31.――のような
右に、左に、と自在に身体を動かし、迫り来る攻撃を避け続ける。
こちらの身体を抉り取るように
金の瞳を苦しそうに細め、眼下で仲間たちを引きずるディルたちを見る。
ティゼルが現在相対している魔物は奇妙な植物状の魔物だ。
植物と言うには些か、肌色が多い。本来、茎や葉に当たる緑であるはずの箇所には、葉緑体と思しき色味は感じられない。
どこか人肌のようなおぞましさに、これ以上考えるなと警鐘が頭に鳴り響く。
「ディルさん! 他の皆さんの救助は!」
「大方済みました! クルリア、ティゼル殿の援護を」
大きく不気味な目の両端から膨れ上がった腕の生えた魔物を倒し、三匹が溶け合った犬の魔物を倒し、ティゼルたちは即興ではあるが連携が取れるようになっていた。
それはティゼルの実力によるもの――
などでは当然ない。
ヴィープの部下である聖騎士たちの練度、経験、技術、実力によるものだ。
当のティゼルに連携を取れるほどの実力的余裕はない。ただでさえ、気分が悪くなる戦場に初めて身を投げたのだ、本来の実力を発揮するなどできるはずもない。
明らかに自分が足を引っ張っている。
そう苦味を味わいながらも、ティゼルは剣を握る手から力は抜かない。
言い訳を考えている場合などではない。
民家の屋根に着地すると同時、すぐに姿勢を直し、続く触手を剣の腹で弾く。
「――っ、甘えたこと考えて……いられない!」
できるのなら、斬りたくない。
が、そんなティゼルの子どものようなワガママを通せるような相手ではない。
風車のような花弁は鮮やかな赤色。それを着飾るのは人の鼻のような形をした花芯。
地面に流れる血に張り巡らされた根は桃色のような肌色で、できることならば必要以上に視界の中には入れたくないものだ。
目のような模様をした二枚の葉がこちらを向く。
まずい、と思っていながらも、触手の攻撃が止まず、回避のための行動が取れない。
(何だ……! 何が来る……!)
蛇に睨まれたカエルのごとく、ティゼルの身体は動きを止める。
待っていた絶好の好機を触手たちが見逃してくれるはずもなく、ティゼルの身体を切り裂くために鎌のような鋭い形をした先端が迫る。
「――ティゼル殿ッ!」
間一髪。
ティゼルの右肩から切り裂くはずだったソレは宙へ舞う。
痛みにのたうち回るように無造作に暴れ出す触手のいくつかを斬りつけると、金の髪を揺らしながら、クルリアはティゼルを抱えて距離を取る。
「申し訳ありません、たった一人であれの相手をさせてしまい」
「いえ、俺が自分で引き受けたことです。 それよりも、怪我は……」
「髪を切られた程度、怪我には含まれませんよ。 心配ありがとうございます」
背中まで広がっていたはずの長い金髪は、触手に絡め取られたのか、首元で歪に揃っていた。
格好がつかない、と不自然にならない程度に剣で髪を切り落とすと、クルリアは動かなくなっていたティゼルの身体に水をかけた。
すると、不思議なことに動かなくなっていた身体に自由が戻る。
「私自身、あれに会ったことはありませんが、仲間たちから話を聞いておいてよかった」
「あの身体が動かなくなる現象は、なんなんですか」
「詳しいことはわかりませんが、魔術のようなものです」
魔術、と口の中で転がす。
「魔物も使えるんですか?」
「……いえ、本来ならば使えません」
「アレは特殊、というわけですか」
「恐らくは魔女へと変わろうとしている最中……」
「――魔女へ?」
知識不足。
魔術や魔女について、戦闘経験こそあれどティゼルには知識が足りていない。
魔物から魔女へ変わるなどという話は聞いたこともなかった。
「あの花のような形状。 十年以上前に報告があったという花の魔女の系譜でしょう。 完全に孵化する前に倒します」
気になること、聞きたいことは山ほどあったが、それを聞ける状況ではない。
疑問点は適当に投げ捨て、頭を
肺を空にするように息を吐き、空気を取り込む。
淀み、濁った空気ではあるが、乱れた思考を白紙の状態へ戻すのには最適だった。
吐き気を催さない程度に空気を吸い込むと、ティゼルは心を決める。
「了解です。 魔物の討伐を急ぎます」
「大丈夫ですか?」
「もう心は決めました」
クルリアはそれ以上聞いてくることはなかった。ティゼルの表情と、その瞳を見て何かを言いかけ、口を引き結ぶ。
どうしたらいいかわからないような様子で目を伏せ、駆け出したティゼルの後に続く。
「触手は私が! ティゼル殿は構わず本体を!」
「……わかりました! すぐに、倒します」
「――はい、よろしくお願いします」
異様で、醜怪な触手が先頭を走るティゼル目掛け伸びてくる。
最小かつ、素早く躱し、余計な体力を消費しないようにしつつ、屋根を強く蹴り、後の攻撃を全てクルリアに任せる。
「――任せてください」
ティゼルを攻撃するために伸びた触手は軽々と屋根を破壊し、足元を揺らす。
ティゼルが最小の動きで躱したことが幸いし、触手たちは同じ箇所にまとまった。
複数の触手が絡み合っている上、鎌のように曲がった刃が返しの役割を果たし、簡単には抜けない。
が、力技で破壊されるのは目に見えている。
「――その前に斬るッ!」
束になった触手を斬りつけ、痛みに手を上げるようにのたうち回る先のなくなった触手から、雨のように鮮血が降り注ぐ。
魔物はすぐさま痛みを与えてきたクルリアへと狙いを変え、さらに触手を伸ばす。
肌を濡らす紅い雨を気にすることもなく、クルリアは鋭く尖らせた感覚をさらに研ぎ澄ませ、剣を振るう。
ティゼルは空中で身を捩り、時には触手の腹を蹴って姿勢を変え、クルリアへと迫っていくついでと言わんばかりに攻撃を仕掛ける触手を避け続ける。
いくつかのかすり傷はあるが、腕が使い物にならなくなったり、血を吐くような怪我を負うことはない。
(――弱点は!)
触手たちの猛攻の雨の中、視線を動かし、魔物の弱点を探る。
植物のような見た目、そして花の魔女という言葉が正しいことであると仮定するならば――
(根……いや、茎……なのか? クソ!)
迷っている最中も、クルリアへの攻撃は止まらない。
早々にティゼルが蹴りをつけなければ、二人とも触手に貫かれて終わりだ。
(迷ってる暇はない! まずは地面に張ってる根を斬る!)
触手の腹を蹴り、地面に向けて急降下していく。
途中を塞ぐ触手はその剣で切り裂き、血の海を渡るようにティゼルは着地する。
地面に張った根に剣を突き立て、周囲を駆け回りながら、その中心である茎を目指す。
痛みを感じているのかはこちらからでは不明だが、伸びる触手の勢いが先程よりも増しているようにも思える。
(クルリアさん……!)
茎の周囲の根を分断し、残るはそびえ立つ茎だけとなった頃――目の模様をした葉がこちらを向いた。
すぐにあの動かなくなる魔術を連想し、距離を取る。が、警戒していたものとは違い、身体の自由はある。
――そして、ティゼルの足元に口が開く。
「――なっ!!」
「ティゼル殿――ッ!」
怪我人の撤退を済ませたディルたちが駆けつけてきたが、一歩遅い。
突如、分断したはずの根が口の形を作り上げ、ティゼルを飲み込んだ。
(――目はブラフ! あの魔物、考えてッ!)
落ちていく感覚だけがそこにはある。
周囲は暗く、どこまで広がっているかは定かではない。上を見上げる余裕も、その広さをたしかめる余裕も、今のティゼルにはない。
「聖装顕現ッッ!」
暗闇の中を照らしたのはティゼルの右腕を覆う白銀の光。
肌の中に染み渡るように光は薄くなり、やがてそこから白を基調とした篭手が生まれていた。
「バレるとかそんなこと! 考えて! られるかッ!」
自身の力が先程までと比べ大きく上昇したことをその身で確認すると、ティゼルはその腕で握った剣を力の限り振る。
聖装による補助なのか、暗闇を切り裂く白い一閃が走る。
「██████――!!!!」
身体の奥底を震わせる絶叫。
頭からつま先までを引き千切られたかのような壮絶なる悲鳴が上がり、ティゼルは光が差し込んできた頭上を見上げる。
「口、開けたな!」
すぐに聖装を解除し、ティゼルは硬い足元を強く蹴りつけると、開いた口目掛けて跳躍する。
暗闇に慣れたせいか、外界の景色が一瞬だけ白く霞む。すぐにそれにも慣れ始め、魔物の方を見上げると、鼻のような花芯と目のような葉から血を流した魔物がこちらを睨んでいた。
「ティゼル殿! 無事ですか!」
「はい……っ、なんとか」
聖装の使用によるものだろう、疲労感はあったが動けないほどのものではない。使用時間が短かったおかげだろう。
駆け寄ってきたディルと――クルリアに視線を向けると、ティゼルは安心したように息を漏らした。
無論、無傷ではないようだが大きな怪我はしていないように見える。
「なるほど、先に戦っていた仲間たちは今の連携にやられたか」
「触手の数も多すぎましたし、足止めされれば容易く飲まれるかと」
「知性も高いように思える。 孵化する直前かもしれない。 気を緩めるな」
先程よりも勢いが弱まった触手を見切るのは容易い。
ティゼルでも余裕ならば、他の聖騎士たちの心配をすることはないだろう。
「茎が弱点かと!」
ティゼルの言葉を聞き、各員が散開する。
見切るのが楽になったとは言え、密集状態で躱しながら動くのは万が一があった場合、対処できない。
攻撃対象を分散させるという意味でもこちらの方が動きやすい。
触手を斬りつけ、着実に茎へと皆が近づいていく。それにつれ、魔物も焦っているのか触手での攻撃が雑なものへと変わっていく。
そうなれば最早歴戦の聖騎士たち、そして人並み外れた身体能力を持つティゼルの前では無力。
「……これで、倒れてくれ」
五人それぞれが茎を斬りつける。
触手の動きがピタリと止んだのを見て、ディルはトドメを刺すため、剣を――振り抜いた。
萎んだ花が落ちていくように、触手が朽ちていく。
ようやく終わりを迎えた魔物との戦いにティゼルは安堵の息を――
「――っ、クルリアさん!」
まだ、息があった。
油断していた。
弱点である茎を斬り、触手が朽ちたことで、終わりだと思っていた。
「間に――合うッ!」
唯一、朽ち果てることなくクルリアへと最後の一撃を放った触手を斬り捨てると、ティゼルは未だ萎む様子を見せない目を睨む。
最後の一撃を防がれたというのに、まるで嘲笑うかのように弧を描く。
「ディルさんは左目をお願いします」
「――ああ、任せてほしい」
両者、最後まで残っていた目を両断する。
悲鳴を上げることなく、最後までこちらを嘲笑っていた魔物はようやく、その活動を完全に停止した。
「クルリアさん、怪我は……」
「この程度、気にすることも、ない……ですよ」
「待て、今は興奮状態で痛みがないだけだ。 今日はこれまでにしておこう。 基地へ戻るぞ」
「俺も、その方がいいかと思います」
「……っ、申し訳ありません」
「謝ることじゃない。 生きてこそ、だろう」
肩を担ぎ、痛みと疲労で歩くこともままならないクルリアの支えとなるディル。
他の聖騎士たちもクルリアの心配をしたあと、朽ち落ちた魔物の死骸を少しだけ漁っているようだった。
何をしているのか、など聞かなくともわかる。
「やっぱり、今のも」
「仲間たちの誰か、あるいは仲間たちの集合体、だろうな」
少しでも身元がわかるものはないか、と涙で揺らぐ視界の中、魔物の身体であることを厭わず、漁っているのだ。
「……俺も、手伝います。 鎧の一部でも、残ってれば」
「ありがとう……ございます。 我らの仲間たちを、救ってくれて……」
「俺は、何も……」
変わり果てた仲間の死に声を震わせながら、共に来た聖騎士たちに感謝を示される。
感謝をされる
――ティゼルは、何も救えてなどいないのだから。
そんな五人を見下ろす、花のように可憐なドレスに身を包んだ美しい女がいた。
ここらで一番背の高い建物の上、尖った屋根の先端に人間大の影の、そのまた上に座っていた。
「強い聖騎士……それに、あの白い髪の男の子。 とっても愛らしいわぁ。 ね、そう思うでしょう? ラヴととっても愛性が良さそうよね?」
誰かに語りかけるように女は呟くが、返ってくるのは古びた屋敷の床を踏んでいるような、軋む音。
「もう」と頬を膨らませ、踵を突き立てて怒りを示す。
カエルを踏み潰したような声が女の耳に届くばかりで、そこに言葉は生まれない。
「新しく作った
真っ赤な舌で唇を濡らす。
扇情的なその仕草は、見る者の性別を問わず、魅了するだろう。それだけの魅力が、愛らしさが、女にはある。
「聖騎士の隊長なのよ……きっとおもしろい
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