9.出会い

 馬車で一日揺られる旅が続き、ようやく見えた目的地にティゼルは心を躍らせた。

 御者を務めてくれているローグへと声をかける。



「ローグ! あれが依頼の少女がいる村だろ?!」

「そうッス! ルギス村ッスよ」



 馬車で一日。

 ティゼルが大聖堂に来たときは二日だった旅路を考えると故郷とそう違くない距離のように思えるが、あのときはグリフィスという訓練された馬に乗っていた。

 今は普通の馬が引く馬車である。それで一日で到着できるということは故郷ほど離れた場所ではないということだ。


 ルギス村の前まで来るとローグが先に降り、村長と思しき男と、その横にいる神父のような男と話をしている。

 しばらくして神父の方がローグとともにこちらへ近づいているのがわかった。

 慌ててエイルから渡されたいつものローブを羽織る。

 依然としてティゼルの素顔は晒せない。騒ぎや混乱を避けるため、とエイルから説明は受けているため余計なことはせずにそれに従うつもりだ。



(待てよ、この村にいる間ずっとこれか?)



 げぇ、と言いたくなる気持ちが抑えられず、顔に出てしまう。

 窓の外から聞こえた声に肩を跳ねさせ、気合いを入れ直す。



「初めまして、私はアイアス。 エイルの古い知人です」



 馬車の戸を開け、姿を見せたのは頭から足先まで黒で統一された男だった。

 邪魔になりそうな長い髪は後ろでまとめられているが、活発に動くティゼルからしてみれば切りたくて仕方がない。

 エイルの知人と言うくらいなので、もっと覇気のある人物を想像していたため肩透かしを受けたような気分だ。



「戸惑いましたか? エイルの知人だからと言ってお堅い人物を想像する人は少なくありませんからね」

「ご、ごめんなさい」

「謝らなくていいですよ。 怖い人だと思われるよりずっとマシですから」

「……あ、俺はティ――ゼルって言います」



 一瞬だけ、本名を名乗ってもいいものかとローグの方へ視線をやったが特に止めるような素振りもなかったためそのまま言い切る。

 間抜けな自己紹介になってしまったが仕方がない。



「話はエイルから伺っています。 どうぞ、教会の方へ」



 馬車から降りてきたローブを被った不思議な人物に村人たちに小さくないざわめきが生まれたが、ティゼルはそれに足を止めることなくアイアスと名乗った男の後に続く。

 ローグとはここでお別れのようで、小さく手を振って見送った。


 村と呼ぶには少し大きい。町と言っても差し支えない規模だろう。

 人の多さもそうだが、なんと言っても町並みが綺麗だ。

 舗装された道もそうだが、歩道や家々に飾られた花の数々。鼻腔をくすぐる心地の良い香りが気持ちを落ち着かせる。



「綺麗でしょう? 私の自慢なんです」

「ええ、はい。 とても綺麗なところだと思います」



 首を動かして周囲を見てみれば村民たちがこちらを見ているのがわかる。

 すれ違う人、全てがアイアスへ手を振っているところを見るに、この村ではかなりの信用を集める人物なのだろう。

 物腰柔らかく、ティゼル相手でも低姿勢で語りかけてくるアイアスは初対面であるティゼルも信用に値する人物だと考えている。



「もう少しです」



 アイアスがそう言うと、ティゼルの耳にちょっとした声が届く。



「きたきた!」

「お客さん?」

「めっちゃあやしいぞ!」



 声を潜めるという概念がないのだろう。

 その声は教会の外にまで漏れ出ていた。

 アイアスが呆れたように首を振ると、「少し待っててください」と先に中へ入った。

 ドタバタと聞こえてくる教会の中が気になったが、勝手に入るわけにもいかず、その場で待っていると、ティゼルの頭上から声が聞こえた。



「とりゃぁぁぁあ!」

「なっ――!」



 子どもが降ってくる――否、落ちてくる。

 避けることは簡単だ。しかし、避けてしまうとどうなるかは明白。

 どうしてこんなところに子どもが、などと考えている間にティゼルは下敷きになってしまう。

 ダンッ、という衝撃音とともに土埃が舞い上がり、ティゼルの上に落ちてきた男の子は勢いよくローブを剥ぎ取った。



「わっ!」

「お、おい、待て――」



 ティゼルの抵抗虚しく、剥ぎ取られたローブの下にある蒼い髪が顕になる。

 予想もしていなかったのだろう、男の子の方も驚き、身体を固まらせていると、いつの間にか戻ってきていたアイアスの影の中にいた。



「カイ! 客人に対して何をしているのですか!」



 ゲンコツひとつ。

 泣きわめく男の子――カイの襟首を掴み教会の中へと入っていったアイアスがしばらくすると戻ってくる。

 ローブを被り直し、土埃を払ったティゼルは疲れきった様子のアイアスに同情しつつ、中へ入った。



 ◆



「大変申し訳ありません。 キツく言いつけていたのですが……」

「あ、ああ……っと、気にしないでください。 幸いあの子どもたち以外には見られませんでしたし、髪を染めてるってことで押し通せましたから」



 あの場に他の村人がいたのならもう少し厄介なことになっていたのだろうが、そうならなかったため気にするようなことではない。

 大きな怪我もなく、子どもたちにも――アイアスのゲンコツ以外――怪我もなかった。


 用意されていた部屋に通されたティゼルは人目を気にしながらローブを脱ぐ。

 少し熱くなった身体を冷まそうと手で扇ぎながら椅子に座る。

 アイアスが用意してくれた水を喉へ流し込み、コップをテーブルに置いた。



「さっそく本題なのですが、護衛して頂きたい少女についてです」

「ちょっとエイルから聞いてますよ。 えっと……」

「少々問題を抱えていましてね」



 言葉を選んでいたティゼルを気遣ったのだろう、アイアスが遠慮なくそう言ってくれた。



「その、問題というのは?」

「ティゼル君は魔女という存在をご存知ですか?」

「知ってますが、それが……?」



 魔女とは人語を操り、魔術を扱う人の姿によく似た異形の存在。

 魔王の瘴気から産み落とされた、かつて勇者が力を振るった時代に存在した破壊の象徴だ。

 魔王の封印と同時に派手に暴れていた魔女たちは姿を眩ませ、長い間その姿を見せなかった。



「魔女がどうかしたんですか?」

「魔女の使う魔術。 それを人間にも宿そうとした者たちがいました」



 魔術とはそれぞれの魔女に宿った固有の力。

 ティゼルの女神の力と似てはいるが、その性質は真逆のもの。

 女神の力が救済のための力とするならば、魔術は破滅の力だ。



「シゼレイアの闇の部分……彼らが秘密裏に研究していたそれは、たった一人の成功例を生みました。 数多の失敗を繰り返し、完璧に元となった魔女の力を宿した存在を」



 アイアスがどうしてその話を切り出したのか。考えるまでもないだろう。

 ここでそのわけを聞けば、話の流れがわからない阿呆であることを露呈するようなものだ。



「それこそが彼女――ミーシュなのです」



 合わせた両手に力が入る。

 アイアスの黒い瞳が大きく揺らぐ。それはティゼルでは計り知れないほど大きな感情だろう。



「魔術を使う人間……」

「はい。 それが今回護衛して頂くミーシュの秘密です。 これは……ティゼル君だから話したこと。 内密に頼みます」

「わかっています。 そんなこと、誰にも言いませんよ」

「――ありがとうございます」



 重たくなった部屋の空気を切り替えるためか、アイアスは部屋の窓を開けた。

 これ以上、少女――ミーシュについて話をするつもりがないことの現れでもあるのだろう。

 ティゼルもそれを察し、話題となる事柄を探す。



「そういや、さっきの子どもたちは?」

「ああ、彼らですか。 あの子たちは私が運営している孤児院の子どもたちです。 やんちゃ盛りなのが困りものです」

「孤児院ですか」

「案内しますよ。 ミーシュもそちらにいますので」

「い、今からですか?」



 いつかは必ず顔を合わせることになるのだからここで怖気付いても仕方がないだろう、と冷静な自分が内から語りかける。

 理解はできているが、感情というものは自分で操作することは難しい。

 何より、ティゼルにとっては初めての同い年……それも女の子との出会いなのだ。緊張するな、という方が難しい。

 ティゼルの動きがぎこちないことを見抜き、アイアスが気を回す。



「ミーシュはいい子ですよ。 そんなに身構えないでください」

「村に……故郷に同年代がいなかったので、つい」

「それはそれは……」



 アイアスも少し心配になったのだろう、言葉が弱くなる。



「ひとつ、約束をしていただけますか?」

「約束ですか?」

「はい、簡単なことです」

「簡単なら、大丈夫だと思いますが……」

「あの子と――ミーシュと友達になってあげてください」

「と、友……!」



 エイルに真の任務として言い渡されていたことだ。

 ここに来て、アイアスにまで言われるとは。

 無論、初めからそのつもりはあったが、こうして対面の時間が迫るにつれ、その自信と覚悟はどこかへ消えようとしていた。

 今まさにそれを引き戻されたような気がして、声が詰まる。



「お願いします」

「ぜ、善処します……」



 善処などと、自分らしくない言葉だ。

 こうした堅い言葉を使いそうな、金髪の聖騎士の顔を思い浮かべる。

 難しい依頼を、と怒りたくなる気持ちもあったが、ここにいない人物に怒りを抱いても仕方がない。

 大きく息を吐き、上がった熱を冷ます。



「案内します」



 静かにアイアスが立ち上がる。

 ティゼルもその後に続くため、ローブを着直す。なんだか土臭いような気もしたが、仕方がない。

 次にあの子ども――カイとやらに出会ったら小さな仕返しをしてやろうと画策しつつ、ティゼルはいつになく小さな歩幅で孤児院へと向かった。



 ◆



 教会を通り抜け、裏門から先に続く道を歩く。

 左右は木々に囲われ、どこか故郷を思い出す。あとで森の中に入ってみようかな、なんてことを思いつつ歩いていると、すぐに建物が現れた。

 温かみのある色合いの壁と扉。建物の外には手作りと思われる木製のテーブルや椅子、ブランコなど子ども向けに作ったと思われるものが多数あった。

 そこで遊んでいた何人か――六名ほどだろうか――がこちらを見た。その中には先ほどティゼルに飛び乗ってきたカイもいた。



「あ、旅人のお兄ちゃん」

「誰よ?」

「すっげぇの! ゆう――」

「カイ、余計なことは言わないと約束したでしょう」

「ひっ。 ご、ごめんなさい」



 小さく悲鳴を上げるとカイは滑り台の影に消えた。

 仕返ししてやろうと考えていたが、その必要はなさそうだった。



「ミーシュはいますか?」

「ミーシュお姉ちゃん?」

「ううん、みてないよ」



 仲良く遊んでいた二人組みの女の子に声をかけ、ミーシュの居場所を探る。

 どうやら孤児院にはいないようだった。



「客人が来ることは事前に知らせていたはずですが……」

「アイアスさん! ミーシュ姉ならたぶん森の中だよ!」

「また、ですか。 危ないからやめてくださいと何度も……」



 どこかで似たような話を聞いたような気がした。

 他人事ではないような気がして、ティゼルはひとつ提案した。



「あ、あの、俺が探してきますよ。 森の中の移動は慣れてますし」

「いえいえ! 客人であるティゼル君にそんなこと!」

「気にしないでください。 森の中、ちょっと気になってたので」



「ですが……」と客人を捜索に手伝わせることを躊躇っていたアイアスを押し切って、ティゼルは森の中へ足を踏み入れた。



「暗くなる前には戻ります!」

「ティゼル君――!」



 それだけ言うとティゼルは木々伝いに駆け回る。

 慣れた森の木とは違って細身の枝で、足場とするには少し不安定だが問題ない。

 最小限の力で枝が折れないように調整しつつ跳ぶ。

 人の気配は感じ取れない。

 ならば方角が違うのだろう。

 一度足を止め、耳を済ませる。

 葉の擦れ合う音。鳥が羽ばたく音。森の中を吹き抜ける涼しい風の音。虫たちの奏でる音。そして――


 誰かが歩いたような音を聞き取った。



「そっちか」



 右方向へと転換し、風を切って走る。

 風と同化するようなこの感覚。大聖堂に来てからこうして走ることはなかった。

 グリフィスに乗って風を切るのも心地よかったが、やはりこうして自身の身体を動かして感じる方がいいものだった。

 久しぶりの高揚感に速度が上がる。

 瞬きの間にティゼルは人の影を捉えた。

 木々の枝の上、ティゼルはその少女を見つけるとすぐに飛び降りた。

 その勢いのせいか、被っていたフードが脱げてしまう。


 それは、まるで森の妖精であるかのように幻想的な淡い光を纏っていた。

 もちろん、太陽の光が見せた薄い発光であることは理解している。それでも、その少女に目を奪われてしまう。



「――――」

「――――」



 言葉を失ったのは互いに同じ。

 まず視線が奪われたのは、その真っ白な髪だ。老いによるものではないだろう、透明と言ってしまってもいいような美麗さ。

 腰まで伸びた長い髪。毛先までよく手入れされている。風に揺れるその髪はまるで流れる川のよう。

 その髪と同じ色のワンピース。ベルトのように腰に巻かれたものが腹部に小さくリボンを作っていた。袖からは白磁の指先がピンっと伸びており、こちらは綺麗ではあったが、健康面を心配してしまいそうになるものだった。

 全身が白。

 陽の光を浴びて発光しているように見えるのも納得のいくものだ。


 ただ、一点だけ白色ではない箇所。それは瞳だ。

 ティゼルはまるで鏡でも見ているかのような錯覚に陥る。

 その瞳はティゼルと同じ金の瞳。

 村でも、まして聖都でも見たことがなかった自分と同じ色の瞳だ。

 じっと目を見つめ、息を飲む。

 そしてその少女が恐ろしく美しいことに気がつくと、咄嗟に視線を逸らした。

 どうやら、少女の方も視線を逸らしたようで、互いに互いを見てはいないのに気にしているという奇妙な空間が生まれる。



「君は――」

「やめて、私、に……関わらないでっ……!」



 痛みを訴える悲痛な声にも似たその声は震えていた。

 背を向け、走り出そうとした少女の手を――ティゼルは掴んでいた。



「なっ……んで!」



 振り向いた少女の瞳は大きく、とても大きく揺れていた。



「俺の名前はティゼル」

「ティ――、やめて……」

「君が、ミーシュ……だよね?」



 蒼と白。

 太陽の光をその身に浴びて、神秘的に輝くその二人はまるで物語の一幕のような美しさがあった。


 これがティゼルとミーシュ。


 後に歴史に名を残すことになる二人の出会いだった。

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