30.金剛

 一般的な男よりも一回りは大きいと思えてしまう身体。

 聖騎士を象徴とする、鳥の羽を模した紋様のある鎧を身にまとい、その背中には巨大な自身よりもさらに巨大な剣が背負われている。

 その巨体を屈め、横にうずくまる少女の背を撫でる。



「ムルメリア殿、無理をするな」

「だ、大丈……ぶ、ぅあ――」



 ヴィープ、ミーシュ、オグル、ムルメリアの四人は廃れてしまった南部の街を歩く。

 目を向ければそこら中に広がっている『紅』をできるだけ目に入れないようにしているが、限度がある。

 白い顔をさらに白く――青白くさせたミーシュもムルメリア同様、耐えきれず吐き出してしまう。

 腰まで伸びた長く白い髪は、南部に入ったときから出来うる限り短く縛り、屈んだ際に地につかないようになっていた。


 目に映る地獄のような惨状、鼻腔に染みていく血の匂いも、聞いたことがない静寂も、全てが気持ち悪い。

 この場において平然を保っていられてるのは、聖騎士の隊長であるヴィープと、ちょうど先で魔物と戦いを繰り広げているオグルだけだった。

 ミーシュもいざとなれば魔術を使用してムルメリアを守ろうと考えていたのだが、柵を越え、南部の状況をその目で見て、その余裕はどこかへと消えた。



「ハッ! 魔物は人間と違って楽でいい! 愚直、単純! 搦手がないからわかりやすくて助かるねェ!」



 手にした鉄製の大槍を牛型魔物の開きっぱなしの口へと投げ込む。

 水を大量に吸収してしまったように膨れ上がった腹部を持つ魔物は、素早く迫る槍を躱す手段を持たない。

 槍は容易に牛のうなじを突き破り、致命の一撃となる。



「この程度なら余裕だな。 で、どうだ、ヴィープさんよ、俺は使えるか?」

「ああ、合格だ。 しかし、どこでそんな強さを。 師は誰だ?」

「俺は貴族の用心棒相手に喧嘩売って生活してたからな。 強さには自信あンだ。 師匠はいねェよ」

「そうか……素晴らしい素質だな。 ぜひ聖騎士に欲しいものだ」

「――っ、聖騎士になんて俺がなれるわけねェ。 ……っと、ムルメリア、平気か? 水は持ってきたはずだ」



 うずくまるムルメリアを目にし、すぐさまネアから渡されたカバンから水を取り出す。

 何度か口をゆすぎ、気持ち悪さは消えたが、やはり根本的な問題の解決にはなっていない。

 置いてくるべきだということは当然、理解している。しかし、ネアがそれを許してはくれない。

 オグルとしてはムルメリアはどうにか安全で、心落ち着く場所にいてほしいのだが、ここではそんなワガママが通るような場所は見つからないだろう。



「わ、私にも水……いい?」

「ああ、すまねェ。 ほらよ、飲めるか?」

「水、くらい自分で飲める、わ……」



 普段から病的なまでに白いとは思っていたが、今は心配になるほど白い。

 ヴィープも同じなのだろう、オグルと顔を見合わせ、どこか休める場所を探すべきだと提案する。

 さすがに血の匂いがしない場所は見つからないだろうが、ほんの少しくらい気が休まる場所ならあるはずだ。



「だい、じょう……ぶ、だよ」

「大丈夫、よ」



 意地でも足を止める気がなさそうなミーシュと、まるで大丈夫ではないムルメリア。

 さすがにムルメリアの方は歩くのがままならないのだろう、立ってみせるが今にも倒れてしまいそうだ。

 オグルはすぐにムルメリアを抱き上げ、あやす様に頭を撫でる。

 兄の胸に顔を埋め、見たくないものを見ないようにすることでなんとか心の平穏を保つようだ。



「……というわけで、すまねェな、ヴィープさんよ。 俺はしばらく戦えそうにねェ」

「構わないとも。 妹、なのだろう。 絶対に守ってやれ」

「言われなくても」



 戦闘においては確実にヴィープとオグルが中心になることは予めわかっていたこと。

 そのため、隊長を務めるヴィープを主軸とし、オグルがその補助などに回ることを想定して、その実力を測っていたのだが、それも無意味に終わってしまう。

 ここからの戦闘はヴィープ一人に任せ切りになる可能性が高い。


 聖騎士の隊長というものが、どれだけの実力者であるのかをオグルとミーシュは知らない。

 唯一それを知るティゼルは、ここにいる四人よりもさらに奥へ進んでいることだろう。



「ゆっくりでいい。 決して離れるな」

「あり、がとう……」



 気持ち悪さと、着慣れない胸当てなどの防具のせいで歩きにくいミーシュにとって、その発言はありがたい。

 本当ならば鎧を身につけた方が安全なのだが、ミーシュの身体に合うものがないことと、そんな重いものを着ていては動けないという問題があった。

 現在つけている装備も、普段の衣服の上から付けられる軽い素材の物。そのため、「強度は期待しないでね」とネアから告げられている。


 さすがに、ムルメリア用の防具は身体が小さすぎず用意できなかったため、誰かを守る際の優先順位は間違いなく彼女が一番となる。

 そのことには、子どもであるムルメリアは守られるべきだ、とミーシュも同意している。



「……やはり、強い魔物は聖騎士の、か」



 胴が裂け、首がない両腕が破裂した鎧。

 ミーシュには見せないようにしながら、ヴィープは部下であっただろう鎧の男を思い、目を瞑った。

 そのまま先に進むと、家屋が潰されてしまったせいで開けた空間へと出る。


 すぐにそこが異常な空間であることを理解すると、オグルたちを下がらせ、自らは剣の柄に手を当てる。

 ヴィープはゆっくりと警戒するように周囲を眺める。やはり、


 ここに来るまで、無造作に放置されていた住民や仲間たちの身体、そして魔物の死骸がどこにもない。

 血が飛び散った痕跡や、押し潰されたような跡はあっても、それ以外が綺麗に何もない。


 明らかに異常だ。



「オグル殿は二人を」

「……うす」

「今度は私が実力を示そう」



 そしてソレは現れる。

 鼓膜を切り裂くような金切り声を上げ、突如として空から降りてくる。

 ソレは野生の動物として普通に見られる存在でありながら、決して野生ではありえない巨躯。

 森の中に溶け込める色合いの羽もさることながら、何よりも特徴的なのは見る者を不安にさせるその顔だろう。

 のっぺりとした平たく見える顔つきと、どこまでも曲がってしまうのではないかと考えてしまう首。



「梟型の魔物、か。 とは哀れな」



 本来ならば眼球があるであろう暗く窪んだ箇所に光はなく、ただ体内から溢れ出る赤黒い液体を零すだけ。

 そのせいか、身体の色は赤く変色し、異臭を放っている。

 そして、魔物は標的をヴィープに定めると、人間のような笑みを浮かべる。


 動物でありながら、人のような表情を浮かべる気味の悪さ。

 直視していたいものではなかった。



「そうか、食ったのか」



 この空間はこの魔物の巣……食事場所なのだろう。

 だからここには人間の身体も、魔物の死骸もない。



「手は抜かん。 ――金剛磐石。 我、不落の要塞也 《盾》」



 ヴィープの身体が淡く光る。

 聖術という言葉が頭に浮かぶ。それが、ネアの口から出ていたものだと、ミーシュはすぐに思い至る。


『そ。 シロちゃん、聖術使えたりする?』


 たしか、ネアに魔術について教えられたときのことだ。

 聖騎士は聖術と呼ばれるものを使うことができる、と。



「██████――ッッッッ!!」



 魔物の絶叫。

 後に襲いかかるのは、そののっぺりとした顔だ。

 空を飛ぶわけでも、足を使うわけでも、その巨体で押し潰すわけでもなく、

 開かれた口は喉奥まで上下左右に鋭い牙が生えており、呑まれればいとも容易く噛み潰され、すり潰されると理解する。

 が、それを理解しておきながら、ヴィープは避けない。



「おい! 何やってんだ!」



 オグルのそんな声も無視し、ヴィープは魔物の口に飲まれてしまう。

 硬い、何かが潰れるような音がオグルたちの耳にまで響いた。魔物は念入りに噛み砕くように口を動かしたあと、今度はすり潰すために横に動かす。


 そして、何度か味わうように咀嚼した後、気が付く。


 己の口から考えられないほど大量の血が流れていることに。



「血を、吐いてるの……?」

「い、いや、ヴィープの血じゃねェ、のか……?」



 壁に手をつきながら、肌を青白くさせながらもミーシュはその様子を眺めていた。

 二人は飲まれたはずのヴィープがどうなってしまったのかを想像して、唾を飲む。喉を鳴らし、額に冷たい汗が流れ、そして、目が見開かれる。



「デカく、不気味。 ただそれだけか」



 横一文字。

 魔物の口に亀裂が走る。


 すぐに血が溢れ出し、そこを蹴破るように赤黒く濡れたヴィープがで飛び出してきた。

 大剣に付着した血糊を振り払い、背に戻すと、用済みとなった魔物を一瞥すると、背を向ける。

 まだ動く気配のある魔物は、再度ヴィープを飲み込もうと首を動かし、する。


 どうやら斬られていたのは口元だけではないようだった。



「無事だな。 では、行くぞ」

「お、おう……」

「……聖騎士って、こんなに強いの」



 圧倒的。


 その言葉に尽きる。

 自分であれば、ティゼルであれば、と二人は比較するが、あれほど容易に倒せる気はしなかった。

 ヴィープは中央に横たわる魔物の死骸を軽々と端まで押し、道を開ける。血に濡れた身体のことは一切気にすることなく、二人の先を歩いていた。



「聖騎士の隊長ってのはどいつもこんなことができるのか?」

「当然だ。 度合いは違うがな。 我々が相手をするのは魔物もそうだが、それよりも厄介な魔女だ。 奴らは見た目こそ人に近いが、魔物よりも強力な力を持ち、尚且つ奴らには高い知性がある」

「魔女と戦うためにはそンだけの力がいる、ってことなのか」

「今の聖術だと攻撃力はないがな。 できるのは防御面だけだ」



 魔物の口と首を切り裂いたのは自力であるということか、とオグルは呆れたように目を細める。



「その、聖術というのは聞いても大丈夫なの……?」

「構わない」



 ミーシュの問いかけに、ヴィープは想像していたよりも軽く答えた。

 聖騎士にしか使えない、とネアが言っていたため、もっと秘匿されているものなのだと思っていた。



「聖術は我ら隊長にのみ与えられる聖女様の加護……女神様の寵愛とも言えるものだ。 一日の使用回数はあるが、それでも魔術を扱う魔女と互角に戦える力だ」

「隊長だけに……そういえば、あの聖騎士さんも……」



 ネアが初めてルギス村に襲来したとき、大怪我を負っていた聖騎士――エイルを思い浮かべる。



(ティゼルの話だと、あの人も隊長……なのよね)



 それはヴィープと同等の実力、そして力の持ち主であるということだ。


 ――それだけの実力者が、あれだけの怪我を負った。


 その事実に行き着き、ミーシュは身体を震わせる。

 聖都を襲ったという魔王は、これだけ絶大な力を持つ隊長を簡単に倒せてしまう力を持つ存在なのだと。

 ヴィープの力は実に頼りになるものであることに違いないが、それを上回る力があることを理解してしまったミーシュの胸中には、どうしようもない不安が生まれていた。



「どうかしたか、ミーシュ?」

「いえ、ないでもないの」



 魔王がフエーゴにいるわけではない。

 無意味な心配は精神をすり減らすだけだ。フエーゴ南部の悲惨さを目の当たりにして、思考が鈍っているだけ。

 そう思い込み、小さく首を横に振ると、遅れた分を取り戻すように小走りでオグルの隣に並ぶ。

 空気の悪さや悪臭に嘔吐くムルメリアを少しでも安心させようと、手を――



「――っ、え」



 伸ばしたが、オグルに掴まれ、ムルメリアに触れることは叶わない。

 無意識的なものだったのだろう、オグルはすぐに手を離すと気まずそうに視線を左右に動かす。



「すまねェ……」



 ぎこちなく、眉間に皺を寄せて呟く。

 ミーシュの一歩半先を歩くオグルは、そっとムルメリアの頭を撫でようとして、腕を下げる。

 握りしめられた拳が寒さで凍えるように震えていた。

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