影伸ばす夕日

8.依頼

 シゼレイア聖国・大聖堂の一室。

 黒々とした大きなソファが目を引くエイルの執務室にティゼルは呼び出しを受けていた。

 呼び出さずとも常日頃からエイルと共にいるティゼルは疑問に思いながらも、白銀の鎧を脱いでいるエイルの前に立つ。

 仕事のとき以外に付けているメガネをクイッと持ち上げ、「よく来てくれた」と笑みを浮かべた。

 何を企てているのか、と身構えてしまう笑みだ。



「……わざわざ呼び出してなんだよ。 俺だって忙しいんだぞ」

「忙しくはないだろう。 ローグとともに訓練所にいるくらいだろう?」

「そうだけどさ……」



 ローグというのはエイルの部下で、ティゼルとともに訓練所に籠る仲の男だ。

 エイルとの戦闘訓練を間近で見ていたローグの方からティゼルとともに鍛えたいという申し出があった。

 エイルも毎度毎度相手ができるほど暇ではないため、ティゼルの練習相手となる人物は必要だった。

 ローグもエイルほどではないが手練であったため、ティゼルの相手が務まった。以来、何かとティゼルはローグと打ち合っていることが多い。今日もその予定だった。



「当然、こうして呼び出したのには理由がある」

「わ、悪いことはしてない……と思うんだけど」

「そう身構えるな。 私宛の依頼なのだが、それをティゼルに任せようと思ってな」

「エイルへの依頼?」

「ああ。 ある少女を大聖堂まで護衛するという依頼だ」

「それを? どうして俺に」

「理由はいくつかあるが……」



 エイルは胸の前で腕を組み、椅子に背を預ける。



「まず、ティゼルの屋敷を用意することになった。 部屋があると言えど客室だ。 いつまでも占領させるわけにもいかないだろう?」

「そうだな。 その辺は前から思ってたけど……屋敷って」

「心配しなくてもいい。 ライラ様曰く、そこまで大きなものは用意しないとのことだ」

「聖女様の感性での話だろ……?」

「二つ目は、ティゼルが退屈そうだったからだ」



 あまりに適当な理由だが、それは当たっている。

 大聖堂に到着し、客室を借りてから一週間以上が経過している。

 その間、ティゼルは特に街に降りるでもなく、訓練所に閉じこもる日々だ。曰く、身体を動かしていた方が楽しいらしく、ずっとエイルの部下たちと木剣での試合や剣術の指南を受けていた。


 いかに聖都と言えど、同じことの繰り返しの日々は少し退屈になってきていたところだ。

 街へ繰り出してみようか、などと考えていた矢先のことだったので、気分転換には持ってこいの話ではある。



「退屈そうだから、で務まる仕事なのか? 護衛なんてしたことないぞ」

「その辺は深く気にしなくてもいい。 先に言った私の知人もともに大聖堂へ来ることになっている。 護衛の主はそちらに任せていても大丈夫だ」

「じゃあ別に……」



「俺でなくても」と続く予定の言葉が尻窄しりすぼみに弱くなる。



「まあそう言うな。 護衛対象の少女というのがティゼルと同い年でな。 知人――アイアスとも話し合った結果、同年代同士で会わせてみようとなった」

「な、なんだそれ」

「まあ、なんだ、少し問題のある少女なのだ。 ティゼルの真の任務は彼女と友達になることだ」

「友達……って、俺が?」

「故郷に同年代の子どもはいなかったのだろう? いい機会ではないか」



 強引に話を進められているような気もしたが、強い反論の言葉も思いつかず、そのまま流されていく。

 友達作りなどという子どものお遊びのような任務と言われてもあまり気乗りしない。

 それに、ティゼルは大聖堂にいるものの、聖騎士でも……まして勇者でもないような中途半端な存在だ。

 そんな自分に任せるような適当な任務だとは素人目に見ても思えない。何か考えがあるのだろう、そう思ってエイルの黒にも見える深い緑色の瞳の奥の感情は読み解けない。



「それと、この話は内密に頼む。 私の部下――ローグにティゼルが護衛対象のいる村までの御者を頼んである」

「わかった。 ていうか、俺に話しかけてくるようなやつはローグくらいしかいないし、話し相手もエイルかアイツくらいだから心配いらないって」

「そうか。 それなら安心だ。 ならば、すぐに出立するといい。 急で申し訳ないが、ローグには今朝方に話をつけてある」

「手際がいいな」

「まあな」



 そう言うとエイルに案内されるような形でティゼルは大聖堂の外まで送り出された。

 一週間以上生活しているため、慣れた道であれば迷子になるはずなどないのだが、あまり信用されていないのだろう。


 外に出ると、既に馬車の用意をしていた薄水色の髪をした男がこちらに手を振っていた。

 ティゼルに似た髪色だが、地毛というわけではないらしく、勇者ユーゼルへの憧れから髪を染めたのだという。憧れから髪を青や水色に染めるという話は割とあることだと言う。

 しかし、どう染めてもティゼルやユーゼルのように自然な青色にはならないため、否が応でもティゼルの髪は目立つのだ。

 馬車に乗り込んだティゼルにエイルが声を潜めて話しかける。



「ライラ様からも釘は刺されたと思うが、聖剣の使用はするなよ」



 聖剣というのは山羊頭との戦いで使用した太陽のような輝きを持つ剣のことだ。

 ティゼルの使う聖装と同じく女神の祝福を受けた者にしか扱うことを許されない至高の一振り。

 あのとき以来一度も顕現させてはいないが、己の内に意識を向けると大きな力の波を感じる。



「護衛だろ? しないって。 俺、そんな野蛮そうに見える?」



 ティゼルの見た目は15にしては少々幼いようにも見える。決して野蛮な男には見えない。

 できの悪い弟に対するため息のようなものを吐くと、横に首を振りエイルはもう一度声を潜めた。



「護衛しなければならないほどの人物ということだ。 気をつけろよ」



 ハッとする。

 今まで遊びに行くような感覚だった自分に喝を入れ直し、エイルに向けて拳を向ける。



「任せろ。 何としても守り抜いてみせる。 エイルも怪我とか気をつけろよな」

「ふふっ。 ああ、わかった」



「ローグ!」とエイルが声を上げると聞こえのいい声で返事が返ってくる。

 馬の背を叩く乾いた音とともに馬車がゆっくりと動き出す。

 窓から身を乗り出したティゼルは小さくなっていくエイルに向けて手を振り続けた。



「少し強引すぎたか……いやしかし……」



 そう呟いたエイルの言葉は風にさらわれ、雲ひとつない青空へと溶けていった。



 ◆



 真っ白な少女にとってそれは呪いたくなるほどの運命の出会いだった。

 この上に広がる果てしない空を落としたような髪色に、自分と同じ金の瞳。満月のように目を丸め、驚いた表情をこちらに向ける。

 滑稽な表情だというのに不思議と絵になってしまうのは、目の前にいる少年があまりに美しいからだろう。


 期待してしまいたくなる気持ちを堪え、少女は少年を突き放すための一言を考える。



『友達を作りなさい』



 かつて、自分を救おうとしてくれた人に言われた言葉。

 親をなくした少女にとって親代わりと言える存在だった者の言葉。

 唇を引き結ぶと少女は小さく被りを振る。



「私に――関わらないで」



 口に出してから、「しまった」と思い直す。

 突き放すのに最適な言葉はもっと他にあったはずだ。けれどそうしなかったのは目の前に現れた少年が、物語として語られる勇者と似た風貌をしていたからかもしれない。

 有り体に言えば期待してしまったのだ。

 どうしようもない自分を救ってくれる存在になってくれるのだと。


 ――自分を、殺してくれる存在なのだと。


 新しく言葉を言い直すにも時間がかかりすぎていた。

 突き放すとしても、開口一番に言うべき台詞ではなかった。これではまるで関わってくれと言っているようなものではないか。


 そして、当然。

 物語に出てくる勇者のような存在ならば、そんな言葉を聞いて黙っているはずもない。



「君は……。 俺の名前は――」



 口が動いているが音がない。

 よく見ればここがどこであるのかもわからない。

 少年から目を離せば、そこはただ白いだけの空間だ。

 考え直せばここにそんな少年はいない。



(ああ、また……)



 夢を見ているのだと、少女は涙を流していることに気がついて俯いた。



 ◆



「……ミーシュ姉?」



 眠たげな子どもの声を無視して少女は外へ出る。

 下手に声をかけて起こすべきではない。

 こうして真夜中に子どもを起こすのは健康上あまりよろしくないだろう。

 不健康な姉代わりのせめてもの気遣いだった。



「物語の英雄に助けてもらうなんて、自分のことながら乙女すぎる……」



 夢で見た瞳のような月を見上げ、その内容を思い出す。

 もう何度目だろうか、あの夢を見るのは。

 最初に見たのはたしか、初めて勇者の話を聞いたときだったと記憶している。

 に絵本を読んでもらったあの日から、少女はこうして夢を見ることが多くなった。



『少しくらい夢を見てもバチなんて当たらないよ』



 そう言ってくれたの顔がもう下半分しか思い出せなくなってしまった、封じ込めた記憶から呼び起こされる。

 服が汚れることも気にせず、地べたの上に膝を抱えて座り込む。

 孤児院の壁を背もたれに、夜の風を肺いっぱいに取り込んでいく。

 夜ともなればさすがに風は冷たかったが、少女にとってはあまり関係のない話だ。寒くなれば火を作ればいいだけなのだから。



「――ミーシュ。 こんな時間に出歩くのは危険だとあれほど……」

「アイアスさん。 わかっているの。 でも、嫌な夢を見たから」

「そうですか。 ですが、外に出なくても」

「ううん、あの子たちが寝ているの。 邪魔はしたくない」

「……ならせめて教会に来てください」

「いいの、ここで」



 頑なに動こうとしない少女を動かすことを諦めたのか、暗闇の向こうから現れた男物の聖堂着に身を包んだ男は少女の隣に腰を下ろす。

 男にしては長い髪の毛を後ろでひとつに結んだ、疲れたような表情の男。憂いを帯びたような黒い瞳は夜の闇を見つめていた。



「あなたは何も気にせず暮らしていいんです。 幸せになるために生きていいんですよ」

「幸せなんて、私にはいらない。 望んだって、そうなれないの」

「そんなことはありません」

「あるわ。 もう死んでしまった勇者様でもない限り、私を救ってはくれないの」

「ミーシュ……」



 少女の言う「救う」という言葉の意味を男――アイアスは知っている。

 だからこそ、痛々しく目を細める。



「幸せになりたくない。 また奪われるくらいなら……」



 かつて父と母と、小さな弟と過ごしていた日々を思い出す。

 家の造りも、父と母の顔も、弟の声も思い出せないが、それはたしかにあった幸せの記憶。

 思い出すだけで胸の辺りが暖かくなるような遠い昔の記憶。

 自然と溢れ出した涙がアイアスに見られないように膝で覆い、小さくなる。

 アイアスは少女から視線を逸らすと大きな満月を見上げた。



「きっと、貴方を幸せにしてくれる人が現れますよ――」



 男が想起したのは古い知人から受けた話。

 耳を疑うような話だったが、それに縋るしかない。


 彼が隣で涙を流す少女を幸せにしてくれることを心の底から祈りながら、アイアスはいつの間にか眠っていた少女を抱き上げ、孤児院の中へと入っていった。

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