32.きょうだい

 三人は辺りを警戒しながら先を急ぐ。

 死角からの魔物の不意打ちには細心の注意を払い、見落としがないようにヴィープが先行する。

 その後ろをオグル、ミーシュの順で歩く。


 オグルの腕に抱かれたムルメリアも少しずつ落ち着きを取り戻したのか、周囲の状況を理解しようと目を向ける動きを見せつつあった。

 自分がいることで兄が自由に動けていないことを理解しているのだろう、なんとか足手まといにならないように、と努力している。



「魔物の数が減っている。 恐らく、ティゼル殿たちは近くにいるぞ」

「そりゃあ助かる。 人数が増えればムルメリアとミーシュを守る手が増える」

「お、兄ちゃっ……ご、ごめん、なさい」

「謝るなよ。 兄貴が妹を守ろうとすンのは当たり前だろ」

「……あなた、見た目によらずいい人よね」

「いい人、ねェ。 そりゃどうも」



 ミーシュは皮肉を言ったつもりなどなく、素直に褒めたつもりだったのだが、オグルはあまり嬉しそうにはしていない。

 先程、ムルメリアを撫でようとした手を掴まれて以来、二人の空気感は気まずいものになっていた。

 元々、フエーゴに向かう道中で知り合った仲だ。ルギス村から付き合いがあるティゼルとは勝手が違う。



「二人とも、少し止まってくれ」

「――あ? どうしたんだよ、急に」



 ヴィープの逞しい腕が二人を先に行かせまいと横に伸びる。

 全身で道を塞ぐように立ち塞がったヴィープの隙間から顔を出した二人は、その先にあるものを目にした。



「――何、これ」

「――んだよ、これはよ」



 何も、無い。

 先程、梟型の魔物が巣食っていた広場には仲間の身体や魔物の死骸がなかったが、こちらはそういう意味ではない。


 大穴。


 その部分だけをくり抜いたような、巨大な穴がぽっかりと、がらんどうの口を開いていた。

 覗き込むことが恐ろしく感じるほどの暗闇。

 高いのか、低いのか。距離感を狂わせるほど先の見えない暗闇を前に、二人は唾を飲んだ。



「魔女によるもの、と考えるのが普通だろう」

「こ、こんな大きな穴を、魔女が開けられるの……?」



 ミーシュの頭にあるのは腕の羽を生やしたユウという魔女のこと。

 少なくとも、あの魔女はこれほどの規模の攻撃はしてこなかった。もしもこれだけの攻撃が可能なのであれば、村人たちに気づく暇など与えず、ルギス村を壊滅できたはずだ。

 それはティゼルが戦っていた影の魔女にも同じことが言えるだろう。


 ヴィープは警戒しつつ、傍にあった石を投げ入れる。

 まるで黒い水に溶け込むように姿が消えた石を見て、ヴィープは利き手ではない左手を真っ直ぐ伸ばす。



「ちょっ……と! ヴィープさん!」



 慌てたミーシュがすぐに腕を戻そうと引っ張る。

 傍観しているだけのオルグにも協力を仰ごうとして、ヴィープに止められる。



「見ろ。 腕が見えない」

「あ、頭が追いつかねェ。 魔術ってのはどいつもこいつもこんな理解の外にあるものなのか?」

「魔術による範囲攻撃で、私が知っている限り一番大きなものは炎の魔女のものだが、これは……」



 そう言ってヴィープは腕を戻した。

 しっかりと自分の感覚が通っていることを確認すると、一つの結論を導き出す。



「長く生きた魔女の中には結界のような術を使う者もいるとは聞いたことがあるが……」

「別の空間を、作る……なんて、そんなこと――」



 頭に過ったのは魔女の襲撃があったあの夜、突如登ってきた太陽。

 アレも今ヴィープが言っていたことなのだとすれば、ミーシュは魔女たちが空間を作り出せるということをその身で体験していることになる。



「ここから先、何があるかわからない。 私であっても君たちを守り切れる保証はし難い。 ついてくるか?」

「俺は行く――ミーシュ、ムルメリアを頼んでもいいか」



 頑なにムルメリアに触れさせようとはしなかったオグルだが、ここへ来て心境が変わったのか、ミーシュへ頭を下げる。



「い、嫌! お、お兄ちゃんが、行くなら! ムルも、行く!」

「ワガママを言ってる場合じゃねェ。 わかるだろ? あのクソシスターの言う通りなら、この先にはに関係する何かがいンだ」

「そ、れでも!」

「――っ、お前は昔から……」



 オグルの背をどこまでも追いかけてくる妹だった。

 兄離れしないとね、などと母親から言われても中々できないような妹だった。

 だから、兄がどれだけ危険なところに行こうとも、必ず着いてきてしまう。そんな、妹だった。



「……私も着いていく。 ムルメリアちゃんを守るのは私も協力する」

「ミ、ミーシュ、ちゃん」

「家族が死ぬかもしれないというのにただ待つだけ、なんて絶対に嫌。 ……そうでしょう、ムルメリアちゃん」

「う、ん」

「……っ、勝手に着いてこられても困るから仕方ねェ。 ヴィープ! 俺はムルメリアに危険が及んだらすぐに離脱するぞ」

「――構わない。 元々一人でも行くつもりだったからな」

「そうかよ。 そうだよな」



 そうして四人は黒の中に溶けていく。



 ◆



 ティゼルたちが植物の魔物を倒したところまで、少しだけ時間は遡る。


 クルリアの怪我、それに加え他の面々の疲労や精神面での負担を考え、魔女の捜索を切り上げることに決めた一行は、今は誰もいなくなってしまった宿のロビーを使わせてもらい、足を休めていた。

 クルリアを除く四人が二人ずつ交代で見張りをしながら、彼女の容態が落ち着くのを待っている。


 ディルの言葉通り、先程まで興奮状態にあったおかげで感じていなかった痛みにうなされ、熱を帯びたクルリアを心配そうにティゼルは見つめていた。

 ディルによる応急処置は済んだが、鎧を貫通した裂傷の箇所が多い。何より、あの触手の鎌に斬りつけられたと考えられる背中の傷が大きい。



「……大丈夫、ですよ。 これしき、心配ありません、から」



 痛みの中にありながらも、ティゼルの心配を汲み取り、そう告げるクルリア。

 何も出来ない自分の不甲斐なさに、小さくない怒りが胸中に渦巻く。


 情けない。


 と、何度も心の中で繰り返す。



「そんな顔、しないで……。 君、は弟に似てる、から……笑って、いて」



 クルリアの震える手を、ティゼルは握る。

 暖かな人の温もりがある。

 精一杯の笑みを見せると、クルリアは話をしやすいように姿勢を変える。



「動かないでください……! 今は、ただ、休んで……」

「だいじょぉーぶ。 これでもヴィープ隊長に鍛えられた聖騎士。 これしきの傷、隊長の訓練に比べれば……大したことない、です」

「クルリア、ティゼル殿の言う通りだ。 今は少し身体を休めていろ」

「ごめん、なさい。 でも、話をしてない、と不安で……」



 そう話すクルリアの声は震えていた。

 痛みによるものではないことくらい、簡単に理解できる。


 死ぬかもしれない極限の状態において、沈黙は不安を掻き立てていく。

 喉を掻き毟りたくなるような、行き場のない不安は人を簡単に孤独に追いやる。

 冷たく、底の見えない孤独の中に居続けると、人は容易に生への執着を手放そうとしてしまう。


 それを理解しているからこそ、ディルは瞳を閉じると、ため息と共に、言葉を吐く。



「……リアンは元気なのか」

「当たり前、です。 育ち盛りですよ……。 きっと、聖都から避難して、私を探してるに決まっています」



 胸が締め付けられていく。

 クルリアとて――いや、聖騎士という立場であるならばクルリアは、ティゼル以上に聖都の状況を詳しく知っているだろう。

 それでもなお、クルリアは弟が自分を探しているのだと、そう信じているのだ。


 言葉を失っている様子のティゼルに優しく微笑みかけ、震える手で頭を撫でる。



「なん、で、ティゼル君がそんな顔、してるんですか……」



 泣くことは許されない。

 許されないはずなのに、自然と涙が込み上げてきてしまう。

 クルリアは諦めてなどいない。そんな人に対してティゼルが涙を流すなど、許されてはならないことのはずだ。

 だから、涙が止まらない顔で、必死に笑顔を取り繕う。



(――ああ、クソ。 難しいな)



 今、クルリアが見せてくれているような、人を安心させる不思議な力を持つ笑顔を作るのは、ティゼルには難しいことだった。

 そんなティゼルを、クルリアはそっと抱き寄せ頭を撫で続ける。


 一通り涙を流し終え、恥ずかしそうに頬を赤らめたティゼルに、クルリアは少しだけ砕けた態度を見せていた。

 追い込まれ、死を近くに感じてしまえる状況にある今、聖騎士としてのクルリアと、姉としてのクルリアが混ざっているように思えた。



「そう、言えばね、ディルにもお兄さんがいるの」

「クルリア、その話はやめてくれないか……」

「恥ずかしがって、話したがらないのよ。 お兄さんのことになると、熱くなっちゃうから」

「あ、当たり前だ。 兄を慕わない弟などいるか!」

「それだけじゃ、ないでしょ」



 ティゼルの目には聖騎士の部下と上官のように映っていた二人だが、その下にはこうして普段から付き合いがあるような一面を覗かせる。

 緊張しかしていなかった、張り詰めた空気が少し緩んだような気がした。



「兄さんは若くありながら、ヴィープ隊長と同じ、聖騎士の隊長として聖女様に認められた人だ。 それに、昔から兄さんは誰にでも優しく、人を傷つける者を絶対に許さない、正義と信念を心に持った――」

「もうそれ、何回も聞いたってば」

「む、いやしかし、兄さんの人となりはともかく、その功績や実力については――」

「それも、聞いたことある」

「何っ! ならば――」



 戦闘では絶対に見せない二人のそんな会話の様子に、自然とティゼルは笑ってしまった。

 その笑い声に呆気に取られたような二人だったが、ティゼルの笑顔を見て、頬を緩める。



「弟は私に似て、無鉄砲なんだけどね、いっつも『姉ちゃんを守ってやる!』って言ってるの。 可笑しいよね、私よりも、ずっと弱い癖に」

「いい、弟さんですね」

「そう、私には勿体ないくらい、いい弟。 ねぇ、ティゼル君、もし弟と――リアンと会ったら、仲良くしてあげて。 歳も近いだろうからさ、きっと、仲良くなれるよ」

「そのとき……そのときは! クルリアさんも、一緒ですよ。 俺、友達なんて、一人しかいないんですから」

「あははっ、ティゼル君が? 大丈夫、君は優しくて、強いからきっと沢山の友達に恵まれる」



 痛みが落ち着いてきたのか、クルリアの様子は徐々に快復へと向かっているような気がした。

 それがティゼルの勘違いや見間違いなどではないことを期待しながら、話を続けていく。



「ディルさんのお兄さん、隊長なんですよね」

「そうだとも。 兄さんは最年少で……っと、そうかミリィ様が隊長になられたから記録は更新されたのか。 いや、とにかく。 兄さんは元最年少での隊長就任という記録を持っているくらいの実力者で、聖都にあった聖騎士学院も歴代でも屈指の実力で、さらに首席で卒業! それに、ヴィープ隊長の相棒とも知られている人なのだ!」

「……長いってば。 ティゼル君、引いちゃってるよ」

「す、すまない、兄さんのこととなるとつい……」

「いえ、お二人とも家族を大事にしているんですね」



 そんな二人がティゼルには眩しく思えた。

 その熱量のある兄弟愛も、互いを想い合う姉弟の絆も、ティゼルは持つことができなかった気持ちだから。



「隊長、心配してたよね」

「それは当然だろう。 ヴィープ隊長は面倒見が良すぎる節がある。 最年少……若くして隊長に就任した兄さんをいつも心配し、業務も共にこなしていたからな。 実力を認めていても、やはり心配なのだろう」

「大丈夫だと、いいね、隊長」



 クルリアのその言葉にディルが同意しかけたとき、休息の場としていた宿の扉が勢いよく開けられた。

 今までの和やかな空気はすぐに消え去り。外から入ってきた淀んだモノに支配されていく。



「ディルさん! 二人を連れて逃げ――」



 見張りを務めていた聖騎士の一人――イースの首が飛ぶ。


 自分が死んだことにも気づいていないかのような胴体が、まだ扉を開けたままの姿勢で止まっていた。

 やがて、それは思い出したかのように膝を着き、紅の花を床一面に咲かせた。



「ティゼル殿はクルリアを連れて二階から脱出を!」

「待っ、て! ディル!」

「クルリア! 覚悟は決めていたはずだ! わかっていたはずだ! 仲間たちの変わり果てた姿を見たときから、とうに覚悟は済ませたはずだろう!」

「でも! ディル! それは――その人は!」



 二人の悲痛な叫びが、状況を掴めないティゼルにも悲壮感を味合わせる。

 今まで聞いたどんな声よりも、辛く、心臓が絞られるような痛みを覚えてしまう声。



「――隊長でしょう!!」

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