29.アイ

 それは人の体を押しつぶすのには過剰すぎるほどの威力。

 近くにあったはずの民家が平たく潰されているのを目にして、ティゼルはその腕の攻撃を受けるのは不可能だと悟る。

 が、同時に今の攻撃の瞬間が目の前にいる魔物を倒す最大の好機であることを瞬時に理解した。



「自重に耐えられないのか……」

「はい。 私たちがダブルハンドアイと呼んでいるあの魔物は、両腕で立っている上、攻撃手段はその腕によるものです」

「ダブルハンドアイ……」



 見た通りの名前だ。

 大きすぎる両腕と、人の胴体を裂いて生まれた瞳を持つ見るに堪えない魔物。

 攻撃時にバランスを崩す、というわかりやすい弱点に感謝しつつ、ティゼルはすぐに体勢が崩れた魔物の腕を切りつけた。


 感触は最悪だ。

 柔らかく、たしかに肉を斬る感触。それでいて手に残る嫌な気持ち悪さは、その中にドロドロの血液があるからだろう。

 斬った箇所から半液体のような赤黒い血が耳障りな音を立てて溢れ出す。


 口という器官がないのか、それとも感覚がないのか、魔物はそれを気にする素振りもなく、血が流れる腕でティゼルを掴みにかかる。

 が、やはり片手で立ち続けるのは難しいのか、自重に耐えかねて、身体が揺らぐ。その隙を逃さない聖騎士たちではない。



「ティゼル殿が作り出した隙を逃すな!」



 ディルの指示で、皆が一斉に残った腕に切りかかると、魔物はあっさりとバランスを崩し隣の民家へと倒れていく。

 大きな土煙を上げ、倒壊した民家の中から血塗れの腕が伸びる。狙いを定めての攻撃ではなく、周囲が見えていないからこその適当な攻撃。

 だが、その巨大な腕から繰り出される攻撃はどれほど適当であっても、当たることは許されない。



「……弱点は目ですか!」

「はい! 目の奥――水晶体へ剣を刺せれば活動を停止させることができます!」



 それを聞き、ティゼルはすぐに土煙の中に飛び込んでいく。

 両腕は現在、敵を探して闇雲に民家の外へと動かしているだけであるため、こちらに攻撃が向くことはない。

 例え攻撃が来たとしても、これだけ内側に潜ることができたのなら大きすぎる腕ではかえって攻撃がしにくいだろう。



「――いい加減、止まれ!」



 赤黒い涙を流す瞳の中央目掛け、剣を突き立てる。

 極限まで目を見開き、瞳孔を震わせた後、萎んでいく。溢れ出る血の涙が地面を濡らしていくのを見て、ティゼルはすぐにその場を離れた。


 駆けつけてきたディルにトドメを刺したことを告げると、ディルは他の聖騎士たちと目配せし、魔物のそばへ近づいていく。

 危険だとティゼルは告げたのだが、足を止めることはないディルたちをただ見ているだけにもいかず、同じように近づくことにした。



「っ、やはり……」

「……ティゼル殿は見ない方がいいかと」

「何が――」



 そこにあったのは不気味に見開かれた瞳と巨大な両腕を持つ怪物ではなく、胴体を縦半分に裂かれ、両腕が破裂した――人間の身体だった。



「っ、な、んだ……これ……」

「クルリア、ティゼル殿を」



 ティゼルはクルリアに手を引かれ、その場を離れるが、頭に染み付いたものは簡単に離れない。

 手が震えている。今しがた自分が倒したモノは魔物ではなかったのか。



(アレ、は……)



 そんなティゼルの様子を察したのだろう。クルリアはそっとティゼルの頭を撫でる。



「ありがとうございます。 私たちの仲間を、助けてくれて」

「――っぁ、助けてなんて!」

「……ティゼル殿の考え通り、ここの魔物のほとんどが聖騎士や住民です」

「だ、だっ……たら!」

「魔物になってしまった者は意志とは関係なく、ただ破壊のみを繰り返します。 かつての仲間も、家族も、自分の愛する者でさえ踏み潰し、グチャグチャにしてしまう」



 ティゼルの頭を撫でるクルリアの手からはたしかな人の温もりを感じた。



「その苦しみ、痛みは計り知れません。 ティゼル殿はそんな彼を助けてくれたのですよ」

「っ、ぁ、それでも……! 俺は……!」

「――アレは、人ではありません」



 クルリアに、あの鎧を着た者を知る者にそう言わせてしまった。

 かつての仲間を、人ではないと。


 それがティゼルのためであるとは理解できたが、そうさせてしまった自分自身に嫌気がさすのと同時に、胸の奥から込み上げてきた気持ちの悪いものを耐えきれず、吐き出してしまう。



「貴方のその優しさは、とても正しいものです。 ……ありがとうございます」



 ◆



「お、やっぱり来たね」



 ネアは自身のテントを訪れてきたミーシュとオグル、そしてムルメリアを見て口角を上げる。

 先にティゼルを呼んでおき、南部に向かわせておけばミーシュは来てくれるだろうと想定していたが、おもしろいことに他の二人も来ていた。

 ネアにはオグルとティゼルがどれほど仲がいいものかわからなかったため、これは嬉しい誤算だ。



「……ティゼルはどこに行ったの」

「ふふ、私はてっきり『はやく村に帰して』って言いに来たのかと思ってたよ」

「そんなことを簡単に言えないことくらい、見ればわかるわ」

「理解していてくれて助かるよ」

「ティゼルはこの先に行ったの?」

「当然。 それがティゼル君の役目だ」



『役目』

 その意味はミーシュにしか伝わらない。

 ミーシュはティゼルから山羊頭と戦ったこと、その戦いで父親を失ったこと、そして村を旅立った経緯を聞いている。

 だからこそ、ティゼルが勇者になりたいと心から考えているわけではないことも、理解している。



「そんなに睨まないでよ。 君だってその役目に期待してるでしょ?」

「ミーシュ、心配すんな。 ティゼルは俺が探してきてやる」

「あなたには――」

「そんなこと言うなよな。 アイツは俺のダチだ。 俺も向かうのは当たり前だ」

「頼もしいね。 でも、君だけじゃない。 向かうなら君たちで、だ」

「ダメだ。 二人はここに置いていく」

「それなら君にはティゼル君を追わせない。 ミーシュちゃん一人で行ってもらう」

「――! だ、ダメ、お兄ちゃ、ん」



 舐めた様子で椅子に肘をかけるネアへと、掴みかかろうとオグルが動いたが、ムルメリアが必死になって止める。



「君たち二人にとって、この先にいる魔女は無関係というわけではないし、そこの呪い子も行く理由は充分にある」

「ムルメリアをそう呼ぶな」

「ふふ、魔女の存在よりも先に妹に対することを怒るとは、いいお兄ちゃんだね、君は」



 わざとらしく、人を煽るように手を叩く。

 その様子に耐えきれなくなったオグルはムルメリアの静止も虚しく、ネアの首元を掴みあげる。

 鋭い瞳を更に細め、ネアの首を絞めるように持ち上げる。



「君たち兄妹は、ティゼル君やミーシュちゃんとは別に『おもしろい』とは思ってるが、二人ほどじゃない。 つまり、

「――っ」



 オグルはすぐに手を離す。

 自分と敵との力量など、オグルにとってはどうでもいいことではあるが、ネアから感じ取る恐怖は力量差があるから、などという話ではまとめきれない。

 力量など、そんなものではなく、もっと根底から何かが違っている。

 意志とは関係なく震えてしまう自分の身体が憎い。



「くそがッ!」

「意外と賢いね、君」

「お、お兄、ちゃん……!」



 苛立ちを抑えきれない様子で、近くにあった木箱を蹴り飛ばす。それでも、理解をしたのこ、オグルは席に着く。

 ムルメリアとミーシュもその隣に座り、ネアへ視線を向ける。



「何も私は別にティゼル君を死なせようとしてるわけじゃない。 これは彼のために必要なことだよ」

「役目を押し付けるために、でしょう」

「押し付けてなんかないさ。 彼が自分で決めたことだ」

「選択肢なんてあってないようなモノじゃないの。 この光景を見て引くような男なら……」

「君が希望を抱けるような人ではないだろうね」



 キツく、ミーシュは目を細める。

 初めから何もかもを全て知っているかのような口ぶりだった。

 心の中を見透かされているかのような、気持ち悪さ。あの日戦った魔女などとは比べ物にはならないほどの、不気味さ。


 ネアは「別に空気を悪くしたいわけじゃない」と言うと、皆に茶と菓子を振舞った。

 ミーシュには甘そうなものを大量に。

 ムルメリアには水。

 オグルには紅茶と菓子を。



「どうしたの? ちゃんにはちょうどいいでしょ?」

「――クソシスターが」



 赤く塗られたルージュが不敵に笑う。

 黒い指先を組み、その上に顎を乗せる。視線の見えないネアだが、三人とも目が合っているような感覚に陥り、息が詰まる。



「よし、じゃあテキトーに状況を教えとくよ」



 そう言ってネアはフエーゴ南部の状況、魔女が見つかっていないこと、先にティゼルが聖騎士たちと共に捜索に向かったことを話す。

 オグルは終始、机の上で腕を組み、項垂れるような姿勢ではあったが、耳は傾けているようで、時折小さく舌打ちをしている。



「君たちにはヴィープっていう聖騎士を付ける」

「一人なの? ティゼルには四人も付けたのでしょう?」

「ヴィープは聖騎士たちをまとめあげる隊長だよ。 実力はかなり高いから安心して」

「ティゼルには隊長を付けなかったんだろ。 なのに俺たちに付けていいのかよ」

「いいよ。 ここには私が残るし、ティゼル君にはあの子たちの方がいいと思ったからね」



 ネアが残る。

 その言葉には不穏なものしか感じられなかったが、「何もしないって」というその言葉を信じる他ない。

 聖騎士の隊長が同行してくれるのであれば、ある程度の身の保証はされるだろう。それに加え、オグルも戦闘は可能。

 万が一、ムルメリアに何かあるようであれば――そう考え、ミーシュは心を決める。



「聖騎士たちへの説明は私に任せてくれていいよ」



 その台詞はヴィープを同行させるためのもののように捉えられたが、ミーシュには別の意味のように聞こえた。



 ◆



「ティゼル殿!」

「――っ、大丈夫です! 皆さんはそのまま追撃を!」



 溶け、混ざり合ったような歪な形をした犬型の魔物の攻撃を避け、ティゼルは落とした剣を拾いに行く。

 先程倒した『ダブルハンドアイ』と呼んでいた魔物よりは嫌悪感を抱かないのは、それが人の形ではないからだろう。

 それでも、元の生物を冒涜するようなその身体はあまり見てて気持ちのいいものではないことはたしかだ。


 その皮膚は柔らかく、剣の通りも悪くないが、内部にあるであろう三匹分の骨は異様なほど硬く、剣が止まるほど。

 そのまま身を揺らされ姿勢を崩し、剣を手放すと、ここぞとばかりに執拗に攻撃の手をティゼルへと向けてきた。

 先程の魔物と違い、知性を感じさせる動きの正体は恐らく、脳があるかどうかの違いだ。

 首から上がなかったダブルハンドアイに比べ、こちらは犬とは言え、三匹分の頭がある。

 加えて、目が。両端の頭に二つずつ、中央の頭には四つある。そのため、ティゼルがどれだけ動き回ろうと、常に見られているようで実に気持ちが悪い。



「仕留め……切れてません! ティゼル殿!」

「――大丈夫です!」



 ディルたちによって胴体が半分になってもなお、ティゼルへと向かってくる魔物に剣を拾い上げ、低姿勢のまま構える。

 息を整え、震える手で無理やり剣を振るう。


 狙うは首。


 足や胴は三匹が混ざり合っているせいか、骨が硬すぎる。

 故に、混ざり合っていない首であれば一匹分だ。あとは、心を決めるだけ。



「――ごめんな」



 その読みは正しかった。

 硬すぎて斬ることができなかったはずの魔物だが、容易に三匹分の首を落とせた。

 首が弱点なのはどの生き物にも共通するのか、魔物は飛びかかった勢いのまま地面に紅の花を咲かせると動きを止めた。



「大丈夫ですか、ティゼル殿」

「え、ええ、なんとか……」



 気持ち悪さを耐えている様子を察したディルは話題を変えようと、わざとらしく声の調子を上げ、ティゼルの動きを褒める。



「エイル隊長の隠し玉、と司教様から言われた通りの実力ですね!」

「隠し玉……」



 それもそうか、と納得し話を合わせる。

 エイルと訓練をしたことはあるし、片方は見逃されたとは言え、魔女を倒したこともある。

『隠し玉』足る実力はたしかにあるはずだ。

 言い聞かせるように胸の中でそう呟く。


 クルリアと他の聖騎士がたしかに魔物の息の根が止まっていることを確認すると、すぐさまこちらへと駆け寄ってきた。



「他にいるはずの仲間たちと会いませんね。 ヴィープ隊長の指示では現地の仲間と合流するように、とのことでしたが……」

「我々以外が倒したと思われる新しい魔物の死骸はいくつか確認できている。 この先にいるはずだ」

「これ以上、潜りますか……?」



 クルリアの心配は、魔物に倒されることではない。

 その視線はティゼルの方へと向けられており、その精神を案じているようだった。今なお、気持ち悪さは拭い切れていないが、最初の頃より身体の震えは止まっていた。

 それがどういうことを意味しているのかは考えたくもなかったが、ティゼルはクルリアを安心させるようにそのことを伝えた。


「そうですか……」とそれでもまだ心配が消えないのだろう、ティゼルの頭を撫でる。

 ティゼルを安心させるためか、いつの間にかクルリアは兜を脱ぎ捨て、素顔を晒すようになっていた。

 聖騎士の証たる鎧の一部を脱ぎ捨てることの意味を察せられないほど、ティゼルは馬鹿ではない。その優しさに報いるためにも、クルリアの仲間たち、そしてここに巣食う魔女を見つける必要があった。



「前方より、土煙を確認しました! 別の隊が戦闘を行っているかと!」



 聖騎士の一人がそう声を上げる。

 すぐにティゼルも気を入れ替え、走り出す。

 続くようにディルとクルリアも駆ける。


 白い髪をなびかせて走るその後ろ姿を、クルリアは自分の弟と重ねていた。



 ◆



「逢いたい。 会いたい。 愛たいわ」



 女は一人、古びた教会で踊る。

 血に濡れた地面。

 崩れた屋根から差し込む光。

 突き立てられた杭。

 花のように可憐なドレス。

 それら全てが、今この場所で自分を彩るための飾りに過ぎない。


 人の胴体を裂いて現れた瞳に映る自分を眺め、恍惚とした表情の女は顔を赤らめる。

 ハートの形をした瞳孔を大きくさせ、自らの美しさに満足そうに笑うと、足元に広がった血溜まりの上で踵を鳴らす。



「愛おしい。 愛しい、アナタ」



 踊るように、歌うように女は教会のステンドグラスの下へと足を動かす。

 これで完璧、と言わんばかりに動きを止める。鈍色の空から差し込む光を受け止め、そのままの姿勢で美しい自分を、目を見開いて脳裏に焼き付けようとしている聖騎士たちへと見せつける。



「その目、いいわよ。 愛を感じるわぁ……」



 聖騎士の一人が抗議するように呻くと、それに腹を立てたのか、女はその特徴的な瞳を細め、男を睨みつけた。



「可相、アナタにはこの美しさがわからない?」

「――っ、がっ、誰が! おま、えなどを……!」

「そう……残念」



 女の見た目は、聖騎士の男から見ても可愛らしく、美しく、愛――苦しい。



「そう……! 私は可愛いくて、美しくて、愛苦しくて、綺麗で、可憐で、愛愛しいの! それが理解できないのなら、さようなら」



 苦しさに喘ぐ男の声が消えていく。

 男の喉を掴んだその手を、そのまま握ると、見開かれた目を充血させて、果実のように頭が落ちた。



「私の愛らしさがわからないのならいらない。 醜く堕ちなさい」



 は拘束を解かれ、歩き出す。

 何を求めるわけでもなく、ただ意志を持たぬ破壊者として。



「アナタ……今、ラヴが勇者に会わせてあげます。 花のように美しい、アナタ」



 紅に彩られた教会に、可憐で美しく、愛らしい笑い声が響いていた。

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