17.聖剣

 淡く、触れれば消えてしまいそうなほどに儚い白い光。頼りなく宙に舞うそれは不思議と力強く、暖かい。



「――聖装顕現ッ!」



 剣を構えたティゼルの右腕を取り囲むように光が渦を作り出す。

 暖かな手のひらのような感触に包まれ、やがてそれは形を作り出す。

 白く、青い篭手。

 圧倒的な女神の力の顕現だ。



「聖装かァ。 さすが勇者だなァ」

「……お前、俺が勇者の孫だって知ってんのか」

「シッ、見りゃわかる」



 白い光と黒い影が衝突する。

 白光を散らしたティゼルの剣に血は付着していない。

 やつの手はこの剣と同等以上の硬度を誇るということだ。先ほど腕を切り落とすことができたのは運が良かっからなのか、そこが脆いのか。



(狙うは腕か)



 狙いを定め、右腕で剣を構える。

 支えとなるはずの左腕は異形の男により潰され、思うように動かない。

 脂汗を浮かべたティゼルがやつの腕を目掛け、地を蹴る。その速度は異形でさえ追えていないようで、一瞬前かがみになるような姿勢を取ったが、何かをするよりも早く、ティゼルが右腕を切り飛ばす。



「やっぱり、腕は――」



 たしかな手応え。

 剣に血も付着している。

 狙い通り、腕は脆く、簡単に切り落とせる。そう確信したが、やつの姿を目にし、言葉を失った。


 たしかに、腕を切り落とした。その感触もあった。血も着いている。

 そうだ、と周囲を見渡し切り落としたはずの腕を探す。



(――ない)



 見当たらない。

 どこにもない。


 前かがみになり、両腕をだらりと垂らした異形が瞬きの間にティゼルの前へと迫っていた。

 素早いという次元ではない。

 ティゼルが走り出す際には膝を曲げたり、身を屈めたり、地を蹴ったりと予備動作がある。人の身体の構造上、動く際には必ず何かしらの動作があるはずだ。

 だが、目の前にいる異形にそれは見られなかった。

 強いてあげるのなら前かがみになった程度だが、それで素早く動けるとは考えられない。



「どういう――」

「シッ、ざまァねぇなァ!」



 ギラギラとした赤い瞳が見開かれる。渦を巻くその瞳に吸い込まれるように身体が強ばり、意識が一瞬だけ逸れる。

 その一緒の硬直が、ティゼルの身体を吹き飛ばした。


 腹部に当てられた鋭い痛み。

 臓物を押し出されるような気持ち悪さに、血を吐き、背後の木に背中を打ち付ける。

 防ぐことさえままならないほど、呆気に取られた一撃。

 

 痛みに気を取られ、目を離した隙にまたしても瞬時に現れた魔女から離れるため、すぐに跳躍する。

 紙一重の回避だ。

 ティゼルが背中を預けていた木が倒れる。太い幹に抉り取られたような穴が空き、倒れる。その衝撃で舞い上がった砂埃の中から異形の左腕がティゼルの顔面に向けて迫っていた。



「く、そが――っ!」



 右腕の篭手で腕を弾き、その隙を突いて切り込むが空振りに終わる。

 空を裂いた白銀の刀身は虚しくも弧を描き、視界を晴らす。不味い、そう思ったときには既に遅い。



(――後ろッ!)



 視線だけがそれを捉える。

 から現れ出た異形は、一瞬だけ目を丸くさせるが口元に顔が裂けそうなほどの笑みを浮かべると大きすぎる拳を握りしめ、ティゼルの横腹を殴る。

 跳躍が間に合い、後ろへと身を逸らしたことで直撃するよりも威力は落とせたが、ティゼルは地に膝を着く。

 左腕の痛みに加え、腹部の鈍痛。そして今しがた受けた脇腹の傷。ティゼルも攻撃はしているが、こちらと比べ、異形の方は効いていない様子で腕を垂らしている。



(影……にならない箇所を)



 刹那ほどの時間だが、たしかにティゼルは捉えていた。

 異形が、太陽のせいで伸びた影の中から這い出てきたことを。信じられないようなことだが、そうであるならば先程から瞬時に移動していることにも頷ける。

 ティゼルは影にどのような条件がなされているのかを思考する。

 まず、ティゼルの影から出現することが可能な点。そして、魔女自身の影も可能だろう。



(距離……対象を指定してるのか? なら森の中は?)



 視線の先には孤児院を囲う森。

 試す価値があるのかもしれないが、影の中に自ら飛び込むのは得策とは思えない。それに、ティゼルは手負いだ。万が一、対象を指定せず、無差別に影であればどこでも潜り込める場合だと確実に深手を負う。

 これ以上、深手を負うことは絶対に避けたい。



(距離を取るしかないのか……?)



 ティゼルの影からは出てくるが、森の中や孤児院の影から出てこないことを踏まえると、距離が問題なのか、対象一つにしか作用しないのか――



(どちらも問題ないけど、あえて使ってないのか)



 そうであった場合、ティゼルは完全に舐められていることになる。

 小さく舌打ちをすると、魔女との距離を開けながら、ティゼルの影が魔女に被らないよう、横並びに移動する。


 が、当然、その狙いを理解しているのだろう、異形も動きを見せる。



「ちゃんと考えれてるなァ。 だけど、それはあまりに普通すぎるなァ、勇者様よォ」

「っ、うる――さい!」



 瞬間移動ではなく、地を蹴っての移動に判断が遅れ、剣を振るうが空振りに終わる。

 最初と比べ、明らかに速度が落ちている。余裕の動きで一歩引かれ、隙を晒したティゼルは容易く蹴り飛ばされる。

 無抵抗のまま地面の上を転がるティゼルは意識を手放さないことだけに必死だった。気を抜けば暗闇へと落ちていきそうな中、剣を突き立てて立ち上がる。

 足元に異形の影はない。吹き飛ばされた先は魔女と横一直線。互いの影が真横に伸びる形だ。

 それがどういう意味であるのかを理解し、右腕で剣を構える。



「舐め……やがって……!」

「警戒してた俺がバカみたいだよォ! この程度なら俺じゃなくてもよかったなァ」



 異形とティゼルの実力差は明らかなものだった。

 どう足掻いても勝つことは無理だろう。

 魔術のことも、どうして腕が生えているのかもわからない。

 ただ、どうしても。

 勝てないのだとしても、せめて、一矢報いることくらいはしたい。

 だからティゼルは折れることなく剣を構える。


 視界は揺れ、呼吸は早い。常に同じところで足踏みし続けているような思考回路で導き出される答えは何もない。

 攻める気配も、守る気配もない無防備な異形は嘲笑うかのように細すぎる腕を広げ、大きすぎる手をこちらに向けている。



「望み、通り……!」



 踏み込む。

 懐に潜り込み、右肩から左脇腹に狙いをつけ、剣を振り上げる。篭手にまとわりついていた青白い光の玉が妖精のように剣へとまとわりつき、白銀の刀身に光が宿る。

 渾身の一撃。

 この攻撃に全てを込めるように、剣を振り下ろす。

 闇を切り裂く光の刃が異形の左肩へと入り込む。右腕で力を乗せ、全身全霊で切り――



「今までで一番まともだが……弱ェ」



 剣は右肩に少し入ったところで止まっていた。

 表面の皮膚を切ったのだろう、小さく血は流れていたが、まるで効いた様子はない。

 気味の悪い笑みも、嘲笑も浮かべず、異形は冷めた瞳でティゼルを見ていた。酷くつまらなそうなその瞳は紅い竜巻のようで、ティゼルの意識を吸い込んだ。

 立っていることもやっとの思い。剣を持つ手に力が入らず、意志とは無関係に指が離れていく。

 カラン、という音を耳にすると、ティゼルは何かが崩れたように膝を着いた。

 首を差し出すような形となったティゼルを見下し、異形は誰かと何かを会話しているようだった。



「――向こうはユウの負けだ。 空間維持の発動はしたみたいだが、それも別にいらなかったなァ。 お前くらいならこの空間も必要ねェもんなァ」

「――――」

「じゃあな、勇者。 くたばれや」



 そうして、ティゼルの意識は闇へと落ちていく。



 ◆



「聖装顕現。 たしかに、ユーゼルも出会った頃は言っていた……かもしれないわ」



 大聖堂に作られた聖女ライラの私室。豪華というよりは品のある家具や絨毯のある広めの部屋で、ティゼルとライラは窓際にあるティータイム用のテーブルに着き、話をしていた。

 緊張している様子のティゼルに優しく微笑み、お菓子を勧める姿は祖母らしい。ぎこちない動きでそれを受け取ると、これまたぎこちない動きで口まで運ぶ。

 味がしないのは緊張からなのだろう、食べカスを零さないように注意しながら噛み砕いていく。



「大昔、初代聖女シゼレイア様が身につけていたモノ。 女神であり、姉でもあったグヴィレイア様の力の結晶と伝えられているわ」

「やっぱり女神様の力なんですね」

「そうね。 ただ、私自身その力を持っていないからわからないことが多いわ。 ユーゼルも使いこなしてはいたけれど、力のことは理解していなかったみたい」



 山羊頭との戦闘において、顕現した聖装。聖女であるライラならば何かしら知っているのかと思ったが、特に何かを知っている様子はなかった。

 ただ、ライラの口から語られたことにより、『女神の力かもしれない』ものから『女神の力』だという認識に変わったのは大きい。ティゼルとて、得体の知れぬ力に頼るのはしたくなかった。



「ユーゼルのことでいいなら聖装について話すこともできるけれど、聞くかしら?」

「は、はい。 一応……自分の力、なので……」



 そう言っていいものなのか少し悩んだが、ここで詰まっても仕方がない。

 ライラは「うーん」と空を見つめると、思い出すように目を瞑る。静寂が訪れたのはほんの一瞬。ライラはまたすぐに口を開いた。



「物語なんかに描かれる勇者は鎧を身にまとってる、なんて言われるけれど、そんなことはなかったわ。 剣だってお店で売ってるようなものだったし」

「えっ、そうなんですか?」

「そうよ? 皆誤解してるけれど、彼はごく普通の旅人みたいなものよ。 たしかに、持っている力と才覚は比べ物にはならなかったでしょうけれど、普通の人間よ。 崇められるような神様なんかじゃないの」

「……ふ、普通の旅人ですか。 とてもそうは思えないですけど」



 ティゼルが思い返していたのは父ライゼルから教えられた勇者の偉業の数々。その中でも一際有名な話――氷龍の撃退だ。

 人の身でありながら龍と呼ばれる存在を前にし、その力を見せつけたとして語り継がれている話だ。物語や一部の記録では撃退ではなく討伐となっているが、それは間違っているのだと教えられた。

 そして何よりその話が最も有名である理由、それは勇者ユーゼルが初めてこの世界に名を残した出来事だからだ。

 それまで全くの無名だった旅人ユーゼルが、勇者ユーゼルとしての一歩を踏み出した話。英雄の誕生譚に、初めてそれを聞いたときは胸が躍り、誇らしく思ったものだ。



「……と、そうね、聖装の話よね。 たしか、私が見たときには既に鎧を身にまとっていたし、聖剣だって使いこなしていたわ」

「出会ったときから、ですか」

「ええ。 そのときに聖装顕現、と言っていたかもしれないわ。 ごめんなさい、記憶が曖昧で」

「い、いえ! 別に大丈夫ですよ」

「ユーゼルが聖装を使って倒れたのは見たことがないし、聞いたこともないわ。 ……そう言えば『消耗が激しい』なら聞いたことがあるかも」



「そんな素振り見せたこともないけど」と続けるライラは昔を思い出しているようで、非常に楽しそうなものだった。

 わかっていたことだが、ティゼルとユーゼルとでは圧倒的にその才覚に開きがある。ユーゼルは聖剣に加え、聖装も全て使えていた様子なのに対し、ティゼルは右篭手のみ。聖剣も使えるが、使用すれば倒れるというオマケ付きだ。



「ああ、そう! 聖剣については知ってるわよ」



 思い出したように手を叩き、指を立てるライラ。

 己と勇者との間に隔絶した壁を感じていたティゼルは、驚いたように肩を跳ねさせ、ライラの方へと顔を向けた。



「ティゼル、聖剣の使用はおすすめしないわ」



 楽しそうに昔話をしていたときとは大きく変わり、表情を反転させる。その様に並々ならなぬものを感じたのだろう、ティゼルも姿勢を正して瞳を見つめる。

 父と同じ青い瞳。その深い色は見る者を魅了し、己の存在感を示すものだ。

 ティゼルが気圧されるほどの力強い瞳は、かつて勇者の仲間の一員だったことを想起させた。



「聖剣は命を削るモノ。 それだけは確信を持って言えるわ」

「命を削る……それは、どうして」

「女神様の力の結晶なんて、人間が使うには大きすぎるの。 だから器が耐えきれなくなって内側から崩壊する。 それだけは理解できてるって言っていたわ」



「それに」とライラは聖女らしからぬ女神を恨んだような声で続ける。



「女神様は好きなモノを手元に置いておきたいのでしょう」



 ――例えそれが、人のモノであったとしても。



 ◆



『いい? 聖剣を使うのは魔王を倒すときにしなさい』



 命を削るほどの力を軽々しく消費するのはティゼルの身体ではどれほどの代償が待っているか想像もつかない。だから、とティゼルはライラと約束をした。

 聖剣を使うのは魔王を倒すとき。

 そして――



『あとは、そうね。 ティゼルにどうしても守りたいモノができたとき、ね』



『どうしても守りたい』なんて言えるほどのモノなのかはわからない。

 けれど、地に伏して己の死を待つだけの時間で脳裏を過ぎったのはこのルギス村での出来事。

 カイたちとの遊びや、アイアスとの会話。村で絡んでくるしつこい客に、気のいい店主。

 それに――



「友……達に、なるって決めた、んだよな……」



 ティゼルにとって初めての友達となるはずの少女の顔を思い浮かべる。

 いつも済ましたような態度でティゼルをどこか子どものように見ている少女だ。病弱そうな白い肌に色の抜け落ちた髪。ティゼルと同じ金色の瞳は力強くも、どこか消えてしまいそうなほど儚い。



「ま、だ……」



 異形の歪な拳が叩きつけられる。

 頭部を確実に砕くために、果物を握りつぶすように力を加え、その地面ごと抉り取る。


 ――水が弾けるような感触に、異形は一度手を戻し、距離を置いた。

 自身の手のひらに付着していたのは真っ赤な血ではなく、透明の液体。

 それが水であることはすぐに理解できた。が、どうして水が現れたのかは理解できずにいた。

 その答えはすぐに明らかになる。


 ティゼルを覆うように張られた水の膜が防いだのだ。

 宙に浮いた水に、異形はすぐに警戒を見せる。それは明らかに人のなせる技ではない。明らかに魔術のソレだ。



「間に……合いました……」

「アイアス……さん、どうして……」



 水の膜に守られたティゼルの視線の先にいたのはミーシュに支えられたアイアスの姿だった。

 擦り傷だらけの身体に、破れてしまった聖堂着。縛っていた髪は解け、長い黒髪が肩口に広がっている。

 軽傷――というわけではなさそうだが、どうやら無事らしい。

 アイアスを担いだミーシュが、静かにこちらを見つめていた。


 安心させようと、立ち上がる。

 左腕は使い物にならず、少し揺れるだけでも激痛が走る。身体で痛みがない箇所はどこにもなかった。故に、立ち上がろうにも情けなく足が震える。

 それでもまだ、ティゼルは戦う意志を見せていた。



「乱入かよ。 が、まァ明らかに死にかけの二人組だァ、勇者を殺したあとで女の方は連れ帰ってやるよォ」

「やれるものならやってみなさい。 勇者ってすごく強いの。 あなたなんかには負けないくらいに」

「ハッ、じゃあこいつは勇者じゃねェなァ」



 なんとか立ち上がり、虚ろな視界で敵を見据え、剣を正眼に構える。



「聖装抜剣」



 竜巻のような風が、ティゼルを中心に吹きすさぶ。

 ミーシュの風の操作で吹き飛ばずに済んでいるが、それがなければ飛ばされていただろうと思わせるほどの威力。

 異形の方は楽しそうな笑みを浮かべ、今か今かと待ちわびた様子で目を見開いていた。



「行くぞ、魔女。 一撃で決めてやる」

「聖剣かァ! そりゃア、面白そうだなァ!」



 光と影、両者が衝突した。

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