15.vs魔女



「来いよ。 勇者ァ!」



 夜の闇よりも黒い髪を逆立たせ、異形の魔女が吼える。

 夕焼けを背にした異形の影が大きく揺れ動く。

 肘から先のない右腕を上げる異形。枝のように細く、不自然なまでに長い腕だ。

 それと同時、異形の口元に歪な笑みが浮かんだのを捉える。



「なっ……!」



 身体が動かない。

 足が地面に張り付いてしまったかのように動けなくなる。

 後ろに飛び、距離を取ることさえできなくなったティゼルに、異形はゆっくりと近づいてくる。

 神経を逆撫でする笑い声を上げながら、切り落としたはずの右腕を伸ばしてくる。


 ――切れていない。

 否、ティゼルは右腕を切り落としたはずだった。

 その証拠に先程、剣を振り払い飛び散った血が地面に着いている。



「がっ……」



 異形がティゼルの左腕を掴む。

 細すぎる異常な腕のどこにそんな力があるのかと疑ってしまうほどの圧倒的な力。雑巾でも絞るかのように捻れていく腕の痛みに、抵抗することすら忘れ悲鳴をあげる。

 聞いたこともない音を響かせ、ティゼルの左腕はいとも容易く、砕けた。



「が、ぁぁぁぁぁぁあああ!!!!」



 骨が折れる。


 ではなく、砕ける。

 石を砕くかのような感覚で、異形はティゼルの左腕を握り潰したのだ。

 焼けたような痛みに意識を奪われそうになりながらも、距離をとる。

 先程まで微動だにしなかったはずの足が動く。が、そのことを考えていられるような余裕はない。



「動けたろ? 俺が距離を取らせてやったんだよォ。 って、聞こえてねェか」



 左腕を抑え、蹲るティゼルに異形は再び近づく。

 痛みに飲まれながらも、続く攻撃を躱すために顔を上げ、震える足で立ち上がる。間合いを取ろうと後方へ――


「動けないよなァ」

「――っ、これ、は……」



 またしても足は自分のものではないかのように動かない。

 石になったような感覚だが、足以外は動かすことができる。が、何が起きているかを考えてはいられない。

 今度はティゼルの右腕を潰そうと、異形が腕を伸ばしてくる。



「こっちの腕も……ア? こっちが右腕か? まァどっちでもいいかァ!」



 掴まれ、押し潰されるよりも早く、ティゼルが動きを見せた。


 女神の奇跡の顕現。

 煌々とした光をその右手に。



「――っ、くそが。 聖装顕現ッ!」



 ◆



 走れ、走れ、走れ。


 ティゼルの指示通り、カイたちと合流したミーシュは森の中を抜け出し、教会へと向かっている途中であった。

 それほど離れていないのにも関わらず、教会への道のりが恐ろしく遠く感じる。

 背後に伝わる圧迫感に押されるように足を動かしながら、先を走るカイたちの背を見つめる。


 年長組であるカイ、ネネカが先導し、まだ幼い者たちをルゥとシャオが支えるような形で走る。

 その最後尾、殿を務める形でミーシュはいた。



「……っ」



 雷のように迸る蒼が天から降り立ったとき、助かったのだと酷く安心した。安心してしまった。

 言葉でどれだけ取り繕おうと、自身の奥底ではまだ生きたいと願ってしまっていることが悔しい。

 死を想起させられることで、本心がはっきりとわかってしまった。


 唇を噛み、瞳を伏せるミーシュの記憶が見せるのは過去のこと。

 かつて、自身を助けようとして死んでしまった――否、殺してしまった男のこと。



「大丈夫よね……」



 その男とティゼルの姿が被る。

 彼もまた、自分を助けようとしてくれた人なのだから。



「ミーシュ姉! 教会に着いた……けど! 村が!」



 カイの声で我に返る。

 長く感じていた教会までの道をいつの間にか走り切り、ミーシュたちは坂下にある村を見た。

 黒煙が上がっている。



「っ、どういうこと……? アイアスさんは!」



 教会にいるはずのアイアスを皆で探すが、どこにもいない。

 村での危険をいち早く察知し、降りたのか、最初からここにはいなかったのかのどちらかだ。


 ミーシュは迷う。

 ここにカイたちとともに助けを待つか、アイアスを探しに村へ降りるか、ティゼルのもとへ――



(ううん、それはダメ)



 思考している最中も黒煙は上がり続ける。

 焦燥感から、どれだけ考えてもまとまらない。



(ここにこの子たちを置いて……他にもあんなのがいたら……! けど、村にはアイアスさんが!)



 固まったまま動かないミーシュの裾を不安そうに引っ張るルゥ。その手をカイが引く。

 涙目になって何かを訴えるようにカイを見たルゥだが、その手が震えていることに気がつくと、何も言わずに俯いた。



「ミーシュ姉は村の人たちを助けに行って」

「……カイ?」

「俺たちなら大丈夫。 何かあっても俺が絶対皆を守るからさ!」



 肩も、手も、よく見れば足だって震えている。

 自分よりも歳下で、まだまだヤンチャな子どもで、ティゼルのように特別な力があるわけでもないカイが自分を安心させようとして無理をしている。

 他の子どもたちも泣きそうな顔をしてはいるが、誰一人泣いていない。今にも泣き出してしまいそうな彼らのためにも、早く走らなくてはならない。



「っ……わかった」

「何かあっても心配しない、で! ティゼルお兄ちゃんが、近くにいる、から。 私たちは大丈夫」

「ミーシュ姉の力ならあんなヤツらぶっ飛ばせる!」

「早く行って、アイアスさんを助けて!」



 年長組の三人に背を押され、ミーシュは走り出す。

 少しでも早く村に着けるように、自分の中に眠る力の中で最も使い慣れた《風》を行使する。

 地面から足が離れ、身体が軽くなる。そのまま跳躍し、身に纏う風の調整で前身する。

 長時間は浮いていられない。そのためミーシュは自身の最速で最も黒煙が濃い場所を目指す。


 村に近づくにつれて破壊音が耳朶じだを叩く。

 ティゼルと村へ来たときとは違う、息が詰まりそうな重圧の中、民家の屋根に立ったミーシュは周囲を見渡した。



(……アイアスさんは、どこに)



 ティゼルとともに訪れた店、その店に多くの人が集まっているのが見えた。

 すぐにそちらへ向けて飛ぼうとしたが、一度踏みとどまると屋根から降り、走る。人前で魔術を使っているところを見られればいならない混乱を招きかねない。

 ただでさえ、悪目立ちする外見をしているのだ、今の状況的にも無駄な騒ぎを起こすことは避けておきたかった。


 屋根の上からとは違い、道が真っ直ぐではなかったが、人が集まっているおかげか、その声を頼りに店までたどり着く。

 ミーシュが現れるとそれに驚いたのか、主婦の女が小さく悲鳴をあげた。

 わかっていたことだ、とミーシュは肩を抱き寄せる。小さく息を吐き、声が震えないように強く意識する。



「す、すみません、アイアスさん……は、ここに……」


 返事はない。

 全員が首を動かし、誰が答えるか――ではなく、目の前にいる白い少女が何であるのかを考えているようだった。



「アイアスか! アイアスを探してんのか?」



 人だかりの奥、この場に似つかわしくない素っ頓狂な声を上げて誰かが手を挙げた。

 村人たちを掻き分け、弾き出されるようにミーシュの前に現れたのは、以前この店でミーシュたちに絡んできた男――クトウである。

 クトウはミーシュの見た目にギョッとしながらも、ここまで来てしまったせいか引き下がれないという様子で、ミーシュを見ていた。



「あ……あなた、アイアスさんがどこにいるか知ってるの?」

「――その前にアンタ、魔女か?」



 間の抜けた声ではなく、低く、人を疑う声だ。村人たちにどよめきが生まれるのと同じくして、ミーシュが息を詰まらせる。

『魔女』とそう呼ばれる度に心が締め付けられる。息ができなくなる。胸が張り裂けてしまいそうになる。

 足元にあるはずの地面が崩れ、上も下もなくなっていくような感覚。ただ深い暗闇の底に落ちていくような錯覚に、一歩、足を引いた。



「ア、アンタは魔女って聞いてんだ。 俺たちゃ、魔女に襲われて、状況が飲み込めてない。 そんな中アンタが現れた。 どう考えたって、ヤツらの仲間だろ」

「ち、ちが……わたし……は、ただ……たすけに……」

「……アンタ、噂になってる孤児院のヤツだろ? ローブの兄ちゃんは魔女はいないって言ってたが、どうもな」



 店で絡んできたときとは違い、おどけている様子はない。村人たちの前に立ったことで、使命感のようなものが生まれたのか、クトウの声は鋭かった。

 光を喪失したミーシュの声は小さく、聞き取ることは困難だ。それが余計にクトウの不安を煽る。

 魔女の襲来。そしてそこに現れた頭から足先まで真っ白な少女だ。疑うな、という方が無理がある。

 なぜかこの店に集められた村人たちを始末しにきたと考えるのが妥当だ。



「ま、魔女なんだろ! こ、これ以上俺たちの村を壊されてたまるか!」



 クトウのその声に賛同するように、静観していた村人たちも声を上げ始める。

 魔女だと罵る声が大きな壁となってミーシュを押し潰す。

 息が早くなる。視界が揺れて、真っ直ぐ立っていることさえ困難だ。子ども描いた絵のように線の曲がった歪な世界。


 視界が、暗くなる。



「――待て。 クトウ」

「おう、ギジル。 お前も言ってやれ!」



 魔女出て行け、という声を切り裂き村人たちの前に出てきたのはクトウよりも屈強な大男――ギジル。

 ギジルはクトウと村人たちを静かにさせると、膝から崩れ、自分を抱きしめて震えるミーシュと視線を合わせた。

 それに気がついたミーシュが声にもならない小さな悲鳴を上げ、後ろへと下がる。

 白い顔が、さらに白い。生気のない金の瞳がギジルの力強い瞳に射抜かれ、動きを止めた。



「――嬢ちゃん、ケーキ食うか? 甘い物、好きなんだろ?」



 震えていたミーシュの肩が止まる。

 ゆっくりと顔を持ち上げ、色黒のギジルの顔を見つめた。

 そこでようやく、ミーシュは目の前にいる男がこの店の店主だと気付かされる。



「店、壊されちまったが奥は大丈夫だ。 あとで好きなだけ甘い物作ってやる」



 優しく微笑み、ミーシュの頭に大きな手が乗せられる。

 瞳に生気が戻ったことを確認すると、ギジルは立ち上がり、クトウの薄くなった頭に拳を入れた。

 何すんだよ、と怒っていたクトウだったが、ギジルの圧には勝てず小言を呟いて背中を丸めた。

 その様子に、声を上げていた村人たちも静まり返り、ギジルのことを黙って見ていた。



「どう見たって魔女じゃあない。 よく見ろ、小さな女の子じゃないか」

「だ……だってよ」

「お前、あの嬢ちゃんにアイスやってただろ」

「あ? そんなこと……ん? って、あれはお前が!」



 思い出したかのように声を荒らげるクトウを無視してギジルは村人たちの前に立つ。



「いいか、皆。 俺は長いことこの店を経営してきて、この村で一番と言われるまでになった。 その店の店主として誓う。 この子は魔女じゃあない。 どう見たって俺の店を壊していきやがったあの魔女の仲間には見えないだろ?」



 長い間店主として、この村を訪ねてきた旅人や商人たちを見続け鍛えられた人に対する審美眼。

 長年のそれが、ミーシュは悪人ではないと告げていた。


 しかし、村人たちに納得した様子はない。が、ミーシュに対して何かを言うことはなくなっていた。

 クトウも目を細めながらミーシュを見つめ、「あのローブの嬢ちゃんか?」などと言っているが、確信は得られていない。



「とにかく、俺はこの子を信用する。 アイアスを探してるんだろう?」

「アイ……アス……」



 我を喪失していたミーシュはその名を聞き、自身が何のためにここまで来たのかを思い出す。

 まだ小さく震える足で立ち上がる。よろめく姿は痛々しく、警戒している村人たちも心配してしまうほどだ。

 それでもミーシュは立ち上がる。瞳に強い意志を込めて。



「そう……です。 アイアスさんを――あなたたちを助けに、来た、の」

「そうか。 なら頼む、俺たちを助けてくれ。 アイアスは今、気持ちの悪い魔女を相手に一人で時間を稼いでる。 誰かが助けに来ることに賭けてるみたいだった」

「わかり、ました。 私……が」



 瞬間、ミーシュの背後で鳴り響く轟音。

 村人たちに恐怖の色が浮かび上がる。



「頼む! アイアスを、この村を救ってくれ!」



 ギジルの声を背に、ミーシュは空高く飛び上がる。

 不思議と恐怖はない。

 忘れてしまっているだけだろうか。それとも――


 こちらを見上げるギジルに一度視線を落とすと、ミーシュは目の前に立ち込める黒煙の中に身を投じた。

 民家が崩れた瓦礫の中、煤に塗れたアイアスの姿を確認する。

 擦り傷や火傷のような跡が多いが、大きな怪我は見当たらない。



「アイアスさん! アイアスさん!」

「――ミー……シュ、なぜ貴女が、ここに」



 致命傷を受けたわけではないようだが、口元には血を吐いたような跡も残っている。

 ミーシュが思っているよりも重症かもしれないアイアスを守るように立ち、黒煙を切り裂く風を生み出した。


 煙が晴れたその先から現れた異形に、ミーシュは一度息を飲む。

 ツインテールよりも高い位置で結ばれた、今の空と同じ橙色の髪。根源的な恐怖を呼び起こす深紅の瞳は長いこと見つめていたくはない。

 何よりも、人間の腕であるべき箇所に生えた冒涜的な翼。

 人間の腕を集めて翼の形にしたそれは見るに堪えないものだった。




「あはっ! 口先だけの男だったわね! ……って何? 新手……いや、魔――」

「やめてちょうだい。 あなたと同じに考えないで、私はあなたほど醜くないもの」

「ガキが、舐めたこと言ってくれるじゃない。 殺すぞ」

「残念。 私を殺していいのは勇者様だけよ」



 気味の悪い魔女の歳など当然知らないが、ミーシュの挑発は随分と効果的だったようで、浅黒い顔に強烈な怒りの感情を張り付け、魔女が叫ぶ。

 ミーシュが構えるのと同時、腕の翼を丸めミーシュ目掛けて落下する。


 アイアスごと風で運び、ミーシュから離れた場所にその身を置くと、屋根の上に飛び上がる。

 砕けた瓦礫の上で丸まった腕だらけの翼を見下ろし、ミーシュはその力を呼び起こす。



「欲するは《雷》、焼け朽ちろ――!」



 赤に染った夕闇の空から青白い雷が降り注いだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る