14.襲撃

 大きく口を開けた欠伸をひとつ、ティゼルは間抜けな顔で教会の廊下を歩いていた。

 大聖堂よりも小さな教会だが、その造りは立派なもので、道を覚えるのに苦労した。

 今日は村の方へとミーシュを連れ出し、強制的に村の中を見て回った。ミーシュもこの村には半年ほど前に来たばかりで、村をよく知らず、二人揃って迷子になって帰ってきた。

 余計な体力を使ったせいか、いつもよりも早い時間だが眠気が誘う。

 そのことを思い出し、もう一度大きな欠伸をしていると、廊下の奥から見覚えのある男物の聖堂着を来た、細身の男――アイアスが歩いてくるのがわかった。



「あれ、アイアスさん。 これからどっか出かけるんですか?」

「はい、実はギジルさん……ティゼル君がミーシュと行っていたお店の店主さんに呼ばれてましてね」

「あのおっちゃん、ギジルって名前なのか……って、なんで俺とミーシュのこと知ってるんですか」

「そりゃあ、ローブを着た怪しげな二人組がいたら噂話にもなりますよ」

「うっ、たしかに」

「明け方までには帰るつもりですが、良ければティゼル君も来ますか?」

「んや、大人たちの飲み会に俺は場違いですよ。 それに明日もミーシュを連れ回さなきゃですし、もうすぐ寝ますよ」

「そうでしたか、おやすみなさい。 ミーシュをよろしくお願いします」



 そう言ったアイアスの背を見送ると、ティゼルは再び欠伸を漏らし、自室へと戻った。



 ◆



「アイアス。 やっと来たか」

「すみません、少し遅れてしまいました」

「おー! アイアス! 先始めてるぜー!」



 店主であるギジルがアイアスを出迎え、店内へと入る。

 店の奥には既に出来上がった状態の男たちが数名ほど騒ぎ立てていた。店の外からでもわかるほどの騒ぎっぷりにアイアスは笑ってみせると、カウンターに着き、用意した水を呷いだ。



「酒、飲まないのか?」

「聖職者にお酒を進めないでくださいよ」

「それもそうだな。 何か食うか?」

「でしたら、何かつまめるものを」

「おう」



 ギジルが店の奥へと入っていく。

 それを見計らったのか、酒を片手に頬を赤くした男たちがアイアスを取り囲む。

 足元はふらつき、瞳も揺れているような状態でアイアスの肩にしがみつくと、真っ赤な顔を近づけてくる。酒の臭いに苦笑しつつ、距離を置くように引き剥がすと、中年の男はなぜか怒ったような口調でアイアスに質問した。



「アイアスさんよぉ、あの怪しい二人はなんなんだ、一体よぉ」

「彼らは訳あって顔を隠しているだけです。 事情は察してあげてください」

「察するも何も! なーんもわかんねぇのにかぁ?」

「悪い子たちじゃありませんので」

「それはそうかもな! アレだろ、今この村にいる魔女を倒しに来てくれた聖騎士様なんだろ!」



 肩に腕を組み、絡んでくる中年の男――クトウをまた引き剥がす。

 奥からギジルが戻ってくると、面倒くさそうに言葉になっていない何かを唸ると、その距離のまま酒を飲み干した。



「すまんな、アイアス。 昼間にも言ったんだが、聞かなくてよ」

「構いません。 いつものことじゃないですか」

「そうだな。 ……それはそうと、あの二人は俺も気になってんだ。 聖騎士なのか?」

「違いますよ。 あの二人はまだまだ幼い小さな子どもです」

「そうか。 たしかにあの二人、悪いやつには見えなかった」

「ありがとうございます、ギジルさん」

「なんでお前が感謝するんだ」

「さあ、なんででしょうか」



 水を一気に喉へと流し込む。

 気分がいい。

 聖職者なんてものでなければ酒の一つや二つ飲み干したいくらいに。

 そうできないことに歯痒さを覚えながらも、あの二人がこうして村人たちに覚えられていることが嬉しかった。

 怪しげな二人組だと覚えられていても、アイアスにとっては喜ばしい。



「珍しいな、いいことがあったのか?」

「ふふ、何がです」

「お前がそんなに嬉しそうなところ、久しぶりに見たぞ」

「そうですかね。 私、そんなに無愛想にしてますか?」

「そうだな、もう少しその疲れきった顔をどうにかすればもっと良く見える」

「それは厳しいことです」

「んだよ! 二人揃って! 俺ぁー仲間はずれかよ」



 二人に無視され続けていたクトウが声を大にすると、店内に笑い声が響く。

 日頃の疲れが取れていくような、浮き足立つ店内に――朝日が、射す。



「ん? もうこんな時間か? 楽しい時間は早ぇな! な、アイア――ス?」



 いつの間にか朝になっていたことを笑っていたクトウだったが、横に座っていたアイアスを見て、言葉を止めた。



「どうした、アイアス」



 ギジルも様子がおかしいことに気づいたのだろう、アイアスに声をかけるが返事はない。

「なぜだ」と小さく呟いているばかりで、こちらのことなど気にも留めていない。


 窓から差し込んだ光の角度が、先程までと大きく異なっていることに店内の誰かが気づいた。

 おかしい、と声を上げる間もなく――


 ――空が、朱に染まった。



「皆さん! 逃げて――」



 アイアスの言葉は轟音とともに掻き消えた。

 店の扉の周囲が吹き飛ぶ。

 抉られた箇所に誰もいなかったことは幸いだった。もしも、そこに立っていたらと考えるだけで背筋に冷たいものが走る。

 この場にいる全員が同じモノを見ていた。


 揺らめく大きな沈みかけの太陽を背にした影。

 人間の女の形をした胴体。女性らしい身体つきは男を選び放題にできるだろう。しかし、その女のシルエットはよく知る人間の形ではなかった。

 本来、腕でなければならない箇所に生えていたのは、翼。逆光となっているため、その全容はわからないが、形状が鳥のもつそれに酷似していた。



「もう、イドってば人使いあらーい! そんなんじゃ、私以外から嫌われちゃうよ」



 こちらを気にした素振りも見せずに女の異形は声を上げる。

 それだけで、この場にいる者は立っていることさえままならず、膝を着いた。


 一人を除いて。



「あら、お前人間の癖に生意気ね」

「人間……ですか」

「倒れてた方が楽だったかもよ」

「魔女、どこから来た」

「あはっ、教えるわけ――ねェだろ!」



 異形が眼前に迫る。

 アイアスは反応することもなく、店の壁を突き破るほどの蹴りをまともに受ける。

 異形がアイアスに追撃を加えるために空を飛ぶ。吹き飛んでいったアイアスを探すため、上空から見下ろし、降下した。

 圧倒的な質量が作り出す死の重圧を頭上に感じ、転がるようにそれを避けた。



「すごいすごい! 思ってたより頑丈だね」

「……どうやら、本当に魔女のようですね」

「魔女魔女って古臭いなぁ、もう。 私たちは魔人と名を変えたの」



『魔人』その名にアイアスはほんの少しだけ反応を見せた。


 そして、逆光になっていて見えなかった、その異形の姿が顕になる。

 浅黒い肌と渦を巻いたような、見ている者を吸い込んでしまう紅い瞳。高い位置で二つに結んだ橙色の髪の前髪は黒色が混ざっている。

 そして、何よりも目を引くのはやはりその翼だ。


 人であるはずの形を異形たらしめているモノ。それを翼と呼称したくはなかった。

 大きい。小さい。

 太い。細い。

 長い。短い。

 老化している。若々しい。


 人間の腕を束ねたかのような巨大な腕の集合体。

 それを鳥の翼を模した形にしたものが、異形の影の正体だ。



「気持ち悪い……侮辱的な見た目ですね」

「自由に言いなさい。 人間と私たちじゃあ感覚が違うもの。 仕方ないわよ」

「それは、生きているのですか」



 腕の一つ一つが、意志を持ったかのように動き、手招いている。

 助けてくれ、と言わんばかりにもがき、苦しんでいるそれからアイアスは決して目を逸らさない。

 異形が放っている濃い瘴気に充てられることもなく、涼しい顔で標的を睨みつけていた。


 切る暇もないため伸ばし続けている黒髪がなびく。

 構える様子もないアイアスに向けて異形が駆けた。

 常人の目に追える速度ではない。

 その腕の翼で地面を抉り、土煙を上げながら突進してくる。

 視界が遮られるほどのそれにも動揺を見せることなく、アイアスはただ立ち止まって、待っていた。



「死ね! ニンゲンッ!」



 アイアスの頭上からの声。

 自由落下に身を委ねた全体重を乗せた、圧倒的な一撃だ。

 腕の一つ一つに宿らされた人間の重みが、武器となってアイアスに襲いかかる。直撃すれば死は免れない。


『轟ッ』と周囲の建物の壁や、石造りの地面を引き剥がす威力と爆発。

 建物への被害は甚大で、そこにいる人々もただでは済まない。


 ――済まない、はずだった。



「失礼、周囲の人々の救出に手間取っていました。 それで、あなたの攻撃は私に届きましたか」

「――は?」



 アイアスは黒い瞳の奥底に、揺るぎない殺意の火を滾らせる。

 その周囲には夕日を反射する水の球が浮かんでいた。



「あまり、戦闘はしたくない。 身体が持つまでならば相手しますよ、魔女」

「だから、アタシたちは魔人って……言ってるだろォがッッ!」



 腕の翼が伸びてくる。拳を握らせた人間の腕がアイアスの身体に到達する、その直前、大きく後方へと跳んだ。

 舞い上がる煙の中から伸びてきた腕の翼をもう一度避けると、身の回りに浮いた水の球を飛ばす。

 小さく、けれど鋭い。

 針のように伸びたそれが腕の翼に突き刺さるが、大した威力は出ていない。



「やはり、もう戦えるだけの力はありませんね」



 自身の能力が極めて低下していることを確認するための攻撃。

 であれば、アイアスが取る手段は一つ。



「時間を稼ぎましょう。 救援が、来るまで」



 ◆



 目を瞑り、明日の出来事を思い浮かべる。

 まずは森へ入り、ミーシュにローブを着せて無理やり連れ出す。

 あとは今日と同じ店で昼食を済ませ、今日とは違う場所……出店の辺りを見て回ろう、とティゼルは計画を練る。

 下見などはしていないが、なんとかなるはずだ。そう自分に言い聞かせ、明日の成功を祈る。


 ミーシュと友達に近づいているような実感はなかったが、少しでもミーシュがティゼルを意識してくれればそれでいい。

 まずはミーシュの意識にティゼルが入り込まなければ話にならない。

 既に意識の中に入り込めてはいるのだろうが、それはあくまで一過性のもの。

 客人、護衛、勇者。それらによってもたらされたものだ。



(難しいな……)



 友を作るということの難しさを知らない。

 だからこそ、こうしてあれこれと考えを巡らせ、少しでもその仲が深められればと思っているのだが、そんな経験のないティゼルにはここらが限界だった。


 気分を変えようと窓を開け、夜風を浴びる。

 冷たいような、生ぬるいような風。森の方から不気味な鳴き声のようなものを響かせながら吹いている。

 己の瞳と似た、欠けた月。雲のない空に浮かんだ星々は明かりの少ないこの場所では、銀の砂粒のように輝いて見える。



(ミーシュと見るのもいいか。 アイアスさんや、カイたちも誘って皆で)



 二人で見るよりもずっと騒がしくなりそうだが、そちらの方が面白そうだ。と微笑する。

 ちょうど明後日は祭りの日だと店主の男――ジギルに聞いた。だったらその日の夜にでも、と考える。



(明後日なら月も綺麗に丸くなってるか)



 よし、といい案が思い浮かんだところで窓を閉め、ベッドに身を委ねる。

 目を瞑り、自身の呼吸の音だけが聞こえてくる部屋。


 異変が起きたことに、すぐ気がついた。



「――っ、これは!」



 忘れもしない、故郷を襲った山羊頭の魔女。それと同質の気配を感じ取り、すぐにベッド脇に置いてあった剣を手に取る。

 窓から屋根へと飛び上がり、周囲の様子を探る。

 最も近いのは孤児院。続いて村の――あの店の方に二つ。村の方の気配は少しだけ違和感がある。片方は不気味なものだが、もう片方はどこかで感じたことのあるような気配だ。



(それよりも、孤児院……!)



 現在のティゼルの使命はミーシュの護衛。

 村の方も気にはなるが、それでもティゼルはミーシュに背を向けられなかった。


 そして、太陽が登る。



「なんだよ、これ!」



 ティゼルの真上を通り越し、村の方角に沈んでいく。

 落ちたわけではない。ピタリと宙に止まり、空を紅く染め上げた。

 夕焼けの空のような光景に目を疑う。

 先程まで見上げていたはずの月はどこにもなく、当然星々も見えない。本当に日が登り、黄昏が訪れたかのような景色だ。



「ミーシュ……!」



 ティゼルは孤児院の方へ足を向けると、躊躇うことなく高く跳ぶ。

 それほど離れた位置にない孤児院は上空からならよく見えた。

 何かがいる。そう感じ取ったティゼルは剣の柄に手を添える。

 もしも人であれば? などという考えはどこにもない。腹の底がかき混ぜられるようなおぞましい気配の正体が人間であるはずがない。


 影を捉える。

 ひとつは見覚えがある白い影。

 もうひとつは、遠目にもわかる異形。



「欲するは――」



 ミーシュの声が聞こえる。

 戦っているのだろう。ミーシュへと迫る異形の影に向けて何らかの攻撃を仕掛けようとしている。


 だが、間に合わない。



「遅せぇなァ!」



 轟音と煙。

 大地を揺るがす大きな音に木々に止まり、静観していた鳥たちが一斉に羽ばたく。



「――お前、誰に手向けてんだ」



 金の光が二つ揺れる。

 明らかな怒気の籠った瞳。

 土煙の中から蒼く輝く髪が見えた。



「どう……して」



 白銀の剣を振ると、水しぶきのような音が聞こえた。



「お前ェ……! シッ、いきなり人様の腕、切り落とすってのは物騒な挨拶だなァ!」

「どうしても何も、俺はミーシュの護衛だからな」

「無視とはいい度胸だなァ」



 剣を構える。

 異形の動きをひとつも見落とさないように細心の注意をはらいながら、背後のミーシュのことも意識に入れるというのは戦闘経験が少ないティゼルにとって難しいことだ。



「ミーシュ、カイたち連れて教会まで走れ!」

「あの子たちなら先に逃がしてある。 あなた一人じゃ……」

「頼む! カイたちがまだ近くにいる。 多分、動けてないんだ!」



 二人で戦えば勝機はそれだけ増えるだろう。

 しかし、護衛対象であるミーシュと、まだ近くに気配を感じるカイたちに気を回しながら戦うのは得策ではない。

 エイルであれば、と己の無力さを嘆くがどうにもならない。

 何かを守り抜く戦いの技術を身につけていない以上、多数へ集中を割かれるような戦い方はできなかった。


 何かを言いたそうなミーシュだったが、静かに頷くとティゼルの指示した通りの方へと飛び込んでいった。

 これで正面の敵のみに集中できる。

「ふぅ」と息を吐く。極限まで集中力を高めようとしているのだ。



「シッ、来いよ。 勇者ァ!」



 開戦の狼煙が上がる。

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