27.遠足気分
頬を撫でる風が冷たくなり、辺りに夜の静寂が満ちた。
弾ける音を鳴らし続ける焚き火に目を向けつつ、馬車の方に耳を傾けると、小さな寝息が二つ聞こえてくる。一つはミーシュのもの、もう一つは共にフエーゴまで旅をすることになったムルメリアのものだ。
オグルとムルメリアが馬車に乗ってから二日、こちら側の事情も一通り話し終え、目的を共通とする仲間のような意識が芽生え始めていた。勿論、ティゼルが勇者の孫であること、そして何よりも、ミーシュの力のことは隠したままだ。
元々、孤児院でもミーシュ姉と慕われていただけあり、小さな子どもに懐かれる才があるのか、ミーシュはすぐにムルメリアと打ち解けていた。
同性であることも大きいのだろうが、面倒見の良さから気に入られているようだ。
未だにフードの下の素顔を見せないことだけは少し気がかりだったが、ティゼルたちにも言えない事情があるように、オグルたちにもあるのだろう、と深く聞くことはしなかった。
「見張り、代わるぜ」
「いいよ、まだ。 少ししか時間経ってないだろ」
「こういうのは歳上に任せとけ」
「えっ」
「あ?」
ネアが起こしてくれた焚き火のそばで暖を取るティゼルの背後から現れたのは、目付きの悪い橙色の髪を持つ男、オグルだった。
歳上という発言に驚きつつ、ここ二日間の口調を改めようかと考えていたのだが、オグルからやめるように言われ踏みとどまる。
あえて正面には座らず、ティゼルの横に腰を落ち着けたオグルは大きな鉄製の槍をそばに置き、目の前で眠りにつくネアの様子を黙って見ていた。
草むらの上で無防備な姿で眠りにつくネア。聖堂着のままだと言うのに、シワになることも、汚れることも気にしていない様子だ。
「……アイツ、ずっとあんな感じなのか?」
「あんな感じ、とは?」
「あー、適当っつーか、楽観的っつーかよ。 保護者とか言ってたが、どうもな」
「俺にもよくわかんないってのが本当のところ。 何を考えてるのか、何がしたいのか、目的は何か……なんで俺たちに協力的なのか」
本人に聞けばきっと、「おもしろいから」と返されることだろう。
ネアは目的を語ることなく、その一言だけで済ませている。アイアスの知人ということで一定の信用はしているのだが、それもかなり低い。
戦闘面においては間違いなく、この中で一番だろうという信用はあるが、それ以外はまるでないというもの。
ネアとの接触が多いティゼルでさえ、底が知れていない。それが、出会ったばかりであるオグルならば、当然何もわかっていないだろう。
ネアが、人間と魔女との間に生まれた魔人という稀有な存在だということは明かしていない。
不必要に不安を与えることもないだろう、と語らなかった情報だ。それに、本人がいない場で語るのも気が引けた。
ネアはそのようなことを気にする人柄ではないように思えたが、それはティゼルが知っている表面的な部分だけだ。
ネアがこの二人に対して何を抱いているのかがハッキリとしない以上、知らない方がいいとも思っていた。
事実、出会ってからの二日間、ネアは一度も二人の名を口にしていない。
まるで、覚えてすらいないかのように。
「……まぁいいか」
切り替えるように目を瞑り、焚き火の先で眠るネアを視線から外すオグル。
その先には妹であるムルメリアが眠る馬車があった。
「なぁ、お前たちはなんで聖女を探してんだ? 見たところ、金に困ってたりするわけじゃなさそうだが」
そう尋ねられ、ティゼルは言葉に詰まる。
勇者の孫であることを悟られないようにしすぎていたため、聖女であるライラを助けるための動機は考えていなかった。
祖母だから、と口にするのは自分が勇者の孫であることを公表するようなもの。
ティゼルは苦し紛れに「あー」と間延びした声を漏らしながら答える。
「聖女様……が、いないとさ、ほら、国……そう、シゼレイアが危ない……だろ? この国は、俺の大切な人たちがいる国だから、聖女様を見つけたい。 うん、そうだ」
頭に浮かんだのはロイロやダロスたちなど故郷でティゼルを待つ面々と、アイアスやギジル、それにカイやネネカ、ルゥなどルギス村で出会った面々。
行き当たりばったりで口から出てきた言葉だったが、紛れもないティゼルの本心だった。
「随分とまぁ、高尚な理由だな」
「オグルの家族のためって理由も似たようなもんだろ?」
「……そう、だな」
オグルの表情に影が差す。
普段、特にムルメリアの前では常に明るい表情でいるオグルなだけに、強く唇を噛む横顔が酷く寂しいものに思えて仕方がなかった。
「違ェな。 俺は……ただ、贖罪のために……」
小さく呟いたオグルの言葉を、ティゼルは聞かなかったことにして星空を見上げた。
「なんでもいっか。 とりあえず、フエーゴまでよろしくな」
「――おう、任せとけ」
先程までの影はなく、オグルの表情は明るいものだ。
だが、その瞳は前を向いてはいなかった。
◆
火の都フエーゴ。
大聖堂が
背が高めの城壁はルギス村とは違い、大都市であることの象徴だろう。しかしながら、本来見回りをしているであろう兵士たちの姿は見えない。
城壁があるため、街の様子を見ることはできず、ティゼルたちはこの長蛇の列をただ待つことしかできなかった。
「無事っぽいのは予想通りだけど……そりゃあこうなるか」
「……避難民か」
ネアの言葉から答えを出したのはオグルだ。
その言葉に釣られ、ティゼルとミーシュは前後に並んだ人たちの顔ぶれを眺める。
前列の方にはティゼルたちと同様に馬車に乗った者たちが見えるが、後列は徒歩でここまで来たと思われる者たちがほとんどだった。
各都市、恐らくは魔女の襲撃があった都市の生き残りの貴族やその村人なのだろう。
事実、徒歩で並んでいる者たちの頭には『馬車に乗っている者は貴族』という考えが染み付いているらしく、ティゼルたちが列に着いた当初、場所を譲られるということが発生した。
当然、そんなことはできないと断りを入れたが、逆に不信感を与えてしまったのではないか、と今更思考に過ぎる。
「……順番は守るものでしょう?」
「ありがとう」
いつまで経っても進む気配のない長蛇の列の中、黙って馬車の中で待つことができなかったティゼルはその横に立ち、周囲の景色を眺めていた。
ミーシュも同じなのか、ティゼルの横で周囲の様子を観察していた。
オグルは列で待っている間に眠ってしまったムルメリアとともに馬車の中で待機している。
そしてネアはというと――
「あ、戻ってきた」
城門の方から、全身を黒く塗り潰したようなネアが無邪気に手を振りながら走ってくる。
二人とも、それに振り返す素振りも見せずネアが戻ってくるまで黙っていると、つまらなさそうに頬を膨らませた。
「ノリ悪いなあ、二人とも」
「合わせる気ないからな」
わざとらしく、大袈裟な仕草で怒ってみせるネアだが、ティゼルが「それで?」と先を促すと何事もなかったかのように動きを止める。
列に並んですぐ、ネアは城門の方へと姿を消した。四人には「少しだけ待ってて」とだけ伝えて消えたので、またいつも通りどこかへ行ったのだろうと思っていたが、どうやら違ったようだ。
人差し指と中指に挟んだ紙を見せびらかすように二人の前に差し出してくる。
「通行許可証……お前、何してきたんだよ。 だから、問題は起こすなって」
「なんで私が問題起こす前提なのさ! 違います〜、ちゃんと門兵たちから貰ってきたものです〜」
不貞腐れた子どものような態度のネアを適当に流しつつ、どうしてそんなものが取れたのかを尋ねると、自身の胸に手を当て、何故か自信満々な態度をとる。
「私、大聖堂のシスターですから」
「はあ……」
「反応薄いなあ」
「そう言われてもな。 ミーシュは何か知ってるか?」
「いいえ全く」
ネアが来てから露骨に口数が減ったように思えるミーシュに、ネアの言葉に心当たりがあるかを尋ねてみたが、食い気味に答えられる。
大聖堂のシスターであることがどれだけのことなのか、ティゼルは知りもしなかったが、前の方に並ぶ貴族たちよりも素早く、通行許可証を貰ってきたのを見るに、立場として相当上位なのだろう。
「そういうの、大丈夫なのか? いくら大聖堂のシスターだからって横暴だろ」
「別に脅して貰ってきたわけじゃないんだけど……真面目にやるのもいいけどさ、まったりしてる場合じゃないことを理解しているかい?」
ティゼルがこうしてネアに不信感を抱きつつも着いてきたのは、聖女であり祖母であるライラを探すため。
魔王に攫われたというネアの考えが正しいのであれば、言う通り時間をかけてはいられない。
「魔王はライラを殺さないっていうのは私の単なる憶測だからね」
「……それもそうか」
少し……というかかなりの視線を感じながら、ティゼルたちは門までやってきた。
途中、抜かされた貴族の数名が絡んできたのだが、御者として乗っていたネアを見るなり、糸が切れたようにやる気なく戻って行った。
大事に発展しないというのは非常にありがたかったが、同時に申し訳なさもあった。
「気にすンな。 はっ、ざまぁねェ! 貴族の奴ら、抜かされてんのに文句も言えねェとはな!」
「お、お兄ちゃん、け、喧嘩売る、のは、よくない、よ」
「見てみろ、ムルメリア! あの貴族共の顔! 傑作だ! 帰ったら町の連中に語ってやろうぜ!」
「お、お兄、ちゃんってば……」
オグルの身体を揺さぶって、なんとか言葉を止めようとしているムルメリアだが、小さな身体の非力な力ではどうすることもできず、兄の暴走を止められないことを悟ると、ミーシュへ視線を向けた。
何も言わずに見ていたミーシュだったが、ムルメリアの助けを乞うような視線には勝てなかったようだ。
「ティゼル、止めてきて」
「俺かよ!」
「当たり前。 私、怪我したくないの」
「オグルは野犬か何かかよ……」
窓際で貴族に対し、凡そ人には聞かせられないような暴言を吐きまくるオグルを力づくで引き寄せ、なんとか座らせることができた。
すぐにその膝の上にムルメリアが座ることで、オグルも動けなくなったのか、徐々に落ち着きを取り戻した。
外でネアが誰かと話しているような声が聞こえたあと、ゆっくりと扉が開かれた。
辺りは人気の多い通りから一本逸れた裏の通り。門の通りに比べて少ない、というだけであり、こちらもティゼルやミーシュの感覚で言えば充分な人通りだ。
建物の造りや、道も綺麗に舗装されており、聖都に次ぐ都市というだけあり、街並みは綺麗なものだった。
ただ、行き交う人々に違和感を覚えた。皆一様に大量の荷物を抱えている。中には路地裏で寝泊まりしているかのように見える者もいた。
「ひ、人だらけね……」
「なんだ、これ……」
大量の人に慣れていない様子のミーシュは怯えたようにティゼルの背後でしきりに周囲を見渡していた。
ムルメリアがミーシュの不安そうな気配を感じ取ったのか、その隣に立つ。
「ありがとう」と小さく交わすと、最後にオグルが颯爽と飛び出した。
降ろされたのは『
噴水のある広場に正面入口を構えた大きめの宿だ。ルギス村にあるギジルの店よりも大きいように思える。
「ここが宿か? 随分と高そうな場所じゃねェか」
「そうだよ。 この街で唯一、受け入れてくれる宿。 君たち二人のお金も払ってあるから自由に使っていいよ」
「お、おわっ! 急に話しかけてくんなよ。 ……てか、金まで払ってくれてんのか」
「自腹で払いたい?」
「い、いやそれは無理だ」
ティゼルの横に並んだオグルの、その間。肩と肩との間から首を出すように視線を合わせてきたネアに、心臓が縮み上がったかのような声を上げる。
御者台にいたはずのネアだが、なぜか馬車の中に移動していた。
「それじゃ、コレもう使わないし片付けとくね」
そう言ってネアが馬車に触れると、ドロリと溶けるように馬ごと馬車の形が崩れる。
やがて白く変色していったそれが、糸であると認識した頃には既に馬車は消え去り、ネアのスカートの中へと消えた。
「うげぇ」と舌を出す男二人と、ムルメリアの目を塞ぐミーシュの表情は、どれも気持ち悪いものを見たかのようだった。
「ネアは? 宿に入らないのか?」
「私はちょっと呼ばれててさ、面倒だけどそっちに行かないとライラの情報はなさそうだし。 ……あ、これティゼル君とミーシュちゃんの荷物ね」
そう言いながらネアはスカートの中からティゼルとミーシュ用と思われるカバンを出す。
(何がどうなってんだあのスカート……)
糸を出したり閉まったり、挙句の果てには二人分の荷物まで取り出してしまうネアのスカートの中は謎が深まるばかりだ。
その視線に気がついたのか、ネアはふざけたように「見たい?」と尋ねてくる。
「んじゃ、俺はオグルと同じ部屋で……」
「無視は酷いなあ」
「あ? 別に兄妹同士でいいだろ。 俺ら兄妹は同室で頼む」
オグルはそう言うとムルメリアを呼び寄せる。
兄の腰に抱きつくようにしがみついたムルメリアは、申し訳なさそうに声を震わせた。
「ご、ごめん、ね。 ミ、ミーシュちゃんと、一緒のお部屋……が、嫌な訳じゃ、ないから」
「すまねェな、ティゼル。 男同士、兄同士、もっとじっくり話してみてェんだが、こっちにも事情があンだ」
「私が、妹……なの?」
「姉だったか? すまねェな、ムルメリアがいるからどうしてもそんな気がしてな」
それだけ言うとオグルは足早に宿屋の中に入っていった。
受付での対応を見る限り、問題はなさそうだが、どうにかして部屋を変えてもらった方がいいのでは、とネアへ視線を向けたが既に姿は消えていた。
「早く休みましょ。 聖騎士さんに会いたい気はあるけれど、とにかく疲れたの」
「ミーシュって案外こういうの気にしないよな」
以前、ルギス村の病室で着替えていたときも、まるで気にした様子がなかった。
神経が図太いのか、単に興味がないのか。
後者であるならば、少しだけ寂しい気がした。
「どうして…………あー、どうして聖騎士に会いたいんだ?」
何かを誤魔化すようにミーシュが口にしていた少し気になることを尋ねてみる。
ミーシュはさも当然のことのような顔で、「当たり前でしょ」と一拍置いて答える。
「聖騎士さんの護衛付きなら安全に村に帰れるじゃないの」
「ああ、そういうね……」
宿屋『向日葵』の廊下を並んで歩く二人はその後も何言か交わして部屋の中へと入っていく。
「あはっ、遠足気分が抜け切らないね」
南方に広がる廃墟になったかのような街並みを眺めながら、ネアは心底楽しそうに口を歪めた。
◆
逆立った橙色の髪をかきあげ、憂いを帯びた瞳を部屋の奥にいるムルメリアへと向ける。
「……お前には負担かけたな」
「べ、別に、負担じゃ、ないよ」
先に部屋に入っていたオグルは、二人が対面の部屋に入っていったことを確認してから声を出した。
一人で外套を脱ぐことに手こずっている様子のムルメリアの手伝いのため膝を着き、ボタンを一つずつ外していく。
その下の肌が目に入る度に、オグルは胸が締め付けられる。
(逃げるな。 目を逸らすな)
そう自分に強く、強く言い聞かせる。
「あ、あり、がとう、お兄、ちゃん」
喋りにくそうなその声も、異形になってしまったその身体も、花のようなその香りも、全て――
――俺の、せいだろうが。
舌打ちを一つ。
「花は、嫌いだ」
部屋の窓際。
インテリアのひとつとして置かれていた小さな花に、そう呟いた。
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