33.アイ対する者
才能らしい才能はなかった。
少し名のある家に生まれたせいもあってか、幼い頃から色々なことを教え込まれてきた。
その中でも一際力を入れて教えられたのが剣術だ。
まだ六歳の小さな子どもに対して簡単に手を挙げるような父親だった。
少しでもやる気のない動きや、父の思っていることと違うことをすればすぐに怒鳴られた。
父と一緒にいることが苦痛で、自然と兄と一緒にいる時間が増えた。母の姿は覚えていない。赤ん坊の頃に亡くなったという話を使用人から聞いている。
父から逃げるようになり、兄と一緒に過ごすことが増え、その才能に一番近くで触れることが出来た。
教えられたことを全て身にしていく。
そんな姿を目の当たりにして、心の底から兄を格好いいと、そう思った。
以来、なんでもかんでも兄を真似るようになった。
聖騎士になったのも、家のためだとか、国のためなんかじゃない。
ただ、兄の背を追ってのことだった。
◆
「――ディッド隊長でしょう!!」
クルリアの悲痛な叫びが鼓膜を叩く。
その言葉に唇を噛み締めたディルの手が一瞬、剣を取ることを躊躇った。
それでも、迷いを断ち切るように下唇を噛むと、震える手で剣を抜いた。
「ティゼル殿はクルリアを連れて戻ってください! ヴィープ隊長にこのことを!」
「っ、ディルさんも!」
「いいえ、私はここに残り――コレの足を止めます」
「バカ言わないで! ディルも逃げ――」
クルリアの声は途中で掻き消される。
現れた怪物の咆哮によって。
その姿はあまりにもおぞましい姿をしていた。
砕けた鎧の下に露出した黒々とした肌が爛れたように剥がれ落ち、赤黒い液体を滴らせ、生々しい肉を見せている。
人間に近いのは姿形だけで、その在り方は全くの別物であった。
だらしなく腕を垂らし、こちらに後頭部を見せるような前傾姿勢。知性を失い、凶暴性を剥き出しにしたその姿に言葉を失う。
今まで見てきた魔物たちとは違い、形を人間のままに留めた――留められた怪物。
その姿はここに蔓延っていたどんな魔物たちよりも明確に、人の心を壊す悪意が込められた姿だった。
「っ、無理だ! 三人で逃げ切れるほど甘くはない! 少しでも可能性のある方を選ぶんだ! ティゼル殿、お願いします!」
ここでディルの言う通り、クルリアを連れて前線基地へと戻れば二人はたしかに助かるのかもしれない。が、その時には既に――
被りを振る。
例えわかっていても考えてはならない。
三人とも無事に助かる方法を模索する。
例え三人が無理でも、クルリアとディルが助かる確率の高い方法を。
(そんなもの――)
初めから答えのわかっている問答だ。
「ティゼル殿!」
「ティゼルくん!」
ティゼルの白い髪が吹き上がる。
毛先から白い光を発し、やがて少しずつ蒼へと変化していく。
「ディルさん、すみません。 俺が、時間を稼ぎます」
「なっ――何を!」
例えディルに何を言われようと、ティゼルはここでもう誰も失いたくはなかった。救えたはずの命、救えるはずの命がすぐ側にあって、力を隠したまま背を向けることなど誰ができようか。
「早くッ!」
剣を抜き、姿勢を低く走る。
誰よりも早く、自分へと向かってきたティゼルを怪物は敵と認識する。
獲物を定めると、軋むような不気味な動きで首を動かし、伽藍堂の瞳を開いた。
「ティゼル殿――」
「聖装顕現」
ディルの側を駆け抜け、ティゼルは静かに口にする。
蒼白い光を纏う白銀の篭手を身にまとい、ティゼルは剣を振り抜いた。
衝撃で後ろへよろめいた怪物の隙を逃さず、全体重を乗せて前へと足を伸ばす。
怪物の腹部を叩くように蹴り飛ばし、二人のいる宿から外へ出る。
「ここで何もしないで背を向けるなんて、出来るわけがないッ!」
剣は火花を散らし、ティゼルの右手に現れた蒼白い篭手を彩る。
白から蒼へ。髪の色が抜け落ちた姿をディルとクルリアは自然と、当たり前のように――この国において知らぬ者はいない、勇者と重ねていた。
「俺が――守るんだッ!」
◆
同刻。
ティゼルが聖装を顕現させたその様を見下ろす影が二つ。
ひとつは楽しげに。ひとつは愛おしそうに。
似たような、少し狂気の滲んだ表情を見せる二人だったが、その間に流れる空気は最悪と言っていいだろう。
「見せつけたかったの? ――ネア」
「いいや? 私は聖職者だよ、そんな性格が悪い女じゃないさ――ラヴ」
目元を隠すようなベールと彼女の好みに合わせて改造された白と黒の聖堂着。女神の教えに殉ずるシスターだと、一目見てはわからぬ体貌をしているのはティゼルたちと行動を共にする女、ネア。
一方はそのネアとは別の意味で目を引く姿をしていた。
花が咲いたかのような可憐なドレス。深紅で彩られた派手な衣装は自然と人の視線を惹きつける。が、何よりも目を引くのはその瞳の形だろう。
気味が悪いハートの形をした赤い瞳は、その女が人間ではないことの証でもある。
「君は彼を気に入ると思ってたからさ、早く会わせてあげたくて」
「まあ、それは嬉しい、嬉しいわぁ。 通りで勇者に似た気配が近いと思っていたの」
「ユーゼルとそっくりだろう?」
「そうね。 可愛らしい顔に愛おしくなるほど真っ直ぐな瞳。 それに、あの子はまだ人間らしい愛らしさも持ち合わせている……」
「別に、ユーゼルだって人間らしかっただろう?」
「いいえ、いいえ。 あの人は人間ではあったけれど、その道から外れた逸脱者だったわぁ。 正しく、女神の御子と呼ぶべき存在、そうでしょう?」
「――いいや、人の子だったよ」
思いを馳せるように、ネアはそう小さく零す。たった一言が、これまでのどの言葉よりも感情の籠った重い一言だった。
見た事のない旧友の姿にラヴは面白くなさそうに口を曲げる。ネアしか知らない勇者の一面があるように思えて。
「嫌だなぁ。 そんなに睨まないでよ。 もう帰るからさ」
「本当、可愛くないわぁ、貴女」
「誰だって君には叶わないさ」
「そういうところが可愛くないのよ」
ケタケタと笑ってみせるネアの姿が次第に崩れていく。
色彩を失い、白へと変わっていくその様をラヴは視界から外し、玩具と勇者との戦いを観戦する。
「あ、そうだ。 あの二人は別にいらないから」
「言われなくてもわかっているわぁ」
ネアはどろりと溶けたように糸の束へと姿を変えるとそのまま霧散する。
残されたラヴは考えるように手を顎に当てると小さくため息を吐く。
「仕方ないわ、仕方ないわ。 ネアに釘を刺されてしまったし、今は諦めるしかないわぁ。 けれど、愛らしいあの子のことはまだ見守らせてもらうわぁ」
◆
もしも当たっていれば、とひやりとした攻撃が何度かあった。しかし、そのどれもがティゼルに当たることはなく、現状、無傷で凌ぐことができている。
後方を振り返り、二人からは多少ではあるが離れることができている。このまま時間を稼いで他の聖騎士たちが助けに来てくれることを期待したい、が――
破壊のみに特化した攻撃。
一度でも喰らえば立っていることはおろか、意識を保つことも怪しいような攻撃だ。その証拠に、幾度となく躱してきた攻撃の餌食となった大地や、民家は抉れ、黒く焦げている。
何を起こしているのかを理解できない以上、攻撃を受けるのは得策ではない。
それを理解しているからこそ、ティゼルは幾度となく踏み込み、怪物の身体を斬りつけている。
(ただ――)
こちらが何度も斬りつけてもその動きが鈍ることは無い。
たしかに剣を入れているはずなのだが、怪物の動きが止まることも、痛みを気にして鈍ることも無いのだ。
『――いくぞ』
突如、神経を逆撫でするようなざらついた声。途端に警鐘が響き渡る。
横凪の一撃を後ろに跳ぶことで回避し、距離を開ける。剣先は常に敵へと向けながら、その一挙手一投足を見逃すまいと目を凝らす。
たしかに発せられた声。
戦闘を開始してから今まで、初めてのことだった。
これまでの様子とはまるで違う。
肩慣らしが終わった、とでも言いたげな、そんな様子だ。
『剣よ』
その言葉に応えるように現れたのは黒い二つの点。
ぽっかりと空中に穴が空いたようにしか見えないそれが、形を成していく。
鋭く、長い。重厚さを感じさせる刀身は闇のように光を飲み込む黒一色。
柄が両の手のひらに収まると、怪物は身体の前で剣を交差させ、構える。
黒と黒が擦れ合った結果生まれた赤い火花が怪物の醜い身体を照らしていた。
(どうなってる……?)
もしもアレが魔術なのだとすれば、今目の前にいるものは魔女ということになるのだろうか。
(ディッド隊長――ディルさんのお兄さん、なんだよな)
会ったことも、まして顔すら知らぬ隊長だが、クルリアがそう叫んでいた。その名はその直前に耳にしていたディルの兄と同じもの。
(――――)
ディルは当然、人間だ。ならばその兄であるディッドも人間で間違いない。
だが、今目の前にいる怪物から伝わってくる威圧感と、その手に握られた黒い剣。それは、これまでここで戦ってきたどの魔物たちよりも魔女の気配が濃いものだ。
「人間を魔女に……人間が魔女に……魔女は――」
思考停止。
今はそれを考える時間ではない。半ば強制的に思考することをやめ、ティゼルは何かを誤魔化すように怪物へと突き進む。
(威力は負けるが、速さでは俺の方が上!)
これまでの怪物の動きから自分との実力差を見ていた。攻撃力、威圧感、風貌、そのどれもが今までの魔女よりも恐ろしいものだ。だが、速度だけで言えばティゼルの方が上。
それに加え、影の魔女や山羊頭のような知性を感じられる攻撃もない。
――はずだった。
「っ……!」
全くの意識外からの一撃。
それを躱すことができたのは奇跡に近い。それほどまでにティゼルの意識は回避から離れていた。
頬に伝わる黒い剣の熱。身体が強ばり、離れることもできない。
先程までの単調な動きとは異なる、見事な突き。剣を持った途端、まるで理性を取り戻したかのような印象さえ受けるほどの華麗な動きだ。
その身を魔に堕としてもなお、失われることのない剣技。相対する怪物が、どれだけの存在だったのかを思い知る。
『簡単に、終わるなよ』
勇者の孫は勇者になるか 遍 ココ @Nek0_222
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