28.火の都 フエーゴ



「ねぇ、ティゼル」

「……何か気になることでもあったのか?」

「まあ、ね」



 宿屋『向日葵』の一室。

 窓際のベッドの上で横になったミーシュはか細い声でティゼルを呼ぶ。

 まだ少しだけ濡れた髪と、寝巻き姿のミーシュをまじまじと見ることをやめ、窓の外の景色に目を向ける。

 窓に映る見慣れないの自分が、苦笑していた。そこに反射したミーシュと目が合う。その瞳はすぐに逸らされてしまう。



「あの子……ムルメリアちゃんのことなのだけど」

「なんかあったのか? 仲良さそうだったじゃん」

「仲はいい、と思うけど。 あの子、ね……」



 そう言うとミーシュはいきなり身体を起こし、椅子に座るティゼルのもとまでやってくると、突如その手を触りだした。

 直前の話と行動が噛み合わない様子に戸惑いつつ、されるがままにしていたティゼルだったが、満足したのか、ミーシュがベッドに戻ると少し自分の手を眺めていた。


 ミーシュも同じように、手に残る感触をたしかめたあと「やっぱり」と呟き、視線はこちらに向けながらも、どこか違う何かを見ているように言葉を続ける。



「あの子、少し違和感があるの。 手に伝わってくる……いえ、伝わってこないというべきなの……?」

「どういうことだ? ムルメリアは顔こそ隠してるけど普通の子だろ?」



 ミーシュは曖昧に返し、己の中で言葉をまとめているようだ。

 ティゼルの手の感触と、ムルメリアに対する違和感。それが何であるのか、それを深く追求するべき――いや、してもいいものなのかを考える。



「……なんでもない。 忘れて」

「え? いや、忘れて……って。 ちょっと、ミーシュ!」



 頭まで布団に被さり、それ以上ティゼルと言葉を交わすことをやめる。

 謎だけをティゼルの胸に植え付け、会話を拒絶したミーシュに対し、何も思わなかったわけではないが、直前に見た表情が頭に染み付いていた。



『手に伝わってくる……いえ、伝わってこないというべきなの……?』



 ティゼルはミーシュとは違い、ムルメリアからの信用を得られているとは考えにくい。

 共に行動している以上、それは一定値あると考えても良さそうだが、かなり低めと見ていいだろう。

 ミーシュのように違和感を覚えられるほど距離も近くないため、今しがた言おうとしていたことの真意を探ろうにも、情報がなさすぎる。

 強いて言うのならば素顔を隠していることだけだ。



(俺みたいに勇者バレ防止とかそういうのじゃないよな。 オグルは素顔だし)



 自分自身、ミーシュ、そしてネア。

 記憶にある中でも、素顔を隠してきた連中は三人いる。

 ネアの理由はわからないが、二人が見た目がバレないようにするためだったことを踏まえると――



(ムルメリアもミーシュと似たような理由か?)



 仮にそうだとしても、やはり判断材料が足らなすぎる。



(ムルメリア……ムルメリア、か)



 そう言えば、と馬車での移動時は窓を開けたりもしていたため気にしていなかったが、フエーゴに着いてからもずっと――



 ――花の匂いがしていた。



 ◆



 翌朝、ティゼルは自然と目が覚めるわけでも、ましてミーシュに起こされるわけでもなく、来訪者が扉を叩く音で目を覚ました。

 今の時間帯はわからなかったが、朝日が差し込んでいるのがカーテンの隙間から見える。ミーシュはまだ眠っていることを確認すると、起こさないように身長になりながら扉を開いた。



「朝早くにすまない。 私はシゼレイア聖国の聖騎士――ヴィープ・ラ・ローズ。 司教様より話は伺っている。 ……申し訳ないが、貴殿には今から我らのまで来て頂きたい」

「でっ……」



 寝ぼけていた脳が一瞬で覚めるほどの巨体。灰色の坊主頭と、何より鎧の上からでもわかってしまうような、分厚い胸板が目に入る。

 その男から発せられていた気配は鋭いものだった。

 顔立ちや声音からは人を思いやる優しい性格が感じ取れるが、それとは真逆にティゼルの肌を突き刺してくる気配には優しさなど微塵も感じられない。

 警戒されているわけではない。怪しまれている、とも感じられない。



「……すまない。 驚かせるつもりはなかった。 少々、気が急ってしまっていた」

「い、いや、構いません。 それでどうして俺のところに……」

「重ね重ねすまないが、我らも時間が惜しい。 話は道中でも構わないだろうか」



 話も何も、どうしてここに聖騎士が来ているのかもわからない状況で「はい、着いていきます」とは頷きにくい。

 が、男の鋭い視線に射抜かれ、絞り出すようにしか言葉を出せなかったティゼルは黙って部屋へと戻る。

 ミーシュとオグルたちへの書き置きを残し、簡単に支度を済ませると、部屋の前で待っていたヴィープという男の後を追うように歩いた。



「フエーゴは現在、北と南を人間と魔物という形で分断されている。 聖火台まで来てくれれば現状が理解できるはずだ」



 部屋に来たときに言っていた『司教』や『人間と魔物』など聞きたいことはあったが、質問をする暇もなく、ヴィープは速度をあげる。

 街の中心、話に出てきた聖火台が近づくにつれ街の雰囲気は変わっていく。


 門の周辺には人が大勢おり、賑わっていたような様子だったが、こちらは異様な静寂がみちていた。

 早朝の静けさとはまた少し違う。



(……山羊頭に襲われた後のような、そんな感じだ)



 故郷の襲撃後に感じたようなものに似た印象を受けながら、ヴィープとティゼルは開けた街の中心部――聖火台の元にたどり着いた。

 すぐにティゼルは自分たちがどれだけ温い考えでこの街を訪れていたのかを、思い知る。


 血と灰の香り。

 宿屋『向日葵』の周囲ではわからなかった殺伐とした空気感がそこにはあった。

 半壊した建物や、割れた地面。人ではない何かの死骸や、それに群がる気味の悪い虫たちと、それを駆除する者。

 聖騎士が建てたと思われるテントの方には、包帯を巻いた住民と思しき人影や、忙しなく動く医師たちが見えた。



「こ、これは……」

「……これがフエーゴの現状だ。 出現した魔女により、フエーゴ南部は崩壊。 住民やそちらに配置した……もう一人の隊長とも連絡がつかない。 北部の方には各地から来た避難民たちがいるが、受け入れられるほどの余裕が今、我々にはない」



 門のそばにいた路上で生活していた人々や、門の前に並んでいた大量の人々を思い出す。

 呑気にただ街並みを見ていただけの自分自身に嫌気がさす。仮にも、故郷を飛び出すときに『勇者の力をどう使うか』を考えると、決めたはずだと言うのに。


 ティゼルは常に、使



「エイルの隠し玉……。 貴殿の実力は不明だが、我々は一人でも多くの住民を助けたい。 そのために使える物はなんでも使う。 力を貸して欲しい」

「――こんなヤツの力でいいなら、いくらでも貸します」

「ありがとう。 恩に着る」



 ヴィープはすぐにその場にいた聖騎士たちを集めると、声を大にして助っ人ティゼルの存在を知らせる。

 真っ直ぐな聖騎士たちの瞳に晒され、胸を張ることが出来ず、ティゼルは視線を地面に合わせた。



「ティゼル殿、状況の説明はこちらの方で行う。 中には司教様もおられる」

「……『殿』とか、付けなくてもいいですよ」

「そういうわけにもいかない。 私にも立場があるのだ」



 司教と聞き身体が強ばるが、ヴィープが案内してくれたテントの中にいたのはティゼルが見慣れた人物だった。

 一際豪華な椅子に座り、改造した聖堂着を着こなす、怪しげなシスター、ネアだ。

 ティゼルの登場に片手を上げ軽い態度で挨拶を済ませると、足を組みかえる。



「司教様、ティゼル殿の協力が得られました」

「ん、いいよいいよ。 そんな堅苦しくなくて。 そっちの方が嬉しいだろうからね――気が楽になれて」

「――っ」



 皮肉混じりの挨拶の後、緊張感なく欠伸を漏らすネアだが、それを注意するものはこの場にいない。

 何より、ティゼルはネアが『司教』と呼ばれていたことが気がかりで仕方なかった。


 ネアの周りにいた聖騎士たちが、ヴィープとティゼルの椅子を用意する。気が引けながらも、座れというネアの視線に従い遠慮がちに腰を落ち着けた。

 三人にそれぞれ茶を出すと、控えていた聖騎士たちは一礼の後、テントを後にした。不相応な対応に、苦虫を噛み潰したように視線を下へ向けていたティゼルにネアが声をかけた。



はなくなったかい?」

「……ああ」

「じゃあ簡単に現状を伝えるよ。 ……君、よろしくね」

「……私の名はヴィープです」

「冗談だよ、ちゃんと覚えてるから。 じゃあ、よろしく」



 そんなやり取りの後、ヴィープは咳払いを挟み、簡単に現状を説明していく。


 まず、出現した魔女により南部の崩壊。こちらは先程ヴィープの口から言われたことだったため、ティゼルの頭にも当然染み付いている。

 そして魔女の出現に伴い、南部の街に現れた魔物たち諸々の対処に追われ、避難民の受け入れが難しいこと。聖都崩壊によりこれから更に避難民が増えていくとを知らされる。


 現状、魔物を食い止めることには成功しているが、肝心の魔女の居所を掴めておらず、討伐には至っていない。

 隊長であるヴィープ自らが探しに赴くということも考えたが、住民たちの不安が爆発する恐れがあるため、それもできていない。



「――そんなに言わなくてもいいよ。 ティゼル君には一つだけ頼みたいのさ」

「一つ?」

「南部に巣食う魔女の討伐」

「ですが、まだ魔女は見つかっていません」

「あ、そっか。 じゃあ二つ、捜索と討伐ね」

「……少しくらい、話を聞いておいて頂きたい」



 現場の状況を理解するつもりがないのか、単にどうでもいいだけなのか、未だ軽々しい態度のネアに、頭を抑えながらヴィープは言う。



「南部の状況はもう壊滅してるんだからどうでもいい。 もしも、生きてる人がいたのなら保護してあげればいい。 向かってくる魔物を倒しても構わない」

「そんな適当でいいのですか……まだ彼は子どもでしょう。 まだの説明も――」

「いいよ。 あーだこーだ説明してる時間も惜しい、だろう? で、ティゼル君はどうしたい」



 まるで、受けるか引くかの二択を迫るような物言いだ。『どうしたい』など、この状況を見て導き出す答えは一つしかないだろう。



「そんなに睨まないでよ」



 薄い笑みを浮かべるネア。

 あくまで手伝うかどうかは君が決めろ、と言いたげな様子でテーブルに肘を着いた。



「――君が決めるんだ」



 ◆



 フエーゴ南部の様子は酷いものだった。

 瓦礫に潰されて飛び散った血飛沫が壁に花を咲かせ、反対を見れば押しつぶされたように平たくなった家屋。鎧を着た者や住民と思しき者たちが積み重ねられた山など、見るに堪えない地獄が広がっていた。

 魔女との戦闘は今までに二度経験してきたティゼルだが、魔物との戦闘は一度もなかった。


 ネアとヴィープに説明を受け、南部に足を踏み入れた際に感じたのは野生の獣とはまるで違う、腹の底に響き渡るような死の気配。

 魔女が垂れ流す邪悪で不気味な気配とは違い、溢れ出す本能を止める術を知らない理性を持たぬ者の気配だ。


 


 というのがヴィープの言葉だったが、この惨状でというのは些か強引なように感じられた。


 食らわれることで止めている。


 という方が正しいように思えてしまう。

 噛みちぎられ、捨てられたと思われる人間の足から目を離し、込み上げてくる気持ちの悪いものを吐き出す。



「これが……戦場……」



 故郷が襲われた際は直接現場を見たわけではない。あのときは無我夢中だったため、周りの様子に気を配る余裕もなかった。

 影の魔女イドとの戦いで人的被害は生まれなかった。


 ティゼルにとって初めての戦場。

 四名の聖騎士が着いてきてくれているとは言え、心細さを感じずにはいられなかった。



「大丈夫ですか、ティゼル殿」

「――ごめん、なさい」

「いえ、謝らないでください。 それが普通の反応ですよ」



 そう言ってティゼルの介抱をしてくれるのはヴィープの部下であるディル。

 他の聖騎士たちとは違い、兜は被っておらず、黒い髪と青い瞳、爽やかで誠実そうな顔立ちを晒していた。

 自分よりも十は歳が下であろう、ティゼルを心配するように目を細め、その背に手を当てていた。



「……やはり、貴方は戻るべきです」



 周囲の警戒を済ませたのか、一人の聖騎士が戻ってくる。

 暑苦しそうに兜を脱ぎ、その下にある美しい顔立ちを見せたのはクルリアという聖騎士だ。

 クルリアのその言葉に棘はなく、単に心配から生まれたものだと言うことはティゼルにも伝わった。

 が、口元を拭い、気合いを入れ直すように拳に力を込め、ティゼルは先を歩く。


 目的は魔女の討伐。

 そのためにその魔女を見つけ出さなければならない。



「無理はしないでくださいね」

「大丈夫、です。 慣れてしまえば……」

「こんなこと、慣れない方がいいんです。 貴方はまだ――」

「――っ、いえ、進みます」



 ディルやクルリアが心配してくれているのはわかるが、それでもティゼルは足を止めない。

 フエーゴの人々を助けられる可能性のある力が自分自身の中にあることを理解しているからだ。

 足を止めることは力を持つ者の役目としてしてはならないのだ、と心の奥からそう語りかけてくる。



「前方に魔物確認! 各員、戦闘態勢!」



 ティゼルたちの先を行っていた聖騎士の一人からの伝達。

 ティゼルはすぐに抜剣し、来たる魔物に備える。

 自らが先陣を切るように前へ躍り出て魔物の居所を探る。

 鼻から入り込む胃を掻き混ぜる嫌な匂いのせいでティゼルの鋭い感覚は普段に比べて働いていなかったが、それでもこの逃げ出したくなってしまいそうなほどの殺気は感じていた。



「――来る!」



 現れたのは首のない鎧。

 第一印象として人の形をしているようにも思えるが、すぐにそれは消える。

 内側から破裂してしまいそうな勢いで膨れ上がった巨大な両腕が足の代わりとして胴を浮かす。

 そして、すぐにその胴であった箇所も歪に変形していく。


 人の胴のようなモノに亀裂が走る。

 首の先から腹の辺りまで縦に走った亀裂が開き、その中から赤黒い涙を流す巨大な目が現れる。

 ティゼルにとって、初めての魔物戦。その初戦の相手は、形容しがたい気持ち悪さと、生きとし生けるものへの憎悪と、女神をも恐れぬ冒涜的な見た目をした――怪物だった。



「――っ、アレは誰だ」

「わかりません。 回収する他ないかと」



 ディルとクルリアのそんな会話が耳に届く。

 その会話の意味を考えられる暇は、なかった。



「対象、動きます。 総員、回避!」



 聖騎士の指示の後、大きすぎる腕を振り上げ、ティゼルたち目掛け振り下ろした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る