13.雷が降った夜
ルギス村は比較的聖都に近く、人も集まりやすい村だ。聖都への中間地点として利用する商人なども多く、この村で商いを行う者たちが出店を作りそれが並ぶ通りがある。
聖都と比べてしまえば人の数は少ないが、それでも村と呼ぶには多すぎる数だ。
人目につくことが多いからか、この村の家々は見栄えがよく綺麗なものも多い。
村全体がルギス村を良くしようと働いていることがよくわかる。
そんな村の中では、現在ひとつの噂話が流れている。
「魔女の話、どうなった?」
「んや、何も」
「あの旅人さんが倒してくれたんかね」
「どうだろな」
森の奥にいると言われている白い魔女。
曰く、炎を操る。
曰く、氷を作り出す。
曰く、影を自在に動かす。
これまでの目撃情報において三つの能力が確認されている。
「聖騎士様に来てもらおう」
「アイアスさんが呼んでくれたんじゃなかったか?」
「じゃあ、あのローブの兄ちゃんが聖騎士様か?」
「そう言われるとどうだろな。 ありゃ、若ぇぞ」
この村で一番美味い、を掲げている食事処の店内では昼食時ということもあってか人で賑わっていた。
粗暴な見た目の男たちがほとんどで、村を綺麗に保っている者たちという印象はどこにもないが、その食べ方は見た目にそぐわず綺麗だ。
「らっしゃい……っと、ローブの兄ちゃんか」
「ん? 来ちゃダメだったんですか?」
「いや、そういう訳じゃねぇ。 今ちょうど兄ちゃんの話をしてたところだ」
「本人のいないところでされてる噂話か、どんなのか気になりますね」
「聞かせてやるよ。 一人か?」
「や、二人です」
深々とフードを被った男の後ろからもう一人、ローブを被った人物が恐る恐る顔を覗かせた。
と言っても、その人物もやはりフードを被っており素顔はわからない。
背丈は男の方よりも少しだけ低く、線が細い。
長年の経験からか、店主の男はもう一人のローブが女であることを見抜くと、冷やかすように目元を細め、口元には笑みを浮かべる。
「女連れたぁ、やるな。 しかもなんだ? ローブ仲間か」
「人聞き悪いこと言わないでくださいよ」
「すまんすまん。 ま、適当に座ってくれ」
ローブの男――ティゼルは店内を見渡し、人が少ない影になっているテーブルに着いた。
ティゼルの後ろをピッタリと離れずに、しかし周囲の様子を気にするように首を動かすもう一人のローブ姿の人物は注目をその身に集めていることに怯えた様子で肩を小さくさせる。
「そんなビビらなくても大丈夫だって」
「で、でも、私教会から降りたことなかったの……。 人に会うのだって、アイアスさんやあの子たち……一応あなた以外にはいなかったし」
「帰りたいなら帰ってもいいんだぞ?」
「む、無茶言わないで。 一人で帰るのは嫌。 人が多すぎよ」
「聖都なんて行ったらもっと多いぞ」
聖都には多少の興味があるのか、考え込むような仕草を見せる。
「なんでもいいから、早く帰して」
「ん? なんだ、兄ちゃん。 無理やり連れてきたのか?」
水を運びに来た店主に話を聞かれていたのだろう、子どもを叱りつけるような表情でティゼルを見ていた。
「ったく」と息巻いた様子を見せたが、特に何かを言う素振りも見せずに奥まで戻って行くと、すぐに戻ってきた。
「嬢ちゃん、ほらこれ。 こんな顔も見せない兄ちゃんに連れてこられて怖かったろ?」
「それはミー……この子も同じだろ」
渡してきたのは真っ白なアイスクリームだった。
「おい、ギジル! それは俺のデザートだろ!」
「あの客からだ。 食前ってのがアレだが、食べて大丈夫だぞ」
後ろから飛んできたヤジを気にすることなく店主の男はそれを置くとまた戻って行った。
男女の扱いの差に口を尖らせながらも、ティゼルは目の前にいるアイスクリームを見て瞳を輝かせている少女が目に入ると、そんなこともどうでもよくなった。
当然、こちらからでは瞳や表情などはよくわからないが、少女が喜んでいることくらいはその纏っている雰囲気が煌々としたものになっていた。
「な、何よ」
「嫌がってた割に喜んでんな、って」
「甘い物に罪はないじゃないの」
「そりゃあ、よかったよかった」
適当に店主へ注文を入れる。ティゼルが頼んだものと同じものを頼んだ少女にはなぜかケーキがオマケされていたが、最早ティゼルは何も言わなかった。
「……強引なのよ、あなた」
「それは――ミーシュが逃げるからだろ」
「逃げて何が悪いの。 私は別にあなたと仲良くする気はないの」
「ミーシュになくても俺はある」
「……そ。 だとするなら、もう少し優しくしなさいよ」
「優しかっただろ」
「あんな物みたいな運ばれ方が優しいとは言えないわ」
先日、ティゼルはミーシュと友達になることを誓った。
以来、何度も森の奥へ行ってはミーシュと話をしようと試みてはいたものの、まともに会話ができたことは一度もなかった。
会いに行く度に暴風に押し戻され、その度にカイたちに心配される始末。
三日間にも及ぶ攻防の末、ティゼルは多少無理やりにでも話をするために、本気を出してミーシュを捕まえることにした。
いつもはミーシュに声をかけるから風で吹き飛ばされていたが、今日は違う。
怖がらせてしまうかもしれなかったが、最速で距離を詰め、背後からミーシュを抱えて走った。
途中、何度も背中を叩かれたが我慢し、予備のローブを着せ、文句を言わせる隙も与えずにここまで降りてきたのだ。
「あーでもしないと話をしてくれねぇじゃん」
「話、話って何か私と話したいことでも?」
「そういう訳じゃないけどさ。 ほら、仲良くなるためにはまずは話からって」
「あなた友達いないでしょ」
「ミーシュにだけは言われたくねぇよ……」
ティゼルのいた村に同年代はおらず、友達と呼べるような存在もなかった。
そのため、ティゼルにとってこうして歳の近い誰かと話をするのは初めてと言っていいだろう。
そんな中、友達になろうなどと考えてもいい手段は思いつかなかった。
「とにかく、話もしてもらえなかったら何も意味ないだろ? 一応、護衛なんだから、多少は会話しとかないと、何かあったら困るだろ」
「何もないわよ。 こんな村で」
「……ほ、ほら、用心しておいて損はない……と思うんだよ」
村で囁かれている噂話はあるが、その正体を知っているティゼルから見れば、この村は平和そのもの。
そんな中で何を用心するのかは知らないが、護衛として目を光らせる分には損などないだろう。
ティゼルは視線を横に向けると、前にここに来たときに絡んできた薄い頭が寂しい中年の男がこちらに来ていた。
「そうそう、兄ちゃんの言う通りだぞ。 最近この村では魔――」
「そんなものはいなかった」
ミーシュの肩が一瞬だけ跳ねたのが見えると、男が言い切るよりも前にティゼルが声を落として男にそう言った。
「……森の奥を見てきたけど、アンタらが言うような存在はいなかったよ」
「そ、そうか? で、でもよ」
「いない。 そんなもの、この村のどこにもいねぇよ」
「に、兄ちゃん、何モンだ……?」
「さぁ、俺が聞きたい」
熱くなってきた頭を冷ますために水を一気に流し込む。
手が止まったミーシュを見て、すぐに絡んできた男を引き剥がすとティゼルは何か別の話を探す。
できれば明るくて楽しそうな話がいい。
「すまんな、嬢ちゃん。 いきなり変な男が来たら怖いよな。 こいつには後でしっかり注意しとくからよ」
「い、いえ……私は……」
「おっちゃん、ありがとうございます」
「兄ちゃん……前から言おうと思ってたが、話し方気持ち悪ぃぞ、気なんて使うな、普通に話せ」
「き、気持ち悪いとか言うなよな……」
初対面かつ、歳上ということもあり失礼のないようにと礼儀正しくしていたはずなのだが、逆効果のようだった。
肩を落としているティゼルを見て、ミーシュが少しだけ笑った。
すぐに店主の男に視線を向け、小さく頭を下げた。
気にするな、と言わんばかりに指を立て、去ろうとした店主は何かを思い出したのように足を止めた。
「そういや、明後日この村で祭りがあるのを知ってるか?」
「祭り……?」
「知らねぇか。 年に一回、死んじまった人や先祖に感謝する祭りだ。 つっても、んな辛気臭ぇ祭りじゃねぇ。 村全体で派手に騒げる祭りだ。 兄ちゃんたちも来いよ」
そう言うと店主の男は飛ばされて伸びていた中年の男を引きずりながら去っていく。
「……まさかとは思うけど」
「その祭り、行ってみるか!」
「嫌。 今日は無理やり連れてこられたけど、次はそうはいかないわ。 全力で抵抗するから」
「やってみろ、何がなんでも連れてってやるからな」
「ふん」
鼻を鳴らすと、ミーシュは最後まで残しておいたケーキを美味しそうに頬張り、満足そうに鼻を鳴らす。
口元にクリームが付いていることを教えると、気を悪くしたのか、思い切り足を踏みつけられた。
だが、不思議と悪い気はしない。
ミーシュの楽しそうな笑顔につられ、笑ってしまったからなのかもしれない。
◆
「ほんと、バカみたい」
子どもたちが眠ったあと、ミーシュは夜の冷たい風を頬で感じながら少しだけ欠けた大きな月を見上げていた。
孤児院に置いてあるベージュのカーディガンを風避けに羽織り、小さくブランコを揺らす。
ぎぃ、という音が鳴り、焦ったように後ろを見たが、外での音が孤児院の中にまで聞こえているはずもなく、誰かが起きた様子はなかった。
そんな風に言いつつも、どこかで明日を楽しみにしている自分もいた。
「――友達……なんて……」
揺れるブランコは止まる気配を知らない。
ミーシュの表情は影に落ちて、何もわからない。
「リオドールさん……」
栗色の髪をした、頼りなさそうに笑う男の顔が思い浮かぶ。
忘れよう、忘れようとしても忘れられない記憶。
忘れたフリで心の奥底に押しとどめていた記憶が、今になってまた呼び起こされる。
『君は……幸せになって、いいんだ……』
暗い地下室の奥で、唯一自分に優しくしてくれた男。
あの場所で自分が唯一心を許していた男。
研究員たちの目を盗み、自分を逃がそうとしてくれた男。
そして、自分が殺してしまった男。
「やっぱり……私に友達なんて」
「独り言かァ?」
闇の底から聞こえてきたかのような、腹の底に響く声だった。
身体が強ばり、動くことさえ叶わない。本能が危険だと警鐘を鳴らしているのだろう、汗が吹き出る。
喉を締め付けられているような息苦しさに、呼吸が自然と早くなっていく。
どうすることも出来ない恐怖の感情に飲み込まれてしまいそうになる。
「驚いたよ。 勇者を殺しに来たはずが、すげぇモン見つけちまった。 こりゃあ持って帰らねぇとなァ」
足が掴まれている。
異常に大きな手がそこにはあった。脛の辺りを掴んだそれは人の手の形はしていたが、人の温もりはどこにもない。
凍てつくような、まるで死人の手のような冷たさ。
恐怖に押しつぶされそうになりながら、ミーシュはその手を振り払うために――
「欲するは《炎》――っ!」
自身の身体から放たれた紅蓮がその手を焼き尽くす。
すぐにその場を離れ、声の主へと振り返る。
それは、人影と呼ぶにはあまりにも歪な形をしていた。
地面まで伸びた長い闇のような髪を引きずりながら、ソレは焼けた巨大な手を眺めていた。
人の顔――いや、それよりも大きく肥大化した異形の手のひら。そして、それとは不釣り合いなほど細い腕。髪と同じように引きずるほど長いソレは無条件で見る者を恐怖させる。
骨と皮、と表現するよりも骨しかないという細さに気持ち悪さを覚える。
「熱い、なァ。 怪我させたくないんだよ。 人間の治療なんてできるやつ、俺ァ知らねぇからよォ」
「《炎》!」
異形を取り囲むように炎が円を描くと、すぐにミーシュは走り出す。
炎の威力は先程よりも落ちていたが、さすがに炎を喰らえば、あの異形とてひとたまりもないのはあの手のひらが焼けたことで証明された。
で、あればあの壁を超えるのは至難。
乱暴に扉を開き、静かに眠っていた子どもたちを叩き起す。
「カイ! 起きて! 起きなさい!」
「な……なんだよ、ミーシュ姉」
呑気に欠伸を漏らすカイに焦燥感を覚えながらも、ミーシュは皆を起こして逃げるように指示を出した。
状況が上手く飲み込めていないカイだったが、初めて見るミーシュの顔と、外から流れ込んでくる何かが焼けたような臭いに気がつくと、何も言わずに皆を起こしに行った。
「皆をお願い、カイ」
ミーシュはすぐに外へ飛び出すと、まだ炎の中にいるはずの異形へ向けて追撃を繰り出す。
「欲するは《雷》!」
空が鳴く。
空間を切り裂くような線を描き、落ちてきた眩い光に顔を覆いながらも、目の前にいるであろう敵からは顔を背けない。
「消え……た?」
炎が消え、雷によって遮られていた視界が回復したとき、そこにあるはずのものはどこにもなかった。
「ユウ! やれェ!」
合図、だろうか。
頭上から聞こえたその声には気がつけたが、あまりに遅い。
巨大な手を持つ男がミーシュを押し潰さんとばかりに手を開き、降ってくる。
「欲するは――」
(ダメ――ッ、間に合わない!)
ミーシュの技も間に合いそうにない。
眼前に迫った巨大な手のひらに抵抗する手段を、ミーシュは失った。
裏口から森へと入り、教会を目指していたカイたちにもそれは見えた。
真夜中であるはずなのに、空には太陽が登っている。
そうかと思えば、太陽はカイたちの頭上を通り過ぎ、沈みかけるその一歩手前で止まった。
明らかに見たことのないモノだ。
それが太陽であると断ずるには無理があるようにさえ思えるモノ。
周囲は明るくなり、暗闇への怖さはきえたはずなのに、未知の恐怖に足がすくみ、動けなくなる。
『皆をお願い、カイ』
頭の奥で聞こえたミーシュのその声が、カイを奮い立たせる。
「ここにいても危険だ! アイアスさんのところへ急ぐぞ!」
危険を承知で先陣を切るカイに続き、皆が一斉に走り出した。
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