12.決意

 翌日。

 いつもは教会か孤児院の子どもたちと食べている昼食を、今日は気分を変えて村の店まで降りてきていた。

 食事を済ませ、水を飲んでいたティゼルは、自分が視線を集めていることに気がついた。

 それも当然だろう。


 ここ、ルギス村に突然やってきた謎のローブを着た男。

 そんなやつが教会に寝泊まりしているのだ。気にならない人間の方が少ないだろう。

 念の為にフードを深く被り直していると、そんなティゼルに声をかけてくる人がいた。

 無精髭を生やした中年の男だ。頭頂部の乏しさを誤魔化すためなのか、左右前後の髪を持ち上げ、なんとか努力をしているのが涙ぐましい。



「なぁ、ローブの兄ちゃん。 教会で何やってんだ? 噂じゃ、あんたが旅の冒険者でこの村にいる魔女をやっつけてくれるって話だが?」

「魔女? この村に魔女がいん……いるんですか?」



 魔女とは魔術を操る人間の敵。

 ティゼルは一度しか相対したことがないため、そう言われて思い浮かぶのは山羊頭をした怪物。

 そんな怪物がこの村にもいるのだろうか。この村に滞在して数日が経過しているが、そんな気配を感じたことは一度もない。



「村のやつが見たんだよ。 森の奥で炎を使う魔女ってのを」

「森で? よく火事にならずに済みましたね」

「なんでも、次の瞬間にはその炎ごと氷で閉じ込めたって話だ」

「氷に炎か」



 ティゼルは魔術というものがどういうものなのかを知らない。

 魔女が使うということだけは教えられているが、山羊頭がティゼルとの戦闘で使ったような記憶はないが、村に火の手が上っていたというのがソレなのだろう。



「んや、ウチのやつの話じゃ木の影が奇妙に揺れてたって話だぜ。 それも昨日の話だ」



 その話を聞いていた、ティゼルの二つ隣に座っていた男が席を詰めてくる。

 馴れ馴れしいな、とも思ったが村人同士は意外と距離が近いため、一人が異邦人であるティゼルと会話していれば警戒心も薄れるのかもしれない。



「なんでも、その影が生きてるかのように蠢いて手招きしてたってよ。 怖くなってすぐ家に帰ってきたらしいんだが、あとで見に行ってもそんなもんはなかった」

「影のは俺も見たぞ! 村の外だが、草の影が一つだけ大きな人間の手みたいに揺れてやがった!」

「それは見間違いだろ。 お前怖がりだからなぁ」

「う、うっせぇ! ほんとに見たんだよ!」



 ティゼルを蚊帳の外に、村人たちは勝手に盛りあがっていく。店主である強面の男が店の奥から出てきたことで騒ぎは少し静かになったが、それでもまだ魔女の話題は尽きなかった。

 影が不気味に動くという話は最近のことだというが、割と目撃者が多く、炎に関しては森の奥まで行ったことのある村人の中でも数名しか知らなかった。

 魔女の仕業と断定するのはまだ早いが何かしらの現象があることはたしかだ。

 一応、ティゼルがこの村に来ている理由は護衛であるため頭の片隅に入れておくことにした。



「……ここだけの話、俺ァ、あの孤児院が怪しいと思ってんだ」

「――孤児院?」



 その単語に目を見開く。

 声を潜めて話を切り出した男に、ローブの下に隠れたティゼルの表情は読み取れなかった。

 すぐにティゼルは動揺が声に出ていたことを悟ると気づかれないように咳払いを挟む。



「いやな、兄ちゃんが来る半年くらい前によ、真っ白ななっがい髪の女の子が村に来たんだよ。 んで、そいつをアイアスさんが孤児院で保護してんだ」

「白……」

「たしかそいつが村に来てから、炎が目撃されたのはよ」

「何が、言いたい……んですか」

「なんだ兄ちゃん、察しが悪いな。 その白い女が魔――」



 ティゼルは席を立つ。

 勢いよく立ち上がったせいで椅子が倒れ、その音で店の中は静まり返る。

 全員がティゼルを見ていた。

 もちろん、魔女の話をしていた中年の男もそうだ。

 ティゼルを見上げた瞳は戸惑ったように瞬きを繰り返し、額には汗を浮かべていた。

 中年の男は静かに唾を飲み込むと恐る恐るティゼルのローブの下を覗き込もうと首を動かした。



「なんだ、オッサン」



 その金色の瞳の美しさに目を奪われることはなかった。

 いや、美しいなどと感じる余裕はなかっただろう。

 そこに込められていた感情は、その目を見た者ならば誰であっても感じ取れたはずだ。



「――悪い。 金払うから幾らか教えてくれ、店主のおっちゃん」



 そう言うとティゼルはエイルから渡されていた袋から硬貨を取り出し、会計を済ませると足早に店内を後にした。

 残された中年の男はティゼルの瞳の奥にあった怒りの感情を前に、ティゼルがいなくなったしばらくあとも声を出せずにいた。



 ◆



『数多の失敗を繰り返し、ひとつの成功例を生み出しました』



 頭の中で思い返していたのはここに来たときにアイアスから――護衛対象の少女が抱える問題について、語られていたときのこと。



『本来、魔女にしか扱えないはずの魔術を使える存在、それが――』


『俺ァ、あの孤児院が怪しいと思ってんだ』



 人目を気にすることなく、舌打ちをする。

 人を寄せつけないような足取りで、ティゼルが目指していたのは件の森の奥。



「ミーシュは……ミーシュは魔女なんかじゃねぇ……!」



 何度か話をしただけの仲だ。出会ったのだってこの村に来てからのこと。仲がいいとも言えないような関係性だ。

 それでも、ティゼルは知っている。

 あたりは強いが、不思議と優しくて、子どもたちには面倒見がいいこと。何か大きな悩みを一人で抱え込んでいること。極度の甘党だと言うことも。


 視界が開ける。

 この光景を初めて見たわけではない。昨日も見て、同じことを思った。

 異様だ、と。


 焼け爛れた木。氷漬けの木に溶けた木。

 この場所だけ――この、村から離れた森の奥だけが異様だった。

 狩りや山菜採りでもしない限り入ってこないような、そんな場所。人が寄り付かない、人目につかない場所。



「また、来たの」

「ミーシュ、ここは……」



 絶対に自然現象では作られることのない空間だ。

 かと言って、人間がどんな風に手を加えればここまで不気味な景色を作り上げられるのかもわからない。

 だが一つだけ、ティゼルには答えを導き出せた。



「ここは――ミーシュがやったのか」



 村人の話とアイアスの話を聞いた今ならば理解できる。

 村人が見たという炎や氷、影といった不気味な現象の数々。

 アイアスが語ってくれたシゼレイア聖国の闇。


 ティゼルのその言葉を聞いたミーシュは一拍あけて頷いた。



「……村の人たちに聞いたの?」

「ああ。 ミーシュ、噂されてたぞ。 いくら森の奥だからって、やめとけよ、こんなこと」

「やめられるのならやめてる。 私はね、この身体から溢れ出る魔の力を抑えきれなくなる前に放出しなくちゃならないの」

「放出ったって、こんな――」



 ミーシュの真っ白な、腰まで伸びた雪のような長い髪が風に揺れる。

 そこから見え隠れする表情は酷く寂しげで、放っておけば消えてしまいそうなほど儚くて、自然と手を伸ばしていた。



「何?」

「……なんでもない」

「わかったでしょ? 私、人間じゃないの。 だから仲良くしようとか、そんなこと考えないでいいの」

「そんなこと――」

「あるの。 あなたが……人間が、私と関わると不幸になる」

「……っ」



 かける言葉がわからない。

 ティゼルは15歳の今まで一度たりとも故郷の外へは出たことがなかった。

 村の中には子どもと呼べるような存在はティゼル以外におらず、同年代の友達もいなかった。まして、ミーシュのような異性なんて。

 故郷を出て、大聖堂で生活をしていたときも、話し相手と言えばエイルか、その部下であるローグくらいだ。

 ミーシュのように歳が近い相手とは話したことがなかった。

 要するに、ティゼルには人間関係に関する経験が少ない。


 ――いや、例え多くてもこの場において言葉を持てる人間はどれほどいるのだろうか。


 今、目の前にいる少女の表情を見て、何かを言える人間はいるのだろうか。



「ね、わかった? わかったなら、カイたちと遊んであげて。 私の護衛はしなくても、いいから……もう、関わらないで」

「ミーシュ! なんだ……ッ、これ!」



 大きな手のひらが身体を押すような感覚。

 今日は風が強い日などでも、台風が近づいているわけでもない。

 当然、天気が急に悪くなったわけでもない。


「ゴウッ」という鼓膜を震わせる風に、腰を落としてなんとか立ち向かおうとする。

 引きずりながら足を動かし、前へ進もうとするが、少しでも気を抜いて身体が浮けば遥か後方へ飛ばされてしまいそうになる。

 ここで固まることが精一杯だ。風のせいでまともに開けられない目をゆっくりと開き、この先にいるミーシュの驚いたような顔を捉える。

 そして、ミーシュが腕を前に突き出すと続く第二波がティゼルを強く、突き飛ばした。

 辛うじて木にしがみついたティゼルは声を張り上げる。



「ちっ――ミー……シュ! 俺は……!」



 口を開ければ、猛威を振るう風に否応なく喉を、肺を蹂躙される。呼吸を忘れさせてしまうほどの暴風に声を上げることも難しくなる。

 きっと、この叫び声はミーシュには届いていない。

 枝を、葉を切り裂く風の中では音もまともに進めない。

 しがみついているので精一杯だった手は、もう一度襲ってきた暴風に耐えきれない。


 回転する視界の中、ティゼルの脳はあの悲しげなミーシュの顔ばかり再生していた。



 ◆



「――おいテゼルだいじょぶか?」



 短く折れた木の枝で、地面の上に転がったティゼルを突っついているのはこの孤児院の中でもミーシュに次ぐ年長者であるカイ。

 その後ろにはルゥとネネカの姿も見えた。

 下から見上げるような角度の視界に、自身が寝そべっていることに気がつくとティゼルはゆっくりと身体を起こした。


 背中が痛い。腕や足、脇腹なんかも痛かった。

 何があったのかが曖昧で、そこを思い出すところから始めなければならない。



「テ、テゼルお兄ちゃん、すごい勢いで森から出てきてた、よ。 大丈夫?」

「カ、カイ! ゆ、幽霊の仕業よ! 近づくのはやめときなさい!」

「え? 幽霊? そんなのいないって。 ネネカはびびりだな」

「うっさい!」



 飛び膝蹴りを浴びているカイは放っておき、素直に心配してくれているルゥに親指を立てる。

 身体のあちこちをぶつけたようで、打撲の痛みはあるが、動けないわけではない。



「心配してくれてありがと、ルゥ」

「う、髪の毛ぼさぼさになる……」



 子どもの撫で方は難しいな、なんて思いながらルゥの灰色の頭を撫でる。

 ティゼルの手に振り回されるように首を回すルゥが面白くて、手が離せない。次第に目が回ったのか、フラフラとした足取りでどこかへと消えていってしまった。

 奥の方で昨日、かくれんぼを提案した少女――シャオが驚いたような声を上げたので無事なのだろう。



「そ、それで……何があったんだよ、テゼル」



 ネネカに蹴られ、伸びているカイ。ネネカに反撃していないあたり、えらいななどと思ってしまう。



「そうだ、たしかミー……」



 ミーシュの魔術で飛ばされた。

 そんなことをカイたちに言えるだろうか。

 言葉を飲み込み、首を振り、何か別の言い訳を考えていると、ネネカが一度唇を噛んでから口を開いた。



「……ミーシュお姉ちゃんが魔女みたいな技を使ってるのは知ってるわよ」

「この孤児院じゃ俺とネネカだけだけどな!」

「カイは声が大きい! 他の子に聞こえたらどうするの!」

「ネ、ネネカだって大きいだろ」



 地団駄を踏むように背中を踏みつけられ、「ぐぇ」と声を上げるカイ。

 話をする上でさすがに可哀想なのでそこから助けてやることにした。

 三人は場所を移し、孤児院の影となっている裏口の方へと回る。日陰であるため少々暗いが、まだ日が昇っている時間帯であるためそこまで問題ではない。



「……知ってたんだな、二人とも」

「ん、まぁな。 俺たちはよく森の中に潜って怒られてるし」

「わ、私はカイが勝手に行くから止めに行ってるだけよ!」

「はいはーい。 ……で、一度だけ森の奥まで行ったことがあるんだよ」



 そこで二人が目にしたのは、あの異様な木々が立ち並ぶ場所。

 他の草木に嫌われたかのように開けた歪な空間だ。生物が引き起こしたわけではないということは一目見ればわかった。

 そして、この森の中に生物が少なくなってしまった理由も。



「ミーシュ姉はそこで――」

「そこで?」

「……テゼル、ひとつ聞いてもいいか?」

「なんだ? そんな深刻そうな顔で」



 お調子者という普段の様子からは想像もできないほど真面目な顔。

 カイの茶色の瞳がティゼルを真っ直ぐと見つめていた。



「テゼルはミーシュ姉を、どうするつもりでここに来たんだ?」

「カイ……」



 カイもネネカもこの孤児院では年長者として、他の子どもたちよりかは大人びている。

 いつもふざけた様子だが、周りのことはしっかりと見ているらしく、ティゼルがどうしてここに来たのかまで考えていたようだった。



「それに、その髪。 テゼルは、勇者……なんだろ?」

「こ、これは髪を染めたって――」

「さすがにそれじゃあ無理があるよ、テゼル。 その髪は染めてどうにかなるような髪じゃない。 青く染めるヤツは何人もいるけど、そんな風に綺麗な色、見たことない」

「カイや私……たぶんルゥも気づいてる。 でも、隠す理由があるんでしょう? そして、それはたぶんミーシュお姉ちゃんを……」



 震える手を押さえつけ、言葉を繋げようと口を動かし続けるが、声が出ることはなかった。

 ネネカはカイよりも明るい茶色の髪を振り乱し、ルゥたちのいる方へと走り去っていってしまった。

 ネネカが辛く苦しそうな表情で言おうとしていた言葉がわからないティゼルではなかった。そして、それはカイも同じ。



「ミーシュ姉を、こ――」

「違う。 俺がここに来たのはそんなことのためじゃない。 ミーシュを守るために来た」

「守るって……何からだよ」

「そこまでは俺にもわかんねぇ……けど、守れってそう言われたんだ」

「そ、そんなテキトーな……」

「適当じゃねーよ。 最初は流されるままにって感じだったけど、アイアスさんや村の人たち、そしてカイたちの声を聞いて決めたよ」



 アイアスの言葉が、村人たちの言葉が、ネネカの表情が脳裏に呼び起こされる。



「俺はミーシュの友達になる! って!」

「守るんじゃなかったのかよ!」

「守るさ。 友達になって、守ってやるんだ」

「……っ、俺たちじゃ、ミーシュ姉の友達にはなれなかった。 だからティゼル……よろしくお願いします」



 カイが頭を下げる。

 その震える肩に手を置く。

 カイなりに何かをしようと努力したのだろう。自分では何もできなかったという無力感がティゼルには伝わってきた。



「――――じゃあ、任せたからな、テゼル!」

「おう、任せとけ!」



 もう一度森の中へ入っていくティゼルを見送ろうとしたときには既に彼の姿はどこにもなく、後には心地のいい暖かな風だけが残っていた。



「カイ、いいの? ミーシュお姉ちゃんを――」

「大丈夫! 全部勇者に任せてきた!」



 憑き物が落ちたような、そんな晴れやかな顔でカイはもう見えなくなったティゼルの背を見つめ続ける。


 大きな影が、揺れていた。



 ◆



 息は上がっていない。

 足も疲れていない。

 打撲の痛みも、いつの間にか忘れていた。


 木の枝を伝い、器用に方向を転換し森の奥を目指す。

 時折、木々の隙間から漏れ出る西日が染みるが関係ない。

 ティゼルはただひたすらに進む。ミーシュがいるはずの、あの場所へ。



『ミーシュ姉はさ、あの場所で……泣いてたんだ』



 カイが語ってくれた。

 あの歪な森の中で、ミーシュはまるで子どものように泣いていたのだと。



『生まれてきて……ごめんなさいって、泣いてたんだ』



 そんなことない、と言えなかった自分に怒るように。

 あの森に恐怖してしまった自分を責めるように。


 ティゼルは速度を上げる。

 一秒でも早く、ミーシュのところへ行きたかった。

 景色が引き伸ばされ、数秒もしないうちにティゼルは森を抜け出した。

 夕日を背に、ティゼルが空から降る。



「な、なん……で、また来たの! もう関わらないでって言ったでしょ!」

「うるさい!」



『嫌なの。 怖いの、それ』その言葉が、そのときの表情がティゼルに「うるせぇ」と言わせなかった。

 語気を強めた言い方になってしまったのは仕方がないことだと、誰に聞かれるわけでもない言い訳を胸中に垂れ流す。


 言われて以来、不思議とティゼルはミーシュの言葉通り、「お前」と呼ぶことも、反応を短く済ませることもしなかった。



「俺は決めたんだ! 今! ミーシュと友達になるって!」



 着地と同時に舞い上がった土煙の中から金色の瞳が光るのが見えた。

 その中を掻き分け、ミーシュの前に立つ。

 ミーシュの目が赤く腫れていることがわかった。

 綺麗な白い頬に涙の跡がまだ残っている。



「俺は、ミーシュを一人で泣かせたりはしない! どんなことからも守ってやる、それが! 友達だろ!」



 ティゼルはそう叫ぶ。

 すぐに拒絶しようとするミーシュの心に、少しでも残っていられるように。



「泣いてなんか……!」



 ミーシュが涙を流さなくて済むように。

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