。自分の思い通りに事が運ばない子どものような、そんな顔だ。
「魔王様は目的を果たした。 俺も目的を果たしたかったが、魔王様の方が終わったのならあとは時間の問題だ」
「どういうこと、だ……!」
「そのうちわかる」
黒く、長い前髪の奥で嫌がらせのように笑うと異形は影の中に沈んでいく。沈む、というよりも溶けると言った方が適切かもしれないそれを瞬き一つせず、見つめる。
「安心しろよ、今は何もしねェ。 お前を殺さねェのは単なる気まぐれだ。 次は、ない」
「ふざけるな!」
「見逃してやるって言ってんだ、理解しろよォ」
「待て、よ……!」
「俺の名はイド。 影の魔人イドだ。 お前ら人間を滅ぼし、真なる人となるのは俺たちだ。 忘れるなよ、勇者ァ!」
浮かんでいた太陽が弾け飛び、空に夜の帳が下り始める。闇夜に乗じるように影が溶け込み、最早どこに消えたのかを追うことは叶わなかった。
聖剣も、聖装の右篭手も消え去り、戦う力は残されていない。極度の集中から解放されたためか、それとも痛みによる身体からの警告なのか、視界が霞む。
誰かがティゼルを呼んでいるようだが、不思議と声が遠い。呼吸の音も聞こえないほど遠く感じる。
視線を向ける余裕もないまま、ティゼルはゆっくりと倒れ込んだ。
――よく、がんばりました。
どこかで聞いた、見知らぬ誰かの声だけがハッキリと聞こえていた。
◆
「……久しぶり、アイアスさん」
「ティゼル君とここに運ばれて以来なので昨日ぶりでしょうか。 そんなに久しぶりでしたか?」
「そう思っただけ。 だって、露骨に私の事避けてたでしょう?」
影の魔女イドを撃退してから丸一日が経過した。ミーシュたちはルギス村の中で最も大きな病院に運ばれ、治療を受け、今に至る。
ミーシュは打撲と裂傷が主な傷だ。あれだけの攻撃を受けながら、それだけで済んでいるという事実が、己の中に怪物が眠っているのだということを再認識させた。
未だ痛む身体を動かし、こうしてティゼルの病室を訪れているのは彼女の律儀さから来るものなのだろう。
比較的軽傷だったアイアスはミーシュから離れた位置に椅子を置くと、ぎこちなさそうに笑った。
アイアスに聞きたいことがあったのだが、ここで治療を受けて以来、カイたちの様子を見に行っていたり、村人たちと話し込んでいたり、と落ち着いて話しをする時間がなかった。
聞いていいものなのか、土壇場になって迷っていると、病室の空気を入れ替えるためか、アイアスが窓を開けた。
「ミーシュが言いたいのは、この事、ですよね」
そう言うとアイアスは自らの周囲に水の球を一つ浮かべた。
それが何であるのか、ミーシュにはすぐにわかった。
「……魔術。 どうして、アイアスさんがソレを使えるの?」
「当然の疑問です。 ですが、それはティゼル君が目覚めてから話を――」
「いいの、今話して。 アイアスさんは、私を何のために……ううん。 っ――魔女として、自分の……為にここに招いたの……?」
アイアスはこれまでの生活を見てわかる通り、普通の人間と変わらない。
腕が細く手が異常に大きかったり、人の腕を束ねたような翼を生やしている訳でもない。
通常、魔女ならばその見た目が異形に変わるはずだと言うのにも関わらず、アイアスにはそれがない。そして、それはミーシュにも言えること。
「――それとも、アイアスさんは私と同じ……」
「いいえ、どちらも違います」
優しい否定の声。
その言葉にミーシュは安堵を見せる。自らを引き取ってくれた恩人が、力や研究を目的とした魔女でないことへの安堵だ。
「彼……影の魔女は自らを『魔人』と呼んでいたことを覚えていますか?」
「そういえば、言っていたかも……」
「魔人とはかつて確かに存在していた者たちです。 人間と魔女との間に生まれ、人間の身でありながら魔術を使い、魔女のように長い年月を生きる生き物――それが、魔人です」
「……」
「察しのいいミーシュならわかると思いますが……私は魔人です。 人間の父と魔女の母との間に生まれた――怪物です」
「……っ、そんなことはないと思うの。 アイアスさんはあんな奴らとは全然違うでしょう?」
「そうですね。 それなら、ミーシュも怪物などでも、まして魔女なんかじゃありませんよ。 貴女は私たちとは違う、正真正銘の人間です」
「……言葉が上手いのね」
「見た目よりずっと生きていますから」
ミーシュがどうしてこの病院から外に出ないのか。
ミーシュが今何を思っているのか。
それをミーシュに言わせることなく、アイアスは的確に見抜いていた。
ため息をつくミーシュを、微笑みながら見守るアイアスの表情に耐え切れず、視線を未だ目を覚まさないティゼルへと移した。
昨日の戦いからティゼルは目を覚まさない。呼吸をしていたり、痛みに喘ぐことはあるため、生きていることはたしかだが、拭いきれない不安があった。
また、自分に関わったせいで誰かが死んでしまうことだけは嫌だった。
聖都へ聖騎士たちの派遣要請も送っているのだが、未だ誰一人として来ない。アイアスの知人だというエイルという聖騎士にも連絡がつかないようだった。
それが得体の知れぬ不安をさらに煽る。
肥大化していく不安と、過去の記憶がミーシュを眠らせようとはしなかった。
自身の白く、色が抜け落ちてしまった髪を静かに見つめ、唇を噛む。
「ミーシュ、少し横になっていてください。 疲れているのでしょう?」
「疲れてるけど、寝れないの。 不安なの、わかるでしょう?」
「それでも、です」
「アイアスさんだって、寝てないじゃないの」
「私のは、怪我とは言えません。 中身の問題なので」
アイアスは、ミーシュやティゼルのように包帯を巻かれてはいない。ただ、普段よりも疲れているのだろう表情は明るいものではない。
いや、疲労というよりも心労だろうか。いつもの表情よりもやせ細ったようにも見えた。
言われた通り自分の病室に戻るということもなく、ミーシュは視線を左右に動かす。自身の左側には重体で眠るティゼルが。右側にはそのティゼルに使われるのであろう包帯の予備が置かれていた。
包帯が巻かれた左腕に自然と吸い寄せられる。
骨折で済んでいればまだ軽い方だ。
自分の護衛などというふざけた任務のために大怪我を負ったティゼルを無視して、自分だけが眠りにつくなど、できなかった。
(どうして、こんなになるまで……。 任務がそんなに――違う。 この人は、ただ私と……)
どうして、などとわかりきったことを自問する。
(なんで、そうまでして私なんかと)
かつて、大切な人の血に染まってしまった両手を見下ろす。
(……起きたら、問いただす)
気を利かせたのか、いつの間にかアイアスは姿を消していた。
夜風が少し、心地よかった。
◆
シゼレイア聖国・聖都。その中心に構える大きな城のような建物、大聖堂。その上空。
荒れ果てた聖都を見下ろし、男はつまらなそうな眼で眼下に立つ聖騎士を見下ろした。
「女、最強の聖騎士とやらはいないのか」
大聖堂よりも高くにいるはずの男の声がはっきりと聞こえる。大声ではないそれが聞こえてくるのは、男の魔力によるものだろう。
女――エイルは額から流れた血を拭い、考えを巡らせる。
ティゼルがルギス村へと出立してから四日が経過した今日。突如として強大な気配が落ちた。
それはエイルが今まで感じ、見てきたモノのどれよりも歪で、虚ろで、禍々しい魔力。それが魔を統べる者の持つモノであることに気がつくのに、時間は要らなかった。
(予想はしていたが、早すぎる。 住民の避難……は、間に合ったのか……? 他の村は……? いや、それよりも、ライラ様は、まだ……)
大聖堂に属しておきながら不穏な動きを見せる者たちを自身の管轄に置き、監視していたエイルだからこそ魔女の襲撃を予測できていた。
ティゼルの隠蔽は極力、その者たちの目につかないように急いだが、隠し通せるものではなかったのかもしれない。そう自身の浅はかさを呪う。
空に立つ男とその後ろに控える魔女を睨むように見つめ、剣を構える。構えたところでこの距離を埋められる何かを持っているわけではないが、ヤツらの攻撃を防ぐことならばできる。
「質問に答えろ、聖騎士! 我が主が聞いているのだ!」
いつまで経っても質問に答えないエイルに痺れを切らしたのは男の後ろにいた魔女だ。声音から女だろう。怒りを隠すことなく、紅蓮の炎にも似た魔力を垂れ流す。
口に溜まってしまった血を吐き出し、エイルが挑発するように手を招く。安い挑発だったが、魔女には効いたようで、背中から炎を噴出し落下する。
大地と衝突した衝撃波がエイルの金の髪を揺らした。傷の多い鎧の一部を動きやすいように脱ぎ捨てると、エイルは地を蹴った。
予想外の速度に呆気に取られた様子の魔女の首を――
「っと、簡単には落とせないか」
「当たり前だ。 アタシがどうして主の傍にいるのか、それがわからないなら仕方ないけどな」
「わかったところで関係ない。 私よりも弱い貴様の首を落とすことなどな」
「ハッ、吠えてろよ。 骨すら残さず燃やし尽くしてやる」
焼け焦げた肉の香りと、灰の匂い。それが魔女から放たれているものだということはすぐに気がついた。
全身を覆う赤茶の外套。その服の隙間からは黒い煙が漏れ出ており、肋骨が剥き出しとなっている身体の下、本来であれば腸があるはずの場所に炎が見えた。
髪自体が炎であるかのように大きく揺らぎ、魔女の声に応じるように逆立ち、色が赤から一瞬だけ大きく黄色に変化し、そして青へと変わっていく。
「
魔女の両側から青い炎が伸びる。それは腕の形を作り、エイルへと迫る。触れれば即座に焼け焦げるだろう高温。肺に取り込む空気が熱く、喉が焼かれるように痛む。
人が耐えられる温度を軽く超越していた。
それでもエイルは避ける素振りは見せない。この炎の中においてもなお、涼し気な顔で剣を握り、相対する魔女……その上に立つ男を見ていた。
「――
剣を一振。
炎でざわめいていた風がぴたりと止んだ。
何が起きたのか認識しようともせず、魔女は炎の腕を伸ばそうとする。
が、動かない。
感覚が消えている。
すぐに軽くなった自身の腕から、どろりと赤黒く沸騰した血液が勢いよく噴出した。
それがどういうことなのかを認識すると、今度は両脚を炎へと変化させ、その熱の勢いを借りて飛びかかる。
凄まじい速度と圧倒的な熱量。そして、もう一度生やした両腕の炎がエイルへと迫った。
「聞こえなかったのか。 温い、と」
目には追えぬ速度で迫ったはずの魔女の瞳をたしかに捉え、エイルはそう言った。
剣を握るエイルの手が僅かに動くのを視界の端で捉えた魔女は、足から噴出した炎の向きを変え、エイルから距離を取る。認めたくはない話だったが、あのままエイルの間合いにさらに踏み込んでいれば今頃、頭と胴体は仲良しではいられなかったはずだ。
「勘が鋭いな」
「……アンタ、なんなの。 人間とは思えない」
「私は正真正銘、人間だ」
「……そうかよ!」
崩落した瓦礫が溶けるほどの超高温。血液のように溶けだしたマグマのような瓦礫の山が、無数の槍となって魔女の背後に並んだ。
刃先をエイルに向けるように、魔女の周囲を飛び回る。
エイルの剣を握る手に力が入る。魔女が何かをするよりも早く、エイルが間合いを詰めた。
一歩踏み込み、その勢いを殺さず、剣を水平に構える。魔女はこちらの速度には付いてこれていないのだろう、目で追うことを諦め、槍を上空に展開するばかりだ。
自らに降り注ぐように向けられた槍の数々を目にしながら、エイルが引かなかったのは先に魔女の首を落とせるだけの充分な自信があったからだ。
「――獲った」
首を切られることなど、何も気にしていないかのように魔女が目を大きく見開き、瞳を細めて口元を歪ませた。
「焼け尽き、燃え果てろ、《炎槍》ォ!」
エイルの剣が魔女の首に到達すると同時、炎の雨が降り注いだ。
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